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(さすが、静橋クンだ……)
まなかが感心したのは、静橋が顔に青白さを残しながらも植物園へ向かったからだ。
「今日は帰ったほうがいいんじゃない?」
「そういうわけにはいかない」
まなかの言葉にきっぱりと首を振って静橋は足をふらつかせながらも歩き出したのだった。
まなかも同行しようとしたが、静橋から「すまないが、今日は一人で行かせてくれないか」と言われたので引き下がらざるを得なかった。目立つことを好まない静橋にこれ以上の負担をかけるのは申し訳ない。いまの騒ぎのさなか、何人かの生徒が何事かという顔で通り過ぎていったが、それも静橋としては不本意なことだっただろう。
静橋を見送ったあとは、こはくとお茶でもしていこうということになった。
「えへへ。まなか先輩と放課後デートできてラッキーです」
ケーキセットを頼んだあと、こはくはメニューを閉じてうれしそうに笑う。
「こはくちゃん。私と静橋クンがつきあってるって話、誰から聞いたの?」
同じくケーキセットを頼んで、まなかは後輩の顔を見つめる。
「誰からって言うより、ウワサとして流れてきたんです」
「二年生のところに?」
「二年生のところにまで」
「なぜ?」
「それだけまなか先輩は注目されてるんですよっ!」
「………」
さっきも静橋がそんなことを口にしていた。自覚はないのだが、どうやら自分は周囲の関心を集めているらしい。
「どうして私なんかに」
思わずつぶやくと、こはくがパン! とテーブルを叩いた。
「そんなの、まなか先輩が超絶美少女だから決まってるじゃないですかっ!」
「こはくちゃん。ちょっと落ち着いて。ね?」
この後輩に「落ち着け」と言うのは今日で二度目だった。
「てへへ。ごめんなさい。でも、まなか先輩、ほとんど自覚ないですもんね」
「そうみたいなんだよね」
まなかは人づきあいが得意ではなく、校内に友人と呼べる相手はほとんどいない。こはくはその貴重な友人の一人だ。学校で自分がどう見られているかは、こはくに教えてもらったほうがいいだろう。
「まなか先輩は孤高の存在という位置づけですね」
「それは友だちがいないということなのよ」
「近寄りがたい存在とも言われています」
「避けられているってこと」
「美少女であり、かつまたスタイルもいいですよね? スリーサイズを教えて下さい」
「遠慮しとく、それは」
「残念」
「残念がらないの」
「あと、先輩は勉強もできるし、運動神経にも恵まれています。控えめに言って、奇跡です」
まなかは頭を抱えたくなった。自分ではまったくそんな意識はなかった。昨日、静橋と話している時にも思ったことだが、自分がまわりに馴染めずに浮いていることは気づいていた。なぜかまわりと親しくなれないのだ。
だからと言って、疎外感を覚えたり寂しいと思ったりすることもなかった。自分はまわりにはうまく溶け込めないタイプなのだろうと考えていただけだ。
マレにいわれのない敵意を向けられたこともあったが(紙の本を読んでいた時のように)、基本的にそうした人たちには逆らわないようにしていた。波風を立てたくないという点では、目立ちたくないという静橋に似ているかも知れない。
「分かったよ、こはくちゃん。私のことはもういいから」
「ダメです。まだ足りません! もっと言わせてください!」
「勘弁して……」
こはくはなおも語り続けた。
それによると、まなかは優れた容姿を持ちながらも、そのことを鼻にかけることなく、たんたんと自分のペースで日々を過ごしている。一人でいることにも平気で、周囲の顔色をうかがったりすることはない。確固としたとした存在感があり、多くの生徒にとってはあこがれの対象ということのようだ。
だからこそ、そんなまなかが静橋と急接近したことは驚愕をもって迎え入れられたという。
「静橋先輩も静橋先輩で存在感があるんですよ。悪目立ちするというか、変人というか。キモいとまでは言いませんが、それに近い感じ?」
「言葉を選んで、こはくちゃん」
「構図としては美女と野獣です。だからなおさら注目度アップなんです」
目立つことが好きではない静橋に悪いことをしてしまった、とまなかは思った。自分が近づくことで、まわりの関心を集めてしまったようだ。「学校ではシカトしてくれ」とう言葉の意図はそこにあったと考えて間違いないだろう。
でも、そこまで気にしなくても。
まわりから好奇の視線を注がれることには確かにうんざりしてしまうが、無視しようと思えばできる。慣れればさほど気にならなくなる。
まなかは静橋ともっと親しくなりたかったし、個人的な理由から彼と交流を持つことは必要だと考えていた。だから、そういうウワサが広まっていることを知っても無視しようと思った。
(静橋クンも、ある程度は免疫をつけておいたほうがいいはず)
イラストレーターも人気商売の一つだ。売れっ子になれば人前に出る機会も増えるだろう。そうなった時のことを考えて、少しずつでも耐性をつけておいたほうがいい気がする。
その意味でも、まわりの視線は気にせずに静橋とは接していこうと思った。翌日、まなかはその決意を強く後悔することになるのだが、この時点では判断が間違っているとは思っていなかった。
「でも良かったです。ウワサがデマで」
運ばれてきたケーキをフォークで小さく切りながらこはくが「えへへ」と笑う。
「心配してくれてたみたいだけど、静橋クンってそんなに変な人じゃないよ」
「そうですかあ? あ、でもそこも心配でしたけど、もっと心配なのはまなか先輩を取られちゃうことだったんです!」
「取られるって……」
思わず苦笑してしまう。こはくが自分のことを慕ってくれていることは知っていた。常日頃から口に出しているし、スキンシップも求めてくる。
まなかはそれを少女期特有の現象なのだととらえている。この時期には同性に思いを寄せることがある、と本で読んだことがあった。一過性のものだろうし、まなか自身もこはくのことは好きだったので、特に深刻に考えることはなかった。
こはくとは中学時代からのつきあいだ。
二人は文芸部に所属していた。まなかが二年生の時に新入生のこはくが入部してきて以来だから、もう五年目になる。
文芸部に入るだけあってこはくもまなかと同じように読書が好きで、二人はよく本の話に花を咲かせた。
最初は先輩後輩としての適度な距離感を維持していたが、こはくがそれをグッと縮めてくるようになったのは、まなかが作文コンクールで立て続けに入賞したことがきっかけだった。
中学生を対象とした読書感想文コンクールとミニエッセイコンクール。文章を書くことが好きになっていたまなかは腕試しとばかりに応募をし、佳作ではあったが、どちらにも入選を果たした。そのことで、どうやらこはくは尊敬の念を抱いてくれたらしい。
まなかとしては面映ゆかったが、もちろん悪い気はしなかった。一方で、こはくの称賛の言葉に気を良くするあまり増長したりしないようにと気を引き締めてもいた。
進学した高校には文芸部がなく、まなか自身も部活への興味を失っていたので、帰宅部として過ごしていた。やがてこはくが追いかけるように同じ高校に入学してきたが、中学時代のように毎日顔を合わせることはなかった。せいぜい月に一回か二回「放課後デート」をする程度だ。
こはくにとって、まなかに彼氏ができることは「一大事」と言っていいことだったのだろう。それを直接、静橋とまなかが一緒にいる時に確かめに来るあたりがこはくらしい……とまなかは思った。
(もし本当につきあっていたら、どうしたんだろう?)
騒ぐだけ騒ぐものの、結局は「おめでとうございますっ!」と言ってくれそうな気はするが。
ともあれ、そうなる可能性は低い。静橋とはまだ知り合って二日目でしかない。それに、そもそもまなかは恋愛感情とは関係のないところで静橋に興味を持っているのだ。