2章2話 科学者の矜持
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東京メトロ渋谷駅B3F半蔵門線ホーム、『コロルゲート』前。
「ふむふむ、……あー、成程。では、こっちではどうだ」
ブツブツと独り言を呟きながら、有島は計測機器と思われる機械に何か打ち込んでいる。それを背後から鬼槌と由莉が監視していた。
「たく、なんだって俺がこんな事を……」
鬼槌が鬱陶しそうに言うと、由莉が反駁した。
「だったら、博士の監視は他の人に任せたら良かったじゃないですか」
「残念ながらそういう訳にもいかねぇんだよ。原則、『ゲート』研究や視察に来た奴の監視は、特別駅員の責任者の仕事だ。……ボスがいない場合、それは俺になる」
「へ? そうなんですか……。てっきり私はエルミアさんかラングさんかと」
「特別駅員の異世界人は、特例で人間界で働く事を許可されちゃいるが、責任者や管理職にはなれねぇんだ。あくまで人間界は人間が治めるものってのが上の考え方だからな」
クソみたいなルールだ、と鬼槌が悪態を吐く。
「し、知らなかったです」
「ちゃんと覚えとけよ。……言っとくが、ボスと俺がいなかったらお前がここの――」
「よし! そういう事か!!」
ホームに有島の声が轟き、鬼槌の声をかき消した。
「……何だよ、何か分かったのか?」
「いや、何一つとして分からん! 噂通り、全くもって非科学的だよ『ゲート』は! 現存の科学的検証が何一つとして通じん! 一応仮説ぐらいは立てられるが、それも結局は憶測の域を出ない。ふふふ、机上の空論が現実にあるとは、なんとも科学者泣かせな代物だよ」
「……その割には楽しそうだな」
「当然だとも!! 分からないという事は未知という事だ! 未知に興奮せずして何が科学者だ!!」
有島は立ち上がると、両手を大きく広げて叫んだ。
「未知に怯えるのは凡人の仕事。我々には、未知に挑戦し、解明する義務があるのだよ」
分かるかい? と有島が体勢は変えず、首だけをこちらに向けて問うてきた。
「さぁ? 科学者の思考はさっぱり分からん」
「私は分かります! つまりロマンですよね!」
由莉が元気よく答える。
「老け専は黙ってろ」
「はぁ!? 誰がですか! 誰が!」
「なんだ、違うのか。博士が来てからずっと飼い主に甘える犬みたいに尻尾振ってたからよ。てっきりそうかと」
「んな訳ないじゃないですか! って言うか、反対に先輩は博士に対して冷たすぎませんか!? ……あ、さては私が博士にばかり構っているから嫉妬でもしてるんですか?」
由莉が思いついたように言う。
「あァ!? するかボケ! 急に意味不明な事言ってんじゃねぇぞ!」
軽い冗談のつもりで行ったのだが、鬼槌が思った以上に声を荒げたので、つい由莉もムキになった。
「いえ、してます! きっと無意識の内で!」
「してねぇ!」
「してます!!」
「してねぇって!!」
「おい」
「しーてーまーす!」
「しーてーなーい!」
「おい、聞いてんのか!」
「いい加減認めたらどうですか!!」
「だから、認めるも認めないもねぇんだよ!!」
「おい! 無視するんじゃねぇ!?」
「「うるさい!!」」
二人が仲良く声を揃えて声の方にバッと顔を向けた。
するとそこには、
こめかみに銃口を突きつけられている有島がいた。
「「……は?」」
また声が揃う。状況をイマイチ飲み込めなかった。
「やっと気付いたか!?」
有島に銃を突きつけている男が、血走った目で二人を睨んだ。
「ん? てか、お前……、さっき『ゲート』突撃失敗してた奴じゃねぇか」
「あ、ホントだ」
由莉も気付いたようだ。弛んだ体に、臭いがキツい脂汗。見間違いようがない、さっきの男だ。
「そいつが何だって銃なんて持ってんだよ。……つーか、どうやって手に入れた。偽物じゃねぇだろそれ。……まさか3Dプリンターで自作したとかじゃねぇだろうな?」
「教える訳ねぇだろ! ……それより、訊きたい事がある」
「自分は教えないくせに質問はするとか、どんな神経してんだ」
「ウルセェ!? 言わなきゃコイツのド頭ぶち抜くぞ!」
グリグリっと有島のこめかみに銃口を擦り付ける。
「先輩っ!?」
「あーハイハイ、分かった分かった。言う通りにする。……で、何が訊きたいんだ?」
鬼槌が両手を挙げ、無抵抗を示しながら尋ねると、男がゆっくり要求を言った。
「…………俺に『ゲート』の通り方を教えろ」
「んぁ? 『ゲート』の通り方?」
「ああ、そうだ。知ってるだろ」
「……いや、知らねぇよ」
鬼槌は大きく眉を顰める。
「とぼけるな!? 今度はちゃんと調べたんだ! 人間が『ゲート』を通る方法はあって、それを特別駅員だけが知ってるって」
だから答えろ、と男は唾を盛大に飛ばしながら言う。
「本当なんですか?」
「まさか。ネットに流れる典型的なデマだよ。今時、あんなのに引っかかる奴がいるなんてな」
由莉に訊かれて、小馬鹿にするように鬼槌は鼻を鳴らした。
「という訳だ。諦めて人質を解放しろ」
「ふ、ふざけるな!? そうやって騙そうたって無駄だぞ! 俺は何がなんでも異世界に行くんだ!」
「そう言われてもなぁ……」
鬼槌はため息が溢れそうになるのを必死に我慢した。こっちの話を信じる信じないじゃない。もう男の中には、『ゲート』の通り方を特別駅員は知っている、という答えがある。だから、それ以外の答えは例え真実であったとしても信じないし、認めない。意地っ張りな子供みたいな理屈だ。
(あん時見逃したのは失敗だったな)
準特達を止めずに追わせておけば良かった。鬼槌は己の判断の甘さを今更ながらに悔やんだ。
(いや、反省は後だ。とりあえず今はこの状況をなんとかしないとな)
頭を切り替え、どうしたものかと、考えていると、
「ふむ、君は随分異世界にご執心のようだが、どうしてここまでして行きたがるのかね?」
人質の筈の有島が、男に尋ねた。
「なんだよ、ジジイは黙ってろ」
「こうやって大人しく人質になっているのだ。少しぐらい話してくれても良かろう」
銃を突きつけられているにも関わらず、一切怯む事のない有島。それに不可解そうにしながらも、男は渋々答え始めた。
「人生をリセットするんだよ。俺を認めないこんな世界捨てて、異世界でやり直すんだ。そうすりゃあ変われる筈なんだ。今度は成功出来る筈なんだ。そもそも、俺が活躍出来ないのは社会のせいなんだ。今の人間社会が終わってるからこんな目に逢うんだ。異世界にならもっと俺に合った環境が用意されている筈なんだ」
異世界に行けば、男はまるで縋り付くようにその言葉を繰り返した。そんな男の言を聞いて、有島は「ふむふむ」と頷いた。
「大体理解した。そしてその上で断言しよう。――君では無理だ」
「なっ!?」
唐突な否定に怯む男を無視して、有島は続けた。
「前提として、君が上手くいっていないのが全て社会ないし周りの環境だとしよう。しかし、だからと言って、それを言い訳にしたって何も変わりはしない。……どんな分野であれ、成功を納めるには、理不尽に耐える覚悟が必要なんだ。その程度の事も理解していないようでは、仮に異世界に行けたとしても失敗するのは目に見えている。……いいかい、栄光や勝利とは日々努力を積み重ね、研鑽に励んだ者だけに与えられる勝利の美酒なのだ。異世界に行く行かないにしろ、それを胸に刻むといい」
諭すように優しい口調で、どうしようもないぐらい厳しい事を言った。案の定、男の顔が一気に真っ赤になった。
「そんな事分かってんだよ! クソジジイが講釈たれるんじゃねぇ!?」
男の指がトリガーに掛かった。
ゾワッ、と鬼槌の身の毛がよだつ。
「木野ォ!! 俺が隙を作る! 行け!!」
「はい!」
返事をした瞬間には、由莉は駆けていた。
「く、来るな!?」
男が由莉に銃口を向けた。奇跡的に照準が合ってしまっている。
「させるかよ!!」
鬼槌は上げていた両手を拳にし、そのまま床に振り下ろした。
ズトン、と巨大な鉄球が落ちたような音がして、床に放射線状のヒビ入りの穴ができ、鬼槌達の周辺が大きく縦に揺れた。それで、男の銃口が大きくブレた。
その隙を由莉は見逃さなかった。
「ハッ!!」
男の手首目掛けて蹴りを放つ。見事命中し、「ぐあッ」という男の鈍い悲鳴と共に、銃は宙を舞い、ホームドアに激突した。
「クソ!?」
「ぬお」
男は、人質を投げ捨てて、頼みの綱の銃を拾いに走る。前のめりの今にも倒れそうな走り方だったが、やっとこさ銃の元まで辿り着き、手を伸ばそうとしたところで、
「させる訳ねぇだろ」
「ギャア!?」
いつの間にか回り込んでいた鬼槌に、その手を踏まれた。
「よっ、と」
そして、鬼槌が膝を男の顔面に叩きむと、男が鼻血を噴き出して倒れた。
「たく、手間取らせやがって」
頭を掻きながら、足元にある銃を鬼槌が回収する。
「先輩っ!! 無事ですか!?」
有島を肩で背負った由莉が近づいてくる。
「ああ、そっちはどうだ?」
「私は大丈夫です」
「私もだ。……やれやれ、酷い目に遭ったよ」
「だったら犯人を挑発するような真似は止してくれ」
「ハハハ、以後気をつけるとしよう」
能天気に笑う有島を見て、「ホントかよ」と鬼槌は不安を零した。
「ただまぁ……」
辺りを見渡す。鬼槌が殴った床には溝こそ出来ているものの、それ以外は特に被害はない。
「これで一件落着かな」
※
流石にそうは問屋が、――否、警察が卸さなかった。
日も落ちたところで、やっと三人は渋谷警察署で行われた事情聴取から解放された。
「クソ、何が人命救助の為だったから器物破損は大目に見ます、だ。普段は目の前で異世界人が犯罪しても見てみぬふりなくせに、こういう時はしゃしゃり出てきやがって。いい加減自分達がお飾りになってる事実を認めやがれってんだ」
不満を爆発させて、鬼槌が近くにあった小石を蹴り飛ばした。どうやら、彼がこうして警察から聴取されたのは初めてではないようで、そういえば、一月前のセントラルタワーでの一件の時も、後で鬼槌が破壊したタワーの損害について一悶着起こしていた事を思い出した。
「まぁまぁ、先輩。とりあえずお咎めはなしだったんだから良いじゃないですか」
機嫌を直してもらおうと、由莉は慰めにかかる。鬼槌はどうも納得いってなさそうだったが、ややあって、大きく項垂れた。
「……はぁ、それもうそうだな。……ただ、イライラするので俺はもう帰るが、博士はどうする? まだ研究したいか?」
鬼槌が問うと、
「いや、流石に今日は遠慮させていただこう。また日を改めて来るさ」
有島が苦笑して首を横に振った。
「そうか。……じゃ、今日は解散って事で。木野、悪いが博士を送ってってくれ」
「はい」
それだけ伝えると、しゃあな、と言って鬼槌が後ろ手を振りながら雑踏の中に溶けていった。
「中々面白い男だったね」
鬼槌の姿が完全に消えたのを確認すると、有島が呟いた。
「それにホームを揺らしてしまうあのパワー。恐らく『ドワーフ・パッケージ』による強化の結果だろうが、それにしても凄まじいものだった」
「ええ、先輩の力は超人と言っても差し支えありません」
「興味深いね。……しかし、あの男と共に働くのはいかに君と言えど大変だろう」
「ハハ、もう大分慣れました……」
渇いた笑みを浮かべて、由莉は頬を掻いた。
「そうかい。……まぁ何にしても、上手くやっているようで何よりだよ。実を言うなら、今日はそれを確認しにきたんだ」
「そ、そうだったんですか。それはお手数おかけしました」
自分の為に多忙な有島の時間を取らせてしまった事を申し訳なく思い、由莉は頭を下げた。
「ハハハ、いいんだよ。重要な事だからね」
有島は柔和に笑うと、「行こうか」と言って歩き出した。
「はい」
由莉もその後ろを付いていく。
そうして二人は繁華街から背を向けて、暗い道を歩いて行った。
2章が2話で終わるという短すぎる構成になりましたが、何卒許してください。