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第十話 魔導複写機の夜明け

リアルが忙しすぎてかなり時間がかかってしまいました。

申し訳ありません。

 久しぶりの王都はよく晴れていた。天井知らずに突き抜ける青空に、プカプカと白い綿雲が漫画の無人島のように浮かび、春を迎えて暖かくなり始めた風をさらに輝く太陽が温め、生きる者すべての心に牧歌的なバイアスをかけている。


 大気にいつも潮気が満ちているアインツと異なり、内陸の王都は土と植物の香りがちょうど半々に混ざっていて気持ちがいい。これが大森林の中のスントゥに行くと植物一色の大気になる。スントゥは、たまに行くには良いが、住むとなると植物の気が濃すぎて体の細胞が別のものになってしまいそうで、首藤は苦手だった。


 そこへ行くと、この王都の心地よさは格別だ。


「いい天気だな、これはモノが売れそうな気がしないか?」


 俺が太陽にかけられた陽気な心のバイアスそのままに話しかけると、ジト目で振り返ったのは前を歩くガインだ。


「春ってだけでモノが売れるんなら苦労はないです」 


「どうした?まだ朝は寒いから暦を信じたくないのか?」


 気温が暖かくなるというのは、物事を始める動機になる。物を売るには追い風だ。


 たしかに、朝方はまだ氷点下に近いので冬のように寒く、本格的に春という感じではない。しかし、朝の寒さも人肌に包まれて・・・またしても王都への出張に勝手についてきたダニエラの肢体の温もりの美味さを堪能した次の朝は、キリッとした朝の冷えこそが最高のスパイスになる・・・ボンヤリ目覚めるのもいいものなのだが。


「そんなんじゃなくってですね、会司。あっしが気になってんのはソイツですよ」 


 ガインは俺の後ろへ顎をしゃくった。


 そこには普通の人間や亜人には曳けないサイズの・・・馬なら二頭立てにする大きなサイズの・・・荷台と、それを全身の筋肉を膨張させて力一杯前のめりになって曳く片角の牛頭男(ミノタウロス)モーリーだ。


「モーリーがどうかしたか?」


 支店長をクビになってすっかり荷台曳きが板についてきたモーリー。生来強靭だった身体(フィジカル)が毎日の荷台曳きでさらに磨きがかかっているようだ。


 フウフウとむさくるしい息を吐きながら、一心不乱に荷台を曳いていたモーリーが、「え?」と間抜けな声を上げて顔を上げた。なんで少しニヤついいるんだ気持ち悪い。以前は凶暴な猛獣臭さが漂って、悪党(・・)な雰囲気満点の顔だったのだが、今では全身からオカマ(・・・)くささが漂っている。元来あった猛獣臭さでマチコに劣り、圧倒的な変態臭を撒き散らすこいつであっても、結果的に業績の役に立って居るのであれば雇用上問題はない。支店長としての給料を剥奪し、一兵卒に落としたからこいつにかける人件費は大幅に削減できている。削減した分の費用は新たにパレス通り支店どころか全商会トップのセールスエースとなったナズィのインセンティブと、ガインの支店長手当に変割った格好だ。


 結果的に、人件費はほとんど増やさずに、業績アップに加えて物流の大幅増にも対応できている。ブラック企業の根幹は業績至上主義だ。個人の多少の趣味嗜好の変節などは問題にする意味がない。


「アタシになにか御用?」


 うっへぇ・・・しなまで作るようになってやがる。


 どうしてこうなった?角が片方なくなると牛頭人というのはこうなるのか?何がこいつをこうまで変えたんだ?


 趣味嗜好を雇用上の問題にはしないが、とはいえコイツが気持ち悪くないという意味ではない。大いに気持ち悪い。


「イヤ・・・荷台のモンの話」


  ガインもイヤそうに眉を八の字にして荷台を指差した。パレス通り支店の構成員ではモーリーしか曳けない馬用の荷台には、魔導複写機が三台と、積めるだけの羊皮紙が積んである。


 羊皮紙はいつも配達しているのだから、ガインの反応がオカシイのは魔導複写機のせいだろう。


「魔導複写機がどうかしたか?」


「いや・・・」


 ガインはモゴモゴと口籠った。何か言いたいことがあるが、言うべきかどうか迷っているのが手に取るようにわかる。


「何?」


 促してやると、ガインが口を開いた。


「いや、会司にバルザックの取引をつないでいただいてから、あっしなりにあそこの番頭(アンドレ)と顔を繋ごうとしてきたんですよ。その甲斐あってかなのか、あれ以来羊皮紙の注文は繋いでもらってるんですが、なんていうかこう・・・コンタクトが取れないんですよね」


 王都のバルザック商会は、そもそもムタリカ商会(うち)以外からも羊皮紙を調達していた。それが、首藤が営業をかけて以来すべての羊皮紙の調達がムタリカ商会一本になっている。月間の取引量は八万枚から十五万枚で、パレス通り支店が抱える顧客の中でも群を抜いた筆頭の大口客だ。王国の深部に食い込む政商の羊皮紙を一本化したのだから当然ともいえるが、その取引実績は、多いときは支店全体の実績の過半を占めることもある。


「だから?何が気になるんだ?」


 コンタクトが取れないことと、魔導複写機が気になることがどうつながるのかよくわからない。


「だって・・・アンドレ(あの人)、おっかないじゃないすか。超厳しいし。そんな得体のしれないもん持っていってムカつかれないかと心配で・・・」 


「いや、おまえな・・・」


 アンドレが厳しかった(・・・)のはオマエがアホだったからだ。客先に行くのに道場破りみたいな挨拶をするし、コイツ()は本当にバカなんじゃないかと頭を抱えたものだ。ひょっとしたらこの世界そのものが首藤の常識からかけ離れているのかもしれないと疑ったこともあったが、首藤の知るビジネスマナーで対応するとアンドレは首藤にとって(・・・・・・)違和感ない対応を返してきた。


 ある意味、首藤が対応する直前のムタリカ商会は切られて当然の状況であったのだ。実際、値下げ要求もされていたのは、王室にコネを持つ程の巨大な政商となったバルザックが、礼儀も知らない連中(バカ)を体よく切ろうとしていたのかもしれない。


 さすがに危機感を覚えて、その後ビジネスマナー研修を全セールスを対象に行ったが、自分一人では講師の手が足りなかった。そこで、マチコに基本的なビジネスマナーを教えて講師にした。首藤からすればマチコは猛獣そのものなので大きなチャレンジだったが、この国の連中にとって熊人は王族を連想させるらしく、フォーマルな所作を教える講師としてマチコ以上に適任はいない、よく抜擢したとなぜか絶賛された。そもそも他にビジネスマナーを理解できそうな奴はスントゥのフィルディナンドとアインツ本店のラウルだったが、教え方を(・・・・)教えるために(・・・・・・)支店長をビジネスマナーのために何日も拘束するのは現実的でないと考えた時、目的が理解可能なほど利発で、かつ基本的な所作はできており、さらにそれなりに腕っぷしのある者というとマチコ以外に居なかったというのが実情なのだが。


 そんなことを言っても未だこいつ等にはわかるまい。多少マシになったといっても、基本的にバカだってところは変わっていない。そう思いなおして、首藤は


「大丈夫だ。寧ろこれを最初に持っていかないほうが後々問題になる」


 といっても、ガインは


「そうですかねえ・・・」


 と、不安を拭えない様子であった。


 やがて、家畜の臭いが道に漂うようになり、次いで街道に渋滞している馬車の列が現れるようになった。バルザックの倉庫へ向かう馬車だ。バルザックへ向かう馬車の列が道の外まで溢れ出ているのはいつものことだが、以前見た時よりもやけに長くなっているようだ。


 馬ではなく牛頭人(ミノタウロス)が曳く荷車は、たとえそれが馬車が曳く荷車と同じものであったとしても馬車扱いされない。手押し車と同じ扱いで、延々と立ち並ぶ馬車を尻目にバルザック商会を目指す。


 通用口まで場違いな荷車と一緒に到達した我々に、あからさまに歩哨が嫌そうな顔を向けた。


「いつもお世話になってます。ムタリカ商会のガインですが。本日はアンドレ番頭はいらっしゃいますでしょうか」


 以前はバルザック商会の通用口は、扉を開けば即事務所で、居ればアンドレの顔もすぐ確認できたが、いまは扉の前に歩哨が立っており、勝手に扉を開けるような状況ではない。


 ガインは歩哨に名刺を出している。身の程も知らずに偉そうに誰何していた頃に比べれば雲泥の差だ。


面会予約(アポ)は?」


 歩哨は左手を腰に差した剣の柄に乗せ、右手でガインの名刺を持って兜の奥から鋭く誰何する目線をガインと名刺に行き交わせている。『いつもの見慣れた顔』に対する態度ではない。


「いえ、今日は納品があったのでこちらにもお邪魔させていただいたので、、、」


「納品なら倉庫だよ」


 歩哨はガインをじっと注視したまま、親指を立てて肩口から後方を指示した。その方角には馬車が街道から列をなしている物流用の倉庫棟がある。


「ええまあ、いつもはそちらにお邪魔しているんですが・・・」


 ガインは苦り切った表情で助けを求めるように首藤を見た。成る程、毎度こうではろくにアンドレとコンタクトなどとれまい。


 仕方ない。ここはひと芝居打つか、


「はじめまして。私はムタリカ商会で会司を務めております、 首藤と申します。」


 加藤事務機商事(ブラック企業)に入社してから何万回と繰り返した淀みなく流れる動作で名刺入れを懐から取り出し、芸術的な弧を描いて歩哨の目の前に差し出す。そして言うのだ


 (実は私が個人的にアンドレ殿とお約束(アポイント)をいただいておりまして。彼は今日勉強のために連れてきたのです)


 そんな面会予約(アポイント)などもちろんとっていない。この世界に電話などないから、面会予約を採ろうとすれば何日も前から手紙で確認を取らなけれならない。そんな工数をかけている暇があるくらいなら、20件客先に飛び込んだほうが数字になるからだ。


 しかし、その嘘を首藤が発する間も無く、


「そ、その紋章はっ!・・・暫しお待ちを!」


 歩哨は俺が名刺を渡す前に、それまでの横柄な態度を霧散させて俄かに取り繕った敬礼までして走り去ってしまった。嘘を披露する時間もありゃしない。そもそも、ここの警備はいいのだろうか。


「なんだこりゃ?」


「なんでしょう?」


 ガインも手を広げてお手上げといった様子だ。


 しばらくして通用口を開けて出てきたのは歩哨では無く猫人の女だった。動物の猫とは異なり、骨格はほとんど人間のようで頭部が猫だが、猫にしては長い金髪が生えている。たしか以前にバルザック商会に来た際に案内してくれた秘書だったような気がするが、首藤はまだ獣人の個体識別には、自信がなかった。


「ようこそいらっしゃいました。ムタリカ商会様。こちらへどうぞ。」


 猫人の秘書は、外見に似合わぬ涼やかな声で首藤たちを中へ誘った。


「ありがとうございます。」


 首藤とガインが連れ立って後に続くと、「アタシは・・・?」とモーリーが自らを指差してどうすればいいのかと訊くので掌を向けてその位置での「待て」を指示すると、モーリーは嬉々として荷台の上に這い上がり、人魚のつもりなのか()()をつくった。見なかったことにして、首藤は歩き出した。


 ぼんやりと以前にも通った記憶がある通路。先導する猫人の秘書の肢体は、頭部の位置が固定されたまま、腰を艶めかしく柔軟に動かす独特の動きをしている。この世界の衣服には伸縮性に富んだ化学繊維などない。だから、この猫人が着ている古代ギリシャのキトンに似た衣服では、立っているだけでは身体の線は判然としないが、こうして前を歩かれると猫人独特の所作がその尻や腰、腿が布の向こうからその存在を強く主張して、その艶やかさを匂い立たせてくる。女郎宿で猫人が一定の固定客(フェチ)を獲得しているというのも頷ける。


(それでも艶香じゃダニエラには及ばんな)


 首藤はそんなことを考えていたが、ふと隣を見ると、ガインが前屈みになってひょこひょこ歩いている。ツボだったらしい。


 応接室に通され、猫人に聞かれる前に「飲み物でしたら、私たちは冷たいお茶を二つお願いします。」と先にガインの酒を牽制しておく。


 ガインは「えっ・・・?」と鳩が豆鉄砲を食ったような顔になったが無視する。委細を承知したように猫人の秘書がくしゃりと顔を綻ばせ、「お掛けになっておは待ちください」とだけ言って早々に下がった。


 それからアンドレが応接室の扉を開くまで、それほど時間はかからなかった。


「シュトーさん。お久しぶりです。」


 半年ぶりに見るアンドレは、以前よりも幾分やつれていた。耳長族のアンドレは白髪が増えたりはしないが、疲れが表情に如実に出ていた。


「お忙しそうで。なにより、でしょうか?」


「そうなのでしょう。おそらく。王国が発展している証左ですから。生憎と種族(エルフ)的には性に合わんのですがね」


 アンドレは口元にふっと乾いた笑みを張り付けた。


 バルザック商会は政商としての力を急速に伸ばしている、んだったな。


「嬉しい悲鳴ではないですか。でも性に合わないというのは?」


耳長族(エルフ)が悠久の時を旅する種族だというのはご存知でしょう?」


 耳長族は樹木と同等の寿命を持つという。病気にもなるし、重大な怪我を負えば息絶えるが、それを乗り越え年月を経れば経るほどに霊力が練られ、行使できる魔法も強大になるという。


「そのようですね。羨ましいことに」


「ですから、本来はもっと()()()()()()()生活が向いているのですよ。元々、水さえあれば食事も毎日とる必要はありません。ですから、バルザックのような生き馬の目を抜くような世界は、耳長族の性にあってはいないのですよ。」


 それは初耳だ。


「そうなのですか。だからお疲れのご様子なのでしょうか?」


「疲れ・・・?ああ」


 アンドレは長い指が特徴的な手で顔を覆うとソファに背を投げ込んだ。


「顔に出ていましたかね。これは失礼。これは性分がどうこうというより、単に忙しいのですよ」


「最近はどんなことでお忙しいのですか?」


「最近ですか。それは、やはり陸路のせいですね」


「陸路?」


「うちはいろんな仕事をやっているのですが、その中の一つに為替をやっているのです。まぁこれが私の主な任務(ミッション)でもあるのですが。もとは王国内での為替を引き受けていたのですが、王国が発展するにつれて竜王国や聖教国との国をまたいだ為替も取り扱ってきたんです。」


「為替はうちもお世話になっております」


 為替をバルザックが取り扱っているのは首藤も知っている。ムタリカ商会でも支店間の大きな資金移動にはバルザックの為替を使用している。


 こんどはアンドレは幾分潤みのある笑みを浮かべた。


「ご利用ありがとうございます。ご存知のように、バルザック(うち)の為替取引は国内が主だったので、殆どの為替のお客様は陸路をお使いだったのです。」


 アンドレは長い人差し指と中指でテーブルの上で()()事を示すゼスチャーをした。


「ところが、一方でザムル王国はその特殊性から輸出が伸びてきています。輸出と言えば海路だったのですが、その海路がいま使えなくなっていましてね。」 


「海路が使えない?」


「おや?ご存じありませんでしたか?」


「使えないとは存じませんでした。いくつか船が沈んで羊皮紙の仕入れが高騰しているのは存じ上げておりますが。」


「いくつか・・・いや、まぁ、正しくは、悉く(・・)がですね。」


アンドレは空でひいふうみいと数えるような仕草をした。


「どうも大海竜(リヴァイアサン)が出ているようで。」



「りばいあさん?」


 なんだそれは。なんかの婆ぁの仲間か?


「竜ですよ会司。海にいるヴルカヌスだと思えばいいですよ。」


 竜??


「竜が船を襲うのですか?」


 あんなものに狙われたらひとたまりもない。しかし、竜は理性的な存在のはずだ。悉く船を襲ったりするのだろうか。


「いえ、竜自身が襲っているところが目撃されたわけではありません」


「目撃者が?」


「海難事故ですから数は少ないのですが、それでも生存者が居ましてね。彼らのうちの何人かは、大海竜(リバイアサン)らしきものを目撃した直後に船が沈んだと言っているんです。」


 首藤は違和感を感じていた。


 大海竜(リバイアサン)がヴルカヌスと同格の竜だとすると、その実力は亜人の我々に比べるべくもないほどに圧倒的だ。特に、海は海人(マーマン)でもない限り、亜人にとってはアウェーだ。大抵の海棲の魔物の前ですら、陸上の亜人は無力だ。まして、それが絶対者である竜を相手にした後、亜人が生き残ったとしたらそれは竜が、意図的に生かしたと考えた方が自然なのではないか。いや、そもそも、()()()()()()()()()()()()()()()


「なるほど・・?しかし、船が沈んだのであれば、どちらかというと仕事は減りそうに思えますが・・?」


「おっしゃる通り、陸路の為替を殆ど取り扱っていないジュラン商会(・・・・・・)の為替の仕事は減ったでしょう。しかし我々は逆でしてね。」 


 アンドレは軽く眉間を揉んだ。


「海運が停まっているのは北海を使って竜王国や聖教国からの船が往来するスゥとアンへの海路です。主に王都への荷が集中するスゥへの荷はかなりのものがありました。それらの船が停まったということは、ザムル王国からの荷も載せられなくなったということです。そうすると、我々の荷はどうなりますか?」


 もちろん、動けなくなる。そして、商品というもののほとんどは、動かさずに時間が経てば価値が損なわれる。


「・・・陸路・・・ですか?」


「そう。陸路です。スゥへ向かっていた荷は、竜王国境沿いのシャーンとバイツヘ、聖教国へ向かっていた荷はスィミへ向かっています。船に積むはず(・・・・・・)だった荷が(・・・・・)すべて馬車に(・・・・・・)乗って(・・・)ね。そうなるとですね。」


 もうお手上げだ、というように、アンドレは両手を広げた。


「うちに来るんですよ。為替が。馬車ごと(・・・・)に。」


 標準的な貨物船一隻の輸送力は馬車の200倍はある。大きな船ならさらに上だ。


「おぉ・・・それは。さぞお忙しいでしょう」


 この世界の為替は輸送単位毎に振り出される。夜盗などに襲われ、目的地に到達できなかった輸送単位の為替には支払われないためだ。つまり、馬車一両、船一隻、人ひとり、といった単位で振り出されることになる。船の輸送力が平均で馬車の200倍なら、為替の数も200倍になる。船便の荷がすべて馬車に転換されたわけではなかろうが、それでも莫大な量の荷が陸路に流れたはずだ。馬車のチャーター料と護衛費用も跳ね上がっているだろう。


「為替で食っている我々としては、嬉しい悲鳴のはずなんですが。元々ヒマでもなかったところに正直ここまで来ると、苦しさのほうが先に立ちますね。何せ為替証書を振り出すことにも事欠く始末でして。」


 首藤は脳裏に閃くものを感じた。決まる(・・・)でかい商談の時に感じるやつだ。これは勝ち確定だ。


「それで紙のご注文も多いのですね。いつもありがとうございます。」


「いえ、こちらこそ助かっております。・・・ああ失礼。私ばかりが話してしまいました。そういえば本日のご用向きは?」


「いえ、実はですね。お忙しいバルザック商会様には恐縮なお話なのですが、ご意見を頂戴したくて伺ったのです?」


「意見?なんのですか?」


「実は、私共ではこの世にまだない新しい商品の取り扱いを始めようと考えておりまして。我々の狙い通りなら、お忙しいお客様のお役に立てるはずなのですが、まだ世に出したことがないのです。そこで、私共のお客様の中でもずばぬけてお忙しそうな(・・・・・・)バルザック商会様に、お願いできないかと思いまして。」


「うん・・?つまり・・・?」


 アンドレは右のこめかみに長い指をあてた。


「今日持ってきたものを、まずは見ていただきたいのです。ここにお持ちしてもよろしいでしょうか?」


応接室(ここ)にですか?まぁ結構ですが、大きな馬車でおいでになったようですが、入るようなものでしょうか?」


「一つなら問題ありません。少し重いのですが、うちの牛頭人(バカ)に持ってこさせますのでご安心を」


 今日は空荷にして帰るけどな。


「そうですか。問題ありません。」


「ありがとうございます。よしガイン、あの牛頭人(バカ)を呼んで来い。あれ(・・)一台と紙も忘れるな」


「承知しました」


 ガインが席を立ち、応接室を出ていく。


「それと・・・お忙しい中恐縮ですが、一・二名、事務の方もおよびいただいてよろしいでしょうか?」


「事務の者を?何故です?」


「一番お役に立てるはずなので。お願いできますか?」


「まぁ構いませんが・・・」


 そうして、牛頭男(モーリー)が魔導複写機を一台応接室に運び込んだ時、部屋には人間と犬人の女が一人ずつ増えていた。


「これは・・・?」


「魔導複写機、まぁ私は単に『コピー機』と言っていますが。」


「こぴいき?」


「まぁ、まずは見てください。」


 俺は腰から短剣(キー)を抜いて、スロットに差し込んだ。


 原稿台に一枚、契約用紙を置き


「二枚、複写頼む」


 そう口頭で命じると、風の音とともに二枚、複写が出来上がった。


「どうぞ」


 まだ出来立てで熱を持っている羊皮紙をアンドレと人間の従業員に渡し、原稿を犬人に渡す。


「同じ内容が書かれているでしょう?」


「えっ?」


「おなじものができてる?」


 二人とも、原稿と複写を見比べて目を白黒させている。どこかに誤字や抜けがないかどうか、目を皿にしているが、全く粗は見つからない。


 粗が見つかるわけがない。それはもう俺とマチコが散々検証したのだから。


「ちょ、ちょっとこれ、ウチのもので試しても良いですか?」


 犬人が目をまん丸にして首藤に詰め寄る。尻尾がものすごい勢いで左右にブンブン振れている。犬人は感情がわかりやすい。


「勿論です。是非お試しください。」


 首藤がそう言うや否や、犬人は「失礼しまっす!」と言残し、疾風もかくやという勢いで応接室を飛び出し、戻ってきた。手には二枚の羊皮紙が握られている。ひとつは、文字主体の書類だが文章の中に空欄がいくつもあり、その悉くに下線が引かれている。おそらく下線のある空欄は記入欄で、何かの申込書のようだ。


 そしてもう一つは、空欄のないやたらに細かい文字だらけの約款らしきもの。なるほど、もしかしてこの事務員たちはこれを毎日トレーシングペーパー(墨紙)で複写しているのか。首藤はこれまでの営業経験の中でもあり得ない完全勝利の予感に、こみ上げる笑みを押し殺すのが厳しくなってきた。バルザックでの受注が幾らになるのか、莫大すぎて検討もつかない。今日持ってきた3台では済まないだろう。


「どうすれば、同じものが作れるのですか?」


 犬人が興味津々で食いついてくる。


「それはですね・・・」


 原稿の置き場所と指示の仕方をさらりと口頭で伝えると、犬人は嬉々として証書らしき羊皮紙を原稿を原稿台に置き、


「一枚、同じのをくださいな!」


 屋台で肉串でも注文するかのように命じた。


 また風の音が響いて、事務的にストンと複写を吐き出す。


「うっひょおおおおおおおお!?これすごいっすねえ!」


 コピーが一枚出ただけなのだが、犬人は尻尾を回転させて同じ!同じ!と叫びながら文字通り小躍りしている。


「ちょ、ちょっとアタシにもやらせて」


 人間の方の事務員が申込書風の羊皮紙を原稿台に置いた。


「じゅ、十枚ください。」 


 どことなく緊張感が漂った声で命じても、魔導複写機は相も変わらず呑気な風の音をぶわーっと鳴らしてストストと複写を吐き出していく。


「これは・・・?炎と風の精霊を飼いならして柄に埋めたのか・・・」


 アンドレがしゃがんでぼんやりと光る短剣を覗き込んだ。 


「魔石はあれですか。小さすぎるのではないですか。これではすぐに使えなくなってしまうのでは?」


 さすがに耳長族(エルフ)。タネは見ればわかるらしい。


「それは試用版なので魔石が小さいのですよ。正式なものはこちらに」


 腰からもう一本短剣を抜いてアンドレに見せる。アンドレは目を少し大きくした。


「大きいですね。こちらの8倍か10倍程度は力がありそうだ。」


「はい。正式版(これ)で大体一万枚くらいの複写が取れます。」


「・・?!試用版とおっしゃった?」


「はい。よろしければこれを置いて帰りたいのです。」


「番頭!見てください!十枚がこんなに早くできあがりましたよ?!」


 人間の従業員が顔を上気させてアンドレに喰ってかかった。


「これ、これはすごいですよ!申請書も墨紙を使わないで全部同じのができます!」


「お代はいかほど?」


「試用の間はいただきません。ああ、羊皮紙はご購入いただきますよ。A4サイズのうちの定型じゃないとうまく入らないと思うので、それはお願いします。試用は短剣の魔石が効かなくなったらそこで終わりです。引き続きご利用いただくのであれば、この複写機をご購入いただき、短剣は有償でのお貸出し(・・・・)となります。」


 アンドレは片笑窪をつくって、ふん、と鼻を鳴らした。


「そうではなく。この魔導具を如何程で売ろうとお考えかと」


「実際にお買い上げいただく場合は、この複写機が一万。複写が一万枚取れる短剣が一振り一万です。」


「ふむ・・・」


 アンドレは顎に手を当てた。


「魔石入りの宝飾品の値段としては妥当ですが・・・事務用品としてはかなり張り(・・)ますな。短剣が貸与というのは?」


「番頭はもうお察しのようですが、その短剣には私共で調教した精霊を住まわせております。その精霊は私共の従業員でして。魔石の魔力がなくなると仕事ができなくなりますので、魔石の交換や、休息(・・)を与えてやらねばならないのです。値段については、格安だと考えています。そのあたりは使っていただいてそご確認いただきたく。勿論、ご不要でしたら(・・・・・・・)持ち帰ります。」


「従業員ですか。なるほど。そうでしょうが、その感覚によく至れましたね。耳長族(・・・)だけの組織であればまだしも・・・」


 アンドレは左頬に片笑窪をつくった。この男ほどの美形が笑うとただ笑っただけでも凄みが出る。


「しかしこの魔道具は本当に返品可能と?」


「今日はこの紙(A4)千枚の納品書以外は持って帰りません。お役に立たないものを押し売るつもりはありませんが・・・・・・必ずお役に立てる自信があります。」


 


「そうですか。それでは使わせていただくことにしましょう。引き取りはいつ頃にこられるご予定で?」


「三日後には。それより後二台持って来ていますが、置いて行きますか?私としては日頃お世話になっている大商会(バルザック)様に最初にご利用頂きたいのですが。」


「・・・一台だけで残りをお断りしたら?」


「私共も商売ですから、他のお役に立ちそうなお客様にご試用いただくだけです。」


「そうですか」


 アンドレは珍しく、ほんの一瞬逡巡した。


「ならば、三台とも試用させていただきましょう。」


 


「し、試用って、ホントにタ、タダ?!なんですか?!会司?!」


 モーリーに荷車の魔導複写機三台すべてをバルザック商会の事務所に担ぎ込ませ、バルザック商会を後にした荷車の上で、ガインが首藤に食いついていた。


「あんな話をしていいんだったら、誰でもできますよ。でもそれじゃ損だらけになりゃしませんか?」 


「そうさ。あの短剣(キー)試供品(デモ)用に作った奴だろう?」


 試供品用に作った短剣は、モコエ山の第一~第二階層に湧く魔物がドロップする小さな魔石を使っている。「世界樹」や、高級な宿(ホテル)で使用されている魔石灯の原資になっている奴も大方がこれだという。ヴルカヌスが一撃で15階層あたりまでの魔物を焼き払ったため、魔石の数はそれなりにとれたが浅い階層で採れる魔石では魔導複写機の原動力にするにはせいぜい千枚程度しか複写をとることができず、実際に魔導複写機の短剣(キー)として売り物にするにはそのサイズが足りなかったものである。


 勿論、魔石灯の原料にすると言う選択肢もあったが、首藤は敢えて小さな魔石を埋め込んだ短剣(キー)を作成させた。


 利点は二つ。


 一つは、魔石を大きなものに取り替えれば、正規の短剣(キー)として即座に販売が可能であること、そしてもう一つが モノを売るのに使わせることほど有効な手段はない。それゆえ、ちょっと使ったら(・・・・・・・・)打ち止めになる小さな魔石は試供品の短剣の素材として最適だったからだ。


 無償で五千枚や一万枚ものコピーを取られてしまってはこちらの商売が上がったりになるが、1000枚程度であれば複写需要が唸っている政商相手にはちょうどよいお試し(・・・)枚数なのだ。


「いや、でも、会司?使われるだけ使われて、そのまま返品されたらどうするんですか?」


「返品?されると思うか?」


「はい・・・会議でも出た話ですが、羊皮紙の他に一枚1ザムルの費用が掛かるんですよね?だったら手間がかかっても墨紙でやるんではないですか?今もそれでやれているんでしょうし」


 コピー機を知らない奴は、売り手側でさえこの認識になる。売って金を貰える側がこうなのだから、金を払う客の側の意識はさらに渋いだろう。そう、実際に使わなければ(・・・・・・)


 しかし首藤は知っている。コピーを知ってしまったら最後、手放せなくなる。墨紙だって?要はトレーシングペーパーで複写をつくっているということだろう?そんな奴らこそコピー機を使えば二度と後戻りできなくなるにきまっている。


 コピー機の購入代金を賃料として支払う毎月のリース料と保守料を合算した維持費を、毎月の複写枚数で割った複写一枚当たりの単価が、事務所からちょっと歩いてコンビニで複写するより利用経費が圧倒的に高くなるケースでもコピー機を不要だとしてやめる企業はない(・・・・・・・・)のだ。それがこれからこの世界で起こる現実なのだ。


「ふむ?返品というより、追加注文があると俺は思うけどね。」


 そう、それも、数日以内に。


 


 ※  ※  ※


 


 バルザック商会に訪れる人の波は、今日も途切れない。


 ここ数か月ほど、為替の引き受けを依頼する人の波は、爆発的に増えていた。


 出発地点、到着地点、出発予定日時と到着日時、商品名、希望為替額、馬車の数、依頼者名、護衛者名、それらの「バルザック商会が必要とする記入事項」は、溢れかえる申請を効率的に捌くにあたって、予め必要事項の記入欄が記載された申請書を作成しておき、依頼者に記入させる(・・・・・)方式を取らざるを得なくなっていた。


 さらに、極めつけは契約条項であった。


 契約一つで国家の財政が揺らぎかねない規模の巨額の為替額ならいざ知らず、馬車に積める程度の少量の為替においては、個別に契約条項を変更することはできなかった。


 バルザック商会が振り出す為替のほとんどは、あらかじめ用意された単一の契約条項に則って提供されるものである。荷の上げ下げが引き受け可能な都市と支払い条件と期間、為替引き受け可能な荷の種類、為替が支払われなくなる禁止事項などを記載した何万字にも及ぶ契約条項は、予め複製屋(・・・)に依頼して墨紙による大量の複製の作成を依頼していたものの、爆発的に増えた依頼者の数は、とうの昔に毎月複製屋に発注している複製数を凌駕していた。バルザック商会では、やむにやまれず、人員を増やして申請書や契約条項毎日墨紙と鉄筆で格闘して何とか間に合わせている状況だった。


 そこに現れた、試供用の魔導複写機は、それまでの常識を粉微塵に破壊するものだった。


 ほんの数分前までは、鉄筆と羊皮紙を握りしめ、手の筋肉を痺れさせて複製作業をしても、どんなに早くても一枚の複写に十五分はかかっていたものが、ほんの数秒でスタスタと無造作に吐き出されてくる魔導複写機。


 それは、まさに魔法(・・・・・)の道具といえた。


 この世界は魔法そのものは珍しくはないが、一方で誰もが魔法を使えるわけでもない。


 耳長族(エルフ)吸血族(ヴァンパイア)のように、生来魔法を使える種族というものもあるが、そういった種族であったとしても個体差がある。魔法の得意なものとそうでないものが居るのだ。また、本来は魔力を使えない種族でも、ゴブリンシャーマンのように天恵を持って生まれ、本来魔法の行使が不可能な種族でも突然変異種も存在する。しかし、とはいっても、誰もが努力すれば魔法を使えるものではない。獣人の多くは魔力を自分で練って(・・・・・・)扱うことはできないし、その身に魔石を宿し、生命の根源が魔力である魔物でさえも、体内で魔力を練ることができない種族は多い。ゴブリンなどはその典型と言える。


 魔石灯のような魔石の魔力を用いた魔道具も存在するが、これも魔力の操作自体ができるものにしか扱えないもので、一般的な獣人の住居では明かりにはオイルランプを灯し、暖は薪を燃やしてとるのが常識だ。


 そんな中、種族を問わず、本当に誰もが魔法の恩恵に浴することのできる魔導複写機は、まさに革命的な品であった。


 約三千枚の羊皮紙が、三台の魔導複写機から吐き出されるのは、首藤がバルザックを後にしてほんの十刻程のことだった。




「複写ができなくなった!」


 たった千枚の複写枚数は、底なしのバルザック商会の需要の前では塵芥に等しい。数刻前まで鉄筆で原稿を只ひたすらになぞりつづける作業に倦んでいた従業員が、我先にと魔道複写機の前に立ち、短剣(キー)の魔石の魔力を湯水のごとく放出させることは、首藤だけが予見していた、しかし至極当然と言える帰結でもあった。


「なんで?私の分は?」


 そして、ここに自らの割り当て分の仕事(ノルマ)を抱え、動きを止めた魔道複写機の前で頽れる猫人の従業員が生産された。


「無くなったら墨紙でやればいいだろう。さっきまでそれでやっていたんだから」


 それは、アンドレにとってはフォローのつもりであったが、全くの逆効果であった。


「えっ?番頭?本気で言っているんですか?」


「なんであの子らが楽をして、あたしらは墨紙とデート再開しなきゃなんですか?」 


「だったら番頭がやってくださいよ。」 


 残った分は再度分担するなどと言っても火に油を注ぐだけだった。元々、正確さと速さを両立するために、複写する原稿は同じものを担当するようになっていた。他人の担当の書類をやるということは、今までやっていない慣れてない作業を新たに始めるということになり、元々その書類を担当していた従業員だけがその仕事に慣れている分得をするということになる。既に自分の分を魔道複写機で写し終わってしまった何人かは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()やることになる。


 喧々諤々、魔道複写機で瞬く間に三千枚の複写需要をこそぎ落として全体では大きな業務削減を達成したはずなのに、却って従業員の不満が増幅しているように見える。


 なんであの人たちだけ楽をして。私達がズルをしたわけじゃないのに。なんでこれだけしか複写できないの。会社にお金はあるはずだ。こんな便利なものにでさえお金をかけないつもりか。今だって仕事が回ってないと番頭だって毎日言っているではないか。


 魔道複写機の導入をしなければもうやっていられない、さもなくば辞める。どうせ働くところはほかにもある。そういった剣呑な空気が醸成されるのはすぐだった。


 今更、これは試供品だからとムタリカに返したところで、もうこの空気は変わらない。従業員は、魔道複写機という麻薬に染まってしまったのである。




 アンドレは、翌日、首藤に面会するため、パレス通支店へ自ら出向いた(・・・・)


「正規版の短剣(キー)と、あの魔導複写機を購入させていただきたい。」


 アンドレは苦々しさを隠さなかった。


「ありがとうございます。短剣(キー)は如何程ご用意しましょう?」


「取り急ぎ、100で。100ありますか?」


「ひゃっ・・・?!」


 隣でガインがしゃっくりをあげるように声を出す。


「勿論ございますが、本日即納できるのは10になります。」


 短剣(キー)100本。百万ザムル。そして魔導複写機三台。三万ザムル。計103万ザムル。パレス通支店全体の月予算(ノルマ)一年分を優に超える金額だ。ひと月の全支店分の予算の合計をもはるかに上回る額である。


「残りの90はいつ頃納品可能でしょうか。」


「二週間以内には可能です。お急ぎでしたら、10は今お持ち帰りになりますか?後ほどお届けもできますが。」


「持ち帰ります。」


 短剣自体は見目の装飾だけを施した、刃物としては包丁にも劣る鈍だ。ドワーフの長マウリから大量に仕入れているので、仕入れはせいぜいが30ザムル程度。通常は市場価格で一粒7000ザムル程度はする大魔石も、支店長総出でモコエ山の魔窟に潜り、名目上は一応自前で狩ってきたものだから、原価は食費と支店長の一週間程度の出張手当程度。一番かかった原価は世界樹の従業員(エルフ)達に精霊を調教してもらった費用だが、これも一粒当たり200ザムル程度だ。モコエ山へ出張した諸々の経費を入れても、短剣(キー)一つ当たりの原価は500ザムルにも満たない。これが一万ザムルで売れる。粗利率95%の究極の高粗利商品だ。


 しかし、本来複写機ビジネスとはこういうものだ。やらずぼったくりでがっぽり儲ける。そうでなければリスクを取って先行者となる意味はない。


 一晩でバルザック商会に何があったのか、知る由もないが、短剣を100も一括購入するとなると相当なことがあったのだろう。


 ナズィに持ってこさせた大魔石を嵌め込んだ短剣を10振り、アンドレの前に並べる。


「正規版の短剣、10振りです。ご確認ください」


「ふうむ」


 アンドレは左から順に短剣を手にして、一つずつ魔石を覗き込んでいく。


「一万枚取れるという看板に偽りはないようですな」


 アンドレは見ただけで魔石が持つ魔力量がわかるようだ。


「はい。一万枚よりも多めになるよう、大きめのものを選んであります。」


「そのようですね。すこし歳を食ったエルフならできそうな加工ですが、魔石が潤沢に用意できなければいけませんな。これほどの魔石は市場に流通していませんから、そう簡単には手に入りますまい。どうされたのですか。」


「いえ、それは企業秘密なのです。ご推察の通り、そこがこの仕事のミソ(・・)ですから」


 まさかヴルカヌスがダンジョン丸ごと焼き払ってくれましたと言えるわけもない。


「みそ・・・?」


 アンドレの眉が眉間に皴を刻んだ。そういえばこの世界にきてからというもの、味噌にはお目に掛かっていない。


「私が以前いたところの言葉で、物事の核心、とでもいいましょうかね。真似されてしまっては、私共の利益がパアになってしまいます。」 


 知ったところで、誰もがホイホイと炎竜にダンジョンを焼かせることができるとは思えないが、竜と通じていると思われるよりはましだ。竜は町の一つや二つは言うに及ばず、国でさえ一晩のうちに消し飛ばす力を持つ激甚災害を上回る上位存在。そんなものと通じている者は、国家からすれば最初に排除すべきリスクと言える。わざわざそんな危険分子(お尋ね者)になってやる必要はどこにもない。


「フ、それはそうでしょうね」


 アンドレは、そういって表情から険を抜いた。


「お役に立つでしょう?あれは」


「それはもう。むしろ()()()()()くらいですね。だから困って(・・・)ここに来たのです」


 アンドレは項垂れた。「なにせ、中級魔物の魔石をあたりまえに使った魔道具なのですから、便利でないはずがありません。」


 当たり前だ。コピー機を知らない事務屋がアレを見て手放せるものか。使った瞬間から離れられなくなるにきまっている。だから使わせるために置きデモ(・・・・)をやったのだ。


「中級。よくわかりませんが中級ならそれほどたいしたことではないのではありませんか。」


 中級があるなら高級だか上級もあるのだろう。たいしたことではないのではないか。


「シュトーさんは、武は嗜まれないのですか」


「そっちはからっきしですね。売るのが専門ですから」


「そうですか。ああ、だからなのですね。これをこのような商品に仕立てられたのは」


 そう言って、アンドレは魔物の解説を滔々と始めた。どうやら彼は以前冒険者じみたことをしていたらしい。頭でっかちなのか、えらく話は長かったが話に出てくる魔物はモコエ山洞窟でも第一階層の魔物までのようで、アンドレ自身の武力は大したことはないようだ。


 しかし、要約すると、地上では中級魔物は一部の上位種を除き、殆ど出現しない。中級魔物といえば、ほぼ地上最強クラスの魔物を意味すると考えても良いらしい。耳長族(エルフ)の中でも稀有に高い戦闘力を有するヴァネッサでさえ、その実力は中級魔物に比肩するのがやっとだ。だから・・・・


「ダンジョンではパーティを組んで潜るのです。強大な力を持つ階層主(ボス)に立ち向かうには、中級魔物程度の強さでは、どうにもなりません。だからこそ、役割分担と連携が必要になるのです。」


 ここではないどこか遠くを眺めるように、アンドレは目を細めた。その眼差しは、眼前の首藤ではない何処かを、憧憬を込めて見つめているようだ。しかし、だとすると容易く10階層突破するヴァネッサや、やけに魔力の強そうなダニエラを率いた我々の御一行様(パーティ)は、もしかしてなかなかのものだったのではないのか?素手で赤色熊を潰して胃を引きずり出していたナズィも、かなりの戦闘力を有しているのだろうか。話の中で、赤色熊をどう避けるかが森で生き残るカギだとか言っていたし・・・


階層主(ボス)。ドラゴンのことですか?」


 首藤がモコエ山で遭遇した最強の存在はあのドラゴンだ。ボスというからにはあれだろう。


 アンドレは隠世を走らせていた焦点を首藤に戻した。


「いえ、竜人や飛蜥蜴(ガーゴイル)飛竜(ワイバーン)はドラゴンとは異なります。竜種ではありますが、その程度では階層主(ボス)足りえることはないでしょう。階層主というのは、ダンジョンの魔力の澱が生んだ怪異というべきものです。」


 竜人なら知っている。ムタリカ商会(うち)の従業員にも竜人はいる。あれ(ダーラー)が階層主だと言われてもイマイチ納得できない。素人目にも、ヴァネッサやダニエラより戦う力はないと思う。せいぜいの長所は羽が生えているからそれで飛べるくらいのものではなかろうか。


「竜種は、その真祖たるドラゴンから派生したという意味ではその樹形図の末節に連なる種族ではありますが、その力量は無残なほどに劣化しています。もはや別物と言ってもよろしいかと思います。突然変異すれば別でしょうが、通常の竜種では階層主にはなりえません。」


「いえ、竜人じゃなくて、竜です。ドラゴン。でっかいやつ。あれが階層主ではないのですか?竜人ならうちの従業員にもいますから想像がつきますよ。」


 ダーラーが階層主とか言われてもな。あいつは羽が生えているから空が飛べて、多少皮膚が堅いだけだ。いや、もしかしたら火ぐらい吹けるのかもしれんが、せいぜいが家に放火できるかどうか程度だろう。やったらクビだが。


「シュトーさん??」


 アンドレは再び眉間に皴を刻んで、懐疑の眼差しを向けてきた。


「ドラゴンをご覧になったことがおありなので?」 


 アンドレの視線は犯罪者を見るもののそれだ。なんだ?ドラゴンを知っていては不味いのか?でかくて恐ろしげではあったが、割と気さくな奴だと思ったのだが。いかん、これではどういう答えが正解だかわからん。


「アンドレさんは、あるんですか?」


 答えない。これが今俺にできる最善の回答だと信じる。


「あるわけがない。当然でしょう。」


 吐き捨てるように言って、アンドレは目線を俺から逸らした。見たことがないのが当然なのか。なぜだ。あれほどのデカブツ、一目見て来ようというツアーがあってもおかしくないと思うのだが。


「ドラゴンに遭って命があるなど、何処の伝説の話ですか。聖教国の勇者にはもともと命なんかありませんしね。転移の魔法紙(スクロール)でも使わない限り生還はできないでしょう。」


 ほう。転移といったか。しかしスクロールとは何だろう。


「竜を神と奉ずる竜王国が、あの炎竜の存在を知っておきながらモコエ山を領土にしなかった理由はご存知でしょう。いくら奉ずる神とはいえ、都市や国ごと消し飛ばされては元も子もない。あの絶対者の前には都市も国も山羊一匹も大差ない。等しく、ひと薙ぎで消し飛ばされてしまいます。あの時だって・・・一歩間違えば・・・」


 アンドレは瞼を引き絞り、唇を噛んだ。


 何か恐ろしいものから視界を閉ざしているのか。


 しかし、昨年この世界に飛ばされてきたばかりの首藤に、隣国のイデオロギーとその都合なぞ知る由もない。


「私にはよくわかりませんが…ドラゴンは高位の存在なのですよね?力だけではなく、知能も。」


「もちろんです。至高の存在とも言えます。竜王国など、ドラゴンを神と戴いている。」


「なのであれば…なぜ怯えるのですか?焼き払われるような原罪でもあるのですか?」


「ははは、シュトーさん。それは異な。わからないから恐ろしいのではないですか。」


「そうですか?いつ焼き払われるかわからないのであれば、逆に焼き払われないかもわからないのですよね。どちらにしろ判らないのですから、気にしても意味なくないですか。」


 アンドレはぽかんと口を開けて固まった。


「私はね、一介の紙売りですから。お客様のお役に立つ道具と紙をめいっぱい作って売って、貢献しますよ。もちろん、私共もそこから幾許かいただきますがね。それを神様やドラゴン様が見咎めることもないんじゃないかと思っています。」


「しかし、中級の魔石をあれほど使うとなると、事が神々(ドラゴン)の目に留まるやもしれぬとは考えなかったのでしょうか?」


 そんなわけがあるか。この魔石はヴルカヌス自身がくれてよこしたものだ。そんなもん気にしているはずがない。とはいえ、そのまま言うことはできない。


「考えたこともありませんが・・・もしかしたら留まるかもしれませんね?バルザックさんのところが繁盛した姿が。それが神の怒りに触れるのでしょうかね?もしそうなら、アンドレさん、あなたは今ここにいないはずだ。違いますか。」


 アンドレはうむ、と考え込んだ。


「私はね、勿論、儲けるためにやってるんですが、騙して利益を掠め取ろうという考えでやっているんじゃないんですよ。お客様に便利になってもらって、その成果として私共もいただくものをいただく。それが、WIN-WINというものじゃないですかね。」


「ういんうい・・・?」


 ああそうか。WIN-WINは普遍的な言葉ではないか。


「双方得をする、ということです。それが商売というものでしょう。」


 碌に営業もできない二代目社長がどこぞのコンサルから聞きかじってきて呪文のように唱えていた「WIN-WIN」だが、それ自体は間違っていないことだと首藤は考えていた。営業に向かって叫べば「WIN-WIN」な取引が量産されて会社が儲かると思っているあたり、愚物丸出しで痛々しかった記憶が今でも首藤の脳裏に鮮明に蘇る。


 他ではできない商品やサービスというのは、即ち唯一無二であることを意味する。そこには明確な競争は存在しえないことから、高付加価値、つまり高粗利での取引と顧客の利益の両立が実現する。これがWIN-WINの正体だ。つまるところ、経営者がいかにそのような商品やサービスを創るかということに掛かっているのだが、それがわかっていないあたり、前の会社の社長はどうしようもないアホだったのだ。が、しかし、なまじ組織立って優秀な営業組織を保有してしまうと、そんな環境があろうがなかろうが「やれ」の一言で締め上げるだけで業績というものが組み立てられて、増収増益ができるのであるから、ブラック企業というのは恐ろしいものだ。


 まぁ、俺も人のことは言えないか。


 首藤も、行きがかりという偶然が半分以上だったが、ムタリカ商会の生ぬるい営業体制を爪先で蹴り上げて内実ともに黒く塗り上げてきたのだ。それで業績を大幅に上げたのは確かだが、事業として新しいことはなにもやっていない。やったことは、要するに数字で従業員を締め上げる仕組みづくりだといっていい。


 この魔導複写機の事業が初めての唯一無二を産み出す新しい試みだと言えた。尤も、首藤は複写機ビジネスの経験者であるのだから、純粋にチャレンジしている、というよりもずる(チート)といったほうが近いかもしれないが。


「そう・・・まさにそうなのです。そうですね・・・!」


 なにか、アンドレがまた焦点を明後日に向けている。何か自分の中で俺の知らないストーリが完結したようだ。コイツ少し怖いな。


「シュトーさん。今日は本当に来てよかった。ムタリカ商会さんからご提供いただく商品(モノ)以上に大切なものを得られました。今後とも末永くお付き合いをお願いします。」


 アンドレが右手を差し出した。首藤も右手を差し出すと、アンドレはそれを両手で掴んで上下に大きく揺さぶってきた。なにか、そんなに感動するようなことを言っただろうか。


 


 そして、魔導複写機最初の契約書にアンドレのサインが入り、この世(・・・)で最初の魔導複写機の契約書が生まれた。


 その後暫くの間、ムタリカ商会のすべての支店の魔導複写機の在庫は、バルザック商会に吸い上げられつづけることになる。


 


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