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第九話 前夜

遅筆ですみません。リアルで忙殺されておりやっとできました・・・

読みづらいかもしれませんがよろしくお願いいたします。

 ホウン・キムの処分は思いのほかうまくいった。


 成果報酬(インセンティブ)をつけてセールスの尻をたたけば、不正を行う輩が出てくることは至極自然な現象だ。重要なのは、この不正をどう取り締まるかだ。


 不正は悉く取り締まればいい(・・・・・・・・)というものではない(・・)。業績を押し上げる類の不正であれば、それは黙認したって構わない。しかし一方で、業績を下げる類の不正については、厳しく取り締まり、その悲惨な(・・・)結果を周知して、再発防止に努めなければならない。重要なのは、不正だから悪いの(・・・・・・・・)ではない(・・・・)ということだ。業績が落ちるようなことが、悪いということであり、ルールからの逸脱そのものが悪いということにはならない。それを切り分けて処分することが肝要だ。


 もっとも、今回のホウン・キムの所業は、首藤一登が見聞きしてきた中でもかなりの悪いほう(・・・・)の部類ではあったのだが。


「卸売か。しかも目標数をやる為に仕入先に流して、半分以上を捨てるとは、中々の糞だったな。」


 首藤はひとりごちた。


 加藤事務機商事(前の会社)でも、数字(ノルマ)のプレッシャーに耐えきれず、色々な事をする奴いた。


 自分で買って数字にする者、売れたことにしてどこかに商品を隠しておく者、客の従業員と懇ろになって客の印鑑を持ち出し、好き勝手な契約を作る者、契約書を偽造して契約を捏造する者・・・色々な奴が居たが、そいつらは何某かの()()()()()()()()()()()をしているものだった。


 だから、そのような架空計上は余程粗雑なものでもない限り、初回で露見することはなく、()()()()()()()()()。架空計上は麻薬と同じである。そのプロセスは実際に販売する顧客を見つけて説得し、成約するまでのものと比べれば圧倒的に容易なものであることから、一度手を出すとやめられるものは少ない。


 しかし、架空計上自体は必ずカネの矛盾を生むことになる。実際に売れていないものを売れたことにするのだから、必ずカネの帳尻が合わなくなる。その不整合が積み重なれば、架空計上は必ず露見するものだ。


 尤も、キムがやったのは架空計上ですらない。単なる不当廉売だ。在庫の棚卸管理がほとんどされていないことを悪用して不正を行った。売上と入金の帳尻は合うようにしていたのだ。売れた羊皮紙の数と仕入れた羊皮紙の数、そして残っている羊皮紙の数の管理自体が殆どされていないという状況がキムの不正を許したと言える。


 しかし、在庫の棚卸を行うのは中々難しい。この世界には四則演算ができるものが少ない。足し算引き算ができないと言っている時点で、在庫管理はほとんど不可能だ。住民の大半が文字の読み書きができるというだけでも、ザムル王国の教育水準は周辺国家に比べれば驚異的な高水準あるのだ。


 四則演算の出来る者がいる一か所に在庫を置いて、集中管理すれば在庫管理もできるようになるが、その案は採用できない。ロジスティック自体が完全な人力か、よくて馬だからだ。羊皮紙はその性格上、注文を受けてから1週間後にデリバリーするのでは顧客の要望を満たせない。だからムタリカ商会では各支店に分散して在庫を持ち、手押し車で商品を曳きながら販売してきたのだ。


 管理のために売上を減らすのは言語道断だ。管理は業績を伸ばすためにあるのであって、管理を支えるために業績があるのではない。かといって、管理が全くなくていいかというとそういうわけでもない。ホウン・キムのような愚物が蔓延れば、業績自体が架空のものとなり、業績を伸ばしていたつもりが慈善事業以下のことをしていたということにもなってしまう。


 そのようなことを起こさないために、つまり、管理したほうが業績が伸びるから、管理をやるのだ。


 加藤事務機商事(前の会社)にも、それを履き違えて「ルールがないから問題が起きる」ことを事ある毎に叫ぶ管理バカが何人もいた。この世界でまで、問題の前後を履き違える愚を犯す気は、首藤には無かった。


 鶏が先か卵が先かという答えがわからないときに使われている問答があるが、俺に言わせれば笑止千万だ。卵が先に決まっている。鶏じゃないものから鶏の卵が出て、鶏ができたのだ。管理と業績も同じだ。管理が先にあるのではない。業績が先にあるのだ。業績なくして管理なし。荒ぶる業績を効率的に回す(・・)ために管理はあるのであって、管理する対象である業績が無いところに管理は存在しえないのだから。


 そして、管理とは、望ましくないこと(・・・・・・・・)が起こらないよう(・・・・・・・・)すること(・・・・)であって、規範(ルール)や手続きの階層化のみを言うのではない。


 望ましくないことが起こらなくなるのなら、そのための手段は何でもよいのだ。


 そう、それがたとえ、恐怖であったとしても。


 今回ホウン・キムがやらかした不正自体はかなり深刻だった。


 手口自体は単純であるものの、対策は容易ではない。


 都度、在庫数と出荷数をチェックすればよいのだが、それが容易ではない。ザムル王国では殆どの者が文字を読めても、計算ができるかどうかとなると話は別だからだ。


 足し算・引き算ができるものが10人に1人という程度。掛け算・割り算ができれば学者か風水師とよばれてしまう世界だ。羊皮紙の値段も、暗算など出来る者はほとんどいない。枚数別の価格表を各支店の担当者は持ち歩いていて、その表を元に営業をしているのだ。


 つまり、殆ど所属員が10名未満の各支店で在庫と出荷と売上げを、付き合わせた棚卸をするのは事実上不可能だ。


 では物流を一箇所にまとめて集中配送体制をとれるかというとそれも無理だ。首藤がいた世界には電話もインターネットもファックスもあったが、そのいずれもこの世界には存在しない。狼煙を除けば最速の通信手段は伝書鳥であり、伝書鳥の到達率は50%を切る。確実な通信方法としては鳥ではなく鳥型の亜人(ハーピー)の運営するメッセージサービスがあるが、元々が軍事用のサービスである為コストがバカ高く、毎日の通信に使えたものではないし、その余力もない。


 では馬や人手で各支店から毎日の注文情報を物流拠点へ往復させれば良いかと言うと、それも現実的ではない。各支店から概ね等距離の位置に存在する森都(スントゥ)に物流拠点を置いたとして、各支店が発した発注情報が森都に届くのは平均三日後である。そこから出荷して商品が顧客の元に届くのは、更に四日程度かかる。つまり、()()()()()()()を発注してから届くのに七日かかってしまうと言うことだ。ならば顧客は近場に在庫を持っている商会から調達をするようになるだろう。()()()()()、先代のジィュ棟梁は手押し車で在庫を持って周り、注文即納の体制を強みとしたのだ。


 では、キムのような必ず発生しうる屑への対策を行わなくていいのか。そんなことはない。重要なのは、対策を正攻法だけで考える必要はないということだ。


 首藤は、ゴブリンという種族は実にブラック企業の経営者向きだと、つくづく感心していた。


 ザムル王国では、王国に登録されている市民に対する無為な殺生は禁じられている。反対に、登録されていない魔物は狩り放題だ。ゴブリンはその中でも、最弱の部類に入る魔物だ。旺盛な性欲、乏しい倫理観念、人間種(ヒューマン)の子供程度の知性。


 秩序を守る者(王国軍)からは相手にもされず、然れど日常的に村や町に被害を及ぼすことからならず者共(冒険者達)への賞金首とされたゴブリンは、多種族共存の平和が訪れたザムル王国に於いて、宵闇に隠れながら絶滅への道をひた走っていたが、そんな群れの一つに現れたのがジィユ・ムタリカだったそうだ。


 ジィユ・ムタリカは長年の放浪を生き抜いて強靭な肉体を獲得したゴブリン・チャンピオンであった。それが、()()()()()()()を得て、人間種並みの知性を手に入れた。


 そして、ジィユ・ムタリカは、その知性を更なる略取に活用するのではなく、王国市民資格試験に合格し、自らをザムル王国市民として登録した最初のゴブリンとなった。


 知性があり、秩序に与する者なら亜人も魔物も問わず市民とするザムル王国にあっては、ゴブリンに仇為す者は人間種や亜人だけでは無くなっていた。吸血鬼(バンパイア)やリッチまでもが秩序側に与し、ゴブリンが悉く掃討されて行くザムル王国において、かつての生き方のままではゴブリンが絶滅するのは目に見えていた。


 ザムル王国市民となったジィユ・ムタリカは、ムタリカ商会を興し、その初代棟梁となった。そして、彼は自らに連なるゴブリン一族を、自らの私有財産(ペット)とした。当然、その私有財産(ペット)が何か ()()()()()場合は、すべての責任を所有者が負わなければならないが、一方で王国法に反しない限りその私有財産は安堵される。ザムル王国において、唯一合法的に(・・・・・)生きていけるゴブリン、ムタリカ一族が生まれたのである。


 ジィユは、王国は私有財産が何をしようとも、他の市民の財産や生命、生活に悪影響が及ばない限り、特に問題視されないということに目をつけ、ムタリカ一族に属するゴブリンを市民らしくさせる(・・・・・・・)ことを早々に諦めた。ゴブリンという種族は、王国市民たるには絶対的に知性(脳ミソ)の質と量が不足していたのである。代わりに羊皮紙の製造という産業を、ゴブリンのコロニーに与えた。羊や山羊を潰さずに生きたまま行う皮剥ぎは、ゴブリンという種族が本能的に持つ嗜虐性を満たすことができたし、皮を剥いで瀕死になった羊や山羊をゴブリンの天啓持ち(シャーマン)に癒させることで、希少な天啓持ち(シャーマン)の鍛錬にもなり、また彼らの旺盛な性欲の捌け口としても最適だった。市民権を持ちえないゴブリン達は、羊や山羊という玩具兼パートナー(ラブドール)をえたことで、ジィユ・ムタリカの安価な羊皮紙製造資源となり、結果として王国を流通する正の経済から正当に毎日の糧を獲得することができるようになったのである。


 ゴブリンの残忍な性質そのものを全く変える事なく、王国の社会規範の中に組み入れる事に成功したジィユ・ムタリカには、首藤は尊崇の念を禁じえなかった。


 同時に、この革命的(イノベイティブ)なビジネスモデルに至ったジィユに、今となっては会えない事に落胆してもいた。


 そして、そのゴブリンが生来待ち合わせている残忍な嗜虐性が、商会の統治にこれほど役立つとは、何という巡り合わせだろうか。


 キムが衝いたオペレーション上の弱点に業務管理上のチェック機構を設けて直接的な対策を打つと、ムタリカ商会の業績は強く下振れしてしまう。


 ならば、直接的な対策でなくても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のである。


 ザムル王国には、秩序に与し、王国の庇護を受ける資格のある者という意味での市民権をという概念はあるが、その市民権に人権のような概念は含まれていない。目には目を、歯には歯をと言った市民同士の報復に関して、命のやり取りにならない限り王国は無関心だ。ダーンがそうしたように、届出さえすれば命を賭けた決闘も容認されている。


 それならばと、首藤はホウン・キムの背中の皮を損失補填に充ててはと考えた。ジィユのゴブリンコロニーでは羊や山羊の皮を生きたまま剥ぎ、そして即治癒魔法をかける事で同じ個体から繰り返し皮を剥いで、生産コストを大幅に下げている。山羊が猿になったところで、羊皮紙の品質に大した差はないらしい。何より、この機会をキムのやらかした損失に対する補填と懲罰とという意味()()()()()()()()()()に使える利点がとても大きかった。


 首藤は、キムの()()()()()()()()に、ダーンだけではなく各支店の支店長を業務命令で参加させた。


 キムが大小便を垂れ流し、泣き叫びながら自我を失い雄雌のゴブリン供が我先にと入り乱れて犯していく様をたっぷりとその目で確認させたのだ。


 効果は覿面だった。フィルディナンドには薬が効きすぎたのか、キムの皮を剥がされ始めた辺りで嘔吐していたらしいが、逆に豚人(オーク)のエゼキレルは目を輝かせながらキムの苦しむ様を見て、


「会司、これ、俺のとこでこう言う悪党が出たら、オレが直接この手でヤッていいですかね?!」


 と、ノリノリだった。


 殺すのはダメなんだが、殺さずにできるのかと尋ねると目線が泳がせてしどろもどろになったのでおそらく何も考えていなかったか、そもそも殺す気だったのだろう。


 オーク自体が元々残忍な性格の種族らしい。だから、エゼキレルのような反応は予想していたことだった。重要なのは、誰が懲罰をヤるかではなく、このような汚職に手を染めると、惨たらしい私刑が待っていることを()()()()()()()()()()()だ。そうすることで、従業員がこのような汚職に手を出すことを思いとどまるか、または()()()()()汚職程度に手を引っ込めるかすれば、今回の見せしめは成功したと言える。


 エゼキレルに、お前が直接手を下すのはダメだが、ゴブリンに命令するのはやらせてやると言うと、ただでさえ左右に裂けて牙の除く口蓋をにんまりと伸ばし、嬉々として自分の担当店に帰っていった。あの分なら同じような汚職をしたらどんな目に遭うか、喜び勇んで部下に語り、やりやがったら今すぐ申し出ろ、俺が直々に罰を下してやる、くらいのことを言うだろう。まさしく、首藤の狙いもそこであった。


 支店長の受け止め方によって伝え方はまちまちになるが、キムのような汚職に手を染めれば、どのように悲惨な目に遭うかということの周知は、同様の汚職を抑止する。これこそが、業務管理上の棚卸チェックに勝る対策である。


 この方式の良いところは、売上と在庫のチェックをしても見抜けない新種の手口による汚職に対しても、一定以上の効果が見込めることだ。


 しかも、この施策はキム本人の命を奪わないと言う一点で、王国の法を犯していない。現代日本なら傷害、殺人未遂、労基法違反などの罪状が鈴生りになるが、法整備が緩い(と、首藤は感じる)ザムル王国では、罪とは「殺害」にフォーカスされていて、傷害や窃盗も罪ではあるが、取り締まる対象とするよりも寧ろ民間での報復を黙認する事でバランスを取ろうとしているようだ。


 今回のように、キムに奪われた羊皮紙を()()()()()()回収することに、そのような量刑規範を持つ王国は、例えどんな苦痛をキムが味わうとしても、先に()()()()()()()キム自身である以上は、殆ど頓着しないらしかった。


 そうとなれば、あとはキムを捕らえてその苦しむ様を存分に()()()()()してやればいい。


 首藤は加藤事務機商事(前の会社)で毎週のように通達されていた人事処分通達を思い返した。数字(ノルマ)のプレッシャーに負けて汚職に手を出して見つかり、全社内に晒される輩の状況と汚職の手口を想像して、何を会社がチェックして懲罰を行い、逆にどう言った事なら会社が()()()のか、首藤は逐次考えていたが、逆に()()()()()()()()()が、「犯人晒し」の目的だったと、今処分する側になってはっきりと理解できる。


「晒し首が、時代を問わずあらゆる社会共通の管理手法だったとは、とんだお笑い草だな」


 魔法があるとは言え、中世じみたこの世界でキムを()()()しまうことに、特段の痛痒も感じなかった。しかし、ITの専門商社と嘯いて、コンプライアンスだ何だと喧しかった上場企業の加藤事務機商事が、前時代的なやり方(晒し首)で内部管理していたことに、改めて気づいてしまった。首藤はなんとも言えない居心地の悪さを感じていた。人間なんてそんなものと諦めてしまえば良いのだろうが、自分の世界(現代)がより文化的なものであると思いたかったのも事実だった。


 そんな郷愁と黄昏と諦念が入り混じった感情のプールから、カンカンと扉を叩く乾いたノック音が首藤を現世に引き摺り揚げた。


「会司、入ります。」


 重厚で野太い低音。どう考えても男にしか聞こえない、しかし女の声。


「ああ、マチコ君か。どうぞ。」


「もう、どうして会司は人間族(ヒューマン)なのに扉を開ける前から私の事がわかるんですか?」 


 わからいでか!


 マチコ・グレース。()()()()()()()()()()()()、可愛らしい獣人の女性。遠い親戚には、()()()()()の王族に繋がるらしい。彼女自身の生まれ育った家庭はごく普通の家庭らしい。


 そう。彼女の種族は王族と同じ熊人。というより、服を着て無ければただの灰色熊(グリズリー)だ。自己申告では「身体が小さくて里では仕事ができなかったから、街に出てきた」らしいのだが、それが本当なら熊人というのはいったいどんな仕事をしているのだろうか疑問だ。もちろんあえて知りたくもない。


 マチコの身長はぱっと見、大体二メートルくらいか。体重は恐らく200キロ程度。圧倒的に首藤よりも大柄だ。見かけは全身にみっちりと茶灰色の体毛を生やした獰猛な熊なのだが、彼女に言わせれば「ちっこくて痩せすぎでひ弱なのがコンプレックス」なのだそうだ。魔石狩り(社内旅行)の時も声をかけたが、「野生の赤色熊には勝てない」という理由で参加拒否だった。首藤自身も赤色熊には勝てないのだが、ナズィがその赤色熊を素手で解体したり、巨大な炎龍が出たりしたから、却って参加しなくてよかったかもしれない。失神でもされていたら動かせないところだった。


 そんなマチコは、人間の首藤からみると芸達者な猛獣だ。


 「重いです〜やっぱりこういうのは私向いてない〜」とか言いながらガインが自分で動かすには1台が限界の羊皮紙を満載した手押し車を片手に一台ずつ、一度に2台倉庫まで運んでしまう体力を持ちながら、一方で大小の黒い楕円の肉球を組み合わせた掌から、サメの歯もかくやと思わせる鋭い爪を放射状に生やした()()()()()に、小器用にペンを挟んでスラスラと達者な字を書いて事務仕事もこなす。


 白目が見えない捕食者そのものの感情を読み取りにくい丸い目を顔の正面に二つ並べ、首藤の頭などトマトより簡単にひと噛みにしそうな、どう見ても肉食獣の頭部の中に収まった頭脳は、商会にあっては貴重な四則演算をこなす事ができるインテリ脳が収まっている。


 そんな彼女(マチコ)は流暢に共通語(聖教国語)をあやつるが、彼女の発声器官は熊人、というより恐らく灰色熊そのものなので、話しかけられるときはプロレスラーもびっくりの常に野太い熊の吠え声である。


 オークのエゼキレルや、竜人のダーラーなど、人間種でない種族はそれぞれの種族独特の声を発するが、中でも熊人は()()()()では最右翼だ。首藤は、自分の中で彼女に「グリズリー(灰色熊)・マチコ」と、勝手にリングネーム(あだ名)をつけていた。我ながらぴったりだと思っている。


「で、どうしたんだいマチコ君?」


「ヘブルから荷物が届きました。大きいので下に置いてありますが、お部屋に運びますか?」


「お?!来たか!ならば持ってきてくれ。荷は一つだけ?」


「承知しました。お持ちします。荷物は大きいものが一つだけです。」 


 来たか!ついに複写機(金のなる木)が!


 魔石狩りに行った帰りに寄ったドワーフの里『へブル』。火山性ガスが洞窟内に異常発生し、住民の半数が死亡したものの、首藤の一座(パーティ)の働きによって全滅を免れた。


 そのことにより、マウリ・オルセン(耄碌爺)にたっぷりと恩を着せた首藤は、図面とも呼べない手書きのイメージ図とA4サイズに切り揃えた羊皮紙を投げつけ、魔導複写機(マジックコピー)の製作を指示していた。


 複写機と言っても、電力がないこの世界では静電複写機など実現できない。首藤がマウリ・オルセンに制作を指示したのは、炎と風の精霊が仕事をしやすくするための箱だ。


 炎の精霊が複写すべき原稿を眺め、それと同じイメージをレーザー光を彷彿とさせる炎魔法で白紙の羊皮紙の表面だけを瞬間的に焼き、原稿の像を再現する精霊の作業場(・・・・・・)。それがこの複写機である。


 首藤はこの複写機を作成するにあたり、いくつか工夫をしていた。


 まず給紙だ。複写ニーズは一枚の原稿に対し、一枚の複写が取れればいい、という範囲には収まるはずがない。必ず、一枚の原稿から二枚以上の複数の複写が必要になる。しかし、元の世界ではコンビニで誰でも何気なく使っている複写機は、複写する紙を一枚一枚手差しトレイから給紙する必要はない(・・)。これは、給紙カセットに格納された紙を一枚ずつ給紙ローラーと分離ローラーが送って(・・・)くれているわけだが、モーターも、電気も、工業用のゴムも製造できないこの世界で、厚さ一ミリ未満の紙を一枚一枚剥がして、搬送する機械的仕組みを今すぐ作るのが不可能であるのは目に見えていた。


 ならば魔法だ。首藤は給紙に風精霊を用いることにした。


 給紙カセット内に風精霊を配置し、正確にA4サイズに切り揃えた羊皮紙を、風精霊がふわりと風で捌いて、一枚ずつ造影台へ配送するのだ。配送された羊皮紙と原稿を見比べ、炎精霊は瞬間的に羊皮紙の表面を焼き、複写を作り上げる。複写された羊皮紙は、再び風精霊が原稿を浮かせて排紙し、設定に応じて次の羊皮紙を送り出す。


 このやり方を使うために、魔導複写機の形は首藤の良く知るものとは別のものとなった。静電複写機は上から走査・印刷・給紙カセットと配置されているものが一般的だが、この複写機は一番上が給紙カセット・その下に原稿を置く台と造影台が並んで配置されている。給紙カセットから造影台までには空間が空いており、その間を紙を流す(・・)ための弧を描いた羊皮紙の搬送路が取り付けられている。


 原稿は精霊が作業をしやすく(・・・・・・・)するために、表を向けたまま原稿台に置く。光学的に読み取りをするわけではない(・・)ため、ガラス面に裏っ返して置く必要はない。原稿を原稿台におき、複写する枚数を共通語で言えば(・・・)、給紙カセットから搬送路を通って羊皮紙が原稿台の隣の造影台に配送され、羊皮紙の表面に一気に炎魔法で原稿とほぼ同じ像が描かれる。


 造影が終わった羊皮紙は、風精霊が手前のポケットへ滑り落とすように排紙し、一枚の複写が出来上がりとなる。複数枚の複写の場合は、次の羊皮紙が造影台に再び送られる。


 誰でも使えるようにするために、この複写機には調教済みの精霊と魔石がセットになっている。


 調教済みの精霊は、術者の指示と、術者の許可した範囲での魔法しか行使しない。精霊は、術者の魔力しか報酬として受け取らないが、術者の魔力波動に馴染ませた魔石を装填することによって、誰でも複写の指示を行えるようになっている。この魔石は、複写回数に応じて魔力が減じられていくので、顧客は魔石の魔力が切れそうになると、魔石を追加購入しなければならなくなる。


 魔石はサイズが大きいほど魔力が蓄えられているので、大きさによって値段が変わっている。


 首藤は、一枚当たりの複写コストが10ザムルになるよう、魔石に値段をつけることにしていた。これなら、顧客は調教者(メーカー)の我々から魔石を購入する以外に、複写機の利用を続けることができなくなる。


 また、A4 という用紙規格サイズをつくったのも特徴だ。


 この世界では、羊皮紙の皮を剥いだ状態から適当にナイフでB4程度(・・)の大きさに切り分けられた羊皮紙が流通している。紙ごとに1~2割サイズが異なるのは当たり前で、客は用途に合わせて羊皮紙を切って使っている。


 しかし、それでは複写機の搬送路を通したり、原稿台に置く紙としては不都合が多すぎた。


 特に、大きさの異なる紙に複写させようとすると、術者が傍にいない限りは精霊自身では拡大するべきなのか、像をはみ出させてよいのか判断できないということがわかった。


 そこで、首藤はマウリにA4サイズの押切型を作成させ、すべての羊皮紙を統一したA4で販売することにした。


 これは、ほとんどの顧客が事務用途では標準的な(大体B4の)羊皮紙を半分くらいに切って使用していることが分かったためである。


 尤も、A4といっても、210 × 297ミリを正確に測る術があったわけではない。長辺が大体30センチくらい(・・・)で、短辺比で1.1414倍、つまり2の平方根の倍率になるように型のサイズを調整しただけだ。


 重要なのは210 × 297ミリを正確に出すことではなく、型で一定の均質なサイズの羊皮紙を大量に流通させ、複写機に投入できる羊皮紙のサイズを限定することだ。これにより、他の業者から購入した羊皮紙で複写しようと思った場合、自らの手で同じサイズに正確に裁断しなければならない。そんな手間をかけるくらいなら、ムタリカ商会から定型サイズの羊皮紙を購入したほうが安くあがる。事実上、複写機に投入される用紙の購入元をムタリカ商会一社に固定できるのである。


 そして、あとはこの複写機で大量に羊皮紙を消費してくれれば、精霊に与える魔石(エサ)と羊皮紙でがっつり儲かるというわけだ。


「はい、お待ちかね。お持ちしましたよー」


 マチコがオカモチを提げるかのように片手で軽々と魔導複写機をぶら下げて入ってきた。機構上静電ドラムやら熱転写ローラーは入っていないとはいえ、鉄と陶器でできた羊皮紙の入れ物だ。人間の成人程の重量はあるのだが、さすが灰色熊だ。


 マチコは、運搬用に複写機の上から十文字にかけられた縄、ーーそれも一本で首藤の小指ほどはありそうなほど太いーーそれを、その爪で軽々と素麺を切るかのように易々と引きちぎり、


「はい、どーぞー」


 首藤の前にヘブルから届いたばかりの魔導複写機を置いた。


「おお・・・」


 色は白に近いクリーム色。最上部は紙を入れる箱。その下に30センチほどの空間を開けて紙を入れる引き出しが二つ付いている。一番上の箱と下の引き出しの間は、左側に半円を描いた搬送路で繋がれている。


 下の引き出しの最上部は左右二つに仕切られていて、その右側はちょうどA4サイズの四角い盆を嵌め込んだような形になっている。


 遠目に見ると空間を開けて上下に箱があるので、首藤がよく知る複合複写機に見えなくもないが、上部はスキャナではなく羊皮紙入れだし、パソコンのプリンターにしたり、FAXをしたりもできない。純粋な複写機である。


 それでも、複写機だ。それもこの世に今これ一台しかない。それが、あるのとないのでは大違いだ。


「これの短剣(キー)は?」


「はい。こちらに」


 マチコは後ろ手に腰から直短剣を一本ひょいと抜き、毛だらけでどう見ても不器用にしか見えない熊の爪先でひょいと小器用に短剣を一回転させて刃をつまんで柄を首藤に向け、手渡した。コイツは本当に侮れない。


 短剣だが柄の下部には魔石が二つ嵌っていて、ぼんやりとそれぞれ赤と緑の光を放っている。


 首藤は、その短剣を鞘から引き抜くと上部の箱の下に刻まれている細いスリットに、すっと差し込んだ。


 短剣はぱちりと嵌って、魔石の明かりが、ぼう、と一段と強くなった。これで準備完了のはずだ。


 首藤は最上部の箱の蓋を開け、羊皮紙が入っていることを確認すると、自分の机にあった日計表を一枚とって中央部の四角い盆の部分において


「10枚複写してくれ」


 そう、声に出した(・・・・・)


 すると、短剣にはめ込まれた赤と緑の魔石がそれぞれ強く輝き、ブゥーーーーーーーーーッと最上部の箱の中で(・・)風が渦巻くと、バサバサバサと羊皮紙が箱の中で踊る音が聞こえてくる。間断なく、一枚の羊皮紙が中央部の現像台に一枚排出され、右に設えてあった原稿を置く盆にカツンと当たって、白紙の羊皮紙が原稿とぴったり並ぶ。


 羊皮紙が現像台に排紙されると、風の音が収まり、代わりに淡い赤色を放っていた短剣の魔石が俄かに強く赤く輝き(・・)、バン、とフラッシュのように光ると、もわ、と現像台周辺の大気が薄く煙って、煙の向こうから、ふわと羊皮紙が一枚吐き出され、吊るしてある布の書類受けにストンと落ちた。間髪入れず、再び紙を捌く風の音が響いて閃光が瞬く。それが間断なく繰り返され、あれよあれよといううちに10枚の複写された羊皮紙が書類受けに収まった。感覚的には30秒ぐらいか。この世界には時計がない。スマホはとっくの昔に電源が切れた。だから10枚を複写するのにかかった所要時間は正確には分からないが、おおむね分間20枚機程度の速度は出ているように思ってよいだろう。


 分速20枚機では低速機の部類に入ってしまう。いくら複写機がこの世界にないとはいえ、大量に複写をとるような大商会や政府では需要に対して速度が足りているとはまだ言えない。しかし、この試作機は左側からの片側だけの給紙となっているが、右側からの搬送路を加えて、風と火の魔石を倍にすれば、倍の速度は出すのは容易だから、速度は今の時点でそれほど問題にはならない。普通の事務所なら分速20枚でも十分だ。いま重要なのは、この機構の複写機がまともに動作するかどうかだ。


 首藤は書類受けに手を突っ込んで、複写されたばかりのできたばかりの羊皮紙を取り出し、上から下までと眺めてみた。


 羊皮紙はまだ温かい。像はほぼ黒に近い焦げ茶で、肉を焼いたような香ばしい臭いが鼻腔をくすぐるが、さして嫌な臭いでない。裏返してみると、裏面はきれいな白紙になっている。表面のごく薄い部分だけ綺麗に焼くことに成功しているのだ。これなら手書きで裏面に文字や線を書き込むことも十分可能だ。


「よくできてるじゃないか。マチコもやってごらん」


「えっ?私がですか?」


「そう。やってごらん?ほら原稿」


 そうだ君だ。魔石が俺じゃない者でも反応するかが重要だ。


「わ、わ、これどうすればいいんですか?」


 服を着た巨大な灰色熊がA4の紙をつまんでコピー機の前であたふたしている姿は中々にシュールだ。


「ほら、俺の原稿をとって、自分の原稿を置いて、そう。あとは口頭で指示を」


「ええっと、じゃあ5枚!5枚お願いします!」


 魔石は間髪を入れず反応し、楚々と5枚の羊皮紙を吐き出した。マチコが指示しても品質に問題はなく、同等の複写がとれた。


「うわぁ、これすごいですね。私でも魔法が使えるような感じです」


 そういいながら、マチコが撮った複写の紙と原稿を俺に手渡してきた。


 魔法か。マチコでも魔法が使える。そう、その通り。事務機は誰でも簡単に事務効率を飛躍的に引き上げるためのもの。あるとなしでは確かに魔法のような差があるだろう。まぁ実際魔法で動いているのだが、魔法を使っても首藤の知る複合複写機の性能を凌駕することはできない。そう考えると、何気なしに毎日あくせくして売っていた複合複写機は大したものだったのだなと妙な感慨が湧いて来る。


 しかし、首藤にはマチコがその凶悪な爪と巨大な肉球の手で、皴一つつけずに紙を揃えて手渡せる事のほうが魔法使いに見える。いったいどうやっているのか。マチコ、侮れん。


「うん。これなら使えるな。もう量産できるんだっけ?これ?」


「マウリ側は、会司のご了解をいただければ、すぐにと。」


「そうか。ならゴーだ。次に支店長が集まるのは明日だっけ?」


「はい。明日の夕刻になります。」


「よし。それならさっき渡した資料、人数分これでつくっておいて。」


「あァ!」


 マチコはぐい、と口端を左右に広げ鋭い歯を見せた。慣れるまでは首藤も喰われそうな恐怖を抱いた獰猛極まりない表情だが、これは彼女の笑顔だ。「これなら楽ですねぇ!筆写は時間かかるし、墨紙を使うと経費かかる上にたいして楽じゃないですしね。」


「だろう?断言するが、これは大儲け間違いなしだ。一回使ってしまったら、もう手放せなくなる。儲かるぞ。」


 込み上げる笑いを堪えきれず、くつくつと首藤は喉の奥で笑った。


 


 ■ □ ■ □ ■ □ ■ □  


 


 首藤の予想通りに、そしてマチコの予想と真逆に、支店長会議では新商品である魔導複写機の評判は良くなかった。


「俺たちは数字を挙げればいいんですよね。なんでそんな得体のしれないものを売らなきゃならんのですか」


「うちは羊皮紙屋だ。魔道具屋じゃない。」


「そんなものを売って、クレームになったらどうするんだ」


「複写なら手で取ればいい。墨紙を使う方法もある。これまでそれでやれてきたのだから、こんな高価な魔道具をわざわざ金を出して使う客がどれほどいるのか。それよりも本業に精を出すほうがよっぽどましだ。」


「その魔石付きの短剣(キー)は1万ザムルもするのに、一万枚の複写を採ったら魔力が切れるというが、そんなものを使う客はいないだろう」


 どいつもこいつもわかりやすすぎる。確かに首藤自身は複写機の普及を知っているから(・・・・・・・)これの拡販に疑問を抱かないが、それをまだ見たことのない世界の者などこんなものなのだろう。


 しかし、首藤は知っている。ヒューズはブレーカーにとって替わられたし、写植はDTPによって絶滅したし、トレーシングペーパーは複写機によって事務用品の必需品の地位を追われるのだ。それは首藤だけが知っている別世界の真実だ。


 イノベーションは、それが起きた時に小さな業界を大きく変えるが、それに気づくものは少ない。多くの場合、水が浸透するように自然に、静かに、そしてポジティブに市場に受けいけられ、旧いものは為す術もなく駆逐される。この静けさが、レボリューション(革命)との違いだと首藤は考えている。


 Eメールを使う者が、郵便物の通数が激減していることに心を痛めるだろうか。


 ありえない。郵便物の数など、知ろうともしない。


 世間は、眉一つ動かさずに古いものと決別をする。「時代の流れ」「仕方がない」という程度の感慨を持てばいいほうで、通常は古いものが無くなった事に気づきもしない。


 たとえば、郵便物の激減による売上減への対策として強力な年賀状の販売枚数を命じられた郵便局関係者が、その目標(ノルマ)達成のために幾分か荒っぽいことをして、世間の耳目を集めたとしても、Eメールを使う者たちは、郵便局関係者の状況に心を痛め、メールを止めて手紙を出すだろうか?あろうはずがない。


 であればこそ。イノベーションは「起こす側」にいなければならない。


 やる気のない各支店長たちは、Eメールを知らない郵便局員と同じで、井の中の蛙だ。羊皮紙屋如き(・・・・・・)、複写機屋にとっては単なる材料の供給源に過ぎない。新たに生まれる複写機ビジネスは、莫大な利益と新たな市場を産み、その副作用として紙の使用量を増加させる。その前後の世界を比較すると、まさに別世界と言える。しかし、彼らにはわからない。それは、知らないから(・・・・・・)だ。自らがやってきた実績に自信とプライドがあるもの程、イノベーションを受け入れるのを躊躇し、防衛本能を発揮する。


 だから、そういう輩は、早々に敗北させるに限る。


「お前たちは、これを売らずに数字がやれると言うのだな。」


「はい。お言葉ですが、会司。こういった魔道具があろうとなかろうと、羊皮紙の使用量は増えないと思われます。この機械があるかないかは、多少便利かどうかの差しか生まれません。複写が必要なものは今でも墨紙で取れているでしょう」


 竜人のダーラーが確信をもって答える。


予算(ノルマ)やってりゃ文句ねえんだろ?そんな高いもん売れねえよ。そんなことするくらいなら、まともなことに時間を使うね」


 エゼキレルが面倒くさそうに元々イケてない造形の顔をさらに歪める。


「ああ、そうさ。予算ができていれば何ら問題はない。複写機(これ)なしでできるんならな」


「いままでだって、それなりにやってきたではないですか」


 アン支店を預かるマモ・デファル。人間種(ヒューマン)で黒人。実直な気質で、あまり頭の回転で勝負をしない男だ。体中に盛り上がった筋肉が、支店長となっても手押し車を曳いていることを黙して語っている。「それでは不足だと?」


「過去の話なんかしてないんだよ、君たち。」


 判りやすすぎる反応に嬉しさすらこみ上げてくる。俺も少し前まではそっち側の立場だった。しかし、俺が今やっているのはブラック企業の経営者だ。それならこう言わせてもらおう。


「これからの話をしてるんだ。未来さ。お前らさ、翌期の予算ってどう決まっているか知ってるのか?」 


「知るわけがない」


「費用に利益を載せただけではないのですか?」


「そんなわけあるか。費用ってのは削ろうと思えば結構削れるんだ。削れるものの筆頭がお前らの給料だ。毎月碌に減らされずに支払われてるのは、ジィユ棟梁がそうなるように利益が出る仕組みを作ったからだ。第一、どうやって未来の費用が読める(・・・)んだ?誰か予言の天恵を持っている奴がいるのか?」


 居並ぶ支店長の中で、一番天恵に近しいだろうフィルディナンドは両手を広げて肩を竦めた。


「だからな、お前らよく聞け。予算(ノルマ)というのは、前年実績に載せてつくるんだ。」


「はぁ・・?」


 スィミ支店の支店長、ワレンティンが要領を得ないという顔をした。「特に驚きもないんですが?それがなにか?」


 他の支店長たちも同様にそれがどうかしたのかといった顔だ。


「わからんか?お前ら、この魔導複写機がいくらすると思っている?」 


「一万だろう?」


 マモが嫌そうに目を眇めた。「そんなもん、そんな値段で売れるはずがない。店の月予算がざっくり10万だとしたって、売れるかどうかもわからん魔道具を10台売るためにシャカリキにならなければなりませんか?普通に羊皮紙を売ったほうが堅実でしょう。いまだって予算ができないわけじゃない。」


 やはりわかってない。


「予算が10万のままならな。お前たちの言うこともわかるんだが・・・」


 セールス一人当たりの予算(ノルマ)は月二万~二万二千。1支店あたり営業は大体五人だから、10万は予算モデルとしては妥当だ。


「実は11万になるかもしれないとでも?それは大した差ではないではないですか?」


 やはりわかっていない。


「いや、100万の予算を君らは今まで通り羊皮紙を売るだけでやれるのかい?と言ってるんだよ。」 


「百万!?」


「でたらめだ!」


「欲をかいてできもしない予算をただ落とすだけか?!」


 支店長たちは色を成した。10万ぽっちの予算に窮々としている連中の感覚としてはこんなものだろう。


「できもしないのかどうかは、君ら次第なんだよ。明日の予算が百万になるわけじゃないけどね。コイツをちゃんと売り切ったら、来年の予算は月百万になる。」


「そんなもんが月10台も売れるものか!」


「そうか?全員ができないなら、予算は大して増えないかもしれないが、できるやつが居たらできない奴には替わってもらうしかない。もちろん、数字ができる奴にはその働きに見合った見返りを与えるつもりだ。いいか、お前ら。ここは分水嶺なんだ。」


 ただの紙屋で終わるか、それともでかい産業を一つ拵えるかのな。


「今まで通り羊皮紙を売るっていうのは、それだけで毎月発生する一定の需要を見込んだベース売上(・・・・・)を狙った手堅い商売だ。だが、それは言わば基礎のない丸太組みの家みたいなもんで、誰でも真似のできるものだ。この複写機事業っていうのはな。家じゃなくて城をつくるようなものだ。」


 俺は、昔から紙だけ売っている御用聞きの老舗文房具屋と、後発の複写機メーカーがどれだけの差をつけたか、この目で見てきたのだ。


「さっきお前らが高いだなんだとギャースカ抜かした魔石入りの短剣、確かに、あれは一万枚の複写で魔力が切れる。また複写をとれるようにするには短剣を買うしかない。お前ら、羊皮紙一万枚はいくらだかいってみろ。」


「一万から八千ザムルですね。」


「それが、二万から一万八千ザムルになる。そういうことだ。」


「だからそんなの買う奴いねーって。なんで倍のカネがかかるのにわざわざこんなもん使う奴が居るんだよ?」


 エゼキレルが腕を振り上げて抗議する。


「わからんか?」


 ざっと見渡して、分かったような顔をしている奴はいない。


「お前らも大概だな。お前らが大好きな手で羊皮紙一枚を墨紙複写するには、どんだけ時間がかかる?」


 エゼキレルを見て答えを促す。コイツが反対派筆頭だ。


「さあ?細かいやつなら一刻じゃ終わらんな。」


「お前らが一か月に25日働いているとして、一日分の給料は主任で1000ザムルだ。一日40刻働いているとして、一刻分の給料は25ザムルだ。で、あの複写機は一刻で何枚複写が取れると思う?」


「大してとれねーだろ。20枚か?」


「300枚だ」


「あん?」


 エゼキレルの首が傾いた。


「それに必要な追加費用は300ザムルだ。お前らなら、一枚一刻でやったとしても七日半かかる仕事を、たった300ザムルで、しかも一刻で終わらせるんだ。お前らに給料を払ってやらせたら7500ザムルかかるにも関わらず、だ。この意味、わかるか?」


 エゼキレルの目線が宙を泳いでいる。ガインは白目になった。こいつらはもうわかっていない。マモとワレンティンはそもそも不満そうだから理解する気がない。ついてきているのは・・・


「・・・・費用対効果でいえば250倍ということですか。うちの主任で計算しましたから、仮に客の従業員の給料がうちの半額だったとしても125倍。そして速度は三百倍。」


「使わないほうが損だ、ということになりますか?」


「しかしそれは机上の数字です。どうやって実証するのでしょうか。」


 フィルディナンドとダーラー、そしてラウルか。ダグワの後任で支店長になったイアン・マグハーグは、先刻からきょろきょろしているだけでどうしていいかわからない様子だ。


「実証か。いいことを言ったなラウル。そんなもんは、客が勝手にする(・・・・・・・)んだよ。」


「客が勝手に?そんなことができるでしょうか。会司やフィルディナンドのように、費用対効果の想定を瞬間的に諳んじられる者はお客様にはほとんどいないと思うのですが。」


「ん?数値化された費用対効果なんてのはな、いくらこっちが言ったって、導入の決め手にはならん。そんな計算を客にやってもらう必要はない」


「それでは・・・実証にならないのでは?」


「実証というのは、証明すればいいのだろ?数値化しなければ導入効果の証明とは言わんのか?」


「ほかになにか・・証明となるものがあるのでしょうか」


 


「あるさ。わからんか?」


 全員の顔を見回しても、どいつもこいつもぼやっとしてよくわからんといった顔をしている。


「感情だ。欲しい!と強く思わせりゃ、それでいいんだよ。」 



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