冬 〜明日への日常〜
今回、最終回となります。
てなわけでどうぞ。
窓から外を見ると今年初めての雪がちらほらと降り始めている。僕は雪ではなくて夜なのに異様に明るい、雪が降っているとき特有の空をぼおーっと眺めていた。
ガタガタガタッーーー
最近壊れかけている郵便入れに何かが届く。僕は面倒くさいなと思いつつも重い腰を上げた。
「私が取りに行くから座って待ってて!」
元気のいい声でそんな僕を制するのは駐在さんの娘だ。そのままニコニコとしながらドアを開けて外へ出ていく。
僕と駐在さんの娘が僕の家で一緒に住むようになったのはもう1年前のことだ。それまでは村長の家に三人で住んでいたが、1年前に村長が亡くなってしまってそのまま村長の家に住むのはなんだかお互いに出来そうになかったので、父がいなくなって以来、無意識に避けていた僕の家に住むことになった。
気が付くと外に出る前とは別人のような、今にも泣きそうな顔で駐在さんの娘は立っている。
手にはぐちゃぐちゃになったしきたりの封筒が握られていた。そう、父が消えてしまったあの日から既に8年が経ち、先日、駐在さんの娘は16才の誕生日を迎えていた。つまり遂にこっち側に来たのである。
過ぎてみればあっという間だったけれどここ数年のことよりは、むしろ8年前のことの方が僕は鮮明に覚えていた。僕は昔のことに思いを巡らせそうになるが、目の前の半泣きの少女を放置するわけにもいかなかったので今はそちらをどうにかすることに集中した。
僕は駐在さんの娘を慰めながらもある決心を堅く心の中で誓った。
「急に話したいことってなんだよー。まさか駐在さんの娘のこと好きになったとか言うんじゃないだろうな。」
寒そうに白い息を吐きながら鍛冶屋の息子は言う。
少しおどけた感じで話すのは相変わらず昔から変わらない。
「バカ、そんな話なわけないだろ。」
鍛冶屋の息子はケラケラと笑っている。そんなちょっと笑いを含んだ雰囲気を消そうと、僕はあえて険しい表情に意図的に変える。
「む、村出ようと思うんだ・・・、し、しきたり止めるためには魔王のところにいけば何か分かると思うから。」
「は・・・冗談だろ?」
「いやずっと前から考えてたんだ。しきたりがこれ以上続くのはもう耐えられない。これ以上村の人たちがいなくなるのも見てられない。」
しばらくお互いの間に沈黙が続いた。
ふぅー、と鍛冶屋の息子は大きく一息つき、それから小さい声で「よし。」と呟く。
「まったくしょうがない奴だなー、俺も一緒に行ってやるよ。」
「え?」
「俺だっていや、村の人みんなも何も言わないけど本当はこんな毎日終わってほしいと思ってる。それに魔王のところ行くなら一人より二人の方がいいに決まってるだろ。」
「けどお前は父親や母親もいるんだからきっと心配かけるよ・・・」
「大丈夫だって!うちはずっと放任主義ってやつだからさ、悪いこと以外だったら何してたってきっと許してくれるよ。」
僕は正直、一緒に行くと言ってもらえて嬉しい気持ちは少なからずあったけれど、しきたりで誰も失っていない鍛冶屋の息子を巻き込みたいとは思えなかった。
「けど・・・」
「あー、もうそんな深く考えるなって!俺は確かにお前や駐在さんの娘よりはしきたりで辛い思いはしてないかもしれないよ。け、けど大好きなみんなが悲しい顔してるのはいっぱい見てきた。俺だってお前と同じくらいこの日常を変えたいって思ってる!」
「分かった・・・、ありがとう。」
自然とそう言葉が出ていた。それを合図に鍛冶屋の息子は目をパチッと見開いてニヤッとする。
その表情が余りにもおかしいもんだからつい吹き出してしまった。
「なにがおかしいんだよー。」
「別になんにも。」
そこからはもういつもの僕たちだった。
「村出るのって本当は駐在さんの娘にしきたりに参加させたくないからだろ?」
別れ際、鍛冶屋の息子はからかうようにしてそう口にする。
「うるせっ。」
僕はそう言うと後ろへ振り返り、早足で家へ向かった。
あらかじめ約束していた三日後の早朝はあっという間に来てしまった。
出発の朝はまるで村を出るのを阻むかのように、北風が勢いよく北の門の前に立っている僕たちに向けて吹いていた。山の方は空の色が暗くて、そこで降っている雪が風に運ばれて顔に当たるのが冷たくて痛かった。
「本当に向かうのは魔王のところでいいんだな?」
僕は急にそんなことを聞かれたが、鍛冶屋の息子の質問の意味が分からずにすかさず聞き返す。
「それどういう意味だよ。」
「魔王ってやつがしきたりとか魔物とかそういうの全部作ったって言われてるけどさ、今までのこと考えたら俺たちが被害受けてるのって勇者からだよなって思って・・・」
確かにその通りだ。僕らが今まで見てきたのは勇者に人々が消されるところだけで、逆に魔王からは何も被害を受けてないどころかまず見たことすらない。その名前と噂だけで勇者は善、魔王は悪と決めていたのである。それでもまだ無表情で話しかけてくる勇者を心のどこかで信じてきたからこそ、今まで現状を受け入れて我慢してきたのだ。
「どっちにしろ、魔王のところに行けば絶対何か分かると僕は思う。」
半ば勢いのようなヤケクソのような感じで僕はそう言った。
「そうか、分かった。行こう。」
鍛冶屋の息子がそう言い終わると僕たちは一斉に北の門の方を見る。
見た先には1つの人影がぼんやりと見える。だんだんとその影は近づいてきて徐々にはっきりとしてくる。
パッと恰好や風貌を見た感じでは勇者と同じような旅人のような雰囲気である。
「おい、あの人なんだか勇者に似てるけど一体だ、誰なんだ?」
いきなりの来訪者に動揺を隠せない口ぶりの鍛冶屋の息子だが、僕も彼と同じくらい焦っていた。
勇者なのか・・・、けどアナウンスがあったわけじゃないし、いつも勇者が村に来る方向とは逆だし・・・
もうなにがなんだか分からなくて村を出ることなんてすっかり頭から飛んでいた。
少し考えた末に僕たちはその謎の人物が目の前に来たらしきたりの台詞をとりあえず言おうということにした。
僕たちの思惑を知っているのかやけにその人はノロノロと歩いてくる。体感時間だけ遅いとかじゃなくてその場で足踏みでもしてるのかってくらいに本当に遅かった。
やっと門をくぐってきてその人との距離が5mくらいになる。いつもの勇者に比べたら背が高く、がっちりしていて年齢も僕たちより明らかに高そうだ。
そして何よりもその人には表情があった。別に明るい顔をしていた訳ではないけれど、いつもの勇者と違うということははっきりと分かる。
さっきから僕たちに気付いていないのだろうか、こっちは凝視しているのにその人はまるでこっちなんて見てなかった。
遂にその人が目の前に来る。僕たち二人は台詞がかぶるなんてこと気にせずに同時に口を開けた。
その瞬間、今まで僕たちの方なんてまるで気にしてなかったその人が、手をかざして台詞を言うのを無言で制してくる。
余りの迫力のために一瞬で声は引っ込んでしまった。そしてまたなにもなかったかのように彼は僕たちの間を通り過ぎていく。不思議ともう怖いという気持ちはなかった。
「あなたは一体何者なんですか?」
僕たちの元を去ろうとしていた足が止まる。そして振り返って
「みんなには魔王って呼ばれてるらしい。」
簡潔にそうとだけ述べて返答を待つわけでもなく南の門の方へ行きいつの間にか姿が見えなくなっていた。
僕も鍛冶屋の息子も驚くわけでもなく後付けで言ってるみたいだけど、なんだかその人の返事は既に分かっていたような気がする。
さっきまであんなに吹いていた風は嘘みたいに止んでいて、朝日がいつの間にか雲の間から差し、真冬なのになんだか少し暖かく感じるほどだった。
魔王と名乗る人物と出会ってからもう1か月半が経った。あれからしきたりがピタッと起こらなくなった。
その理由はきっと彼に関係しているのだろう。けれどそう思っているのは僕と鍛冶屋の息子のただ二人だけで、村の人たちは訳も分からず不思議そうな顔をしながらも束の間の安息に心を安らげていた。
暦の上ではもう春らしいが、実際は相変わらずの冬模様で、村から見える山々は白粉を塗りたくったみたいに真っ白な雪に染まっていた。春らしくなったと唯一感じるのは陽が沈むのが少し遅くなったくらいだろうか。少し前ならもう外は暗かったのに今日はまだ空が明るさを残している。
「今日、お父さんの誕生日だったんだ。」
さっきまでなんてことのない顔して話していたのに、急に悲しそうな顔になって駐在さんの娘は言う。これだから女の子っていうものは分からない。
「そっか。」
「お祝いしたかったな。」
「そっか。」
「こういう時は普通なんか気の利いた事言うもんだよっ。」
僕がいい言葉を考え付く前にもう駐在さんの娘は元の笑顔に戻っていた。彼女の悲しそうな顔を見るその度に心がキリキリと痛んで同時に勇者だか、魔王だか今となっては何に対してか分からないものへの怒りが芽生える。けれどそれもその内に諦めという情けない感情に変わってしまった。
二人して黙っていると急に何かの音が聞こえてくる。
久しぶりで忘れかけていたが間違いなくBGMの音だ。だけどおかしい。いつもならアナウンスの後に鳴るはずなのに今日は急にBGMが鳴り始めた。
ということはもう勇者は村に入ってきているのだろうか。僕は着替えることも忘れてそのまま外へ飛び出した。後ろから駐在さんの娘もついてくる。
村のみんなも異変に気付いてか、外に出てどういう状況なのか探っている。僕は何よりもBGMが鳴っている村の中に子供がいることに一番に違和感を感じた。
「ごめん、ちょっと行ってくる。」
「え、どこに・・・」
答える間もなく僕は勇者がいつも入ってくるであろう南の門の方へ走っていった。門まで行くまでもなくその手前で村に入ってきた旅人と相対する。いつの間にか隣には息を切らしている鍛冶屋の息子もいた。
やっぱ思っていた人だった。その旅人は村を出ようとしていた朝に会った魔王だった。
僕たちが何も出来ずに下を向いていると、
「終わったよ、全部終わったんだ。」
優しく微笑んで魔王はそう言ってきた。
それがどういう意味なのかはすぐに分かった。魔王って名前とは余りにも不釣り合いなその笑顔に僕は思わず涙が出そうになる。それは父さんが消えてしまったときの涙とは全くの別種だった。
「そういえばお前たち、名前はなんていうんだ?」
唐突にそう聞いてくる。
名前・・・、僕たちにはそんなものがないんだってことを聞かれて初めて知った。確かに今までの毎日はそういう意味でも違和感を感じていたと今になって思う。
そんな僕たちの浮かない顔色を察して彼は口を開ける。
「なんだお前たち、名前すらないのか。そうだな・・・、俺が付けるのもお門違いってやつだ。家に帰ったら親にでもいい名前をつけてもらいな。」
そこで僕には親がいないなんてことはとても言えなかった。口に出したら今度こそ涙が出てしまいそうで。
「これからは今までの分、幸せに暮らしなさい。」
最後にそう諭すように言って、僕たちは結局何も言うことのできないままその人は去った。
こうして世界は謎のしきたりと魔物から解き放たれ、平和になったらしい。けれど一人で帰る家への帰路に思ったのは解放感や充足感なんてものではまるでなかった。
世界が平和になったところで父や母が戻ってくるわけではない。
世界が平和になったって大勢の中のとある村人の幸せなんて誰も考慮してくれない。
この世界がもしも物語だとしたらおそらくあらすじは、
「実は悪い奴だった勇者を、実は良い奴だった魔王が倒して世界を平和にする。」
そんなところだろう。
その物語の中に一人の村人が出てきていいような展開はおそらくないのだ。そう考えたら名前がないのもおのずと納得することができた。
必死に生きたって何も報われることはない、それが僕たちの住む世界の日常なのだ。
歩いていて虚しくなってさっきまで必死に堪えていた涙がボロボロこぼれたけれど、せめて家に着くまではこのままでいいかな、という気持ちだった。
家からは物音がする。おそらく駐在さんの娘が中にいるのだろう。
このことをなんて説明すればいいのだろう、と少し迷いながらもドアを開けた。
ガチャーーー
「おかえりなさい。」
「ただい・・・・・え?」
家の中に映っていたのはずっと前に見たことがあった、父さんが椅子に座ってコーヒーを飲んでいて母さんが台所で料理をする光景だった。
それを見た瞬間にいつ振りだろうか、小さい子供みたいに声を上げてひたすら泣いていた。そんな僕を見て父さんと母さんはやれやれといった表情をしながらも僕の元へ寄り添う。
「今まで一人にしてごめんね。よく頑張りました。」
僕の長い長い今までの冬がようやく雪解けを迎えて、新しい春がやっとやってきた。
最後まで読んでくれた皆さん、本当にありがとうございます。
次回作に乞うご期待!