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「まなか先輩、何かありました? 今日はどことなく元気がないですよ?」
今日、まなかたち三人は植物園の温室に来ている。テラス席の丸テーブルに陣取り、静橋は巨大サボテンのスケッチをし、まなかは目につく花々をノートに描写していた。こはくはそんな二人をうれしそうに眺めたり、スマホをぽちぽちいじったり、気まぐれに温室内を散策したりしていた。
いまはそのプチ散策から戻ったところだ。ノートを開いたままペンを止めていたまなかの様子に気づいて声をかけたようだった。
「そんな風に見えた? ちょっと寝不足なのかも」
「あらら。それはいけませんね。無理をするとお肌に悪いですよ」
寝不足というのはウソではなかったが、元気がないように見えた理由は別にあった。昼休みの光景がまだ頭に残っていたのだ。
(これじゃまるで嫉妬だ)
まなかは内心で苦笑し、その考えにハッとする。「まるで」ではなく、本当に嫉妬しているのかも知れないと思ったのだ。
(まさか、そんなわけがない)
と、ここで根拠もなく頭から否定しても意味はない。自分の気持ちを確認しておいたほうがいいと思った。しかしその試みは静橋の一言で中断される。
「サングラスをかけるとお肌にいいらしいな」
「は? なんですかそれ? どんな関係があるんですか?」
静橋の斜め前に座ったこはくが首をかしげる。
「今日の昼休みにクラスメイトの女子から聞いたんだが」
「ああ、片倉さん。何の話をしていたの?」
さり気ない口調で聞いてみた。
静橋は素直に応じる。それによると、次のようなやりとりだったようだ。
◇
「ねぇ、静橋。あんた、絵ばっかり描いてるけど、それって趣味なん?」
「趣味でもあるが、将来のためでもある」
「どういうこと? 絵の仕事をするって意味?」
「その通りだ。おれはイラストレーターになる」
「イラスト描く人のことだよね? そんなの簡単になれるん?」
「簡単になれないから毎日練習してるんだ」
「ほーん。親は何も言わないの?」
「親が口出しすることじゃないだろう。おれたちは今年成人になる」
「成人ねぇ。そりゃそうだけどさ。大学はどうすんの?」
「美大だ。そこでイラストの基礎から勉強するつもりだ」
「美大なんか行って就職とか大丈夫なん?」
「就職するつもりはない。大学生のうちにイラストレーターとして食えるようになる」
「は? なに夢みたいなこと言ってんの?」
「夢みたいなことではない。これは実現するつもりの夢だ」
「ほーん。あんた、面白いね」
「別に面白いことを言ったつもりはない」
「その返し自体がウケるんだけど。あ、そだ」
そこで恵弥は鞄をごそごそと探ってサングラスを取り出した。そのまま装着して静橋に顔を向けた。
「これならどう? 少しはマシじゃない?」
静橋の視線恐怖について言ったようだ。
「……そうだな。しかしなぜ片倉はサングラスなど持ってるんだ?」
「お肌対策だよ。紫外線が目に入ってくると、メラニンが増えるんだって」
「そうか。女子はいろいろと大変だな。光を見るだけで日焼けするとはな」
この時、静橋はその情報をまなかとこはくに教えようと考えた。たぶん喜んでくれるだろうと思い、知らず微笑が浮かんだようだ。
「何ニヤけてんの?」
「いや、ちょっとな」
まなかが目撃した静橋の笑顔の正体がそれだった。恵弥はまなかに背を向けていたので、サングラスをかけていることは分からなかった。
「あんたも絵を描くんだったら目は大切にしたほうがいいんじゃないの?」
「それもそうだな。参考にさせてもらおう。ありがとう」
「え、いや礼なんていいけどさ。……静橋、あんた意外に素直なんだね」
「意外ではない。おれは全体的に素直だ」
「なんだろ全体的って。それよりさ、えーと、私のこと怒ってないん?」
「怒るはずがない。むしろ申し訳なかったと思っている」
「は? なんで? 意味分かんないんだけど」
「人と話す時は相手に顔を向けるのは礼儀としては基本だろう」
「まあ、そうなんだけど」
「おれは礼儀に外れることをした。片倉が怒るのは当たり前だ」
「ほ、ほーん……。あんたさ、えーと」
「なんだ」
「なんでもない。それより静橋、あんたホントに辻ヶ花さんとつきあってないの?」
「つきあってない。本人に聞いてもらってもいいぞ」
「いや、それはもう確認済みなんだけどさ」
「だったら、なぜ同じことを?」
「つきあいたいとか思ったりしないの? 相手はあの辻ヶ花まなかだよ?」
「特にそういう感情はない。向こうもそうだし、辻ヶ花はハッキリそう言っている」
「だったら、なんでそんなに仲いいん?」
「そのあたりのことは詮索しないでくれたらありがたい」
「ふん、なんだよもったいぶって。ま、どうでもいいけど」
「そうだろうな。お前にとってはどうでもいいはずだ。あと、別にもったいぶっているわけではない」
「………」
◇
静橋の話を聞き終えたまなかはどこかホッとしている自分に気づいていた。恵弥が特別な力で静橋から笑顔を引き出したわけではないことが分かったからかも知れない。
それはそれとして、確認しておきたいことがあった。
「静橋クン。片倉さんがサングラスをしている時、どうだったの?」
「そうだな。普段よりは視線は気にならなかったな」
「それだ」
「それですね」
こはくは指をパチンと鳴らした。そして二人は静橋に別れを告げて、植物園を出た足でショッピングモールへと向かった。目的はサングラスだ。
「サングラスという発想はなかったですね。真面目すぎたんですね、私たち」
「そうだね。私たちはもっとお洒落にも気を遣ったほうがいいみたい」
そんな会話を交わしながら二人は色の濃いサングラスを購入した。
翌日の放課後、静橋に見せるとさほど抵抗感なく顔を合わせて話せることが分かった。