3-7
「あいつがホワイトクラスの試験を受けたのは、そんな理由じゃないよ。試験に落ちた時のことを考えて予防線を張っただけ」
「ほえ? そうなんですか。でも、ウワサでは」
「自分で広めたウワサ」
こはくの言葉を恵弥は一刀両断する。表情に、幹島に対する嫌悪が表れていた。
放課後。
いつものように静橋とまなかとこはくは動物園に訪れていた。いつもと違うのは、メンバーが一人増えていることだ。言うまでもなく、片倉恵弥である。
四人は休憩コーナーのテーブルに腰をおろしていた。
まなかとこはく、そして恵弥は向かい合って話しているが、静橋だけは横を向いてサル山をスケッチしていた。その行為を咎める者はいない。ちなみに女子三人はサングラスをかけている。
手作りクッキーを静橋に渡した理由を話すために恵弥も一緒にきたわけだが、その話に入る前に、幹島と別れた件にこはくが食いつき、話題はそこから始まっていた。
幹島は好印象な人物として評判が高いが、本当はそうではないようだ……とはこはくも今回の件で察したらしかった。
「ぶっちゃけ、どんな人なんですか幹島先輩って」
「否定の固まり。自分に自信があって他人を見下すことが好き」
「えーと……片倉先輩、彼女さんだったわけですよね?」
そんな相手となぜつきあっていたのか、というニュアンスをにじませるこはくに、スケッチブックに向かったままの静橋が言う。
「つきあうまでは知らなかったんだろう。つきあってからは、情に流されたってやつだ」
「ま、そんな感じ。一から十までイヤな奴だったら、さすがにすぐ縁を切ったけど……」
「一からいくつくらいまでイヤな人だったんですか?」
「八かな」
「それはけっこうな割合では」
「けっこうな割合。一緒にいると疲れる。正直、別れるタイミングを図ってた」
「今回の件はちょうどいいきっかけになったわけだな」
「私にとっては。でも静橋と辻ヶ花さんには迷惑をかけた。ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げる。恵弥が謝るのは今日これで何度目だろう、とまなかは思った。
「謝るより、感謝されたほうがおれとしてはうれしいな。辻ヶ花もそのはずだ」
「そうだね。片倉さんのためになったのなら、それで良かったと思うほうが私もうれしい」
静橋とまなかの言葉に呆気にとられた顔をした恵弥だったが、すぐに相好を崩す。
「あんたたち、いい人なんだね」
「そうですよっ。静橋先輩はともかく、まなか先輩はとってもいい人なんですっ!」
こはくがお得意のまなかアピールを開始する。
「あはは。静橋もいい人だよ、橘ちゃん」
「それはいいが、そもそもの発端は片倉がクッキーをくれたことだ。あれはなぜだったんだ?」
「そ、そうだね。えーと、笑われるかも知れないけど……」
恵弥が言いよどむ。朝の時と同じ反応だ。そこまで言いにくいということは……もしかして静橋に対してある種の感情を抱いているのではないだろうか。いまの話だと、つきあっていた幹島への思いはとっくに冷めていたようだし……。
「静橋先輩への愛とかだったら笑っちゃうかもです」
こはくが無邪気な顔で切り込み、恵弥が即座に首を振る。
「いや、それはない」
「あはは。静橋先輩、また振られちゃいましたね」
「また? どういうこと? もしかして辻ヶ花さんに、」
「気にしなくていい。こいつが勝手に言っているだけだ」
「そ、そう」
恵弥はちらりとまなかに目をやる。まなかは苦笑を浮かべた。
「どうぞ、続きを」
「あ、うん。えーとね、この歳でこんなこと言って笑われるかも知れないし、笑われても仕方ないんだけど、私、ケーキ屋さんになりたくてさ……将来」
意を決したような顔で告げたあと、頬を赤らめながら三人を見る。その顔は強張っていたが、じきに緩み始めた。
「あの、笑わない、の?」
「なぜ笑うんだ?」
「うん。別に笑うようなことではないよ?」
「それって片倉先輩の夢なんですよね。ステキじゃないですかっ!」
三人の言葉に恵弥は急にもじもじとし始める。
「あ、ありがと」
「逆に、なぜ笑われると思ったんだ?」
「だって高校生にもなってケーキ屋さんとか変じゃない?」
恵弥がうつむきながら答えると、静橋が鉛筆を持つ手を止めた。
「ああ、そうか。もしかすると幹島が笑ったのか」
「え⁉ なんで分かったん?」
「さっき幹島のことを否定の固まりと言ってたからな。おそらく、小学生でもあるまいし、ケーキ屋さんとかあり得ないだろうとでも言ったのではないかと思った」
「そうなん。それ言われたんだよ」
「世の中のケーキ屋さんからしてみたら激おこ案件ですよ!」
こはくが両手でグーを握って上下に振る。
「私と一緒だ」
思わず口にしていた。
まなかは、恵弥がなぜクッキーを渡したのか分かった気がした。きっと、まなか自身と同じ理由だ。夢を抱く自分に後ろめたさや恥ずかしさを抱いている者からすると静橋の態度はまぶしく映る。羨ましく見えるし、その強さやひたむきさを分けてほしいと思う。
つまりは、恵弥もそうだったのだ。そのことで静橋に興味を持ち、言ってみれば「お近づきのしるし」で手作りクッキーを渡したのだろう。自身の夢と関わりのあるクッキーを。
まなかの言葉に恵弥が「?」と首を傾げ、こはくが「あ、なるほどです!」と手を打つ。静橋は無反応だが、これはおそらく照れている。
まなかは自分の考えを伝えた。恵弥は目を丸くして聞いていたが、最後には破顔する。
「お近づきのしるし、か。ホントそんな感じだ。いや、マジでそれだわ」
「良かったですね、静橋先輩。また、美人の女子がお近づきになってくれましたよ!」
「光栄なことだな。三人の美少女に囲まれるとはな」
「三人? やだな、静橋先輩。気を遣わなくていいですよ。私はタヌキ扱いでも大丈夫ですっ!」
「いや待て。タヌキ扱いという言葉が、まず分からない」
「え、なに静橋。橘ちゃんのことタヌキとか言ってるん?」
恵弥が眉をひそめる。
「言ってない。こいつは根も葉もないいろんなことを勝手に口にしては大騒ぎするキャラなんだ。気をつけてくれ」
「ひどっ! どんなキャラですかっ!」
「橘ちゃん、もしかして無自覚美少女ってやつ? 自分が可愛いって気づいてない?」
「そんな言葉あるの?」
「らしいよ。幹島が言ってた」
まなかの問いに恵弥が口をへの字にしながらうなずく。
「へえ」
「片倉も言われたんじゃないか、幹島に。無自覚美少女だと」
「!」
静橋の言葉にまた恵弥の顔が赤くなる。その整った顔立ちを横から見ながらまなかは「なるほど」と思った。恵弥は自分が美少女だという意識が薄いように見受けられる。幹島はきっとそのことを指摘したはずだ。そしてそれは、恵弥を喜ばせたに違いない。
「幹島先輩のいいところの二割は、そこですねっ!」
こはくが胸をそらしながら決めつけた。
「な、なんなのあんたら。さっきから……」
恵弥は戸惑い、驚いているようだが、これくらいの「読み」は別に難しいことでもなんでもない。
それよりも、学校では見せないような表情や仕草を示す恵弥にまなかは新鮮な感動を覚えていた。学校では賑やかでリア充な日々を満喫しているとの印象があったが、恵弥にも夢があり、夢への不安や迷いがあり、傷つきやすい心を持っていたのだ。
「ねえ、片倉さん」
無意識にまなかは言葉を放っていた。
「ん?」
「一緒に頑張らない?」