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第六話 魔窟と竜姫

 私を指名されたダニエラ様の意図は明白だ。


 私にリハビリに行け、と仰っているのだ。


 炎の耳長族(ダークエルフ)は生来火の属性を得意とし、水属性の精霊とは友誼を結びにくい。森で暮らし、風と水の精霊との友誼を築きながら生活するホワイトエルフとは異なり、火と風の精霊を友とする私達は、モコエ山に篭って仕事をし、世界樹の森に帰って休暇を取ると言った生活をしていた。


 私はそんな炎の耳長族の中でも、特に成長が早かった。火の精霊との友誼を結び育てるのには、何の痛痒もなく当たり前のこととしてこなせた。齢20で初めて火の魔道具を作成して周囲を驚かせた。当時の私は魔法に関しては里でも抜けた存在だった。


 魔法を覚えてからは、モコエ山は私を高めてくれる最高の場所になった。覚えた魔法の試し打ち、魔石狩り、希少鉱物や希少素材の回収、挑める高い目標はいくつもあった。世界樹の里に居るよりも長い時間モコエ山に籠るようになるまでに、さしたる時間はかからなかった。一人前の魔窟の冒険者ダンジョンエクスプローラーとして認められる第10階層を突破したのは25歳の時だった。


 私こそは、炎の耳長族を率い、世界樹の森の賢者に並ぶべき者と自覚し、周囲からもそう囁かれていた。


 そして、その時はなんの前触れもなくやってきた。


 ザムル王国建国の礎となった怪異。その時、私は身体だけが成人となっただけの30歳の小娘だった。


 その日の魔窟は第1階層から奇妙な状態だった。魔物が全くいない区画がはっきりと分かれていて、誰か強力なパーティか冒険者が通過したと思われた。通ったのはかなり強力な一行と思われたが、腑に落ちないことがあった。悉く魔物は狩り尽くされているのに、進路が下の階層を目指したとは思えなかったこと、そして魔石を含むすべてのドロップアイテムが放置されていたことだった。地表近くの弱い魔物しかいない区域でも、希少なアイテムを落とす魔物は居る。しかし、そんな希少アイテムも放置されていた。


 魔窟に潜るなら何かの目的があるはずだが、下の階層への道順を知らない初心者ならば魔石も取らずにドロップアイテムをすべて放置するのが解せないし、強者なのであれば下の階層への最短距離を進むはずだ。しかし、それはちがった。まるで片っ端から(●●●●●)手当たり次第に(●●●●●●●)進んでいたら(●●●●●●)偶々(●●)下の階層への通路を見つけてしまった(●●●●●●●●)かのようだった。


 私はいつものように最短コースで次の階層へと進んだ。次の階層も、その次の階層も、同じように出鱈目な順序で手当たり次第に魔物が狩り尽くされ、ドロップアイテムは放置されていた。


 そして、第11階層にパーティの死体があった。吸血鬼一人と狼人二人の3者の主従。吸血鬼をリーダーとする何度か遭遇したことのある実力のあるパーティーで、自分より探索能力は高いグループだ。色々と教えてもらったこともある。吸血鬼の中では変わり種の放浪家だと言う彼は、高価な希少なアイテムを採取して街で売ることを生業としていた。そんな彼らが希少アイテムを放置することは考えられなかった。


 吸血鬼の死体(●●●●●●)。私はその居心地の悪い違和感に気づくべきだった。私は吸血鬼がどのようなものか、知識で漠然と知っていただけだった。私は、結局未熟さのせいでその違和感を無視して先へ進んでしまった。


 いい人たちだったのに。私より実力の高い人たちでも油断すると11階層で命を落とすのか。せめて仇を。そんな想いがあったのは事実だ。


 私より高い実力の持ち主が殺された相手に私が勝てるはずがないと言う感覚は、その時の私にはなかった。その頃には11階層で私が勝てない敵はいなかったし、敗北したパーティよりもモコエ山の魔窟に潜って居る絶対時間は私の方が長い。私ならなんとかできると言う根拠のない自負があった。それを、油断だと知ったのは翌日のことになるのだが。


 そして、13階層。毎日の私の修練場であり生活の糧を得る仕事場。そこで、気がついた。いつもならわいのわいのと騒がしい火の精霊が、皆赤ん坊(●●●●)だ。そう言えばここに至るまでにも、なぜか赤ん坊の精霊は多かった。


 そんな精霊の違いに深く考える余裕もない程のほんの一時、そう、森の小鳥がひとさえずりするほどの短い時間、私が13階層を進んですぐに、それはいたのだ。


「なんだあれは」


 それが私の第一声だった。私の前方、200歩ほどの距離に黒い何かが進んでいる。丁度、私がそれ(●●)を追う形だ。


 ダークエルフは夜目が利く。私は暗い魔窟の中でも、ほんの少しの光源を持ち込むだけで視線の通る所は見渡せていた。


 その視界の中に、信じられない光景があった。


 それ(●●)に、魔物が倒されていく。それ(●●)が、ただ進むだけで、魔物はただ頽れる。あっけなく、予め定められた摂理であるかのように、力を失っていく。


 その様相はただただ異常と言うほかなかった。


 13階層の魔物は、私にとって脅威ではないもののそれなりに手応えのある魔物がいる。機を見て弱点を突きながら冷静に戦えば勝利できる敵で、触れただけであっけなく倒せるような相手ではなかった。


 <ヴァネッサ。おかしい。精霊が居ない。>


 そう私の精霊が言うのと、私がそれ(●●)を発見したのは、ほぼ同時だった。


 モコエ山の魔窟は活火山の火の壺に沿って広がる地下洞窟だ。常に火山と火竜の炎気を浴び、そこらじゅうに火の精霊が湧いているのがふつうである。


 その火の精霊が、全くいない。洞窟の壁や床や天井、どこを見ても、いつもなら五月蠅いほどに湧いているはずの火の精霊の姿がまったく見えない。炎気はいつもと変わらず満ちているというのに。


 しかし、私の視界の先でひたすらに突き進むそれ(●●)は、私の知る魔窟の魔物とも、魔窟に何かを求めてやってくる冒険者とも異なっていた。それ(●●)は、ただ進んでいるだけだ。剣技や体術を用いるでもなく、魔法を放つでもなく、蜘蛛のような足をガサガサと動かし、ただ縦横無尽に天井や床や壁面を勢いに任せて進んでいるだけ。


 ただそれだけで、それに触れられた火の精霊は掻き消え、魔物は頽れていく。


 その歩みは一定で、淀みも迷いもない。ただ単に前に進む。それは触れた魔物が頽れると、その蜘蛛の足で魔物だった身体をよじ登り、先を目指す。魔石にも、ドロップアイテムにも目もくれず、ひたすらにただ前へ進むだけの存在。それには喜びも悲しみも逡巡さえもない。


 違和感。これまでに魔窟で目にした如何なるものとも異質なそれに、私が感じることができたのはそれだけだった。


 それ(●●)は、本当にただひたすらに進んで居るだけだった。魔窟が分岐しても、下階層への道かどうかは関係なく、ただひたすらに進行方向に存在していた道へ進んでいく。壁があればよじ登り、天井に突き当たればそのまま天井の凹凸を蜘蛛の足で掴んで、ひたすら前進する。


また一つ、また一つと魔物が倒される。


 そしてそれ(●●)はまたひたすらに前へ進み、何度目かもわからない壁をよじ登り始め、やがてまた天井に逆さまに張り付いて進み始めた。それ(●●)が掴んだ天井の土塊が崩れて、土塊ごと落下した。


 落下したそれ(●●)は、ひとしきりゴロゴロと転がった後、縮こまっていた足を広げ、七本ある足の中から三本の足を地面に突き立て、再び奇妙な蜘蛛状の脚で地面に立ち上がった。


すると、様相が変わった。


 それ(●●)が、私の方へ向かって来る。天井から落ちた時に転がって向きが変わったのだ。


 シャカシャカという無機質で耳障りこの上ない音が近づいて来る。


 それ(●●)の姿がはっきりする。全身黒。遠目にも見えていた蜘蛛状の脚は七本。それぞれの脚が出鱈目に大地を蹴っていて、統制がない。それぞれが勝手に進行方向の反対側へ動き、前進している。七本の足はそのまま植物を思わせる茎に繋がり、動物の内臓かのように蠢く胴体部分に繋がり、そこからだらしなく垂れ下がった蔓状の三本の触手が、動きに合わせて無造作に揺れ動いている。


 見るほどに嫌悪感しか感じない。混沌から産まれた邪悪な何かというのも違う。敢えていうなら精神破綻者の妄想が具現化したような異物感。


 それ(●●)が魔物を楽に掃除してくれてドロップアイテムを落とし続けてくれる点だけは評価に値するかもしれないが、それ以上に私の中の何かが叫んでいた。


 いけない。あれ(●●)はこの世界にあってはならないものだ。


 その直感が、私を動かした。


 それ(●●)は、私めがけて向かって来るわけではなかった。偶々、進行方向が私のいるところに近いといった程度だった。


 私はその触手の倍の距離をとって、それ(●●)をやり過ごす刹那に、背中の短弓を左手に握り、右手に腰の銀矢を二本引き出し、二本同時につがえて弓を引き絞り、詠唱を始める。私が子供の時から二十年以上友誼を育んできた火の精霊。詠唱とともに私の魔力が精霊に流れ、精霊がその姿を変えていく。火の精霊の第二形態、炎妖精(サラマンデル)に変化した私の精霊は、即座に私が引き絞っている矢に取り付き、鏃に魔力の炎を灯す。


 転瞬、私は矢を解き放つ。


 火の精霊を破邪の銀矢に宿した強力な魔法攻撃『炎妖精の矢(サラマンデルアロー)』。13階層でこの魔法を食らって消し炭にならない魔物はいない。


 魔力をごっそりと削り取られる感覚と共に解き放たれた二本の銀矢は、荒れ狂う炎妖精の炎を纏ってそれ(●●)に襲いかかり、



ただの二本の矢になった。



 私と二十年の友誼を結んだ火の精霊は、刹那のうちに搔き消え、霧消してしまった。


「どうしてっ?」


 対属性との干渉で消滅したわけでもない精霊が、魔法攻撃の着弾と同時に、精霊ごと消えるなど聞いたこともない。


 しかし、矢はそのまま勢いを保って、狙い違わず内臓らしきものが活発に蠢く黒い胴体部分に深々と突き刺さった。


 胴体部分を深々と穿たれても、禍々しい脚は一向に動きを止めようとしない。もともとバラバラに動いて統制されていないその脚は、矢が穿った裂け目を自らどんどん拡げ、自らの脚の力でその胴体を二つに引き裂いた。


「よし」


 私は一応の成果に右拳を握った。しかし倒れてもなお、その脚は大地を蹴ろうと出鱈目に蠢いて、陸に上げた川魚のようにバッタンバッタンと跳ね回っている。


 ここからトドメを、と、私が腰の鉈を抜いたとき、それら(●●●)は脚の動きを停め、千切れた胴体部分が急に激しく蠱動を始めた。千切れた部分から何かを勢いよく吐き出したいような、残った胴体部分がボココボコと膨らんだ後に、収縮する。


 そんな動作を何回か繰り返し、ひと際大きく胴体部分を膨らませると、ずるりと脚が生え(●●)た。


 でたらめだ。


 胴体が千切れてバランスを崩して歩けなかった筈のそれ(●●)は、二体に増えてしまった。


 新しい足を生やしていまや完全体となったそれら(●●●)は、もう跳ね回ってはいなかった。


 大地を踏み締め、立ち上がると、新しい身体の調子を確かめるかのように三本の触手をひとしきり振り回した後、触手を私へ向けて何事か呼びかけるように広げ、その脚を動かし始めた。今度は正確に私を狙っている。


 倒せない。


 私はそう直感した。あらゆる魔物は触れた瞬間に死亡する。火の魔法は掻き消える。引き裂けば増える。


 逃げる。そう決めた。


 私はそれら(●●●)が向かってくる方向の反対側、つまり魔窟(ダンジョン)の奥へ向かって走った。それ以外の選択肢はなかった。明確に私を狩る意思を持った二体のそれら(●●●)は、適度な間隔を開けて私が魔窟の上層へ戻るための進路を塞いでいた。


 恐怖。


 初めてその感情が私の中を駆け巡った。


 あれ(●●)には勝てない。


 後ろを振り返りながら走る。走る速度は私の方が速いようだ。すこし距離が空いた。これなら捲けるかと思った瞬間に、新たな障害が私を襲った。


 魔物。15階層付近に出没する炎熱大蜥蜴(フレイムリザード)


 私の進路にそれがいる。


 この魔物を倒している時間はない。


 そう、私が全力疾走で逃げる事ができたのはあれ(●●)が魔窟の魔物を掃除し終わった直後だったからに他ならない。いつもなら、一歩一歩慎重に状況を確かめながら探索する魔窟。そこを全力疾走で前進して、魔物に遭遇するのは当然の帰結だった。


 魔物にとってあれら(●●●)は敵。あれら(●●●)にとって私は敵。しかし、敵の敵でも、魔物は私の味方ではない。


 まだ、やれることはある。


 まだ使っていない風の精霊に命じて魔力を渡す。翔風の魔法が起動して薄緑色の風が私を包む。四肢がぐっと軽くなって走る速度が上がる。


 炎熱大蜥蜴を倒す必要はない。やり過ごせればいい。高速で接近する私を認識した炎熱大蜥蜴が口を開き、喉を上下に縊らせた。炎熱息(ファイアブレス)を吐くための予備動作。私は炎熱大蜥蜴の喉の縊れが停止するのを見た瞬間、大地を蹴った。


 炎熱大蜥蜴が炎熱息を吐く。一瞬前に私がいた所を炎の濁流が一気呵成に流れていく。私は更に壁を蹴り、天井を蹴って炎熱大蜥蜴の背後に着地する。


 ちらと後ろを見ると、炎熱大蜥蜴は首を振って炎を逃れた私を追っていた。また喉を縊らせて第二波を放とうとしているのがわかる。


 しかし私の目は四肢を踏み替えて私の方へ向き直らんとする炎熱大蜥蜴の、その背後を睨んでいた。


 炎熱大蜥蜴がたった今吐いた炎を消し飛ばして、二体のあれら(●●●)が忙しなく脚を動かして私めがけて進んで来る。


 そして、炎熱大蜥蜴の炎熱息が再び吐かれることはなかった。


 私は再び魔窟の先へ視線を戻し、走り出した。翔風の魔法と炎妖精の矢を放ったせいで、随分と魔力を消耗している。全力疾走のせいで体力も削られて、身体中の筋肉が言うことを聞かなくなり始めている。私は回復の魔法を全身に巡らせて疲労を打ち消し、そして走り出した。それしか生き残る方法を考えられなかった。


 もう私の魔力は限界に近い。これが白耳長族(ホワイトエルフ)のダニエラ様ならまだ余裕のあるのだろうか。


 炎熱大蜥蜴は二度目の炎熱息を吐くことは叶わなかった。代わりにあれら(●●●)が炎熱大蜥蜴の頽れた身体をよじ登り、私を、私だけを指向して触手を広げ、あの耳障りな脚音を魔窟に響かせる。私はひたすらに走った。


 14階層。未だあれら(●●●)が到達していなかった階層に、私は逃げ込んだ。いつものように火の精霊が騒がしい魔窟の、私一人では少しばかり荷が勝ちがちな階層。


 後方から私を追ってくる脚音が大きくなってくる。私は走り、一つ目の角を折れたとき、そこには絶望が口を広げていた。


 魔物の溜まり場(モンスターハウス)


 炎熱大蜥蜴だけではない。上位屍鬼(アークゾンビ)炎蜂(フレイムビー)火蛇(ファイアスネーク)など、この階層の魔物が10体以上、狭い通路にたむろしている。なけなしの魔力を絞って翔風の魔法で手前の二・三体を躱わしたところで、奥の魔物に捕まって焼かれる。いつもなら一体ずつおびき出して各個撃破しなければならない状況。


 手前の数体が私に気づき、攻撃態勢を取る。その動きは、何故かひどくゆっくりに見えた。


 背後からあの脚音が次第に大きく聞こえてくる。


 私は大地を蹴って、前に進んだ。最後の魔力で翔風の魔法を起こし、身体を加速する。視界が涙で歪む。股間を暖かいものが濡らす。二体の炎蜂を躱し、上位屍鬼を飛び越えて着地したところで、私の脚に火蛇が捲きついた。


 私は地面に引き倒された。炎熱大蜥蜴が口を開けて近づいてくる。知っている。それは獲物を捕食するときの動作。


 私は炎熱大蜥蜴の顎をぼんやりと見ながら、火蛇が足首を焼く痛みに呻いたとき。


 視界が、突如として撹拌された。


 腹と肺に鈍痛が走り、聴覚がどこかへ吹き飛んだ。


 それが、巨大な振動に因るものだとわかったのは、土塊や溶岩が四方八方から怒涛のように押し寄せて私や魔物ごと押し流したからだ。


 口に盛大に流れ込んだ土を吐き出して、目を開くと強烈な刺激が眼球に流れ込んで来た。痛みとも錯覚するそれは、光だった。


 地上の光など届くはずもない魔窟の14階層に光が差し込んでいる。闇に慣れた目では明るすぎて何が起きているのかわからない。


 瞼を顰めて周囲がどうなっているのか探ろうとするが、暗闇に慣れすぎていて状況が読めない。炎熱大蜥蜴は、火蛇は、そしてあれら(●●●)はどうなっているのか。


 聴力が回復しないのであれら(●●●)の脚音も聞こえない。あれら(●●●)は近くに居るのか。兎に角逃げなければと、再び焦燥が胸を焦がし始めたそのとき、全身がぞわりと粟立った。


 気配。初めて感じる強烈な気配。こんな凄まじい気配を発するものがこの世界に存在できることが信じられない。


 姿は見えない。音も聞こえない。嗅覚は土の匂いしか感じないが、その圧倒的な気配に私の身体が意思とは無関係に反応する。震え、落涙し、失禁する。四肢を自分の意思で操ることもできない。もうすでに今自分が正気なのかどうかも分からなくなった。ただ、眩い光を捉える視界だけが私を現実に繫ぎ止める最後の糸だった。


 光が、満ちた。


 私を包むように圧倒的な光が全てを満たした。


 おそらくそれはほんの数秒のことだったのだろう。しかし、私にはその数秒が1時間とも、1日とも感じられた。それが、魔窟の壁が剥ぎ取られたのだと知ったのは後の事だ。


 そして、私はその気配の主を目撃する。


 急激に回復した私の視界は、巨大な金色の球体を捉えた。球体の中央には放射状に広がった紅い紋様が沈んでんで居る。それが、眼球だとわかったのは、ギョロリと左右を睥睨し、瞼を瞬かせたからだ。


 色彩が私の世界に戻ってきた。魔窟の壁が無くなっている(●●●●●●●●●)。代わりに、そこは一面が崖になっていた。


 硫黄の臭気が鼻腔を燻る。


 ドシン、と、こんどは下腹に少しだけ振動が響くと、巨大な眼球が崖の向こう側に離れていく。次第にその気配の主の全貌が顕わになる。


 紅い鱗。


 赤褐色で複雑な動きをする四枚の翼。


 稲光のような複雑な形に突き立った二対の角。


 長く伸びて優雅に宙をたゆたう尾。その先は二つに割れている。


 100歩は優に離れているのに、その全身が一望できないほどの巨大な身体。


 大きく裂けた口蓋からは、全てを灼き尽くす炎が呼吸をするように漏れている。


 

 火炎の絶対者。モコエ山の火の壺に住まう炎竜ヴルカヌス。



 気配の主は彼の絶対者だ。



 ヴルカヌスはその翼を複雑に動かして宙に静止し、首をぐいと少しつき出して、いきむように牙を剥いて鼻筋を強張らせた。


 圧倒的な『力』の収縮がヴルカヌスの鼻先に発生し、白色で猛烈な光を放つ光球体が顕現する。さらに『力』は収縮し、世界のあらゆる色彩をかき乱して、大気をでたらめに震わせ、轟音と言う名の暴力を周囲に撒き散らし、


 そして、私は世界樹の森で目を覚ました。


 すでに陽は落ち、二つの月が夜空に高く昇っている。私は何も身につけていない姿で森の泉に寝かされていた。


「どうしてこんな・・・」


 言いかけて、口の中にざらりとした異物があることに気づく。土だ。


「起きたのね。」


 私の髪を優しく梳る手があった。黒い髪と浅黒い肌に紺の瞳。私の母。


「痛むところはない?」


 体中の傷や火傷は癒されていた。どこも痛まないが、口の中に残る土の違和感がひどい。


 世界樹の森は、少し前にヴルカヌスの訪問を受けたらしい。


 凡ゆる種族を圧倒する超越者は、世界樹の森の上空を何度かゆっくりと遊弋すると、何かを森で一番大きな樹、つまり原初の樹の上に降ろした後、他になにをすることもなく飛び去ったという。


 そして原初の樹に降ろされたのは、私だった。


 里の者たちは、傷つき、汚れた私を樹から降ろし、手当てをしたのだという。私が泉に浸されて居るのは、長の見立てで霊力自体が落ちているとされ、霊力が豊富な泉に浸すよう指示されたかららしい。


 それから凡そ100日の後、世界樹の森はあれらの襲撃を受けた。ダニエラ様の護衛についていた人間が何百ものあれらを討ち果たして奇跡的に原初の樹は守られたが、世界樹の森と里は壊滅的な打撃を受けた。


 そしてこの地域に住む全種族が協力してあれら(●●●)を討ち果たし、世界に類を見ない様々な種族が共存するザムル王国が建国されたが、あれら(●●●)が駆逐されたと聞いても私は魔窟に再び潜ることはできなくなっていた。


 心の深層に刻み込まれた恐怖が、魔窟に行こうとすると手足を震えさせ、悪寒を全身を駆け巡らせるのだ。


 いつしか私は、ダニエラ様の始めたアインツの店で、夜の蝶となっていた。



□ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ 



「さあ、皆さん、後少しで魔窟の入り口に着きますよ。」


 百四十年の年月は、私の心に掘り込まれていた溝を埋めてくれていた。かつて通い慣れたモコエ山の山道は、通うものがほとんどいないのか、草が生え、木が生い茂ってかなり荒れ放題になっていたが、迷うことなく魔窟の入り口まで辿り着けそうだ。11人の素人さんの団体を引き連れているので、かつてのように麓からひとっ飛びに入り口までというわけにはいかないが、私も身体が鈍っているので山登りが適度な準備運動になって丁度良い。


「マジで・・・?これからが本番?終点じゃなくてこれからが始まり・・・?」


 ふと振り向くと、カズト様は今日幾度目とも知れない弱音を吐いていた。カタナの左右二本差しと鎖帷子というダニエラ様ご推奨の出で立ちで、魔窟に潜る冒険者としては無謀とも言えるほどの軽装。いつもお仕事のときには神か悪魔のように冷静沈着だが、身体を動かすことについては苦手でいらっしゃるようだ。


 体力的にもう限界のように見えるが、ダニエラ様がにこにこしながら回復の魔法をかける。


「おお。ありがとうダニエラ。」


 カズト様はまた元気に歩きだした。もうこれを麓から何回となく繰り返している。回復の魔法は怪我の治療や状態異常の修正はできるが、エネルギーの補充にはならない。そのためカズト様はまだ気づいていないだろうが、ここまで登ってくる間に相当量の脂肪が減少しているはずだ。筋肉は増えていないが、脂肪が減っているので相対的に体力が向上し、歩き出してからへばる(●●●)までに登れる距離が二倍くらいに伸びている。これなら魔窟の中でもかなり暴れることができるだろう。


「会司!崖の向こうの滝壺から汲んできた水です!飲んでください!」


 アマゾネスのナズィさんは、どうやらカズト様のお世話をするのが嬉しい性質のようだ。ここにくるまでもダニエラ様と一揉めや二揉めしていた。


「いや、ナズィ、それ以前にそれ何・・・?」


 どうみても何かの内臓のようなものを振り回しているナズィさんに、カズト様は引き気味だ。あれはたぶん・・・・


「はい、そこらに赤色熊がうろついていたので、ちょっとシメて胃袋を水筒にしてあります!」


 やっぱりそうだ。モコエ山の探索には水筒にするのに便利な素材なのだが、抜きたての赤色熊の胃は血が滴る巨大な内臓にしか見えない。あれではおそらく、カズト様には受け入れ辛いのではないだろうか。


「ナズィ、加工前の生モノをそのまま使うやつがあるか。俺でも引くわ」


 竜人の方が嫌そうにナズィさんを窘めた。


「ダーラー支店長。これはちゃんと川の清水で10回ぐらいしっかり洗ったんですよ」


「そういう問題じゃないんだ。グロいんだよ」


「グロいですか?やわらかくて使いやすいじゃありませんか?」


 素人には違いないのだが、種族的にアマゾネスは基礎戦闘力が高いのでナズィさんは楽に赤色熊を狩れるらしい。これは嬉しい誤算だった。


 今回は、牛頭人(ミノタウロス)の荷物持ち担当もいるし、目的は第一階層でひたすら魔石を攫うことなので、戦闘力は必要ない。ひたすらに弱い敵を叩き潰すせばいいので、大人の手数があればいい。


 ムタリカ商会の参加メンバーは全部で11名。各支店からメンバーを募ったらしく、王都の支店からはドワーフとミノタウロスとアマゾネスの三人、そして他の支店からは支店長クラスが一名ずつ六名、そしてカズト様とダニエラ様だ。


 種族的に強力なのはアマゾネス以外には竜人、狼人、オーク、牛頭人(ミノタウロス)、そしてエルフがいる。


 特に世界樹の森にほど近い都市スントゥで支店長をしていると言うフィルディナンドが参加しているのは大きい。50歳そこそこの子供とは言え、回復と基礎的な魔法は使えるらしい。これなら魔法が使えるのが、私とダニエラ様とフィルディナンドの3人になるので、第一階層で暴れる分にはいくら素人集団と言ってもなんの問題もない。武器を振り回しているだけで敵は潰れ、万一怪我したり疲れても回復魔法で対処ができる。


 ダニエラ様と私だけなら二十階層も楽に突破できそうな強力な戦力になるので、第一階層で問題が起きるほうが考えにくい。11人を連れ歩くと考えても、5階層ぐらいまでは撤退のリスクを考慮しても問題なく行けそうな感じだ。しかし、牛頭人がやけにおとなしくてナヨナヨしているのは何故だろう。もっと尊大な態度をとる者が多い種族だと思ったのだが。


「お水です。どうぞ」


 ダニエラ様が竹の水筒をカズト様に差し出した。


「ああ、ありがとう」


 カズト様は嬉しそうに竹水筒の水を呷られた。


「えっ、ちょっと会司、あたしの水も飲んでくださいよ~」


「俺ホルモン系はダメなんだわ・・・ごめんなナズィ」


 『ほるもんけい』がなんだかわからないが、多分内臓のことなのだろう。カズト様の気持ちはわかるが、探索行では本来ナズィさんの現地調達主義のほうが正しい。長期遠征なら赤色熊も遠征拠点で加工して食料にしたいところだ。今回は牛頭人の荷物持ちが居るので物資の拠点貯蔵は必要ないが、今後も定期的に狩るなら魔窟の入口付近に拠点を築いておいたほうが良いだろうか。


 そんなことを考えていると、急に植物がなくなって周囲が開け、禿山の様相を呈してきた。魔窟の入り口が近い証拠だ。魔窟の第一階層には植物を喰らう魔物、火兎が生息している。魔窟からでて周囲の植物を食って枯らすので魔窟の入り口周辺は禿山になる。


「植物がなくなりました。入り口はここから500歩程度でしょう。牛頭人さんはここにキャンプを張って下さい。寝泊まりする訳ではないので休憩ができればいいです。魔窟に入られる方は、武装と、最小限の装備をお願いします。まずは少し入って、すぐにでてこようと思うので、身軽さ優先でお願いします。」


 そう言いながら、私も装備を見直す。最初は第一階層のみ。深く潜ったとしても第三階層までは行かない。ならば武器はレイピアでよい。短弓と矢筒、ロングソードは外す。何かと使い勝手の良い鉈を腰に挿し直し、状態異常対策と体力回復用のポーションを内股のアイテムスロットに多めに挿して行く。


 どきどきと動悸がする。初めて魔窟に挑戦した時もこれほどではなかった。百四十年ぶりの魔窟に、私は随分緊張しているようだ。


 私の準備はすぐに終わった。


 顔を上げると、ドワーフが海賊兜をかぶって手斧の素振りをしているところだった。ろくな防具らしきものは見当たらない。


 その右では、オークが鉄鎧を着ようと悪戦苦闘している。武器はかなり大きな鉄棍棒のようだ。火兎程度の魔物には過剰すぎる装備だが、問題があったとしても疲れるだけだからよしとしよう。


 その隣では、先ほどナズィさんをくさした竜人が、手を止めてあたりを見回している。皮の胸当てに短剣と軽装で、装備はそれなりに小慣れたものを用意してあるようだが、手をつけていない。眼光には焦りのような色が見て取れる。


「どうしました?・・・ええと・・・」


「ダーラーだ。竜人に姓は無い。なああんた、それよりここは本当に大丈夫なのか?」


「大丈夫・・・というより、赤色熊が出るくらいですよ。それ以上強い敵は地上には出ない筈です。」


「赤色熊・・・?いやそんな生易しいもんじゃない。」


 ダーラーは竜人の羽をギュッと畳んでしゃがみこんだ。


「なんと言ったらいいのかわからないが・・・先刻から変な感じが・・・息苦しさというか・・・圧迫感?とも違う・・・違和感の一種が・・・強くなってきてる気がするのだが」


「ダーラー支店長もですか。」


 狼人が皮の兜を被りながら話に加わった。


「私も森を抜けたあたりからどうも落ち着きません。意識していないのに毛が逆立っています。」


 狼人は拳闘系なのか、刃のついた手甲を両手に装備している。その手甲の際から見えている白色の体毛が、揃ってふわりと毛羽立っている。


 他にも、殆どのメンバーが息苦しい、頭痛がする、悪寒がするなど、表現に差はあれどなんらかの不調を訴え始めた。私も動悸が酷くなる一方だ。平気な顔をしているのはカズト様だけだ。


「ヴァネッサ」


 ダニエラ様が静かに私の背後に立ち、私の耳元に囁いた。振り向くと、見たこともない程の深刻な表情をされている。


「強大な何かが来るわ。皆の不調はその気配に因るもので間違いない・・・」


「強大な気配?遠くからそんなものを放つ程のものと言えば、ここには1柱しか・・・でも、」


 そんなバカな。あの存在は、敵意を向けられでもしない限りど素人の集団を気にするはずがない。


 しかし、でなければ誰なのか。モコエ山は塒だ。あの存在に匹敵するような絶対者が近づけば、忽ちのうちに文字通り天地をひっくり返した戦いが始まるだろう。


 炎竜ヴルカヌス。


 140年前に私を世界樹の森に運んでくれたあの優しき絶対者が、今なぜ動くのだろうか。


「ぐぁ・・・」


「うっ・・・」


「あぅっ」


 呻きながら、基礎戦闘力の弱い種族から倒れていく。まずは人間の二人、次にドワーフ、エルフのフィルディナンド、オークと順に倒れていく。牛頭人、狼人、アマゾネスはまだ立っているがもう限界のようだ。竜人とダニエラ様は辛そうにしているがまだ何とかなりそうだ。


「お、おいお前たち。大丈夫か?どうしたんだ?」


 カズト様はなんら威圧感を感じていない(●●●●●●)ように元気に動いている。一番戦闘力が低いのはこの型の筈なのに何故だろう。ダニエラ様でさえ耐え難い気配の中だというのに。この威圧感は尋常ではない。かつてヴルカヌスの至近まで近づいた経験のある私でさえ、もはや体の震えが止まらない。


 そして、炎の絶対者は顕われた。


 私達が目指していた魔窟の先、モコエ山の稜線の向こうから、呼吸をするような動きをする竜翼が迫り上がる。続いて自ら発光する稲妻状の竜角が見えたかと思うと俊敏に動く尾が8の字を描くように宙に泳ぐ。炎竜は200歩以上の全長がある筈で、ここから炎竜までも1000歩以上は離れていそうなのに、目視できている尾の速度が我々が振るう鞭のものと変わらない。高速で大気を斬り裂く尾の先端には霧か雲がたなびいているように見える。雷を思わせる重低音の響きが、切れ目なく響き渡ってくる。


 双眸が現れる。その首を傾けて私達を(●●●)迷いなくその視線で射抜いて外さない。これで炎竜の狙いは私達(●●●●●)であることが確定だ。


 耐えていた牛頭人と狼人とアマゾネスが倒れた。私も全身から脂汗が滲む。歯の根が合わない。この絶対者を前にしてできることは殆どない。あらゆる火の精を使役できる炎竜には、モコエ山で物陰に隠れることも無意味だ。逃げるならば自決する以外に道はない。


「デケェ・・・なんだあれ・・・」


 カズト様はぽかんと口を開けて見上げている。


 炎竜はその巨大な身を宙に泳がせると一直線に我々へ近づき、降りてくる。山のような巨体が我々目がけて降りてくる様は踏みつぶされそうに感じる。炎竜は魔窟の入口を背にその巨躯を音もなく大地に降ろした。彼我の距離はほんの30歩程度。顎から漏れ出る炎息(ブレス)の熱を感じる。


<久しいな>


 音は聞こえない。心に直接響く意思。神族や魔族も使うといわれる思念言語。


<黒き妖精。息災であったか>


 息災であったか・・?久しいとは私のことか。炎竜(ヴルカヌス)は私を覚えているのか。


「そ・・・その節は・・・ありがとうございました。多大なる御恩にも関わらず、御礼にも伺えず申し訳ありませんでした」


「ヴァネッサ殿?どうなされた・・・?ハァっ?!失礼をッ!」


 ダーラーさんが私を訝しげに見た後、何かにはじかれたように平伏した。炎竜に何か言われたのだろう。炎竜(ヴルカヌス)の思念言語は個体別に話し分けができるようだ。


<全くだな>


 再び私に思念言語が響く。


<妖精はそれなりに生きると聞くが。不死であるわけでもないのであろう?うぬもあれに消されたかと思うたわ>


 ヴルカヌスの思念言語が頭に広がる。慣れると楽だ。ヴルカヌスは機嫌よさそうに頭をゆらゆらと揺らしながら思念言語を送ってくる。


「お陰様で、未だ生き永らえております。」




<ふむ。それらがうぬの新たな眷属か?>


 ヴルカヌスはムタリカ商会の皆さんへその双眸だけを動かした。その視線に気づいたダニエラ様がカズト様の前に半身を入れる。今や失神していないのは私以外ではダーラーさんとダニエラ様、そしてカズト様しかいない。


「眷族ではありません。お客様です。」


<左様か。道理で。今日はどうしたのだ。朕に会いに来たわけでもあるまい。>


「魔石を採集に参ったのです。新たな魔道具の材にしたいと皆さまが。」


<遊戯に参ったか。道理で全員寝ているわけだ。しかし、ひとつ面白いのが混じっているな。>


 ヴルカヌスは首を動かした。ずい、とカズト様の目前までその顎が迫る。ダニエラ様が必死の形相でカズト様をその背に庇う。


<黒き妖精。この白いのに退くように言え。何度言っても退かん。朕が排除してもよいのか?>


「ダニエラ様。お下がりください。大丈夫です。」


「・・・・はい・・・」


 ダニエラ様が右に避ける。カズト様は面白そうにヴルカヌスを見上げている。


「すごいな・・・きょうりゅうよりでかい。火を吐いて空飛ぶとか、でたらめにも程がある。やっぱりここは違う世界なんだな。」


 ヴルカヌスは、暫くカズト様を凝視した後、首をもたげた。

 

「貴 様」


 ヴルカヌスが声を発した(●●●●●)。私達の肺や腹を震わせる、重く響く声。


「こ の 世 の 者 で は な い な」


 カズト様は、目を輝かせた。


「・・・すごいな竜っていうのは。その通りです。俺はこの世界の者ではありません。」


「何 故 こ の 世 に 参 っ た か」


「そんなのは俺が知りたいですね。来たくて来たわけではない。戻れるなら戻りたいんですが、あなたならそれが可能なのですか?」


「妖 精 に 拐 か さ れ た か ?」


「拐かされたってほどいい目はみてないですがね。一即多とか、わからんことを言うやつでしたよ。」


 ヴルカヌスの首の揺らぎが、ほんの一瞬だが止まった。


「災 難 で あ っ た な 。朕 に は 貴 様 を 元 の 世 界 に 戻 す 力 は な い 。こ の 山 へ は 何 を し に 参 っ た か。」


「商売の為です。コピー機を創りたいのでね。火の魔道具には魔石が必要なのでしょう?」


<うぬはその引率か>


 再び思念言語が飛ばされる。


「左様です。」


<ふむ。左様か。ならばうぬの快気祝いをくれてやるとするか>


 ヴルカヌスは尾を高く上げると、その巨大な両の後ろ脚を踏み替えて後ろへ向き直った。脚を踏むたびに強い振動が私達の身体を揺らして転びそうになる。


 私達に完全に背を向けたヴルカヌスは、その長い首をひときわ高く上げ天頂を仰ぐと、赤銅色の胴を膨らませ始めた。嵐の日の風鳴りような音が聞こえる。息を吸い込んでいるようだ。


 胴を猪のように膨らますと、ヴルカヌスは上げた頭を下げた。私たちからは胴の反対側になるので死角になって見えなくなる。


「何をされているんだ?」


 カズト様が私とダニエラ様を見て訊いたが、私にもわからない。ダニエラ様は苦しそうに脂汗を流している。


「私に快気祝いを下さると仰いましたが・・・何をされるのかまでは」


 その時、ゆらゆらと遊ぶようにゆっくりと蠢いていた四枚の竜翼が動きを停め、ヴルカヌスの胴にビッと放射状に屹立した。


 ドォーーーーーーーーと、大きな滝が流れ落ちるような音が響き始める。暫くして、先ほどヴルカヌスが現れた稜線の向こう側の空に、巨大な炎の壁が吹き上がった。


 想像を絶する巨大な炎の壁。炎の高さは雲にまで達し、焼かれた雲が穿たれて穴が空き青空が開いていく。強烈な輻射熱で顔が熱い。


 炎の壁が収まり、ヴルカヌスの胴が本来の大きさに引き締まっていた。竜翼が再び柔らかく動作を再開する。ヴルカヌスの巨体は宙に音もなく浮かび上がった。


「迷 い し 者」


 ヴルカヌスの空からの呼びかけ。モコエ山全体に響き渡るその音声はまさに神の声と聴き紛う荘厳さを備えている。


「小 石 は う ぬ に 。他 は 黒 き 妖 精 に く れ て や れ」


 ヴルカヌスは山の上を大きく一度旋回すると、再び火の壺へ降っていった。


<また腕を磨きにでも来るがいい。>


 火の壺に姿を消す直前、ヴルカヌスの思念言語が飛んできた。彼の表情は読み取れないが、私にはふと、口端を上げて微笑んでいるように感じられた。


 いつしか、私の動悸は収まっていた。


 その日から、私は『竜姫』と呼ばれるようになった。

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