22章 手のひら、月の丘
翌朝、アラカは早く目覚めた。ノニはまだ起きていないだろう。廊下に出て階段を下りる。玄関から外に出てみた。ひんやりした空気に包まれていたが、木々は夏と変わらず緑の葉をつけ、花は咲き乱れている。アラカの住んでいたミルナスでは、今頃になると葉が美しく色づき、枯葉が舞っていた。
ノニが肩掛けにくるまりながらやって来た。
「わたし、今日、出発することにした。マラドに行く」
「若いもんはせっかちだね。もう少し休んでからにしたらどうだい」
「もう決めたの。ノニが反対しても行くわ」
「わかったよ。それじゃ、私もサッサリへ帰るとしよう。途中まで一緒だからね」
「ひとりでも大丈夫よ」
「いやいや、長居は禁物だ。そう言ってたのに……」
つぶやいたノニの声がかすれていた。
「クハンはラドムにとどまると言った。グルアナのそばにいたいんだと。声が聞けなかったのが、悔しいんだよ、きっと」
わざと嫌味なことを言うノニは、悲しんでいるのだと思う。
「せっかく会えたのに、また離ればなれになるなんて……」
クハンとノニが一緒に仲良く穏やかに暮らしていければいいのに。心底そう思った。
「私もクハンもそれぞれ居場所があるんだよ。そこからは離れられない。だから私は何も言わない。クハンも同じさ」
「私の居場所はどこかしら」
アラカは独り言のようにつぶやいた。
「サッサリの家はお前の家でもある。前にも言ったね。だけど、決めるのはお前だよ。ひとりでモエナ岬に立つと、きっと心が決まるよ」
それからふたりは微笑みをかわし、朝の静けさをしばらく楽しんだ。
ミリアとサモラは突然のふたりの出発を聞いてたいそう驚き、もう少しとどまるよう説得にかかった。だがふたりの意志は固かった。クハンはふたりの出発に反対もせず、ミリアの助けにはならなかった。
「クルアーン様が聖堂からお出になるのを確かめられてから、お帰りになればいいのに」
ミリアは心から残念そうに言った。
「ありがとう。アラカが決めたことなんだ。いい時に決めてくれたよ。これ以上いるとね、別れがどんどんつらくなる」
アラカは「本当にお世話になりました。ここで起こったことは一生忘れません」とミリアの手を握った。
「ハルファ皇子やアドラル様にはお伝えしなくていいのですか?」
ミリアがアラカにたずねる。
「昨晩、お別れしました」ときっぱり答えた。
「さあ、朝食にいたしましょう」
静かな朝食が始まった。オルギンでさえも口を聞かなかった。クハンは時々ノニの方に顔をやったが、何も言わずにそのまま食事をつづけた。
やがて食事が終わり、手持ち無沙汰になったオルギンがしゃべり出した。
「クハンのお供をすることにしました。クハンが住んでいた小屋もきれいにし、用心棒たちの供養塔を作ります。グルアナ様のおられる沼のほとりには、居心地のいい東屋を建てましょう」
「よけいなことはするな。わしは何も望んでおらん」
クハンが迷惑そうな顔をオルギンに向けた。だがアラカは、東屋にひとりたたずむクハンを想像できた。いつかグルアナの声が聞こえるかもしれないと思う。
馬車が用意され、ノニとアラカの出発の時がきた。
「クルアーンの住むラドムを守っていくつもりだ。王子も賛成してくださった。ノニ、元気で暮らしておくれ。アラカ、おまえの力を善きことに使うんだぞ」
クハンが微笑みながら言った。アラカは思わずクハンを抱きしめた。
「さあさ、行くよ」
ノニが悲しみを追い払うように言った。ノニを見つめるクハンをいとおしむように見つめ返す。
「ノニ、クハンのお世話はわたしに任せて下さい」
オルギンの言葉に、クハンは苦笑しながら返事した。
「ラドムに着いたら、すぐ逃げ出したくなるだろうよ」
突然の別れにサモラは涙のにじむような声で言った。
「また、会えるわね」
「ええ、きっと」
サモラの肩が揺れていた。サモラの肩にやさしく触れる。
たくさんの別れにアラカの心は震えていた。けれど、笑顔は絶やさなかった。
御者が馬に鞭を打ち、馬車が動き出した。御者台にすわったアラカはずっと後ろを向いてサモラに手を振った。馬車には幌がかけられ、ノニはその中から小さくなっていくクハンを見つめているだろう。そっとしておこうと思った。
馬車は森の中をひづめを響かせながら進んだ。道はすっかり整備され、馬車でも通れるようになっていた。これからはたくさんの人が行き来する道となる。
ミリアやサモラが村人たちと織物を作っていけますように。心からそう願った。オルギンはクハンにいやがられながらも、やると決めたことはやりとげるだろう。織物もひろめてくれるに違いない。
馬車の旅は快適だった。ノニもアラカも言葉少なく、それぞれの思いにふけっていた。初めてハルファと会った森を抜け、本道に出た。そこで馬車を止め、一夜を明かした。夜は冷え冷えとして、星の瞬きも一段とさえわたっている。
「ピサドに来てよかった」
たき火の火は小さくて、ノニの顔は見えなかった。けれどもノニは微笑んでいるはずだ。




