十四章 宮殿にて
朝になってもオルギンの姿はなかった。自分の屋敷にも帰らず、何処で何をしているのだろう。アラカは昨日の言い争いのせいではないかと、少し心配になる。
「そんなやわな男じゃないよ。どっかからそのうち現れるだろう。オルギンが帰ってくる前に出かけたいけどねえ」
朝食を済ませ、部屋に戻ろうとした時、玄関の扉を叩く音がした。ノニは召使が来る前に扉を開けた。襟の周りとベルトに金糸で刺繍の施された黒い長衣を身に着けた男がきりっと鋭い眼を向ける。
「ノニ様とアラカ様にお取次ぎを。馬車を待たせてあります」
「ノニは私だよ。では行こうか」
男は慌てて頭を下げた。召使と思ったらしい。アラカはメイの入った袋を肩から下げ、ノニの後ろに続いた。道に止められた馬車の周りには人だかりがしていた。王家の紋章が飾られた豪華な造りの馬車を珍しそうに見ている。男は人々を押しのけるように手を振りながら道を開け、二人を馬車に乗せた。
馬車が通りに差し掛かった時、馬上からじっと眺めていた男にアラカは気づいた。オルギンだ。ちょうど屋敷に帰って来たのだろう。目を合わせる暇もなく、アラカはホッとした。馬車は勢いよく街なかを通り過ぎていく。
「オルギンがいたわ」
「そうかい。ついてこなきゃいいけどね」
ノニの声は自信の無さでくぐもっていた。
馬車は街のはずれの高台を目指している。やがて金色に塗られた柵が巡らされた宮殿の入り口に着いた。四方を尖塔に囲まれ、その中央にはドームがどっしりと建っている。アラカは眼をみはった。ノニも何も言わずに見つめている。どうやら同じ気持ちらしい。
大きな門には衛兵二人が直立不動で立っていた。門がゆっくりと開き、そのまま馬車は広い敷地に向かう。御者台から下りた男はうやうやしく二人にお辞儀をし、入り口まで案内すると、そのまま馬車に戻って行った。大きな扉の前には髭を生やした大臣らしき男が立っている。鮮やかな緑の長衣にベルトをキリリと締め、威厳に満ちた容貌だった。
「ようこそおいでくださった。わたくしはハルファ様にお仕えするシドミルと申す者。皇子はお待ちかねですぞ。さあ、ご案内いたしましょう」
ニッコリ微笑むと、シドミルは大股で歩き出す。
広間は天井から壁一面、色とりどりのモザイクで飾られていた。丸い柱の唐草模様は浮き出るように彫ってある。天井には王の勇ましい姿や動植物が黄金の縁取りの中にところ狭しと描かれ、見る者を圧倒した。あまりの壮麗さにアラカはあちこち眼をやり、溜息を漏らす。
部屋をいくつも通り越し、何人もの貴族らしい男女とすれ違う。女たちは輝く装飾品を身に着け、長衣は刺繍が施されて床に届くほど長い。みな、二人を見ると珍しそうに立ち止まる。だがシドミルは軽く頭を下げ、挨拶するだけだ。
「ここですよ」
シドミルが扉を叩き、開けた部屋にアドラルとハルファが座っていた。
「ノニさん、アラカ。待っていましたよ。さあさあ、中へどうぞ」
白い長衣をまとったハルファが立ち上がり、ノニの手を取った。アドラルも淡い紫の長衣を身にまとい、首や耳を飾る宝石を輝かせ、恥ずかし気にハルファに寄り添う。
「まずはお茶を。お疲れじゃないですか?」
気遣うようにハルファがノニに椅子をすすめた。
「さっさと話しを始めたいね。王はどうしていらっしゃる? これからでも話せるのかい? こういうところは苦手でね。早く済ませたいんだよ」
不愛想なノニが言う。
豪華な家具が並び、分厚い絨毯が敷かれた部屋に着飾ったハルファとアドラルがいる。アラカは自分の洗いざらしの服が恥ずかしくなり、確かに居心地が悪いと思った。
「分かりました。王もお会いになるつもりでいらっしゃいます。一応、お二人のことは伝えました。私はどうしても王に納得していただき、クルアーン様の解放とグルアナに刺さった剣を抜くことをお許し願えればと考えています。大変な使命を言い渡されたアラカの役に立ちたいと思っているのです。王がお許しになれば、アラカの行動は正当化される。罪に問われはしないでしょう。王は中々、頑固な方だ。わが祖先の間違った歴史書を覆すのには勇気がいる。けれど、このままではこの国は滅んでしまう。なんとしても理解して頂かないと。もし、お許しにならない時は覚悟を決めねばなりません」
アドラルの顔が不安そうに歪んでいる。ハッと気づいたのか、なんとか表情をやわらげハルファを見つめた。
「あなたとアラカを信じています。王はきっとお許し下さいますとも。もしもの時は、私もご一緒に罪びととなりましょう」
アドラルの手を握り、ハルファは微笑んだ。アラカは部屋を飛び出したくなった。すっかり王宮に馴染んでしまったようなアドラルを見たくなかった。
「それでは参りましょう。アドラルは残念ながら、まだ謁見を許されていないのです。ですから辛い思いをさせています」
アドラルは悲し気な顔で、それでもなんとか笑みを浮かべている。アラカの胸はジンと痛んだ。先ほどの思いを打ち消す。
ハルファを先頭に四人は部屋を出て、王宮の奥へ進んでいった。
「今日は貴族たちの王へのご挨拶の日なのです」
ハルファが歩きながら言う。
謁見の間にたどり着くと、衛兵が二人、静かに扉を開けた。大広間には大勢の貴族と夫人たちが立ちながら話をしている。ハルファが現れると、一同が話を止め、腰を上品にかがめて挨拶をしていく。一番奥に金色に輝く玉座があり、王が王妃を傍にして座っていた。
ハルファがにこやかに挨拶を返していく。その場の人々は怪訝そうな顔をして、アラカやノニを見つめている。ハルファが王の前に立つと、王は手で何かを払うようなしぐさをした。人々は衣擦れの音をさせながら部屋から去って行く。
ハルファとシドミルが王に一礼をしたが、ノニは背筋を伸ばしたままだった。アラカは小さく腰を屈めた。
「父上、さっそく二人を紹介いたします。占い師のノニとノニの遠縁にあたるアラカです」
王は大して興味もなさそうに頷いた。顔色は青白く、だるそうに玉座に寄りかかっている。王妃が心配そうに王の手を握っていた。
「アラカはクルアーン様の声を聞いたと申しております。さあ、アラカ、私の傍に来て、王にお伝えしておくれ」
ハルファの言葉に、王はため息を漏らした。聞きたくなさそうだ。ハルファに促され、アラカは一歩前に進み出た。
「クルアーン様はおっしゃいました。助けとなる正しき者を見極め、力を合わせ、グルアナ様に刺さった剣を抜き、我らを解放せよと。それが叶ったなら、この国は豊かになるだろうと」
下を向いたまま、震える声でアラカは話した。
「助けとなる正しき者とは誰か?」
王が尋ねる。
「ノニ……だと思います」
口添えを乞うようにアラカはノニに眼をやった。ノニは真っ直ぐ王を見つめている。
「わが皇子ハルファではないのか? 何故じゃ?」
アラカは返答に困った。
「真の助けとなる者はまだ分かりませぬ。ハルファ皇子であるかもしれませんな。王はそう願っておられるのか? その時だけ王はクルアーン様のおっしゃったことをお許しになると申されるのですか? まったくもって、勝手放題なお考えでございますな」
アラカは驚き、ノニをじっと見やった。ハルファが王の顔をじっと見つめている。王は大きく咳をし、苦しそうに言った。
「なんとでも言うがよい。初めから信じておらんからな。少しばかりからかっただけじゃ。この国の者でもない子にクルアーンが話しかけただと? 嘘、偽りに決まっとる。お前たちはまつりごとを何も知らぬ。そんな者のたわけた話など聞きたくない」
ノニが鋭い視線を王に向ける。
「王はブリア村に伝わる言い伝えをご存じでありましょうか? 先住民の血を引く、閉じ込められた民の悲しい運命が語り継がれております」
「皇子に聞いた。ただの言い伝えにすぎん。ハルファが危惧しているこの国の存亡に関係があるとは思えん。国はちっとも衰えてなどいないぞ。我が息子は世継ぎでありながら、王宮を離れ、好き勝手に民の元に下りていき、いかがわしい話に乗せられている。お前たちもその類であろう。もう聞き飽きた!」
王がよろよろと立ち上がる。
「王は民あって、初めて王となりまする。その民を大事に思い、民の生活を見聞きし、世情を知らなくては真の王とは言えませぬ。皇子は広くこの島を巡り、今、ピサドが衰退の一途をたどっていると理解したのです。そのような皇子の言葉を信じませぬか? それほどに王は年を取ってしまわれ、正しきことも成さぬ方となり果てたのか」
王は怒りをあらわにし、震える手でノニを指さす。
「お前など、命ずればすぐにでも処刑できるのだぞ。皇子の願い故、会ってやったのだ。それを無礼な態度で返すとは! もうよい。下がれ!」
「父上、なにとぞ、お聞き上のほどを。国を守るにはクルアーンとグルアナの解放しかありません。ノニとアラカ、そしてわたくしをお遣わし下さい。たとえ父上のお怒りをかってでも、わたくしはラドムに参る所存でございます。どうぞ、お許しを」
ハルファは深く頭を下げた。
「許さん!」
悲し気なようすの王妃がハルファに首を振り、苦し気な王の腕を取った。家臣も傍に寄り、一緒に部屋を出て行く。
ハルファは無念そうに拳を作り、床を睨みつけている。シドミルがノニたちをそっとハルファの部屋に連れて行った。事情を知ったアドラルがノニの手を取り言う。
「シドミル以外、誰も彼の言葉を信じようとしません。宮廷内の生活は想像以上に堅苦しく規律が厳しくてとても馴染めません。ハルファとは中々会えないのです。寂しくて、できれば、村に帰りたいと思っています。愚痴を言ってごめんなさい。でも一方では傍にいなくてはとも思うのです。占いをくつがえすことはできるのかしら?」
アドラルは椅子に静かに座り、アラカを見つめる。思わず目をふせてしまったアラカは返事もできない。どんなにか辛いだろうと思うが、想像するのは難しかった。
今、アラカを悩ませるのは正直なところ、アドラルより、他のことだった。真の助けとなる者。それはノニだろうか? それともハルファなのか? あるいはまだ会っていないだれかかもしれない。迷いがむくむくとアラカの胸の内に湧き上がっているのだった。
ノニはイライラしながら部屋を歩き回っている。
「悪かったね。だが、どうしても言いたくなってしまうんだ。だいたい、どうしてここに来なきゃならなかったんだい? ばかな王の許しなどいらない。私たちは正しいことをやるだけだ。ハルファには彼の役目があるんだろう。私たちには関係ないよ」
アラカはノニの真意がつかめない。ハルファが助けとなる正しき者かもしれないと言っていたのに、それを信じてはいないようだ。王を怒らせたかっただけかもしれない。これほどに王家を嫌うのは、過去に何かあるのだろうか? もっと穏便に話をすれば、王の理解を少しは得られたかもしれない。そう思えた。
ハルファが沈んだ顔で部屋に入って来た。そのまま椅子に座り込んで何も言わない。
「私たちはラドムに向かうよ。王を説得するには時間がかかりそうだ。できるかもわからないしね。待つなんてできない話だよ。あんたの好意には感謝する。せっかく王に謁見できたのに、無駄にしてしまったね」
帰り支度をしながらノニが言った。
「せっかく来ていただいたのに、王は耳を貸しても下さらない。嫌な思いをされたでしょうね。申し訳ありません。病のせいですっかり王は弱気になってしまわれた」
無念さを隠せないハルファが返事をする。アドラルが立ち上がり、ハルファを抱き寄せる。苦労していることをハルファに見せまいとしているアドラル。アラカは早く街へ戻りたいと思った。二人を見ていると、醜い感情に侵されそうだった。
ハルファが微かに笑顔を見せ、ノニの両手を握った。
「私もラドムに行きます。でも、王と話をもっとしなければ。ミリアや他の村の者たちに集まるよう伝えてあります。直接、話を聞いて頂くのです。ノニさん、ご無事な旅でありますように。そして、アラカを頼みます」
ノニは何も言わず、手を握り返した。
「アラカ、使命を果たすのは勇気が必要だね。私も見習わねば。ラドムで会おう」
近寄って来るハルファに、アラカは背を向け部屋を出た。気持ちを抑えるのが精いっぱいで、優しい言葉など余計に苦しくなるだけだ。何もわかっていないハルファに腹が立った。分かるはずもないのに……。




