16章 アラカの痛み
「お前には占い師の勘が備わっていると気づいてはいたんだよ。手相の勉強もしてたしね」
朝食を終えて、アラカとノニは揺れる馬車の中にいた。
「勉強なんてしてないわ。占い師になるつもりなんかないもの」
ノニは鼻先で笑った。
「一生懸命、本を読んでたじゃないか。私の話すことを一心に聞いてたじゃないか。素質があると思うがね。自分の手は観ただろ?」
確かにアラカは自分の手相を知っている。故郷を離れ、他郷で暮らすという手相を。けれど、信じたくない気持ちが勝っていた。まじまじとノニを見つめる。ノニの顔は穏やかに笑っていた。心の中がじんわり温かくなってきた。
見守っていてくれたんだ。
とがった心が少し溶けていく。
「おまえの母さんも父さんも、正しいことをしたんだよ。追い出されたなんて言うんじゃない」
アラカは思わず両手で顔を覆い、突っ伏した。
「おまえはここに来る運命だったんじゃないかね。そして今、おまえはその運命を受け入れようともがいている」
ノニの手がアラカの髪をなでた。
しばらくして、アラカがくぐもった声でしゃべりだした。
「父や母に愛された覚えはないわ。愛していたと二人は言うけど、自分勝手な愛し方されても迷惑なだけ。父は特にそうだった。たまに機嫌がいいと、嫌がる私をくすぐりつづけたり、追いかけまわしたり。泣き出すと、わがままだと言って怒り出す。『遊んでやってるのに』って、よく言われたわ」
「子どもの扱い方がわからない大人もいるよ」
「機嫌が悪い時は……ほとんど毎日だったけど、強張った顔で怒鳴りつけたわ。父が帰ってきたとたん、家の空気が冷たくなった。母も私も息をひそめるようにしていた。母はびくびくして、私が父の機嫌を損ねないように見張っていた。怒鳴られても、母は守ってくれなかった。小さい時からそんな二人にうんざりしていた」
ノニは慰めるふうでもなく、黙ってアラカの言葉を待った。
「父は私が大きくなるのを見たくなかったのよ。だから贈り物はいつも幼稚なものばかり。反論しだしたら、生意気だと大声で怒った。私は生きている。でも父は、自分が都合よくかまっていられる子どもが欲しかっただけ。母がこっそり後で慰めてくれたけど、それもうっとうしかったわ」
ノニが小さく息を吐いて言った。
「私は小さい時両親を亡くしているし、オルギンも親には縁がなかったから苦労したよ。親がいてくれたらと、いつも思っていたものだが。いつも両親の顔をうかがって暮らしていくのも、小さい子にはつらいだろうね」
「怒鳴られないように気をつけてた。でも八歳の時にやめた。二人と顔を合わさないように部屋に引っ込むことにした。それからよ、家を抜け出て街に出かけることを覚えたのは。学院に行けば、みんながじろじろとへんな顔で見た。どこから来たのか、必ずみんな聞くの。それが嫌でたまらなかった。私はどこにいればよかったの?」
悲し気な表情を浮かべ、ノニはアラカの背中をさする。
「父はミルナスで、母の両親の商いを手伝っていた。きっとうまくいかなかったのね。『お前たちのために俺はこんなに苦労してるんだぞ』父の口癖よ。とうとう母は私が十一歳の時、父と別れた。それからも時々、父の声が家の門の外で聞こえたわ。でも母も私も知らんふりした。いい気味だと思った」
「今もそう思っているのかい?」
アラカは答えたくなかった。
「ここに来る前まで、遊び回っていた。学院にも行かなくなって、家のお金も盗んだわ。祖父母の店の商品だってお金に変えたし。祖父母は呆れて、山奥の修道院に入れろと母に何度も言ってた。でも追い出されるわけはないと思い込んでいたの。だからここに来させられたのはすごく腹が立った。許せなかった。親もミルナスも好きってわけじゃないのに……」
「おや、そうかねえ。ま、そんだけ悪さをすりゃ、追い出されるのは当たり前だね。自業自得だ」
ノニがさらりと言ってのけた。アラカは口を曲げて苦笑いする。ノニの言葉を今は素直に受け止めることができた。不思議だと思う。
「ねえ、どうしてクルアーン様は私を選んだの? ただのいじけた子なのに」
「神様の気持ちなんてわからないよ。わかっているのは、お前は選ばれし者だってこと。お前の行く末に大いにかかわっていくのは間違いないだろうね」
アラカはまっすぐにノニの顔を見つめ、しっかりうなずいた。
「わたしの傍にずっといてくれるの? そう信じていいの?」
「当たり前だ」
ぶっきらぼうに言うノニが頼もしい。ノニと出会え、旅を始めたことでミルナスにいた頃とは違う気持ちが湧いてきた。父や母はこうなることを願っていたのだろうか。アラカはフッと微笑んだ。心に巣くった闇が少しずつ薄れていくように感じる。だがその反面、メイの存在が不確かなものに変わっていくのは悲しく思われた。
「ねえ、聞かせてほしいの。ミリアさんとどうやって出会ったの?」
「占い師としてピサドを巡っていた話はしたね。クハンから離れ、ひとりで旅していた時だった。マサナ村へ行く途中で街道からブリア村へ行く脇道があったろ?」
アラカが頷く。
「そこにたどり着いた時、どうしても脇道へ行かねばという強い気持ちが沸き起こった。そっちに行ったって、村があるわけがない。ブリア村があるとは知らなかったんだ。森の奥には行きたくなかったしね。驚いたよ。柵に囲まれた場所を目の当たりにした時はね。ここが噂に聞いていたブリア村だと直感でわかった。導かれたと、不思議な気がしたよ」
「でも兵士がいたんでしょ? どうやって中へ入れたの?」
「兵士に村長に会いたいと頼んだ。もちろん断られたよ。最初は諦めてすごすごと元来た道を戻った。何度も訪ねたんだ。どうしても、行かねばと思った。何回目だったろう。顔の知った兵士の手を観てやった。兵士はたいそう気をよくして、隊長を連れてきた。占い師であることや、何かに憑かれるように来たこと、血のつながりを話したね」
「隊長はわかってくれたのね」
「ああ、それでやっとミリアが門にやってきた。すぐに中へ案内されたよ。ミリアに事情を話すと、クルアーン様に会わせてくれた。初めてクルアーン様に会った時は驚いたし、恐ろしくも感じた。クルアーン様の荒れた心はすぐに感じられた。悲しんでいるのもね。だが、何もできなかった」
ノニが無念そうに眉を寄せた。
「この島が荒れ始めていると気づいたのは、占いに来るお客たちとのおしゃべりからだ。いろんな地方からいろんな仕事についている人間が来るからね。けど、それがクルアーン様やグルアナ様と関係があるとは思っていなかった。初めてブリア村に伝わる歴史書も読ませてもらって確信したんだ。この島に陰が差しているわけをね。それから何度も出かけて行ったよ。村人の手相も観た。けれども何も起こらなかった。私は力のなさに落ち込んでね。年も取ったし、数年前から行くことをやめてしまった。だが心のざわつきを消すことはできなかったよ」
節だらけの指をもみながら溜息を吐く。
「情けない話だ。けど、何ができたろう。クルアーン様はじっと待っていたんだね。お前がやってくるのを。ハルファのことは、ミリアは口が堅くて言わなかった」
穏やかな別れとならなかったことをノニは後悔しているだろうか? ノニの表情からはまったくうかがえなかった。ふたりが黙り込んだ時、馬車が止まった。




