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20章 死の淵に立って


 アラカは懐かしいミルナスの家の前に立っていた。街から少し離れた郊外にある家はそれほど広くはなかったが、はちみつ色の壁に囲まれ、趣のあるたたずまいをしていた。通りから玄関まで両側に色とりどりの小花を従えた小径が続いている。中へ入ると、暖炉のある客間が見えた。そこには幼いアラカに贈り物の包みを差し出している父がいる。笑顔いっぱいで乱暴に包みを開けると、中から人形のメイが現れた。

 大喜びのアラカに父もうれしそうに顔をほころばせている。二人を見つめていた母も、思わず笑い声を上げてアラカを抱き締めようとそばに寄って来た。父の手を握り、母は満ち足りた表情を浮かべている。あの頃のアラカは無邪気で明るい少女だった。父と母もそんなアラカを愛していた。


 父の書斎に行くと、ピサドの言葉を教わっているアラカがいた。父は口を大きく開けて言葉を発し、真似をさせている。アラカが上手に発音すると、頭をなでてほめてくれた父がいた。階段を上り、自分の部屋へ行ってみる。少し大きくなったアラカがベッドに座り泣いていた。学院でのいじめでつらい思いをしていた頃だ。母がそっとやってきて、抱きしめてくれる。すっかり忘れていたが、何度も母は慰めてくれていたのだ。


 目をしばたたくと、部屋にはアラカひとりが強張った顔をして座っている。怒りだけがアラカを覆いつくしていた。怒りは心を歪ませ、苛立たせた。両親の不仲や学院でのいじめも影響しただろう。けれどもひとのせいにすることで、さらに闇が深くなったのではないか。十四歳になった今のアラカにはそう思え、痛みと後悔がひしと胸に迫ってくる。

 

 窓から外を眺めると、ミルナスを発った日がよみがえる。母が見せた悲しみをたたえた眼差し。眉間にしわを寄せ、硬い表情で倒されまいとでもいうように立っていた父。


 二人の想いが今になってようやくアラカの心にしみとおっていく。

 アラカはうめき声をあげた。すると誰かがアラカの額に手をのせた。重いまぶたをゆっくりあげてみる。

「アラカさん。目が覚めた?」 

 だれの声だろう。焦点が合わず何度も瞬きをしてみる。

「やっと気づいたのね。よかった! サモラです。覚えていますか」

 はっきりしてきた視界に、ひとりの女の子の姿が浮かび上がった。

「ああ、サモラ! ここは……ブリア村なの?」

「高熱で意識を失ったアラカさんを、ハルファ様たちが運んでこられたのです。険しい道だったとか。それから一週間も経ってしまって。ノニ様がつきっきりで看病なさっていました」

「みんなはどこに?」

「ノニ様は隣の部屋で休んでおられます。ハルファ様は宮殿にお帰りになりました。クハンさんは母とお茶でも飲んでいらっしゃるでしょう。ここは私たちの屋敷なのよ」


 ハルファは宮殿に帰ってしまった。当たり前のことだが、やはり悲しかった。

 扉が静かに開く音がした。サモラが後ろを向いてうれしそうな声をあげた。

「アラカさんが目を覚ましましたよ!」

「ずいぶんと心配させてくれたもんだね。でも、これで一安心だ」

 ノニの相変わらずの言い方に安堵する。

 聞きたいことが山ほどあった。だが口が思うようにまわらない。体をゆっくり横に向けてノニがしゃべり出すのを待った。

「急ごしらえの担架でクハンの小屋に運んだよ。薬草は十分あったが、ハルファがブリア村へ行くことを決められた。ピサドへ行くより近いからね。けど、大変な道のりだった。クハンの仲間たちでおまえを運んだんだよ」

「お礼を言わなければ……」

「クハンはここにいるが、クハンの仲間たちとはブリア村の前で別れたよ。ハルファの恩赦により、逃げる必要がなくなったからね。それぞれ好きなところへ行っただろうよ。ハルファは三日ほどここにおられた。お前のことを心配してね。だが中々意識が戻らなかったんで、仕方なく宮殿に帰られたよ」

 慰めるような口調に、アラカはしばらく言葉が出なかった。ハルファへの尊敬が芽生えたような口ぶりでもある。

「王様はわかってくださるかしら」

 ノニの手を握り、アラカがたずねた。

「グルアナ様に会って帰還した王族はずっといなかった。賢い王なら理解できるだろう。きっとこの国は元気を取り戻すよ」 

 ノニがアラカの顔をまっすぐに見つめた。窓からは木の枝がいくつも腕を伸ばし、緑の葉をそよがせているのが見える。葉が陽の光を浴び、きらきら輝いていた。ここは二階らしい。揺れている葉の後ろには空が青く澄み渡っていた。 

いつの間にかサモラがスープを運んできた。震える手でスプーンを握り、なんとか飲むことができる。スープを飲み終えると、また眠り込んでしまった。


メイがどこかで呼んでいる声がした。目を開けねばと思うのだが、糊でくっついてしまったようで開けることができない。

「メイ!」

 アラカは自分の声に驚き、目を開けた。メイは枕元に横になっていた。まわりにはだれもいなかった。目覚めた時からどのくらいたったのか、今が朝なのか午後なのかも分からない。

「寝てばっかりね。ノニがあたしをここに置いてくれたわ。そうでもしなきゃ、あんたはあたしのことなんか忘れてたでしょ」

 メイの服は少し汚れていた。しみのついた部分をつまんでこすってみる。

「ごめん。これからはもっと大事にするわ」

「あたしには全然そう思えないけどね」

 メイのため息が聞こえる。メイをきつく抱きしめ、頬ずりした。

 扉が開いてノニとサモラがやってきた。

「目が覚めてから二日経ったよ。そろそろ歩き出してみようじゃないか」


 二人に腕を支えてもらい、一歩を踏み出してみた。力が入らない。膝が震え、倒れそうになった。床が足の下でへこんでいくようだ。

 もう一歩歩いてみる。まるで歩き出したばかりの赤ん坊のようだった。それでも部屋を出て廊下まで歩いた。そこにはクハン、そしてミリアと夫のラジャムが笑顔で待っていた。

「お茶とお菓子があるわ。一緒に食べましょう」

 ミリアが先にたって歩き出した。階段をおりただけで、息があがってしまう。けれどもみながそばにいてくれるのがうれしかった。その一方で、メイをベッドに置き去りにしてしまったことが心に引っかかる。

「ハルファ様とアドラル様が明日いらっしゃるのよ。宮殿から知らせがあったの」

 何も知らないサモラが楽し気に言う。アラカはお茶を静かに飲んだ。

 ミリアが話しだした。

「王は皇子が無事に戻られたことを喜んでおられます。皇子がグルアナに約束なさったこともお認めになられました。皇子のご結婚は盛大に執り行われるでしょう。クルアーン様をやっと解放できるのです。クルアーン様の糸で織物を作ることはもうできないでしょうね。この村は大きく変わります。いえ、変えねばなりません。柵が取り払われるのですもの。そして誰もが好きな所に行ける」 

 ミリアは村長らしく威厳に満ちた声で言った。ラジャムが誇らしげにミリアを抱き寄せる。ノニも喜んでいるようだった。二人は和解したのだろう。


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