森の中で
翌朝、目覚めた時、男はすでに起きて歩き出そうとしていた。
「何処へ行くの」
アラカも立ち上がり、服のしわをのばす。
「おはよう。朝は森の気が一番濃いんだよ。それをいただこうと思ってね。来るかい?」
黙って頷き、一緒に歩き出した。朝は明けたばかり。ノニはまだ寝袋の中だ。
男は何も言わず、しばらくあてもないようすで木々の中を歩いている。すると目の前に大木が現れた。根が土を突き破り、蛇のようにのたくっている。太い枝は何本も好き勝手にあらゆる方向へと伸びている。サモラと一緒に上った木を思い出した。だがこの木の方がさらに空に伸び、周りの木々よりも一段と背が高かった。
男は裸足になり、上り始める。そして時々、アラカに手を差し伸べてくれる。
どうやって下りたらいいのかわからないくらいの高さまで上ると、眼下に何処までも続く森が見えた。遠くに聖堂のてっぺんだけがわずかにのぞいている。男にも見えているはずだが何も言わない。ブリア村を知っているのだろうか? 不思議に思ったけれど、聞かない方がいいように思えた。
太陽は昇ったばかりで、雲一つない空はオレンジ色に染まっていた。木々の葉はまぶしい光を受けて、金色に輝いている。
太い幹にアラカの背を寄りかからせ、男はさらに太い枝の先へと歩いて行く。まるで綱渡りのようだ。
「森の凛とした空気を感じるかい?」
アラカは深呼吸してみた。木々の匂いがさわやかだ。
「気持ちがいいわ」
男は話し出した。
「ある森の奥深くで老人と出会った。この島の先住民の血を継ぐひとでね。その老人から手ほどきを受けたんだ。古い言葉も学んだ。ずいぶん時間はかかったけどね。森の気を正しく体いっぱいに吸い込んでいくと、心が落ち着き、すべての生き物の存在がいとおしくなる。その気持ちが森に住む動物たちとも話しをさせてくれるんだ。さあ、やってみよう」
男は両手を前に伸ばし、手のひらを上に向けた。そのまま目をつむり、じっと立っている。ゆっくり深呼吸を繰り返したあと、手を上下左右に優雅に動かし始める。体も手に合わせて左右に動かす。足はしっかり枝をとらえふんばっている。動かし方はいく通りもあるようだが、男はそらんじて、まるで踊りを優雅に舞っているふうだった。それから胸の前で手を組み、何かを唱え始めた。
アラカには何もつかまらないで枝の上に立つなんてできそうにない。だから幹にもたれながら、男の真似をしてみる。新鮮な空気がいっぱい体の中に入っていく。初めてやってみたことだが、自然に笑顔になっているのが不思議だった。目を向けると、男も笑っていた。アラカも笑みを返す。
「そろそろ戻ろう」
男は上手に枝を伝いながら、下におりて行く。アラカも無事に地面に降り立った。
ノニはやっと目を覚ましたところのようだった。アラカはさっそく食事の用意を始める。ノニは何も言わず、たき火の前に座った。男もその隣に腰かける。
「わたしはハルファと申します」
ていねいに男はノニに頭を下げた。ノニは名乗ろうか迷っているようすで、すぐには返事をしなかった。そのかわりしげしげとハルファを見つめている。
ようやく決心がついたのか、ぶっきらぼうにノニは言った。
「私はノニ、この子はアラカ」
ハルファがアラカから渡された皿を持ったまま頷く。
「早く食事をすませておくれ。すぐに出かけたいからね」
食事が終わると、火を消して三人は出発した。
「街道まではご一緒しましょう。獣たちがまたやってくるかもしれない」
アラカの荷物をハルファが背負おうとするのをやんわり断った。ノニが口をきつく結んで見つめていたからだ。
「私の荷物と交換しましょう。ずっと軽いですよ。私の大事なものを預けます。それなら安心でしょう」
背中の袋をアラカに渡し、ハルファはアラカの荷物をさっさと背負った。
それから三人は何も言わず、ただ森の中の道を歩き続けた。アラカは荷物が軽くなっただけでなく、気分も軽やかになっていった。
昼食を終えると、ノニが突然ハルファに言った。
「両手を見せておくれ。わたしは占い師のはしくれでね」
ハルファは少し躊躇したが、両手を差し出した。アラカもノニの横に座る。
手の平の下、そのちょうど真ん中あたりから、まっすぐ中指に向かう線がくっきりと見えた。そして親指の付け根から、これもまっすぐに線が手の平を横切っている。
ノニはハルファを見あげた。その顔には当惑の表情が浮かんでいる。
珍しい手相だわ。もしかしたら高貴な血筋の方?
アラカは本にあった線をしっかり覚えていた。
ハルファは手をさっとひっこめてしまった。
「さあ、行きましょう」
ハルファは立ち上がり荷物を背負うと、二人を待たずに歩き出した。ノニから何も聞きたくはないようだった。
それから街道に出るまで、アラカとノニはハルファの背中を見ながら歩き続けた。
日が暮れる頃、ようやく街道に出た二人は、ハルファが道の脇で荷物を下ろし、待っているのが見えた。
「何も申しますまい。さあ、お行きなさい」
ノニが用心深い声で言った。
「マサナ村でお会いしましょう」
ハルファはそう言って、笑顔を見せ歩き出した。
アラカとノニはハルファを見送るように、しばらくその場でじっとしていた。




