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婚活RPG

作者: 雪永真希

 婚活はゲームに似ていると思う。恋愛シミュレーションじゃなく、ファンタジーのロールプレイングゲームの方ね。


 友人の景子がそう言った時、私は思わず「は?」と返した。


「どっちかと言えば、乙女ゲーとかいう恋愛ゲームの方が近いんじゃない? 会話の選択肢とかアイテムとか選んだら展開が変わるんでしょ」


 あまりゲームをしたことのない私にはそれくらいの知識しかない。


「RPG、あ、ロールプレイングゲームのことね。沙耶、やったことある?」


「知らんがな」


「だよね。そうだと思った。あのね、大体のRPGはまず主人公が勇者として目覚めるところから始まるのね。もちろんレベル1の弱々からスタートして、雑魚キャラ倒してお金稼いで装備整えて仲間を増やして、そんで最後にラスボスをやっつけるの。……分かる?」


「まあ、大体は……」


 景子は私の返事を聞いて、我が意を得たり、とでも言いたげに頷いた。


「婚活に似てない?」


「だから、どこが」


「だって、婚活する女って、男ウケする服や髪型に装備を固めるでしょ、そんで婚活仲間を見つけて情報交換して、最後に手ごろな男を捕まえるじゃん。似てない?」


「そうかなぁ」


「似てるって。勝負に負けたら最初からやり直しだし、お金も気力も半減しちゃうし」


 何でもゲームのプレイ中に仲間が死ぬと教会に行って対価と引き換えに甦らせて貰わないといけないらしい。知らなかった。漠然と前回のセーブポイントからやり直しだと思っていたけれど、そんな面倒な手順が必要だったのか。それにしてもお金払って祈れば生き返るだなんて、お気楽だな。まぁ、やり直し出来るってとこですでにお気楽な訳だけど。


「そんな話はいいから、服貸してくれるの、くれないの」


「せっかちだなぁ、貸すって。そうね、あんたにはこれなんか似合うんじゃない」


 景子が手早く選んでくれたのは白いワンピースとベージュのジャケット。胸の下で切り替えのある甘めのワンピースを、かっちりしたジャケットが締めてくれている。今流行りの甘辛コーデらしい。


「えぇ、これ白すぎない? 気合入れすぎって思われそう」


 私は元々デニムやレギンス風パンツなどカジュアルな物しか着ない。ワンピースなんて、股がスースーしそうだし、スカートがめくれて下着が見えそうだという先入観がある。


「馬鹿ね、気合入れてかないでどうすんのよ。ライバルはもっとすごい装備で身を固めて来るんだからね? オリハルコンがわんさか出て来るんだから」


 オリハルコンって何、と聞くと、伝説の合金らしい。勇者が持つ剣の素材なのだとか。……つまり、強いってことか。景子の比喩はいちいち分かりにくい。

 今の私はデニムにチェックのシャツといういたってシンプルな装いなのだが、彼女に言わせるとまるで木の棒と鍋のふたというゲームスタート時の装備でしかないらしい。あんた、そんな軽装備じゃすぐ死ぬよ、と縁起でもない予言をされてしまった。

 多少誤魔化された気はしないでもないけれど、試しに着てみるとコンサバ系のそれは驚くほど私に似合っていた。驚いた表情を浮かべた自分と鏡の中で目が合う。これはちょっと……いや、かなり良いんでないかい?

 景子は古き良き時代のゲームを好むおたくのくせにオシャレが好きという変わった女だ。どちらも金がかかるので常に金欠。よって私に服を貸してレンタル料を取る、というせせこましい努力をしている。


 景子は取り立てて目立つ容姿ではない。むしろ少しブスである。だが、彼女は去年我が社のイケメンエリート社員と目出度く結婚を果たし、ただ今妊娠五カ月という順風満帆な人生を送っている。

 確かに景子は面白くて楽しい性格をしているけれど、でも、ゲームの発売時には前の日から徹夜して並ぶような女だ。そして好みのタイプは何々というゲームに出てくる何々様という敵キャラだ、と豪語するイタい女なのだ。

 何故だ。何故、美人の私が結婚出来なくて、美人じゃない景子が結婚出来るんだ。世の中間違っている。私は男が寄ってこなくなった時に、一生景子と面白可笑しく生きて行くことも視野に入れた事があるというのに。


「だから言ったでしょ。その服に合う靴とアクセサリーもあるよ」


「マジか。さっすが景子様!」


 心の中で文句言ってごめん。神様仏様景子様。私はおみそれいたしました~とその場で頭を下げた。景子はドヤ顔でふふんと笑う。持つべきものは衣装持ちの友達である。


「さっそく装備して行くかい?」


「イエース!」


 普段使わない言葉を声高に言うと、私は意気揚々と出掛けて行ったのだった。




 会場は都内でも有名なホテルのパーティールームだ。普段は披露宴が行われる会場らしいので、きっとこの婚活パーティーで成婚したカップルがこのホテルで挙式してくれることを願っての会場提供だろう。二人が運命的な出会いをしたとなれば、私だってこのホテルで挙式したいと思うに違いない。

 会場に行くとちらほらと参加者が集まっていた。受付でお金を払って上野沙耶(28)会社員と印刷された名札を受け取る。そして待合室でプロフィールカードに必要事項を記入して行く。趣味や相手への要望や将来の子供の人数など、それはもう赤裸々に書かなければならない。この時点で私のやる気は半減していた。景子風に言えばHPがただ座っているだけなのに一気に減ってしまった。それでも何とか全ての項目を記入し終えた頃、婚活パーティーの開始時刻になった。

 会場は半分に仕切られており、一人掛けの椅子と小さなテーブルがズラリと並んでいる。

 男女がそれぞれ一列に席に着き、時間が来ると男性が席を一つ横に移動する、というシステムのようだ。目立たないように参加者を観察すると、40歳以下のパーティーを選んだので比較的同世代の人が多いようだった。女性は皆ピンクや白、または黒の落ち着いた衣装を身に纏い、そして全員気合が漲っていた。


 最初に向かいに座ったのは、40手前くらいの商社に勤める目が細い男だった。秋だというのに異常な汗を垂らしていて、しかもハゲていた。太ってはいないものの、それも時間の問題そうな腰回り。


「さ、沙耶さんはぁ、休みの日はぁ、何してるのぉー?」


 やばい、来るんじゃ無かった。超絶帰りたい。

 何でそんなに鼻息荒いの。何想像してんだよコラ。テレフォンセックスかっつーの。そのスーツの下に女物の下着でも着てるんじゃないか。語尾を伸ばすのも馬鹿な女子高生みたいで気持ち悪い。


 はい、次。


 次の相手は税理士の男だった。見た目は平均レベル、年収もまあ不満は無い程度だ。だけど異臭がする。これはアレだ、わきがというやつだ。こういう体質の人は自分では匂いを感じないというが本当か。本当にこの匂いを気付けないなんてやばい。誰か教えてあげるような親しい人間が居なかったのだろうか。こいつはきっとご飯の匂いも分からないに違いない。それさえなければ割とイイ線いってたのに残念だ。


 はい、次。


 次の男は取り立てて特徴の無い公務員だった。公務員といえば安定しているというけれどどうなんだろう。業種によっては人事異動の無い職場でストレス貯め込んで発狂するという噂は本当だろうか。そう思って見るといかにも奇声を上げてナイフを振り回しそうに見えてくる。目がきょどっていて怖いのだ。真っ暗な自分の部屋でブツブツ呟いていそうだ。しかもそのネクタイのセンスがいただけない。ネクタイの中で埴輪と土偶がコサックダンスを踊っている。どこで見つけたんだ、そして数多くあっただろう中で、何故それを選ぶ。


 はい、次……。


 何度繰り返しただろう。やっぱり飛び込みで婚活パーティーに参加、なんてうまくいくはずがなかったんだ。昔から男に不自由せずに生きて来て28年。そろそろ結婚でもしようかなと周りを見回せば、すでにめぼしい男は他人の物。あとは飢えた不倫男か枯れたジジィばかり。

 こりゃうかうかしてられん、と焦って申し込んでみたものの、まさかこんなにハズレくじばかりとは。婚活ブームとはいっても、やっぱりこんなパーティーに集まって来るのは残り物ばかりなのね……。

 考えてもみれば良い男がわざわざ婚活なんてする訳ないじゃん。こんなのに参加するのは自分で相手も見つけられない優柔不断男か女に相手にもされない欠点だらけの男と相場が決まっているのに。どこで冷静さを無くした、上野沙耶28歳よ。

 途中退場は認められないので、あと最低でも1時間はここに居なきゃならない。何の罰ゲームだ、これは。あぁ、私の貴重な時間がすり減って行く。

完全にやる気を失った私は工場のベルトコンベアーのように運ばれてくる男どもに生返事を返しつつそっと溜め息をついた。


 永遠に続く地獄のような時間を耐え抜き、ようやく最後の一人になった。これが終わったらフリータイムになる。ホテルビュッフェとカクテルを楽しみながら気になった人と更に仲を深めるそうだ。間に休憩を挟むだろうから、その時に気分が悪いと言ってとっとと帰ってしまおう。


「失礼します」


 相手に全く興味を持てず、すでに下を向いていた私はその声にピクリと反応してしまった。低くて落ち着いた、私好みの声だったのだ。誘惑に負けて顔を上げると、眼鏡を掛けた何とも知的な男が少しだけ口の端に笑みを浮かべて座っていた。その笑みが切れ長の目を持つ面長の怜悧な顔を少しだけ幼くさせる。

 私より少し年上くらいだろうか、ブランド品ではないが品の良いスーツにも好感が持てた。そのスーツが身体から浮いていない所を見ると細身だが意外と鍛えているのかもしれない。つまり、何が言いたいかというと、彼は結構私の好みだ。私は昔からこういう頭の良さそうな男が好きなのだ。

 景子がここにいたら『人は自分と正反対の男に惹かれるのよね』と訳知り顔で言うだろう。


「日下祐輔と申します。どうぞよろしくお願いします」


 舌っ足らずな話し方では無いし、わきがでも無い。部屋の中で呟きそうにも無いし、ついでに言えば今のところ薄毛の心配も無さそうで、今までの男達が脱落した要因は全てクリアしているように見えた。


「う、上野沙耶ですっ。こちらこそ、よろしくお願いしますっ」


 慌てて姿勢を正して頭を下げる。動揺のあまりどもってしまった。頭を下げたついでに渡された相手のプロフィールにささっと目を通す。日下祐輔、33歳、年齢差も5つで近すぎず遠すぎず、ちょうど良いかもしれない。

 職業は大学准教授……。よく分かんないけど33歳で准教授ってすごくない? 確か修士号とか取らないとなれないんじゃなかったっけ。それにしてはあまり給料が無いって聞いた事あるけど本当かな。年収の欄が空欄になっているのは何故だろう。年収いくらですかとか聞いていいのかな。リストラとか成果主義とかが無いから一般企業より安定してるって聞いた事あるけど、それって公務員とどっちが安定しているの。そもそも准教授と助教授ってどう違うの。


「上野さんのご趣味は料理なんですね」


 同じく私のプロフィールを見た日下が感心したように言う。


「え、えぇ、まぁ……」


 私の背中を汗がたらりと流れて行く。ウケを狙って書いたが、私が作れるのは酒のつまみになるような簡単な料理ばかりだ。豚キムチとかししとう味噌とかおくらウィンナーとか、フライパン一つで出来るものばかり。ハンバーグやグラタンなど、何工程も必要になるような家庭的な料理は作ろうと思ったことすらない。普段はもっぱら外食かコンビニ弁当で済ませている。かといって他に書けるような趣味も無かったので書いてみたが、そのせいでこんなに居心地の悪い思いをさせられるとは。


「いいですね、僕も料理好きなんですよ」


 ダメだ、終わった。何が女の敵って、料理が得意な男だと私は思う。偏見かもしれないが、料理好きの男は女が作った料理の欠点を平気で指摘する。醤油が足りないとか焼き時間が長すぎるとか、お前は姑かと言いたくなる。そしてそういう男に限って掃除や洗濯に変なこだわりを持っているのだ。


 大学の時の恋人がそんな男だった。目分量で洗剤を洗濯機に入れたら、入れすぎだろうと怒られた事がある。そんなに入れたら洗剤が服に残るだろ、と相手は私を責めた。反論しようとして、ちょっと洗剤が残ってるくらいの方が良い香りがしていいじゃない、と言った時の相手の顔は見ものだった。相手の名前は忘れてもあの顔は生涯忘れられないだろう。まるで宇宙人でも見るかのような顔をしていたのだ。それ以来、私は料理好きな男を避けて生きて来た。


「この会社主催のイベントには男女で料理をする婚活なんてものもあるらしいですよ」


「そうなんですか」


 それにだけは絶対参加しないだろうと思いながらも頬笑みを浮かべていいですね、と言ってみる。つられて相手も笑顔になった。あぁ、顔だけなら本当に好みなのに。いや、体も結構好みそうだ。あの黒ぶち眼鏡を外してネクタイをほどいてやりたい。押し倒して馬乗りになったら彼はどんな顔をするだろう。知的な男を責めたてるって、いいよね。


「上野さん? ご気分でも悪いんですか?」


「いっ、いえ、何でもありません」


 やばい、想像しすぎて相手の話を聞いてなかった。こんな妄想するのも最近ご無沙汰だったからだろう。あぁ、ちょっとムズムズしてきてしまった。


 そして前半戦が終わり、後半戦のフリータイムになった。


 途中で帰ろうと心に決めていた私は、何故かまだ会場に残っていた。日下が「楽しい時間はすぐに終わってしまいますね。では、また後で」なんて意味深な発言をするからだ。あれ、もしかして私に気がある? そっちがその気なら私もまんざらでもないですけど。顔は好みだし、収入は少し不安だけど私も結構稼いでいるし何とかなるだろう。

 え、初の婚活でもう結婚相手をゲット? こんな簡単に相手って見つかるものなんだ。そんなことなら早く婚活しておけば良かったなぁ。大学教授の妻、なんてちょっと素敵な響きじゃない? って、まだ准教授か。

 せっかく会費を払ったんだからたらふく食って帰らなきゃだよね、って言い訳をしつつ、私は長テーブルの上に並べられた料理を一通り食べて行った。途中何人かの男達が話しかけて来たけれど華麗にスルーした。私の持っている時間は有限なのだ、無駄な事に費やす時間は残されていない。


 日下は多くの女性に囲まれている。今回の参加者の中ではダントツのルックスを持っているので食い付きが半端無いのだ。他に高収入の男が数多くいるというのに、全く世の女どもは美男に弱い。私もその中の一人だということは棚に上げておく。

 でも、これだけ大勢ライバルが居たら勝ち目は無いだろう、とも思う。男は結局、結婚相手には平凡な女を選ぶものだから。それでも彼だったら一晩だけでもお願いしたい……とまで考えて、いかんいかんを首を振った。ここには結婚相手を探しに来ているんだから、自重しないと。そう、今日のところは彼の背筋からお尻にかけての素晴らしいラインだけ脳裏に焼き付けて帰ろう。いつでも思い出せるように。


 その時、会場がわっと沸いた。視線を遣るとシェフの恰好をした料理人がワゴンでデザートを運んで来ていて、それを見た女性陣が喜びの声を上げたのだ。

私は甘いものよりも塩っ辛い物の方が好きなので、我関せずといった体で料理を物色していると、急に腕をぐいっと後ろに引かれた。そして耳元で響く、低く甘さを含んだ声。


「この後、お時間ありますか? 終わったら外で待ってます」


 振り返ると日下が誰にも気付かれないように意味ありげな流し目をくれる。

やった! え、あるって言っていいの? それともここは無いって言って帰った方が彼の気を引ける? でも行きたい! あぁ、誰か正解を教えてよ。


「はい」


 頭の中はぐるぐる回っているのに、再び女性陣に囲まれ始めた日下の背中に向かって、私の口は勝手にそう答えていた。




 ホテルの部屋に入ると、鍵を掛ける間も惜しむように私達はすぐさま抱き合って唇を奪い合った。日下の温もりと思ったより柔らかかった薄い唇の感触を楽しむ。

 うっそ、こいつめちゃくちゃキスがうまい。

 触れるキスから深いキスまで、ありとあらゆる技で攻めてくる。キスだけでこんなに蕩けそうになるのは初めてのことだった。准教授というからそっちの方は全く期待していなかったのに、想像以上だ。キスを続けながら抱きかかえられ、ベッドへと近付く。

 それから私たちは、貪るように互いを求めあった。


 気付くと、遠くでシャワーの音が聞こえた。いつの間にか眠っていたらしい。

 身体に残る心地よい倦怠感がさっきまでの情事を物語っていた。ほんの数時間前までは最悪の日だと思っていた今日は、思いがけなく素晴らしい日となった。

 こんなに相性の良い相手には、二度と会えないかもしれない。

 順番は逆になってしまったものの、願わくは彼とぜひお付き合いをして結婚までこぎつけたい。彼の方はどう思っているんだろう。こういうことを自分から言ってもいいものなんだろうか。それとも向こうが言うまで待っているべきなのだろうか。こういう形で始まる関係は初めての経験なので、勝手が分からない。いつもは相手が付き合いたい、と言って来て、私は頷くだけで良かったのだ。そういう点で言えば今回は私の初体験、ということになるかもしれない。


 本当の初体験は中校3年生の頃だったか、相手の顔も名前も覚えていないけれど思ったよりも普通だなぁと感じた事だけは覚えている。

 その後順調に経験人数を増やして来た私だったが、今日が年貢の納め時になるかもしれないと思うと感慨深い。


 私もシャワー浴びたいな、と思いながらベッドの周りに落ちているはずの自分の服を手さぐりで探すと何か固い物が手に触れる。

 何だろうと思ってみると黒い革の二つ折りタイプの財布だった。日下の物らしい。サイドテーブルにでも置いとくか、と持ち上げると、留め金が無いらしくカード入れの部分がべろんと開いて中身が見えてしまった。レンタルショップの会員証と服屋のポイントカードと免許証、そして学生証。


「って、学生証っ?!」


 免許証を確認してみると、日下の顔写真が確かに載っている。昔の物かと発行年月日を確認すると、ほんの数年前だった。同じく記載されている生年月日から計算してみたら、何と日下は23歳だった。年下?! あの顔で! いやいや、問題はそこじゃない。本当の問題はどうして年齢と経歴を詐称しているかということだ。


「起きてたんだ」


 シャワーを浴びて腰にバスタオルを巻いて出て来た日下に私は学生証を突きつけた。思ったよりも逞しいという事を昨夜嫌と言うほど知った裸の胸が迫って来て、再び身体が火照って来たのを必死で押さえて視線を上に上げる。


「ちょっと、これどういう事。あんた、大学生なの?」


 さぞや慌てるだろうと思った日下は、見たんだ、と何でもない顔をして言った。


「正確に言うと大学院生かな」


「院生が何で、婚活なんかに」


 頭が混乱する。自分が騙されていたという事実を、受け入れる事が出来なかった。


「バイトだよ。サクラの。ほら、俺老けて見えるでしょ」


「サクラが何でこんなことしてんの」


「だって沙耶さん抱きたかったんだもん」


 日下は悪びれる様子も無い。口調はすっかり変わっていて、それが彼の地なんだという事と、彼が歳下だということが痛いほどよく分かった。学生証を持つ自分の手が震えている。


「……准教授なんて嘘、よくつけたね」


「全くの嘘って訳じゃないよ? このまま行けばなれそうだし」


 それを嘘と言わずして何を嘘と言うんだ、クソガキめ。あぁ、こんな子供にベッドでひーひー言わされたなんて末代までの恥だ。いや、違う、逆だ。私がこいつをひーひー言わせてやったんだ。うん、そうだ。


「へー、頑張ってね。んじゃ、お邪魔しましたー」


「え、ちょっと。番号教えてよ。俺のは……」


 私はさっさと鞄を拾うと、入口の方へと歩き出した。すると日下が慌てたように私の肩を後ろから掴む。


「もう二度と会わないと思うからいらない」


 その手を振り払いながら言った私の発言に日下は言葉を無くし、呆然とする相手に、私は片手を上げて見せた。


「じゃあね、大変美味しくいただきました。ゴチでーす!」


 そのまま玄関の扉を閉めて外に飛び出す。

 私は恋人が欲しいのでは無く、結婚相手が欲しいのだ。こんなところで油を売っている場合じゃない。早くしないとエンドロールに間に合わないのだ。


 でも……確かにあっちのほうは最高だった。おかげでお互い尊敬出来てそこそこのルックスと収入があれば良い、という結婚相手の条件に、身体の相性、という項目を付け足さなければならなくなってしまった。……ますます結婚が遠のきそうだ。

 肩を落として歩く私に、朝日が容赦なく降り注いだ。




 どうしよう、やつのせいで私の性欲が止まらなくなってしまった。

 寝ても覚めてもその事ばかり考えてしまって仕事にも集中できない。欲求不満と言うやつだ。女も三十路を越えると男性ホルモンが増えて性欲が強くなるというけれどもうその時期が来てしまったのだろうか。これは早急に手を打たないと欲求不満で死んでしまう。


「ちょっと、そこの人、一緒に遊ばない?」


 私は若い頃、好みの男に声を掛けるという遊びをやっていたものだった。当時は自分自身の魅力を再確認するためという意味合いが強かったけれど、今は違う。まぁまぁ好み、という程度の男を道で引っ掛けると、私は真っ直ぐにラブホへと飛び込んだ。


「あ、名乗んなくていいから。さっさと脱いで、シャワー浴びて来て」


 私より少し年下ぐらいの男が名乗ろうとするのを手で止め、洗面所へ押し込んだ。そしてシャワーを終えて所在無げに佇む男を尻目に、自分も手早くシャワーを浴びると、さっそく男をベッドに押し倒した。キスしようとする相手の顔を避ける。


「キスとかしなくていいから。さっさと始めよう」


 情緒? ムード? そんなの要らない。付き合う気もない男とセックスは出来てもキスは出来ない、むしろ気持ち悪いと思うのは私だけだろうか。

 おざなりの前戯を済ませた後で首尾よく行為を終えたものの、何故だか満足出来なかった。別に相手が下手という訳ではない。むしろ技術的には日下よりも巧みかもしれない。だけど、どこか不完全燃焼だった。身体の奥底でくすぶりつづける性欲。まるで冬になると自販機に並ぶ、コーンスープの中のコーンが取れないみたいにもどかしい。

 結局、制限時間一杯で私が得たのは疲労感だけだった。これは異常事態だ。

 私は仕方なく名も知らぬ男を元居た場所に捨ててくると家に帰った。また会いたいと言って連絡先を書いた紙を渡された気がするけど、とっくにどこかへ消えてしまった。

 


「それは沙耶がレベルアップしたからだよ」


 苦渋の思いで相談してみると、景子がしたり顔でそうのたまった。私がめくるめく官能の世界を旅して日下という敵を倒し、たくさん経験値を得てしまったので、ちょっとやそっとの敵じゃ私に太刀打ち出来ないのだと言う。


「もっとレベルの高い敵に挑まなきゃ」


「そんなの、どこに行けば会えるっていうの」


「うーん、ダンジョンとか、魔王城とか、鬼岩城とか……あ、これはRPGじゃなかったか」


 魔王だろうが鬼だろうがどうでもいいよ。つまり、私は日下以上の男を探さないと一生欲求不満で生きて行かなければならないということか。そんなの困る。

 今はこんな体たらくだが、私は結婚後、貞淑な妻を目指しているのだ。セックスが下手な旦那だといつの日にか浮気してしまわないとも限らない。とにかく、それくらい気持ちのいいセックスは結婚において重要な要素なのだということが分かった。


「とりあえずまた婚活パーティーに参加することにするわ」


「街コンって手もあるよ」


「え~何かあれ、ヤリコンっぽくない?」


 景子が差し出したチラシを見て、私は不満げに呻いた。

 街コンとは街ぐるみで行われる大型の合コンイベントのことだ。参加者は少なく見積もっても100人以上のものがほとんどだという。それだけ参加人数が多ければ出会いも多そうだけど、その分興味本位で参加する人が多いというイメージがある。ちょっとした珍しい人数の多い合コンに参加して女をお持ち帰り出来たらラッキー、という匂いが偏見かもしれないがプンプンするのだ。


「ま、今回の反省を生かして、次からは本物のオッサンを選べばいいんだよ」


「加齢臭もキツイな……」


 私達は次の戦闘に備え、装備について話し合った。この頃には大分景子に毒されたみたいで、このカーディガンは戦闘力20アップだね、このガーターストッキングはクリティカルヒットだよ、なんて以前は全く分からなかったであろう単語にも対応出来るようになっていた。慣れとは恐ろしいものである。


 次の婚活パーティーは主催の会社を変え、ホテルのパーティールームではなく、ラウンジで行われる小規模なものを選択した。あまり人数が多いと一人ずつ話す時間が短くなり、相手の事がよく理解出来ないまま次の人にいってしまう。そして人数が多ければ多いほど、時間が掛かる。前回で懲りたので、今回は15名ずつの手ごろなパーティーにしてみた。

 今日ももちろん景子おすすめの“ホテルほどはカッチリしていないけど油断したらダメよコーデ”という何だかよく分からない服で身を固めている。

 今度こそちゃんと結婚相手の候補になるような素敵な人に出会えますように、と祈ってから会場入りする。


 すでに集まっている人を見て、私は心の中でガッツポーズをした。前回よりもレベルが高そうな人達が集まっている。この中に私の運命の人が居るのね……とさりげなくチェックしていると、どこに居たのか、物陰から出て来た人と目が合い、私は素早く踵を返すと足早に歩き始めた。


「待って、沙耶さん!」


 皆が見つめる中、大声で私の名前を呼んだのは、日下だった。


「沙耶さんって誰ですか私じゃありません」


「上野沙耶さん28歳趣味は料理と映画観賞、身長162センチ、体重は……」


「体重なんて書いてないよ!」


 慌てて振り向くと、日下がにやりと嬉しそうに笑う。

 しまった、騙された。このクソガキ、公衆の面前で恥をかかせやがって。私達を見て参加者達がざわついている。もう、このまま何事も無く参加出来る雰囲気では無い。会費払う前で良かった。私は早々に諦めて会場を後にした。すると何故か日下まで外へとついて来る。


「何の用? この会社でもサクラのバイトしてるの?」


「うん、もしかしたら沙耶さんに会えるんじゃないかと思って、シフト増やした」


 朗らかに笑う日下はその容姿と異なり、人懐っこい大型犬のようで、その笑顔が更に腹立たしくなる。


「邪魔しないでよ。私は真剣に結婚相手を探してるの。子供の遊びに付き合ってる暇は無いの。私がいいなと思ったのは33歳のあなたで、23歳のあなたじゃないの!」


 語気を荒くしてそう言うと、日下は捨てられた犬のような目をした。そのまま唇を噛み、俯く。

 え? 私が悪いの? もしかして、泣いてる?


「ちょっと、何も泣く事ないじゃない。確かに私も少しだけ言い過ぎたかも。ごめんね」


 さっきまでの怒気はどこへやら、オロオロして日下に駆け寄り顔を覗きこもうとすると、途端に腕をぐいっと掴まれた。そのまま引っ張られ、戸惑う間もなく私は日下の腕の中へと吸い込まれてしまった。そして耳元で響く、甘く低い声。


「俺、沙耶さんじゃないとイケない身体になっちゃったみたい。責任取ってよ」


 ずるい、あんた私が自分の声好きだって気付いているんでしょう。

そう思った時にはすでに腰くだけになっていた。




「逃げないでね」


 日下は私にそう念押しするとシャワーを浴びに行った。

一人部屋に取り残されて、仕方なくベッドへと座り込む。

 私って流されやすい性格なのかな……。

シャワーを浴びている音を聞きながら、私はぼんやりそんなことを考えていた。

 だけど自分がシャワーを浴びる段になって念入りに身体を洗っている自分に気付き、お前もやる気満々じゃねーか、と一人可笑しくなって笑った。


「沙耶さん、好きだよ」


 日下が囁く。会うのは二回目なのに、好きと言えるところがまだ若いなと思った。まぁ、今はこの若さに賭けてみてもいいかもしれない、なんて思えて来たのは私もまだまだ考えが甘いせいかもしれない。

 私は日下の告白に答えず、日下の胸を押しのけた。拒否られたと思い、眉を寄せた日下に、


「取り敢えずスーツ着て、そんで眼鏡掛けて」


 とおねだりしてみる。

 許可を得たと気付いた日下は喜び勇んで脱ぎ棄てていたワイシャツを身につけ始めた。

 やつのお尻に尻尾が見える気がする。私は責めて責められるのが好きなのに、何でこんな犬みたいなやつとこんな状況に陥っているのだろう。

 溜め息をつこうとすると、それを吸い取られるように抱き寄せられた。首筋に荒くなった日下の息が掛かり、それだけでもう何も考えられなくなってしまう。

 日下は私が彼のジャケットを脱がしてネクタイを外すまで大人しくしていた。だけど、ワイシャツを脱がしながら胸元に唇を寄せる頃になると我慢出来なくなったのか身体を起こし、すぐに形勢は逆転してしまった。どうやらこの犬は狼でもあるらしい。


 これはあれか、勇者が助けたお姫様では無く、魔王と一緒になっちゃうようなものだろうかと、中途半端に詳しくなってしまったRPGになぞらえてみる。


 結婚を諦めた訳ではないけれど、今はこの腕に抱かれていたい。

ということで、私の冒険はまだまだ終わりそうにない。


 だけど、そんなRPGもいいかもしれない、と上野沙耶28歳は日下祐輔23歳とキスを交わしながら思った。




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― 新着の感想 ―
[良い点]  婚活をRPG系のゲームを使って 分かりやすくしてました。  RPG大好きです! [一言]  沙耶さんも好きですが、RPGをプレイ した事があるので友達がさりげにお気に入り です。日下さん…
[気になる点]  ミスらしき物を発見したのでご報告します。 >恋愛シュミレーションじゃなく〜… →恋愛シミュレーションじゃなく〜… [一言]  沙耶さん、もう結婚は諦めた方がいいよ。 日下さん…
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