占いの家
アラカが占いに興味を示す場面です。占いの店の様子も描いています。
ノニの店は宝石屋とロウソクを売る店の間に、窮屈そうに建っていた。
小さな看板には手のひらの絵が描かれてある。
扉を開けると薄い布が、何枚も風にふわりと舞った。部屋を仕切るための天井から下がった薄い布だった。開け放たれた扉からのほんのりした明るさの中で、微妙にちがう色合いの紫と青の布は、風に舞うたびに色が混ざりあった。アラカは見惚れてしまう。
「私が選んだ色だよ。気に入ったかい?」
そっと布に触りながら、アラカは微笑んだ。
「扉は開けたままにしておくんだ。お客が入りやすいようにね。裏口も開けると風がよく通る。裏に共同の井戸があるから椅子を拭いておくれ」
椅子は入り口の扉の両側に二脚ずつ置かれていた。他には何もない。布の奥には小さなテーブルをはさんで、椅子が二脚と反対側には一脚。壁には棚があり、本がずらりと並んでいた。
裏口も開けられ、布がさらに大きく波打つ。ノニが紫の布がかけられているテーブルにロウソクを置く。椅子に座ると、大きな拡大鏡を磨き始める。柄と丸い縁は銀色で、花をつけた枝が絡まっているような細工が施されていた。
アラカはノニの前に座り、ロウソクの傍にある細い棒に手を伸ばした。やはり銀色に輝いている品物で、所々に小さな赤い石がはめ込まれ、先が細くなっている。
「手の平に刻まれた人生を辿っていくのに使うんだよ」
「未来も分かるの?」
ノニはアラカがもてあそんでいる棒を取り上げ、はっきりした声で返事した。
「私には、今の王族が此処を治める前から住んでいた民の血も流れている。だから特別な力が宿っているのさ。そう、お前もだよ。お前の父さんがそれを誇りにしていたかどうかは知らないけどね」
初めて聞く話だった。メイの声を聞けるだけで、自分に特別な力があるとはとても思えない。それより分かるのなら教えて欲しかった。これからどんなことが自分の身に起こるのか。親に捨てられた子にも未来はあるのかと。アラカは手の平をテーブルの上に広げた。
「私の手を見てくれない?」
ちらっとノニはアラカの手のひらに目をやった。
「此処へ来たのは定めだね。月の丘に……。いや、やめとこう。それより、早くここの生活に慣れておくれ」
アラカは広げた両手を丸め、引っ込めた。中途半端な物言いに腹が立つ。椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「知りたかったら耳を澄ましておくことさ。本も少しは役に立つかもしれない」
ふくれっ面をしたアラカに、ノニは硬い表情を変えずに言った。
「ノニさんの店はここかい?」
表の方から女の声がした。
「さあさ、仕事だよ。どいておくれ。入口の椅子に腰かけていればいい。用がある時は声をかけるからね」
アラカはサッと棚から本を一冊取り、布の間を通り抜けて椅子に座った。
女はアラカにいっとき目をやったが、そのまま奥へ入っていった。挨拶する声が聞こえてくる。
袋からメイを取り出し、隣りの椅子に座らせた。メイは何も言わない。アラカは本をめくり始めた。開くと右側には手の平が大きく描かれ、その中に線が何本も引かれている。左側にはその解説が記されてあった。自分の手の平を時々見つめながら、本をめくっていった。線にはそれぞれ名前がつけられている。何処から出発して何処へ向かっていくか、それによってその人の有り様がわかるらしい。
「ずいぶん熱心じゃないの。あたしのこと、放っておくつもり?」
メイが怒った口調で言った。
「だってこの本、おもしろいんだもの。私の生命線はね、月の丘に向かっているのよ。月の丘は、手のひらの小指側の手首に近いあたりよ。それはね、他郷と縁があるってこと。生まれ育った場所から離れるのを意味するらしいわ。ノニが言いそうになったのはこれね。自分で見つけたわ。そうか、だから私は此処にいる」
自分の手を見せながら一気にしゃべる。
「親指と人差し指の間から始まっている線があるでしょ。それがね……」
するとメイが苛立った声で言った。
「聞きたくもないわ。あたしにはそんな線ないもの」
本を閉じて、メイを抱きしめる。メイが囁いた。
「あの女、泣いているわよ。そっと聞いてごらん」
アラカは耳を澄ました。
すすり泣きながら、女はどんなに辛い生活を送っているか、延々と語っていた。ノニはただ黙って聞いている。揺れる布の間から女の背中が時折のぞく。肩を落とし、縮んでしまったかのような女。
「あんたも誰かに聞いて欲しいなんて、まだ思ったりするわけ?」
いつも自分をわかって欲しいと思い続けたのは事実だ。だが誰にもその気持ちを打ち明けたことはない。父や母は自分たちの諍いで忙しかった。祖父母も孫に興味を示さなかった。家族が当然与えてくれるはずだった温もりや安心感を味わうことなく、ずっと生きてきた。だから乾いてしまった自分の感情をどうしようもできない。
ミルナスには遊び仲間は沢山いた。いつもふざけあいながら夜遅くまで街をふらついたものだ。誰も自分の身の上など話さなかった。忘れたい為に一緒にいたのだから。勿論メイを連れて行った。けれど仲間に見せる気はなかった。
メイはアラカの心に荒波を起こし、意地悪で過激なことを口走る。だが毒気のある言葉を聞いていると、心は落ち着いてくる。メイは不思議な人形だった。
初めて会った時の記憶は、今でも鮮明に甦ってくる。人形が囁くのを当たり前のように受け入れたアラカがいた。言葉もまだよく知らない小さな女の子だったのに、秘密の匂いを直感でかぎとった。
「あたしじゃ不満なのね。おバカさん」
「いつまでたっても、私はおバカさんよ。メイに不満なんてないわ。ただあのおばさんがなんだか羨ましくなっただけ」
膝の上にメイを乗せたまま、アラカの視線は布の奥に注がれている。
「もう十分泣いただろう。あんたの手は確かに苦労に満ちあふれている。だがね、いつもあんたはこんなに尽くしたのに、と見返りを求めていなかったかい? それが裏切られるたびに、あんたの心は怒りでいっぱいになっていった。苦労を自分で作っていったわけさ。無心におなり」
ノニの声だった。
「無心におなり」
メイがノニの声を真似て言った。
アラカは吹き出しそうになり、口を押さえて外に出た。
鮮やかな陽の光が真っ直ぐ目に飛び込んでくる。明るい景色だったが、笑いたい気持ちはすぐに何処かへ行ってしまった。街はまだ人で賑わっていた。此処からは海が見えない。だが潮風がヤシの葉を揺らし、長衣を優しく撫で、海の匂いを運んでくる。
大きく深呼吸し、空を見上げる。あまりの眩しさに目を閉じてしまう。メイが真似たノニの言葉が、しつこくアラカの周りに漂っている。それを追い払えない自分に、泣きたくなった。