第十二話 大臣
王宮が勇者の直接襲撃を受け、王の崩御が国民に知らされた。
「くまさんの王様」として、歴代の王の例に漏れず、王国の子供達にも幅広く人気を得ていたセルゲイ王。若く、武張った王なれどその深い慈愛は広く知られており、王国民からの支持は絶大と評してよいほどであった。その王の崩御は、ザムル王国民の心に哀しみの墨を流しこみ、黒く沈ませた。
『勇者』
その名詞は、セルゲイ王が崩御するまでのザムル王国では聖教国の齎す災禍の代名詞であった。
広く知られている災禍であれど、その災禍は忘れたころにしか発生せず、遠くの町や村で起こる通り魔のような事件であり、被害が出ても冒険者や兵によって撃退された例も数多くあったことから、有名な通り魔犯程度のものとして捉えられていた。
王宮の護りを破って王を弑したことで、王国民の勇者に対する目は『凶悪な犯罪者』に対するものから『敵』に対するものに変わったのである。
ある者は王の死を嘆き悲しみその後を追おうとし、またある者は剣を取って国境を越えようと西へ足を向けた。王国軍への志願は殺到し、冒険者ギルドには匿名の勇者討伐依頼が何千と舞い込み、十万ザムルを超える懸賞すらかけられた。
■ □ ■ □ ■ □ ■ □
しかし、王国全体が悲嘆の坩堝の底にあれど、ムタリカ商会に動きを止めたり、緩めたりする選択肢はなかった。
バルザック商会から向こう二年分の魔導複写機の生産を予約する受注が入り、この先二年分と、その後の安定収益はほほとんど見えている状況だが、だからといって従業員をいびり倒して実績の原動力にするという、業績のエンジンを止める選択肢を、首藤は選ぶ気には毛頭なれなかったのである。
首藤は常に言った。
「商会全体の数字がいいことは見えてる。だからなんだ?それは俺がやった数字であって、おまえらがやった数字はナンボなんだ?」
商会の業績が良かろうが悪かろうが、個人の成績と報酬には一切の妥協をしない。それが企業というものだ。
そうでない組織は、いずれ無駄だらけになった上に言い訳だけが増えて、数字に責任を持つべき者が数字をやらなくてもいい体質になっていってしまう。そうなった組織に待っているものは死だ。
王が死んだ、だからといって数字ができなくていい理由にはならない。王は死すとも、我々は変わらず生きているのだ。王の死と我々の経済活動には直接の関連性はないのだ。
王国全体が喪に服している。だからといって数字ができなくていい理由にはならない。だからこそ拾える受注を探り、見つからないのであれば創り出さなければならない。
休みたい、だからといって数字ができなくていい理由にはならない。休んでいいのはいない間の数字を上乗せしてやりきった者だけだ。
自分が経営者の立場に立ってみるとよくわかる。自分が従業員として働いていた頃は、有給休暇は従業員の神聖な権利だと考えていたが、その間の給料は、他の従業員の成果から捻出しているのに過ぎない。有給休暇中の給料は、経営者のポケットマネーから出ているわけではないのだ。単に他の人間の成果から補填しているだけだ。
「有給だから」と叫んで有給期間の給料が湧くなどということはありえない。ゴブリンが企業の棟梁を張るようなこの世界でも、そんなことは起きやしない。
数字ができなくても咎められない(許されるわけではない)のは、病気や怪我で行動不能になった時だけだ。何故か。その方が合理的だからだ。病気や怪我は長目のものでも一週間〜二週間程度で快癒する。伝染性の病なら休暇を与えずに出勤させて他の従業員に感染させられては二次被害、三次被害が発生し、組織全体の生産性がさらに落ちてしまう。
さらに、休養させずに悪化させて死なれようものなら、それなりに業務に習熟した従業員が一人いなくなってしまうことを意味する。そうなれば、その従業員分の生産力が未来永劫パァになる。
この王国に於いて、昨今の新規採用はそう難しい状況ではないようだが、それでも自社独自の業務に習熟させるには周囲が教育する工数も含めて、時間とコストがかかる。
だから、金を払ってでも休ませた方が得なのだ。有給休暇というのは、そういったときに消化されるためにある。決して、いつでも遊べる「権利」などというものではない。
権利とは、義務を履行することによって贖うものだ。企業活動に於いて、従業員の義務とは実績である。報酬はその実績に見合って支払われる対価であり、生来の権利ではない。
実際、ムタリカ商会は向こう二年分のバックオーダーを抱え、会社としての年間売上、粗利目標は余裕で達成できる状況にある。
また、抱えているバックオーダーは全て魔導複写機のものであるので、交換用の魔石も、羊皮紙も受注が見込めている。バルザック商会が魔導複写機を使い続けている限りは、安定的な売上が見込めるのであった。
つまり、営業全員が成績ゼロでも商会を成り立たせる資金はなんとかなる状況なのだ。
しかし、ムタリカ商会の従業員全員に、好業績に見合った報酬が約束されているわけではない。なぜなら、多くの従業員はその義務である実績を出していないからだ。
会社の数字がいいからといって、なんの成果も出していない者に高い報酬を与えるのは間違いだ。それでは、実績を上げたものが馬鹿を見るではないか。
馬鹿を見るのは、必ず実績をあげていない人間であるべきだ。逆であってはならない。たとえ、それが大した労苦の結果でなかったとしても、逆であるよりはよほどマシだ。
ムタリカ商会の業績を大きく底上げしているバルザック商会の大口受注での功労者はパレス通り支店のガインとナズィ、そして首藤としては些か不本意ながら牛頭人のモーリーとなっている。他の従業員の業績と褒賞には反映されない。
ムタリカ商会の従業員、特に営業職は羊皮紙を売って来れなければ給与は最低で四割まで下がる。売ってくるのが仕事の従業員が実績ゼロでも三ヶ月間までは四割の給与を支給するのであるから、むしろ感謝するべきだ。勿論、四ヶ月目もゼロならクビだが、ムタリカ商会は金のなる木を温室で栽培しているわけではないのだ。
パレス通り支店の三人の給与は、暫く規定通り報酬が増額され、通常の150パーセントでの支給が続く。しかし、バルザック商会での魔導複写機と羊皮紙の需要増は、三人分の給与の増額分などはるかに超えて、商会に莫大な利益をもたらしている。
特に、魔導複写機用の定型羊皮紙の需要が急増したので、生産部門の規模と稼働率が大幅に上がる要因となった。定型羊皮紙は、ムタリカ商会オリジナルの商品である。外部の羊皮紙業者では加工をやっているところがないし、させたくないのだ。
定型羊皮紙の生産とは、へブルのドワーフを仕切るマウリが製作したA4の押切型で羊皮紙を定型に切り続ける単純作業だが、バルザック商会の底抜けの需要を満たすにはとにかく量の問題を解決する必要がある。特に、魔導複写機によって定型羊皮紙の需要だけが突出して急増しているのだが、羊から剥ぎ取った生皮から製造する羊皮紙を裁断して製造する定型羊皮紙の需要を満たすためには、結局羊皮紙自体の生産も増やさなければならなくなったのである。在庫の羊皮紙を定型紙に切り揃えるだけでは足りない状態なのだ。
羊皮紙そのものは外の業者から調達することも可能だが、何よりムタリカ商会生産部門の羊皮紙生産コストはとある理由で外部から調達するよりも安い。そして、羊皮紙をA4に切り抜くのはムタリカ商会オリジナルの加工だ。なれば、自社で生産した羊皮紙をそのまま裁断した方がよほど効率が良いのである。
さらに、首藤は定型紙を模倣する競合が現れない限り、定型紙の裁断はムタリカ商会自身でやることにこだわっていた。いずれ、定型紙自体は模倣されるのであろうが、それまでの間に稼げるだけ稼いでおく必要があるし、大量に、かつ正確なサイズで裁断しないと、魔導複写機に通した時に詰まったり引っかかったり、複写した像の端っこが欠けたりしてしまう。
ところが、羊皮紙自体は一頭一頭異なる羊から皮を剥いで、なめして作る。つまり、一頭一頭サイズが違う。サイズの異なる羊皮紙から、A4定型の羊皮紙を効率よく切り出すような自動工業機械を生み出す工業力は、この世界には存在しなかった。
とすると、手の数を増やして増産に対応するしかない。首藤はアーツに掛け合って生産部門のゴブリンたちの頭数を増やすことにした。最弱の魔物との呼び声高いゴブリンには、妊娠して三週間で子供が生まれ、一ヶ月で成人に育つという驚異的な特性がある。さらに、成人すると人間種の子供程度の知能にしか育たないが、逆に言えばたった一ヶ月で子供程度の知能を持つ者に育つのである。
頭数の増加を打診されたアーツは
「生産部門の手の数を増やす?そりゃ潰しているのを止めれば簡単だが、エサも増えるぞ?」
と一度は懸念を見せたものの、
「いや、羊皮紙が増産できて売れるならいいのか。エサ代も出るよな」
と、簡単に引き受けた。ゴブリンは放っておいても勝手に増えるので、生産部門の採算があう範囲を超える前に、間引いていたのだ。ゴブリンは自分の命以外は、たとえ同族であっても大切だと考えない。自分たちの食う分が減るとあれば、躊躇なく自らの手で間引きをして、可哀想なやつだと憐憫の感情を持つこともない。単に運の悪いバカなやつだと哄笑するだけだ。
アーツからすれば、この間引きを多少やめさせるだけで、生産部門の頭数を揃えるのは簡単なのだ。羊皮紙の生産枚数を増やすのも、生きながら生皮を剥いだ羊達を癒すゴブリンシャーマンの数を増やせばよい。ゴブリンシャーマンには、生与の天啓持ちしかなることができない。しかし、天啓持ちが産まれる要因に親の天啓の有無は関係ない。天啓のない群れの中からでも、天啓持ちのゴブリンは産まれ落ちる。であれば、残るのはどれをどのように残すかという取捨選択だけなのである。
首藤は、この幾らでも殖えるゴブリンの特性を活かし、圧倒的な人手不足を解消しながら、いずれ競争に晒され高粗利は望めなくなる定型羊皮紙の延命を両立させたのである。
しかし、と、首藤は苦笑を禁じ得なかった。
実際に自分が経営する立場になると、好きではなかった加藤事務機商事のブラック企業っぷりがどれもこれも合理的に思えてくるから可笑しい。
この世界は労働基準法に類する規範がほとんどない。本人の意思による退職を妨げなければ、殆どどんな規定を作っても咎められることはない・・・というより、雇用と報酬に関する規定を作って運用している企業はほとんどない。
ザムル王国が多種族の共生国家になったとは言え、殆どの企業体はそれぞれの種族の棟梁が首魁となる封建的な慣習に基づいて運営されている。所謂、種族限定の「御恩と奉公」が基本なのだ。経営者は同族の従業員の生活の一切合切を広く緩く面倒を見て、従業員側もその温い関係を心地よく受け容れる。誰がどれだけの実績を挙げたか定量的に管理していないので、期末に金庫の残高を見て『今年はこれだけ金が増えた』として、残高に応じた褒賞を支払うのが当たり前だ。その考え方は丼勘定も甚だしいが。
期末の残高が計画通りだったのか。そうでないなら何故なのか。そういったことは、そもそも計画を立てていないので調べようがないし、調べる気もない。ある意味、ザムル王国となる前は一族で固まって里を作り、時には魔物と呼ばれ、外界との交流を絶って自給自足の生活を送っていた時代の慣習をまだ色濃く残しているのである。
そんな中で、報酬規程を明文化していたムタリカ商会はそれだけでも異質な存在であった。
報酬の明文化は創業者のジィユ・ムタリカが始めた規定で、最も侮れられる種族であるゴブリンが市民権を得て運営する商会に、他種族の従業員を迎えるために、あらかじめ高額な報酬を明らかにすることでゴブリン以外の人材の獲得を企図したのである。封建的でウィットな風習が色濃く残る社会で、報酬規程を明示することはそれだけで革命的であった。
しかし、首藤にとってはそんなものは当たり前以前のことであった。企業が雇用条件を事前に明示することなど当然だし、更に、ブラック企業が従業員の確保のみならず、その実績を確たるものにするために、実績に応じた高いインセンティブ制度を明文化することまでが、寧ろ首藤にとっては至極当然のことだったのだ。
だから、毎月の売上と粗利に応じた報酬規定を、ムタリカ商会に来て、いの一番に作成した。
その効果は覿面で、実績を出せるものが残り、出せないものは早々に去って行く良い流れを容易に作ることができた。
営業実績は、属人的な要素に左右されることが非常に多い。同じものを、同じ会社で販売しても、営業担当者次第でその売上実績には天と地ほどの差が生まれるのが、純然たる事実である。
成る程、従業員の定着率を高めることを諦めてしまえば、これほどに数字を出すことが楽になるのかと首藤は改めて首肯することになっていた。これほど効果があるのであれば加藤事務機商事で『できない奴を辞めさせる』オペレーションがルーティン化していたのも納得だ。できない奴を育てるより、捨てたほうが効果が高いのだ。
ムタリカ商会のビジネスは所詮羊皮紙と魔導複写機の販売である。長い年月をかけて培った知見がないと始まらないビジネスではない。羊皮紙や魔導複写機の販売に多少のノウハウによる補正効果があることは首藤も認めるが、魔導複写機には現在のところ競合はないし、羊皮紙販売のノウハウなんぞは属人的な適性でいくらでもひっくり返ってしまう程度の補正効果しかない。売れない人間の補正効果に期待して給料と担当地域を腐らせるくらいなら、さっさと入れ替えて適性のありそうな者に期待した方が合理的というものだ。
だから、ムタリカ商会では今日も元気に実績の悪い営業従業員に対するハラスメントが祭りのように行われている。
「その荷車の羊皮紙、今夜までに捌き切れなかった分は自腹で買い取れ!」
「俺はおまえの為に言ってるんだ。こんなクソみたいな金しか持って帰れなくて、おまえは家族に対して少しは恥ずかしとか思わないのか?」
「テメエみたいな奴のことをな、息してるだけって言うんだよ!」
「一軒決めるためにテメエは何件見積をしなきゃいけないんだ?五件か?で?おまえは今日何件見積出したんだ?見積一軒出すためにおまえは何件飛び込む必要があるんだ?一日70件?で?何件やったんだ?やることやりもしねえで給料だけ持って行くんじゃねえぞクズ!」
ムタリカ商会の各支店では毎日のようにこんな怒号が飛び交っていた。言ったから売れないやつが売れるようになるわけではない。どうせ売れないやつは売れないのだ。目的はできない奴の心を折ってやめさせることだ。
逆に、数字が出ている者にはどんな営業活動をしていようがいまいが、何もしない。朝から営業活動をしていなかったとしても、数字が出ていさえすれば、なんの追い込みも行わない。仕事は、少なくとも営業の仕事は、過程ではなく結果が全てなのだ。
そして、クズ呼ばわりされるのは売れない営業個人だけではない。
各支店を預かる支店長も、月に2回行われる支店長会議では針の筵に立たされる者とそうでない者に分かれるのである。
港町アインツのムタリカ商会本店の会議室には、今日も定例の支店長会議が 開かれていた。会議室に居並ぶ支店長達と首藤にアーツ。各支店での好事例の共有が行なわれた。
『勇者来襲リスクをお客様に煽り、羊皮紙の買い置きをお客様に提案し、大量受注』
『崩御されたセルゲイ王は本がお好きだった事をお客様にお話し、羊皮紙を冊子にして本型の御供えを作って山積みにすればにすることを提案し臨時大量受注』
『王陛下崩御に涙を流すお客様と一緒になって泣き、羊皮紙で涙を拭いて羊皮紙の消費増と追加受注に成功』
そんな成功事例が、各支店から報告されていた。もちろん目的は、模倣が容易な営業手法を共有し、商会全体の実績を底上げするためである。そのためには、共有し、水平展開する手法は、一見下衆に見えても構わない。いいか悪いかではない。かっこいいか悪いかではない。数字になるかどうかだけが大事なのだ。
今日の会議で全支店への水平展開が決まったのは、
『崩御でこれから王宮の羊皮紙要求が強まる。今のうちに備えをしましょう』
そして、当月予算の最終着地予想について、各支店から報告がされていた。
「おまえ、言われたことやってりゃ言われねえと思ってないか?」
首藤は汚物を見るような目線をスィミ支店の支店長、マモ・デファルに投げつける。
「お前こないだ大層なご高説を俺に垂れたよな?今までのやり方でいいとかなんとかよ。」
スィミ支店の業績はここのところ予算の7掛け付近をうろついている。今月も碌でもない着地予想を上げてきた。その理由は単純である。予算が上がったからだ。
「しかし、会司。今までの予算であれば達成している数字ですッ、一方的に予算だけ上げて未達というのは横暴というものでは・・・」
マモは魔導複写機の販売開始の際、反対に回った側の一人である。今までのやり方でも充分に成果は出せるというのがその理由だった。
「お前はバカか?人の話を聞いていなかったのか?何回言ってもわからないのか?現状維持なんてのは、衰退と同じなんだよ。」
「現状維持は衰退ではありません!現状が続くのですから結構なことではないですか!」
マモはスキンヘッドに大粒の汗を張り付け、無駄につきまくった全身の筋肉を震わせて抗議する。肉体労働がしたいならムタリカ商会の支店長なんか辞めて、そこらの穴掘りにでも鞍替えすればよいものを。黒人は皆アホだという気はないが、コイツはアホだ。
このボケは世界の時間が止まってるとでも思っているのか。
「じゃあ訊くがよ、この国の人口は増えてるのか減ってるのか、どっちだ」
「は?」
何を言っているのかわからない、という解りやすい表情。自分の予算の話をしているのに国の人口の話が出てくる理由がわからないのだろう。バカにはよくある話だ。このアホヅラ一つでこいつを支店長から降ろすモチベーションが湧いてくる。
「物価は上昇しているのか、下降しているのか、どっちだ」
「な、何の話をしているのですか!下がる物価などあるものですか!そんな話ではなく、私は現状維持でも十分だという話をしているのです!」
糞だな。見た目通りの脳筋だったのか。
「それで現状維持とか抜かしている時点で手前ェは糞だ。グダグダ抜かすのは数字やってからにしろ。」
物価が上がっているのならば最低でも成果、特に粗利は物価上昇率に応じて上げていかなければ意味がない。物価が上がっているのに給料が上がらなければ、それは相対的に貧しくなることを意味する。だから現状維持は衰退と同じなのだ。こんなことは、ビジネスに何年か携わっていれば経済学など学ばなくても直感で理解してしかるべきことだ。
「説明もしないで罵倒される謂れはありません」
「理解できる頭のあるやつには説明するがな。バカに説明しても時間の無駄だ。」
「なんの材料もなく、今までと同じ事をしていて、今までよりも高い成果が出せる理由が、運以外にあるというのですか?」
「材料を要らないと言ったのはお前だ。それ以外で何か違う成果を出そうとするなら、その工夫をするのはまさしくお前の仕事だ、支店長さん。」
「今までと異なる事をして、業績が下がったら、会司が責任を取ってくださるのですか?!」
「お前が落とした分をどっかで穴埋めする、という責任は取ってやるぜ?お前の給料や立場は保証されないがな」
「そ、そんなのは責任を取っているとは言わないではありませんか!」
「あ?お前は『今まで通り』で数字ができなかったらどんな責任取るっていうんだ?」
「そこに責任はないと言っています!」
コイツホントに支店長にしといていいことないな。
「数字できてないのが全員だっていうならちっとは考えてもやるが・・・」
「マモ」
アーツが独特の高めで嗄れた声を発して、首藤の追及を遮った。
小さな体に、緑色の肌。曲がった鉤鼻に黄色く濁った目。見た目は矮小で、知性のない魔物のゴブリンそのものだが、生産部で汚泥に塗れながら生活している同族とは全く異なる知性を有し、ゴブリンであれば否応無くその意図に従わせるだけの誘引力を持つ。その言葉には他種族でも耳を傾けるほどだ。
「自分で荷車転がすほうが幸せか?」
「・・・!」
マモは二の句を継げなかった。
「それがやりたきゃそれでもいいぞ。だが、数字は増える。やれなきゃおまえの身入りが減るだけだ。」
「・・・ジィユ棟梁のご遺志を無碍になさると?」
マモは押し殺した声を発しながら張った筋肉を震わせた。
「親父の遺志がそんなもんかどうかは知らないな。だが、確かめたきゃ墓の下に行くしかない。でもな、どっちみち、いまこの商会は俺がやってるんだ」
マモが首藤の手を睨む。
首藤の手には魔石入りの指輪が嵌っている。耳長族の秘術で炎の剣を込められた特別な指輪だ。その威力は強力で、生半可な刀剣では傷すらつかないリザードマンの皮膚を容易く一瞬で焼き切るだけの出力がある。
アーツは一年前と比べて様変わりしていた。アーツはゴブリンロードという希少種だ。ゴブリンとしては異常に高い知性とゴブリンに特化した統率能力持ち、知性は低脳なゴブリンとは比べるべくもないほどに群を抜いているが、一方で身体的には粗弱なゴブリンと大差ない。
ゴブリンは他種族に比べ、身体的には弱い。異種族のメンバーが集っているムタリカ商会では、ゴブリン・チャンピオンであったジィユ・ムタリカに対する敬意を持つ者は多かったものの、見た目はゴブリンそのもののアーツに対して侮蔑の視線を送っている者もおり、平然とアーツの指示を無視する者もいた。
しかし、炎の剣を首藤が持ち込んだために、経営層側が物理的にも圧倒できる環境に変化した。
こうなれば、物理的に脅迫されて指示命令を撤回させられる懸念がない。指示に従いたくない支店長以下は退職するほかにない。それがたとえ虎の威を借る狐であったからだとしても、アーツにとっては大きなイノベーションであったのだ。アーツは憂いなく自信を持って黒い指示を下すことができるようになっていた。
「選んでいいぞ?マモ」
アーツが促すと、マモの鍛え上げられた両肩の筋肉が再びびくりと震えた。
挑戦的な視線。強く噛み締めたせいで怒張した顎。同じ人間種の首藤には一目でわかる明らかな怒気を孕んだ表情だが、ゴブリンのアーツは表情を読み取れないのか、その気がないのか悠然と構えている。
「上がり続ける予算など・・・ッ。続くわけがない!」
マモは立ち上がって、首藤とアーツに背を向け会議室を後にした。
上々上々。使えない奴がまた一人減った。自分から消えてくれることほど無能な奴を処理するのに効率的なやり方はない。
あとはマモの後釜を誰にするかだ。マモと挿げ替えて、小物のマモみたいな奴を据えたのではあまり意味がない。スィミは森都から聖教国へつながる唯一の街道、」森都街道の最東端にあるまちだ。
ふむ、と首藤は集まる支店長達の目線も気に留めず、思考の沼に沈みこんでいった。
■ □ ■ □ ■ □ ■ □
ザムル王国は、北西の竜王国と東の神聖ジーン教導国に挟まれた国家である。丁度肩の高さに上げた腕の二の腕側に神聖ジーン教導国、前腕側に竜王国があり、ザムル王国はその関節部に存在している国である。
その関節の肘の部分、南西の端に、海側に瘤のように張り出した地形が存在する。
その瘤は些か奇妙な土地にある。海に張り出した地形なので周囲の殆どを海で囲まれ、辛うじて陸につながっている部分には、半里にわたって草木が生えないうえに、四六時中雲と濃い霧が漂い続けている地形がある。王国の者からは「呪いの荒れ地」と呼ばれるその地形は、通り抜けようとする者の報告感覚を悉く狂わせ、その先へ進もうとするものを海に落としてしまう。
隔絶されたその瘤の先端部分の崖の上に、古城がひとつ、遠く海の果てを眺めるように聳え立っている。
城自体はさほど大きくない。100歩四方程度の城壁の四隅に低い尖塔が立ち、城壁の内側に天守が配され、その中心部から少し海側にずれたところに、ひときわ高い尖塔が、槍たらんとして天を突き刺している。
その一際高い尖塔の内部は、上下に二十尺はあろうかという深い円筒形となっていて、その底によく手入れのされた棺がひとつ置かれている。その部屋の壁面には、どこを見ても扉がない。ぐるりと周囲を囲む円筒状の壁の上部に明り取りらしい丈三尺程度の窓が東西南北とその中間に一つずつ、計八つ、配置されている以外に、この部屋に下界から通じるものは何もない。
その、明り取りから三日月から降り注ぐ赤紫の薄暗い明かりだけが、円筒の中を照らす唯一の光であった。
その、明かり取りの桟に海燕がぱたたと羽音をたてて降り立ち、チィキョイと部屋の底に向かって鳴いた。
ごとり、と棺桶の蓋が音を立てた。
海燕は驚く振りもせずに丸い瞳でじっと円筒の底を見つめている。
ほんの少し、半寸程、棺桶の蓋の片側が持ち上がり、内側から禍つの気を孕んだ赤黒い瘴気が洩れ出でる。
棺の中から溢れ出てくる瘴気は細かな波が寄せて押し流すように蓋をずらしていく。
蓋がずれて、棺の縁が姿を表すと、明かり取りの桟に留まっていた海燕は、迷いなく飛び降り、一直線に棺を目指した。赤黒い瘴気の渦巻く棺の縁近くで激しく羽ばたき、速度を殺して棺の縁をつかまえようと小さな足をわっと開く。
海燕が棺の中から湧き出る赤黒い瘴気に飛び込まんとしたその時、こわれものを抱く掌の如く瘴気が海燕だけを避け、海燕はさも当然のような顔をして棺の縁を宿り木にして姿勢を正し、再びチィキョキョキョイと囀った。
すると、空間に思念が滲みるように響く。
『ふん、年甲斐もなく少し気張っただけでこのざまじゃわ。』
チィチィチィチィキョイチィ
『息災そうじゃな。何よりじゃ』
新京を襲撃したのは激高したギーゼルベルトの独断であった。
ギーゼルベルトは、新京を丸ごと一つ滅ぼしたのち、その力を切らして休眠状態となった。
チィキョイチィキョイチィキョイチィキョイキョイキョイ
『すまんの。本来ならうぬの傍らに立ってやるのは儂でなければならなかったのかもしれんが』
チィチィキョイキョイチィキョイチィキョイチィキョイ
『喜んでいる?そんなはずはなかろう。あれは、もっと生きるべきじゃった。ここで代替わりさせるのは早すぎじゃった』
チィキョイチィチィキョイキョイキョイチィキョイ
『荷が重いと言ってもな。それはあれも同じじゃったろうよ。どちらかといえば、、、うぬの方が向いておるやもしれん。』
チィキョイチィキョイチィキョキョイチィキョキョチィキョイ
『なに、自分ではなかなかわからんこともあるもんじゃて。それに、「くまさん」でない王を担ぐ程には、国は傾いておらんよ』
チィチィチィキョイキョイチィチィキョッキョキョー!
『儂がか?どこのどいつが町一個しか滅ぼせない王を必要とするのかね。真祖などと息巻いても所詮この程度じゃ』
チィチチチィキョイチィキョイチィキョイチィキョイチィキョイ
『気張らんでええ。気張っても王宮の連中には丸わかりじゃて。奴らも、そも、国民ですらも、王様らしさなんぞ求めてはおらんぞ。うぬもそうではなかったのか』
チィチチ・・・・
海燕は、頭を捻り込んでなにやらと思いつめたような仕草をしている。
『さあて、もう良いかな。まだまだ全快には程遠くてな。まだまだ吸わんといかんのだよ。うぬらには迷惑かも知れんが、この城の周りの美しい風景がまたしても拡大してしまうわい。ところで・・・』
棺の中に収まりかけていた瘴気が、突然溢れ出し、海燕を取り囲む。『こいつは、わしが吸うても良いのであろう?』
海燕の頭が一瞬ぶるりと震え、周囲を一度二度と素早く見回し、ギョッギョッとけたたましく鳴いて飛び発とうとしたそのとき、周囲を漂っていた瘴気が急に海燕の強力な磁力に吸い寄せられるかのように纏わりつく。
突如漆黒の瘴気に憑りつかれて海燕は藻掻く。けたたましく叫び声をあげようと嘴をカッと開くが、その叫びが発せられることはなく、瘴気に触れた先から黒色の粒子へと分解さてれいく。見る見るうちに、海燕は砂のように砕かれ、瘴気に溶けあっていく。羽毛が崩され皮膚が露呈したかと思うとそれも崩れて骨だけになり、最後はピクピクと蠢く内臓だけになって、それすらも塵芥となって掻き消えた。
『ふむ・・・久々の生者は小さくても美味いの』
瘴気は再び棺に戻り、棺の蓋がズズ、ズズ、と動いて閉じた。再び扉のない部屋に静寂が訪れた。
■ □ ■ □ ■ □ ■ □
一羽の海燕が瘴気に溶けた時から一週間後の王宮。
そこには、新たな灰色熊が、戴冠の儀式に臨んでいた。
マチコ・グレース第九代ザムル王国女王。
五代タマーラ女王に次ぐザムル王国史上二人目の女王。貴色は若草色。
崩御した八代王セルゲイに比べると、体躯が一回り小さいらしい新女王は、各所に若草色をあしらったドレスを纏い、色とりどりの宝玉を鏤めた黄金の王冠をちょこんと頭上に載せて、赤いビロードに包まれた玉座に座っている。
なんだ、マチコめ、不満そうだな。
首藤は玉座を前に居並ぶ大臣の列に並んでいた。秘書として雇っていたマチコの機嫌程度を読み取るのは、首藤にとってはお手の物だ。今も、マチコはしきりに首をしゃくるような動作を何度も繰り返している。これは、マチコの機嫌があまり良くない時の癖だ。
「余はここに第九代ザムル王国王として君臨す。皆、一層励むがよい。」
そうマチコが野太い声で宣布し、つつがなくマチコの即位式は執り行われた。
・・・ように見えていた。
「それでも、それでもネッ!」
王の私室。市民は立ち入りが一切許されない聖域。近衛と一部の大臣のみが入室を許されるその部屋に、首藤は立っていた。
マチコは感情の読み取りにくいその円らな瞳から、涙を溢していた。
「私にも、この国の王を引き請けることになって、最後まで譲れなかったことがあるんです!」
いやだから女王なんだから敬語はやめろと・・言ってもやめないか。これを聞かせるために俺を呼んだのだろう。しょうがないな。まぁ言わせておくか。
首藤の体格の倍はある大きな、しかし涙する灰色熊を前に、首藤は「休め」の姿勢で佇む以外にすることがなかった。
「許せない!絶対に許せない!セルゲイ義兄さんを殺すなんて!聖教国に軍を送ったわけでも、教皇の暗殺を企図したでもないのに!奴らにとって、最大の目的はヴルカヌスと、竜王国の排除。私たちなんて、単なる魔物の集まりでしかないと奴らが考えているのなんてわかっていましたけど!でも、でも、セルゲイ義兄さんは、この魔物の国を、どこにもないようないい国にできると考えていた!種族の隔てなく、善性と知性さえあればいきていける、そんな国をつくっていたのに!そう、人間種だって!隔てなく受け入れていたのに!」
セルゲイ義兄さんとは崩御した前セルゲイ王のことである。
セルゲイ王崩御の報が王国中を駆け巡っているまさにその時、首藤は突然、辞職届を持って現れたマチコに兄は王だったと告げられた。慰留するどころかあれよあれよという間に女王になり、なぜか首藤は王室にいる。特命大臣として。なぜこうなった?どっきりじゃないのか?
「いやでもな、女王・・・」
「マチコって言ってくれなきゃイヤっ!」
ドレス着た灰色熊に野太い声でそんな風に泣き喚かれてもな・・・ちっとも萌えねぇ・・・
「じゃあ、マチコだってわかってるだろ?俺は単なる商人だ。戦事は俺にはわからんぞ?俺に何をしろっていうんだ」
「シュトーさん、この世の人じゃないでしょ」
なに?
感情の読めない丸い瞳が真っ直ぐ俺にむけられている。
ぐすぐすと気弱そうにむせび泣くその向こうから、強い意志の波動が真っ直ぐぶつかってくる。
「私がわからないと思ったんですか。秘書をさせてもらってすぐにわかりました。シュトーさんは、ザムル王国の人でも、ましてや聖教国の人でもないですよね。ぐすっ」
コイツ・・・利口な熊だとは思っていたが・・・
野太い声は変わらず涙声のままだ。しかし取り乱しているわけではない。むしろ、極めて冷静なのか。
「最初は神様が人間種に化けているのかと思いましたけど、違いますね。神様は耳長族と交尾なんてしません。でも、私には雌として全く興味を示してくれない。種族としては人間種そのものなのに、頭の中は神様?悪魔?いや、それともちがう、なにかもっと根っこから違う感じがします。」
面白い。この灰色熊、そこらの人間にもないほどのずいぶんと深い洞察力を持っているようだ。
「魔力なんかまったくもってない。無力と言っていいほどに。そして根っこからものの考え方が全く違う。でも、それはまだいい。ザムル王国は、移民のほうが多いのだから、いろんな考え方をする者が集まってくるのが自然な形。それだけならまだ、よくある話で済んだかもしれない。でも、でも、あの世界樹の女が傅くなんて、絶対に普通ではありえないことです!」
地響きのような野太い熊声で女言葉を使われると違和感が半端ない。もう慣れたけど。
・・・キャバ嬢とねんごろになっただけじゃないのか・・・?そんなにおかしなことだったか・・・?
「『世界樹を握る者、世界を握る』って知りませんか。この国に伝わる至言なんですけど。」
「よそ者だからな。それは知らんよ」
知ってると言ったほうが正解なのか?
「この至言で言われる世界樹は、森都のエルフの里にある世界樹のことではないんです。あの女のことなんですよ。王でさえ、召せない女だったあの女を囲ってしまえるなんて、王宮ではシュトーさんは神様か悪魔のどちらかだとずっと目されてきました。でも、ちがう。シュトーさんは、やっぱり、人間なのに、」
マチコはぬっと仁王立ちになって俺を上から見下ろした。普通だったら狩られる恐怖に全身貫かれるところだろう。でも俺は、コイツがマチコだと知っている。これは、コイツが控えめに立ち上がっただけだ。これで小柄なほうだというのだから、この国の王族はどんだけ獰猛な体躯を持っているのか。
「どこからきたの?どうしてそんな考えができるの?何を見てきたの?」
マチコは、俺に覆いかぶさるように上体を屈め、その剛腕で俺を抱きすくめた。
その膂力をもってすれば、俺の身体などたちどころに引き裂き、粉砕できるであろうその二つの腕は、これ以上無いほど優しく、柔らかく俺を包み込んだ。
「辛かったでしょう。淋しいでしょう。いえそれは今も、なのかしら。たぶん私は貴方の心を温めることはできないのでしょう。そんなあなたに、私はさらにお願いしなければならない。聖教国を滅ぼしてくださいと。」
何を言っているんだ。
俺は、ハァ、と大きくため息をつく。
「マチコさん?俺は商人なんだって、知っますよね。先代王を弑されたことの報復なら、軍隊とか隠密とか、そっちの仕事なんじゃないですかね。」
しかし、マチコの二つの丸い瞳は俺をじっと捉えたまま、なんら動きがない。
「先日、ギーゼルベルト小父様が、聖教国の町を一つ、滅ぼしました。小父様は真祖ですから、そのくらいのことはできます。」
誰だその小父様ってのは。真祖?吸血鬼か?
「町・・?町を一個だって?」
「はい」
「その・・・小父様一人で?」
「はい」
なんだそりゃ。核兵器級の脅威か。
俺は肩をすくめて両手を広げた。
「だったら、俺なんかなんの役にも立たないじゃないか。ただの商人だって言うのは、マチコさんが一番よくご存知だ・・・でしょう?」
正直アホらしいと思う。マチコならここまで言えば俺の考えは絶対に伝わるはずだ。
しかし、マチコはブフゥーと、鼻から吠えるように息を吐いた。これは不満な時や不機嫌な時の仕草だ。
「効率が問題なのです」
「効率ですか?ひとりで町一つ潰せる戦力があるのに?」
こんな世界でそれ以上を望むのだろうか。
「その戦力は、もう喪われてしまったといったほうがよいでしょう。真祖は、一つの吸血鬼族に一体しか居ない神格です。それをたかだか聖教国の屑町一つ潰しただけで稼働不能にしてしまったのでは、割りが合いません。」
「お亡くなりに?」
「いえ、暫く再起不能という状態です。彼なくば吸血鬼一族がまとまらないというのに・・・」
マチコは不満そうにぐるぐると喉を鳴らした。
「しかし、勇者は、一人で王を弑したのではないのですか?しかも王宮が高度に警戒されている中で。そんなのに対抗するには、同様以上の戦力が必要なのではないのでしょうか。私は戦士ではありませんし、戦士を育てることもできません。」
遠くで、剣戟らしき金属音が打ち鳴らされている。近衛の訓練なのかどうか、首藤には判断すべくもないが、戦闘音であることくらいはわかる。
結局は、この音を聞いただけでどちらが勝っているかを判断できるような達人でなければ戦力の底上げなど出来はしないだろう。
「もう、個の時代ではありません。全体、すなわち面でどう戦うかが、国という組織での戦い方です。一騎討ちで勝敗を決める前に、すべては決まっている、いえ、決めなければならないのです。真祖が動けないことによる最大の問題は、吸血鬼一族の統率が取りにくいことです。吸血鬼は一体一体が強力な戦力ですが、対抗する方法がないわけではありません。バラバラに運用すれば、おそらく吸血鬼族は容易く聖教国に駆逐されるでしょう。なんなら、王宮など聖教国に渡しても構わないのです。聖教国が滅びるのなら。建国からたかだか二百年もたっていない王国の王宮などどこにでも再建すればよいのです。」
・・・なんでこいつは俺のとこで仕事なんかやってたんだ。
「俺に何ができると?」
「もうお持ちでしょう?聖教国を滅ぼすために必要な道筋を。それを実行していただければ結構なのです。もちろん王国の資源は人的物的を問わず使用していただいて結構です。」
いや。ないから。俺は商人だし。どういう買いかぶり方をすればそういう結論になるんだ。
「マチコさんは、俺・・・私が、そんな物騒な人間に見えているのですか?」
一瞬、雄弁だったマチコの動きが停まり、俺を凝視したのが分かった。
「やっぱり、あなたは違うのですね。あれが物騒だと思っていないなんて、普通の神経では言えませんよ。」
「あれってどれ、、、」
前提条件を共有していない相手に指示語だけでしゃべられたらわからんわ。
「不正を行った従業員の懲罰に永久生皮剥ぎの罰を与えたのは首藤さんでしょう。」
キムのことか。今でも奴には横領した羊皮紙を自前の羊皮紙であがなってもらっているが・・・
・・・あれはまずいことなのか?
「いや、王国法には触れていないでしょう・・・?」
それは秘書のマチコさん、つまり今目の前にいる女王様に裏を取った話だ。そのうえで効果的だと考えたから採用した懲罰だったのだ。今更法に触れたとか言われても困る。
「王国法に触れていないとは私も言いました。確かに王国法には触れておらず、ムタリカ商会が王国に追われることはないでしょう。ただ、だからと言ってやるかどうかは別の話ではないのですか?」
妙に道徳ぶったことを言うな。見た目が灰色熊でも、中身は立派に女王様か。
「効果的だったでしょうに?」
そう、キムを吊るし上げて見せしめに永久生皮剥ぎの刑に処したのは実に効果的だった。
元々、自分で倉庫から羊皮紙を持ち出して自分で歩き売ってその実績分を自己申告で計上するといった緩い売上計上ルールしかもっていないムタリカ商会に、厳しい成果主義を持ち込めば、ルールの緩さを利用した不正が起こるのは自明の理だった。
そこで、目立って不正をしていたキムを吊るし上げ、不正が発覚した際のリスクを紹介内に周知することで、目の届き肉各支店の末端の営業担当者まで、「不正をやって数字をつくっても割に合わない」という意識を広く植え付けることに成功したのだ。
これが法的に問題ないということなのだから、首藤はこんな素晴らしくぬるい社会はないとほくそ笑んでいたのだが、マチコは眉を顰めていたようだ。
「効果的でした。私たちが当たり前に受け入れていた規範の外から、収益獲得の為に魔法・・・いえ・・・なんといえば・・・」
マチコは目を閉じ、数瞬俯いた。
「奇跡、といえばよいでしょうか。シュトーさんは奇跡を難なく起こしてしまう。魔法ですら、常識の壁を超えることはできないのに」
首藤からすればその魔法のほうが常識の埒外だという思いだが、言わずに目線でマチコに話の続きを促す。
「我が国は、王を弑されました。聖教国が我が国を国として認めていないのは知っていますが、竜王国や、我が国の国民に対し、王を弑されてなお拳を振り上げない国家であるわけには参りません。だから、シュトーさんにお願いするのです。どのような手段でもいい、聖教国を、効率的に潰してくださいと」
「国軍で攻めればよろしいのでは?」
「それであれば、当然、シュトーさんにはお願いしません。私が願うのは、奇跡なのです。これに関しては、外見上さえ取り繕っていただけるなら、王国法すら度外視しても構いません。」
奇跡なんてものは起こしたこともないし、起こそうとも思わない。俺にとってはいままでやってきたことは単なる必然だ。しかし、この国の連中のリソースを使って何やってもいいというのであれば・・・考えてみる価値はあるのだろうか。
「私への見返りは?私はしがない商人でそれなりに儲けるのが夢だったのですが」
「勇者は、転移の魔法を持つと聞きます。死んでも、死体が残らないのです。転移魔法は我々では為し得ない未知の魔法。それを解明するには聖教国の神殿を征しなければなりません。シュトーさんは、転移魔法に興味がおありのようですね?」
「・・・・」
転移魔法・・・その正体は未知数だが、少なくとも俺をこの世界に飛ばしたのは何かの転送や転移によるものだろう。俺をこの世界に送った者が何なのか、いまだになんの材料も手にできていないが、唯一わずかながらの可能性を感じているのが聖教国の転移魔法というやつだった。
「聖教国を潰す過程で、そのあたりの情報は如何様にしていただいてもよろしいですよ。もちろん、ムタリカ商会さんのお金を増やしていただいて構いません。そのくらいの権益は得てしかるべきと考えております」
「俺がへくって国が傾いてもいいのか?」
「もう王を弑されたのですよ?私のような者が王位についている時点でもう国は傾いています。その傾いた国を、荒療治で治そうというのですから、当然リスクや痛みはあるのです。シュトー様はご心配されずとも、存分にやっていただければよろしいのです」
マチコは、そう言って押し黙り、その巨体からじっと首藤を見下ろした。
そして、結局。
俺はザムル王国の特務大臣を引き受けることになったのである。




