表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/45

18章 グルアナ様

 扉を強く叩く音でアラカは目を覚ました。クハンがベッドをきしませて起き上がる。ノニも体を起こした。ふたりは床に寝袋を敷いて寝ていた。

「大変だ!」

 扉の向こうで誰かが叫んでいる。

 クハンが扉を開けたとたん、クハンの仲間の男がしゃべり出した。

「用心棒たちが勝手にグルアナを退治すると言って出かけたぞ! オランが金欲しさに案内を買って出たらしい。いつもあんたを目の敵にしていたからな」

 クハンの後からアラカたちが小屋を走り出た。料理人のヤナムは壊れかかった小屋の隅で縮こまっている。クハンが問いただすと、ヤナムが怯えながら話し出した。

「日が昇る少し前に男がひとりやってきた。金目の物をよこせば、グルアナのいるところまで案内すると声をかけたんだ。あいつら、腕が振るえなくて退屈してると、ずっとこぼしていた。それに手柄を立てたいとも言っていたんだ。それで出かけて行った」  

「なんと愚かしいことを! グルアナ様にこれ以上傷を負わせちゃいけない。戦いを挑めば、たとえ傷ついているグルアナ様でも人間の二人や三人、簡単に倒せるだろうけどね。それに、バカ者たちだがこのままにはしておけないよ。さあ、クハン、どうする?」

「勝手に出かけた奴らなんだ。どうなろうとちっともかまいやせん」 

「見殺しにする気かい!」

ノニの苛立った声にクハンの額の皺がさらに深くなる。大きく息を吐いてから観念したように言った。

「わかった。出かけよう」  

「アラカ、支度を」

 いきり立ったノニが早口で言った。アラカは言われるまま小屋に戻り、身支度を整える。

「食料がいるな。歩きながらでも食べんと、もたんぞ」

 クハンが言った。クハンは仲間を二~三人連れて行くようだ。声を掛けている。 

 クハンとその仲間二人、そしてノニ、アラカは急いで広場を後にした。 


「道などない。わしだけが行き方を知っていると思っておった。オランはわしをつけてきたことがあったんだな。油断しておった」

 吐き捨てるように言うと、クハンは木の幹にひもでしるしをつけながら歩く。

「わしがいなくても、無事に小屋に戻って来られるようにするためだ。帰り道はこのひもを外しながら戻るんだぞ。簡単にグルアナと会わんようにな。グルアナが神というなら、その御心は人間には分からん。それに恐ろしい姿をしているぞ」

 アラカの胸は激しく震え、恐怖で身がすくむ。クハンがさらにつぶやいた。 

「オランに連れられた用心棒たちが敵意を見せれば、グルアナの怒りを買うことになるだろう。そのあとどうなるか、覚悟はしておかねば」

「まだ死ぬつもりはないが、いざとなったら命は惜しまないよ」

ノニがクハンの耳元でささやくのが聞こえた。

 

 朝は明けたばかりで、沼から立ち上った煙霧がじわじわと辺りに広がっていく。生き物の鳴き声も聞こえず、泥道を行くアラカたちの足音だけが、ビチャビチャとあたりに響いていた。  

「どうやってグルアナに会ったんだい?」

 ノニが歩きながらたずねた。アラカも聞きたかった。

 クハンは一呼吸してから話し出した。

「まだここに来てまもない頃だったな、初めて出会ったのは。あちこち歩き回っていたんだ。じっとしていたら、気が狂いそうになってな。ひたすら動きまわったよ。ある日、大きな沼のほとりに出た。わしは疲れて岩に腰をおろし、ただ沼を見つめておった。その時、沼の水面に波が立ち始めた。不思議に思って目を凝らしていると、沼の真ん中あたりが盛り上がって、大きな生き物が姿を現したんだ」 

 クハンはアラカたちのようすをうかがうように言葉を切った。

「そいつは水をしたたらせ、わしの方に近づいて来た。人間の数倍もある蜘蛛のような生き物だった。四つの目がぎょろぎょろと動き、八本の脚先は刀のように鋭くなっている。大きな口の端からは鋭い牙が二本飛び出していた。うろこで覆われた体にも棘が生え、それは恐ろしい形相だった。これが噂に聞いたグルアナだと思った。眉間の辺りに剣が刺さっていたからな。わしは足が震え、動けなかった。食い殺されるのも運命だと観念した」 


 ノニは神妙に聞いていたが、アラカはとてもグルアナの傍に行く気にはなれそうもない。

「だがそいつはわしのようすをうかがっているだけで、何もしなかった。そして一声唸り声をあげると、そのまま沼の中に消えていった。わしはひざまずいてそいつに感謝した。それから何度もその生き物に会いにいった。なぜだかわからん。会えた日もあれば、会えなかったこともある。会えた時はただ黙ってそいつを見つめていた。そいつもわしを見つめていた。不思議なんだが、恐怖を超えた先の穏やかな時間だった気がする。だがある時……」

 クハンは長い髯をひとなですると言葉をつづけた。

「わしより先に男が来ておった。追われた者だったろう。話しかけようと一歩踏み出した時、グルアナが沼から現れた。男は叫び声を上げるのも忘れ、呆然と見つめるだけだった。恐怖で足が動かなかったんだろう。男は腰に下げていた刀を振り回し始めた。何もしなければ生きていただろうに。グルアナは長い脚ですばやく男を捕まえた。わめきながら暴れる男をくわえ、そのまま沼へ沈み込んだ。それからわしは、しばらく会いに行けなかった」

「そんな恐ろしいグルアナ様なのに、一緒に穏やかな時間を過ごせるものかね?」

 ノニが考え込むように尋ねた。

「畏敬の念に打たれたとでも言おうか。山奥の不気味な沼に、人間を超えた力を持った生き物がひっそり住んでいる。わしの孤独と重ねたのだろう。恐ろしい姿と思うのは人間の勝手な見方かもしれん。そんな風に考えたこともあった」


 アラカは独り言のように呟いた。

「グルアナ様はあなたを襲わなかった。それからまた会いに行ったのかしら?」

「ああ、しばらくして行ったとも。グルアナはいつも静かだった。それはわしが敵意を見せなかったから、逃げ出さなかったからだと思う」

 アラカたちはそれから数時間歩き続けた。どの顔も汗でひかっている。だが誰も休もうとは言わなかった。

 煙霧はいつの間にか消え、うっそうとした木々が姿を現していた。その向こうに黒々とした沼が見えた。


 クハンが突然立ち止まった。唇に人差し指をあて、目を細めた。

 男たちも体をこわばらせ、前方を向いている。アラカは神経を集中させ、何かを感じ取ろうと試みる。微かだが、背筋が寒くなるような匂いがしてきた。

「血の匂いだ」

 クハンがささやいた。

 静けさがあたりを包み、誰もが石像にでもなったように体を固くしている。アラカは息をひそめ、耳を澄ました。何も聞こえない。 

 クハンと仲間がゆっくりと前へ進んで行く。枝をよけ、腰を落とし、慎重な足取りで歩く。アラカとノニも音をさせないように進んだ。木立がしだいにまばらになり、沼の匂いが血の匂いと混ざってさらに濃く漂ってきた。


 クハンが「かがめ!」と手で合図した。草の影にしゃがむ。アラカは草の間から前方を見つめた。草むらの向こうには、うす曇りの空が広がっている。その下には大小さまざまな岩が並ぶ岸辺と暗い沼があった。沼から体を半分だけ出しているグルアナが、岩の影から斜め前に少し見える。クルアーンより大きいように思えた。アラカは体中にぞわっと寒気が走った。うろこがよろいのように体を覆い、藻がからみついている。背中にいくつもの鋭い突起があり、飛び出した目でぎょろぎょろと岸辺を見回していた。

 

 アラカは全身が総毛立ち、歯ががちがちと鳴った。ノニの体も小刻みに震えている。  

クハンが岸辺に立つ屏風のような大きな岩の後ろになんとかたどり着く。アラカも後につづいた。ノニは転びそうになりながらついてきた。岩かげからアラカが恐るおそる顔を出すと、用心棒たちが岸辺に血だらけの手足を投げ出して倒れているのが見えた。グルアナはじっと沼につかっている。

「あれはオランだ」

 クハンが沼に半分浸かって倒れている男を指さしながら言った。用心棒もオランも死んでいるように見える。アラカは目の前のむごたらしい光景にめまいがした。グルアナが体をゆっくり動かした。沼の水面が大きく揺れた。顔だけはこちらを向いている。まだ人間がいるのだと思っているのだろう。

 その時、アラカはどこからか声が聞えてくるのに気づいた。

<わが声の聴こえし者よ>

 グルアナの声に違いない。クルアーンの時と同じように耳の奥が振動を受け取り微かに震えているような気がする。

「声が……」

 アラカは乾ききった喉をごくりと鳴らした。

「聞こえたんだね」

 ノニが尋ねる。

「ええ。傍に行かないと。でも……」

「大丈夫。私がついているよ。さあ、行こう」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ