突然のスカウト
ある日。
私は街を歩いていると不意に呼び止められた。
「あぁ、丁度良い。そこのあなた」
「はい?」
振り返ると真っ白なローブを着た一人の青年が私を見ている。
現代ではあまり見ない格好だ。
「一つ、頼まれてくれるかい」
「頼み?」
「あぁ。ほんの一分で終わる」
怪訝な顔をして私は彼を見返す。
物騒な世の中だ。
こんな男なんて無視するに限る。
そう思って踵を返そうとした私を彼は引き留めた。
「あぁ、待っておくれ。本当に一分で済むんだ。いや、一瞬で良い。だから僕の話を聞いてくれないか」
一分が一瞬?
いくらなんでも減り過ぎじゃないか?
そう思って私は思わず尋ね返す。
「一体何をすればいいんですか? 本当に十秒なら付き合います」
すると彼はほっとした表情で微笑んだ。
「あぁ、良かった。ありがとう。それじゃあ、今から僕の言うポーズを取っておくれ」
「ポーズ?」
「あぁ、いいかい。まず優しく微笑んでほしい」
やはり無視しようかと思ったが、流石にこの場で立ち去るのも気まずい。
そう思って私は微笑んでみせた。
「ありがとう。それじゃ、次に軽く両手を前に出してほしい。そう、例えるなら誰かが飛び込んでくるのを待つように」
「こう?」
「あぁ、ありがとう。それじゃ、その姿勢をほんの一瞬だけ保ってくれるかい?」
変な人。
そう思った直後。
私の脳裏に一瞬だけ多くの人々の顔が浮かんだ。
一体これは……?
そう思った直後にその光景は消え、目の前の青年はほっとした様子で笑う。
「ありがとう。君はとても優しいね。もう大丈夫だよ」
「えっと、はい……?」
笑うのを止め、手を下ろした私に彼はそっと宝石を一つ手渡してきた。
「これはお礼だよ。ありがとうね」
「え? あ。えっと、なんだったんですか?」
混乱しつつそう尋ねると彼は少しだけ寂しそうに笑った。
「君に一瞬だけ君の姿を借りたんだ」
「姿を借りた?」
「そ。ここではない世界でね」
そう言った直後。
私の脳裏に数えきれないほどの人々が泣きながら身を寄せ合う光景が浮かんだ。
彼らは皆、静かにそれでいて着実に迫って来る死神に怯えながら、必死に女神の名を呼び祈っていた。
そんな人々の内の一人が不意に顔をあげ、それと同時に歓喜の声をあげた。
『女神様!』
その言葉が伝染し、皆が空を見つめて叫びだす。
『女神様!』
破裂しそうな程の喜びが、差し迫る破滅をものともせずに光のように行き渡る。
そんな光景。
「あの人達、女神様を見ようとしたんだ」
「それで私の姿を?」
「そう。おかげで皆、安心したよ」
原理は分からない。
けれど、そうなのだろうと私は受け入れた。
だけど……。
「何で本物の女神様はあの人達に姿を現さなかったの?」
当然の問いを投げかけると青年は寂しげに笑った。
「女神様なんかいないからだよ」
その言葉の直後。
再び、脳裏に人々の姿が浮かぶ。
喜びに満ちた表情のまま人間が死んでいく世界の終末。
死神によって刈り取られていく数え切れないほどの命。
そして、その死神の顔は。
「本当にありがとうね」
青年の言葉は聞こえた。
けれど、青年の姿はもうどこにもなかった。
手の平に転がる宝石の重みが奇妙なほど軽く感じた。
そんな、午後の昼下がり。