意名川
一行が神峰山般若寺を目指していると、道中の道沿いに小さな川が流れていた。川幅は2mくらいの小さな川だが、神原将人は、市谷へ質問した。
「この川は、意名川ですか?」
「ええ、その通りです。」
意名川とは、別名を氏名川ともいう。
川の名前に意味を持たせたもので、氏名が由来になってるものも多く、日本各地に存在する。
「都から飛ばされたって所じゃの。」
日照様こと谷岡杏子が言った。
「まあ、そんな所ですね。」
市谷が答えた。
夕禅字咲は、市谷を訝しんでいた。
通常始めて、谷岡杏子を見たものは、奇妙に思うものだが、彼は普通に接している。
杏子の中に日照様が居るという事は、術者の世界では知れ渡っている。
市谷の対応は、知っている者の対応としか思えない。
つまり、術者の関係者ということに。
「ボーちゃん、お願いがあるの。」
夕禅字咲は、小さな声で白い毛玉に伝えた。
神峰山般若寺に到着すると、市谷は3人を案内する為に先頭に出た。
そこへ、白い毛玉が目前を横切る。
とっさの出来事に、市谷は、手で払うように避けた。
「す、すみません。蜂か何かが居たようで。」
そう、市谷は誤魔化した。
白い毛玉、ボーちゃんは、普通の人には見えない。
ボーちゃんが、見えるという事は、術者もしくは、それにつらなる人間ということになる。
何らかの要因で、見える人になる場合もあるが、確率は恐ろしく低い。
咲は、確信して、神原将人に耳打ちした。
「先生、あの人は、術者の関係者と思われます。」
「そうだね。でも心配しなくても大丈夫。日照様も別段変わった様子はないだろう?」
将人は、咲に心配しなくていいと伝えた。
普段であれば、咲が神経質にならずとも将人や日照様が気づくはず。
という事は、市谷という男性は、東家の関係か。
そう思い、咲は将人の言う通りに、心配するのをやめた。
「先生、見てください。あの干上がった池!」
興奮気味に少し離れて前に居た谷岡杏子が戻ってきた。
「どうしだ?そんなに慌てて。」
「あれ聖徳太子が作ったそうです。」
将人は、杏子が指さした方を見た。
そこには干上がった池というか、水たまり?というかなんか湿っぽい物があった。
伝承によれば、聖徳太子が鞭を指した所、水が溢れだした場所だとか。聖徳太子鞭の池と書かれている。
「何とも胡散臭い。」
一番興奮していた杏子が冷めたように言った。
もちろん、言ったのは日照様だが。
「まあ、そうですがね。水が出たと言うのは作り話にしても、聖徳太子は用明天皇のご子息ですから、こちらに来られたと言うのは事実だと思いますよ。」
市谷が、そう説明した。
「それが、胡散臭いと言うのじゃ。そもそも聖徳太子が生まれたのはいつじゃ?」
「574年だったと思います。」
夕禅字咲が答えた。
「さすが咲じゃの。」
日照様は、咲を褒めた。
「敏達天皇3年の頃じゃ、さて般若姫伝説では、橘豊日尊は、何処に居った事になっておる?」
「あっ・・・。」
伝承では、橘豊日尊は即位前まで九州に居たことになっている。
「歴史とやらは後の権力者が都合よく作った偽物じゃからの。矛盾点なぞ簡単に出てくる。」
「そ、そのようで。」
本当に聖徳太子が訪れたか、どうかまで怪しくなってきた。
「いいじゃないですか別に。誰が困る訳でもないし。歴史なんて適当でいいんですよ。」
杏子がサラッと言った。
日本史は苦手な部類に入る。
「まったく、いつもいっておるであろう?過去を学ぶことは大事じゃと。」
歴史は誤りが多い。
推測されるとか、曖昧な記述も多く、それが子供たちに嫌われる要因ともなっている。
「他に何か有名なのってあります?」
ミーハー気分の谷岡杏子が、市谷に聞いた。
「そ、そうですね。枝垂桜とか時期であれば綺麗なんですが・・・。」
さすがに聖徳太子以上の物はなく、市谷は困り果てた。
「我らは、観光に来たわけじゃなかろうに。」
杏子が自分で自分を窘める。
「時に、市谷とやら。一つだけ聞いておきたいことがある。」
谷岡杏子が真剣な表情で、市谷に問い詰めた。