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1章1話 異世界渋谷駅


 ※ ※


 二〇五〇年四月一日、東京メトロ渋谷駅B2F、渋谷特別駅員室。


 そこで鬼槌真守きづちまもるはテレビを観ていた。


 映画のような臨場感を味わう為、部屋の照明はあえて落とした。自分以外の職員は、全員外周りに出ている。テレビの真正面にパイプ椅子を置き、居住まいを正して座った。

 二四インチの画面の向こうには力士が二人、土俵の中で向き合っている。裸一貫、身に纏うは純白の褌のみ。


 東、横綱・剣ノ山。西、前頭三枚目・翔光。三月場所の千秋楽。


 勝った方の優勝が決まる大一番。満員御礼の会場のボルテージが、そのままテレビ越しに伝わってくる。気がつけば鬼槌は拳を固く握っていた。


 なにせ翔光の相手は、向かう所敵なしの剣ノ山。いくら今場所ノリに乗っている翔光と言えど、厳しい勝負になるのは見えている。しかし、勝てば初優勝にして大金星。座布団が飛び交う事間違いなし。

 両者が仕切り直す度に緊張が高まる。制限時間いっぱいになる頃には、鬼槌はパイプ椅子から僅かに尻を浮かしていた。

 そして、両雄が両拳を土俵に付け、その肉体が加速した瞬間――。


 プツンと音が鳴って、テレビが消えた。


「は……」

 一瞬、何が起きたか分からず、鬼槌は呆けた声を出した。だが、すぐに事態を理解して、

「嘘だろ! おい!?」

 と、叫びながら慌ててテレビの電源を点け直した。


 テレビ画面には座布団が飛び交っている。これが何を意味するか語るまでもない。


「あ……、ああ、最悪だ……」

 最高の瞬間を見逃した。絶望のあまり鬼槌は両膝を着いて頭を抱えたが、悲しみはすぐに怒りに変わって、歯軋りしながら勢いよく振り返った。


「何しやがんだ! 駅長ボス!」


 鬼槌の視線の先には、男が一人いた。白髪混じりの髪を、オールバックで綺麗に整えた男の名は橋渡正弘はしわたりまさひろ。渋谷特別駅員の駅長にして、鬼槌の直属の上司である。


 橋渡は困ったように青顎をさすった。

「何って……、こっちのセリフだよ。仕事サボって何してるんだい? 電気まで消して……」

 大きくため息を吐くと、橋渡はテレビのリモコンを棚の上に置き、部屋の電気のスイッチを押した。パッ、と薄暗がった部屋が一気に明るくなる。


「俺が今日をどれだけ楽しみにしてたと思ってんだ!」

「知らないよ。……というか、それ録画放送だよね? 生は直接観に行ってだじゃないか。わざわざ休みまで取って」

 橋渡が言うと、まるで図ったようにテレビに興奮冷めならぬ様子でワーワー騒いでいる鬼槌の姿が映った。

「一回記憶リセットして、生と同じ熱量で観るのが真のファンってもんなんだよ!!」

「何それ怖い」


 部下の異常さに、橋渡は身を退け反らして引くが、

「ま、もうそれはいいよ。そんな事より、仕事頼みたいんだけど」

「えー、めんどいのヤだぜ」

「白昼堂々仕事サボってる人間に拒否権は無いよ」

「ちぇ。……で、何すればいいんだ?」

「大した事じゃないさ。今日からウチに配属される新人を迎えに行って欲しいんだ。さっき着いたって連絡があってね」

「新人? 聞いてないぞ」

「前に言っただろう。ほら、早く行ってきて」


 橋渡に背中を押され、渋々ながらに鬼槌は外に出た。


 ※※


「あー、たりぃなおい。何で俺がこんな事しなきゃならねぇんだ。自分で行けってんだあのタヌキ親父」

 ブツブツと文句を垂れながらも、鬼槌はA8出口からハチ公前改札を抜けた。新人との待ち合わせ場所はハチ公前広場だ。


「しかもハチ公って、ベタかよ。……あ、てか、新人の名前訊くの忘れた」


 しくじった、と顔を押さえる。これでは誰が新人か分からない。


 とりあえず辺りを見渡してみた。

 異世界と繋がって以降、渋谷に普通の人間は近づかなくなった。パッと見は、二十五年と風景は変わっていないように感じるだろうが、実際は企業は軒並みオフィスを移転させた。だから、近場にある飲食店やショップの殆どは、AIロボットの店員がまわしてくれている。


 当然、渋谷駅周辺に住んでいたブルジョア達は、我先にとこの魔境から去っていった。

 かつて日本の中心地として全国から人が集まっていたこの街も、今や人間の姿は殆どなく、代わりに異世界人達が我が物顔で闊歩している。

 その証拠に、鬼槌の視界に映るのは異世界人ばかりだ。


 とはいえ、人間は慣れる生き物で、最近は物見遊山の人足がちらほらと戻りつつあった。


「さて、新人はどいつかな」


 ざっと見た限り、今ハチ公前にいる人間は自分を除いて十数人。その中の誰かが新人という事だが、


「一人ずつ声かけるのもめんどくせぇなぁ。向こうが気づいてくれねぇかな」


 言いながら、それはないか、と心の中で思う。渋谷特別駅員は、一般駅員とは違って私服での活動が許されている。なので、向こうからもこちらの判断がつかないだろう。唯一、見分けられる箇所があるとすれば、胸に装着を義務付けられている特別駅員である証明書代わりの金色の社章だけだが、それだけを頼りに見つけろと言うのも酷な話だ。


「しゃあない、確認するか……」

 鬼槌が耳に付けた小型デバイスを起動して橋渡に連絡を取ろうとしたら、


「テメェ!? 調子に乗ってんじゃねぇぞ!!」


 怒声が広場を支配した。この場にいた全員の意識が、声の発信源たる広場の端の『地球の上にあそぶこどもたち』に向いた。


 声の主は一人のオークの男だった。一八〇を超える鬼槌が小さく感じるほどの巨躯。太っているように見えて、弛んでいる場所がない筋肉質な肉体。濃緑色のザラザラ肌。下顎から伸びた二本の牙。そんな己が種族の特徴を存分に振るって、オークは威圧していた。

 相手は人間の女だった。


「そっちこそ、社会のルールは守ってください!」


 少女というには垢抜けていて、淑女というには幼さが残るその女は、オークに怯む事なく、むしろ強気に言い返した。


 二人の口論が白熱していく。しかし、どれだけやっても決着がつきそうにない。

「たく、めんどくせぇな」

 鬼槌は頭を掻きながら二人の方に向かう。職務上、こっちの方が優先だった。


「おい、アンタら。何を揉めてんだ」

 鬼槌が声を掛けると、オークと女性の動きがピタリと止まった。

「なんだテメェ」

「ここの特別駅員だ」

 イライラを隠さずに訊くオークに、鬼槌が気怠げに答えた。


「特別駅員だァ?」

「ああ。だから立場上ここで揉められると迷惑なんだ」

「知るかよ! いきなりこの女が絡んできたんだ!」


 オークがビシッと女性を指差した。女性は何やら鬼槌を見てぼーとしていたが、ハッと意識を取り戻し、反論した。

「ち、違います!? 私はゴミをポイ捨てしないでくださいって注意しただけです!」

 今度は女性が地面を指差した。その先には、中身が少し溢れた缶が乱雑に捨てられていた。


「……ああ、成程。――たく、こんな事で喧嘩するなよ」


 鬼槌は鬱陶しそうに耳を掻きながら空き缶を拾うと、それを近くのゴミ捨て場に投げ捨てた。


「ほら、これで解決だ。はい、解散」

 ぱんぱんと鬼槌が手を叩いた。しかし、両者とも納得していなかった。特にオークの方は声を荒げて抗議した。


「ふざけんな!? 俺はこの女に貴重な時間を奪われた事を謝罪して貰わなきゃ気が済まねぇんだよ!」

「なっ!? そっちがポイ捨てしたのが悪いんじゃないですか! 人のせいにしないでください」

「ウルセェ!! それ以上吠えたらぶちのめすぞこのクソ人間が!」


 毛を逆立てて威嚇する獣みたいに、オークが青筋をたてながらその太く逞しい腕を振り上げてみせた。

 その間に鬼槌が割って入る。


「待て待て。双方とも落ち着けよ。特にオークのアンタ。人間界こっちで問題起こしたら、強制送還の上、観光ビザの停止だぞ。だから一旦冷静になって――」

「黙れ! テメェからぶちのめされてぇのか!?」

「いや、だからとりあえず話をな……」

「死ねや!」


 そもそも声など聞こえていないのか、オークが拳を鬼槌に向けて振り下ろした。


 銃が発砲された時のような炸裂音と共に、拳が命中する。


「きゃっ!」

 と、側にいた女性が悲鳴が聞こえた。

 オークによる一撃。普通の人間ならば、まず間違いなく致命傷だ。


 そう、普通の人間ならば。


「ハァ、結局こうなったか」


 だが、鬼槌真守は普通の人間ではなく特別駅員である。


「おい、いいかよく聞け」

 オークの拳を片手で受け止めながら、鬼槌はつらつらと澱みなく告げる。

「俺達特別駅員は、渋谷駅周辺における規定違反者に対して、強制執行が認可されている。そしてお前は今、異世界間協定によって定められた三大禁止事項『居住・労働・力の行使』のうち、最後に違反した。よって俺は、お前に強制執行する権利を得た。……この意味分かるか?」

「知るかよ!」

 相変わらず聞く耳持たないオークが、もう一方の腕でパンチを放った。


「そうか、なら」


 それを鬼槌が、オークの遥か頭上に飛んで躱した。オークの拳が大きく空を切る。


「――あばよ」


 次の瞬間。

 ズドン! と、頭上から放たれた鬼槌の拳がオークに炸裂した。

 オークの顔面が地面にめり込み、放射線状のヒビが出来た。その少し横に、鬼槌がすたっと着地し、吐き捨てるように付け加える。


「最後にもう一つ。渋谷ここでは特別駅員《俺達》に逆らわない方が身の為だぜ」


 返事はなかった。気絶してしまっているから当然だ。


「ん? ちょっとやりすぎたか? ……ま、いっか、あとは他の奴に任れば」


 一応連絡だけは済ませて、鬼槌は軽やかに身を反転させる。そして、ポカンと馬鹿みたいに口を開けている女性と向き合った。


「アンタも災難だったな。ま、これに懲りてあんま余計な正義感は見せない方がいいぜ」

 ポンと肩を叩いて伝えて、鬼槌は退屈そうに伸びをしながらその場を離れようとしたが、ふとその足が止まった。


「あ、そういや、新人探し忘れてた」


 このまま手ぶらで帰ったら橋渡にどやされる。鬼槌が新人探しを再開しようとしたら、


「あの〜」


 背後から声を掛けられた。振り返ると、そこにいたのは先程の女性だった。

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