七章 アラカの使命
「なんておっしゃった? 聞かせておくれ」
ノニはアラカを傍に引き寄せると、腕を揺さぶりながら尋ねた。
「『わが声の届きし者よ』って言ったと思う」
アラカはノニの驚くようすに不安が募ってくる。
「なんで、お前に声が聞こえるんだろう?」
「私だってわからないわ」
ノニはアラカの手のひらを見つめる。そして口を堅く結び、しばらく考えにふけっていた。それから、大きな息を吐き、悟ったように呟いた。
「ああ、そうだったんだね。なんてこった! 私は大きな間違いを犯していたんだ。私の役目はお前を連れてくることだった。そうとは知らずにうぬぼれて……。もっと早くお前の手を観ておくんだった」
ノニがベッドにどかりと座る。アラカは自分の手を見つめたが、動揺しているのかはっきり見定めることができなかった。
ノニは自分の力の無さに落胆しているのだろうか? もしかしたら、私は恨まれる?
「どうしたらいいの?」
ノニがアラカの手を握った。
「早速、クルアーン様のところに行きたいが、明日の朝、一番で出かけよう。ミリア様にも話さないといけないしね。……そうか、そうだったんだ。お前には私より強い力が備わっている」
「そんなこと信じられない」
「私だってさ。本当に不思議なことがあるもんだねえ。ただ旅に付き添ってもらいたいと思ってただけなのに。……アラカ、しっかり頼んだよ。覚悟はできてるね」
アラカはどう返事していいか分からなかった。ノニが誇らしげにアラカを見つめている。
「明日も声が聞こえるかしら?」
「きっと聞こえるよ。大丈夫」
そう言ってから、ククッと小さく笑う。
「サモラを丸め込んだんだね。油断ならないったら……。まあ、そのお陰で少し光が見えてきたんだ。文句は言わないよ」
「ノニは私をクルアーン様に会わせるつもりだった?」
おずおずと尋ねてみる。
「会わせなかっただろうね。私は自分が何とかせねばと思っていたから、お前のことなどまるで頭になかった。情けない話だよ。そうそう、ミリア様にはサモラを叱らないようにお願いしないとね。さあ、寝るとしよう。明日は大変な日になるよ」
ノニがベッドに横になると、アラカは自分の部屋に戻った。
「ノニは複雑な心境だわね。あんたに期待しながら、悔しい気持ちもあるはずよ。自分ができなかったことをあんたはやってのける。名声を横取りされるわけだもんね。ノニを信じちゃだめ。気を付けた方がいいわ」
メイの声は毒気を含んでいたが、アラカの心を乱しはしなかった。
「ノニは名声なんて望んでないわ。なんとなくそう思えるの。驚いているけど、妬んではいないわよ。何ができるか自信はないわ。そっちの方が心配」
「あらあら、すっかりあんたもノニに丸め込まれてる。あんたがサモラにしたように、ノニもあんたを利用する。人間世界はそういうものだわね。恐ろしいこと!」
アラカはメイと一緒にベッドに寝転がった。
「サモラには悪いことしたと思ってる。ノニにも言っちゃったし。怒鳴られるかとびくびくしたけど怒らなかった。ノニってそんな意地悪い人じゃない気がする」
「甘い、甘い。せいぜい、ノニと親しくすればいいわ。後悔しても知らないから」
「私が好きなのはメイだけよ」
メイをギュッと抱き締め、目を瞑った。
翌朝、アラカは早くに目が覚めた。窓を開け、朝日がヤシの木々の向こうから上ってくるのを見つめた。空気は朝露を含んでしっとりしている。朝夕はめっきり涼しくなってきた。日の光もこの島に来た時より優しくなって、夏は少しばかり力を弱めてしまったようだ。
扉を開けて、廊下に出てみる。人の気配はない。中庭に咲く黄色や赤い花は、朝早くからあでやかに咲き乱れていた。静かに佇んでいると、台所の方から音が聞こえ始めた。召使いたちが起きてきたのだ。朝食の用意をするのだろう。
ノニの部屋の扉がゆっくり開いた。
「今日は早いじゃないか。食事が終わったらすぐ出かけよう。ミリア様と一緒にね」
アラカは黙って頷き、朝食ができあがるのを部屋で待つことにした。
「クルアーン様の声が聞こえたというのですね」
朝食が並べられた食堂で、信じられないようすのミリアがアラカをじっと見つめる。サモラはうつむいたままだ。
「こっそりクルアーン様に会ったのを叱るのは止めておきましょう。子どもたちは時として、大人を驚かす大胆な行動に出るものです。最初から私がアラカを連れて行けばよかったのですよ。ミリア様、どうかサモラを責めないで下さいませ」
ノニの言葉にミリアはサモラに目を向けた。朝食に誰も手を付ける者はいなかった。ラジャムはミリアの手を握り、黙っている。
「分かりました。今回は許しましょう。でもね、サモラ。あなたはいずれ、この村の村長になるのですよ。どんな掟でも掟がある以上、村長が守らなければ、誰も守らなくなります。私に相談すべきでした。あなたにはまだ、分別がついていないのですから」
「ごめんなさい、母様」
消え入りそうな声でサモラが返事した。ノニは湯気の立っているスープに目を細め、なだめるように言った。
「さあさ、せっかくの暖かい食事が冷めてしまいますよ。食事が済んだら、早速クルアーン様にお会いしましょう」
ミリアもスプーンを手にする。食事がやっと始まった。アラカは食欲などなかった。自分のせいでサモラが責められたのだ。
「ごめんなさい。悪いのは私です。サモラは悩んでいました。私がけしかけたのです。どうしてもクルアーン様に会いたくて」
「好奇心は人を惑わすものだね。やってしまったことは、どんなに悔いても取り返せない。きっとお前はこれから何度も試練に見舞われるだろう。逃げずに立ち向かうんだ。それがお前の定め、そう肝に銘じておくんだよ」
ノニの言葉にアラカはうつむいたまま頷く。ラジャム、ミリアとサモラは心配げにアラカを見つめていた。
食事が終わり、いつも通りメイを入れた袋を下げ、アラカはノニ、ミリアとクルアーンのいる金色の聖堂に向かった。
ミリアが鍵を開け、静まり返った聖堂に入る。中央の広間に来ると、ミリアはクルアーンのいる部屋の扉をすべて開け放った。アラカはクルアーンの姿をしっかり捉えることができた。巨大な蜘蛛は部屋に押し込められているように見える。
ノニがアラカの背中を押した。蜘蛛に襲われないかと体が震える。口の中はカラカラになり、声を出せそうもない。
<声の届きし者、わが命を聞き入れよ。グルアナに刺さりし忌まわしき剣を抜き放て。抗う者たちをいさめ、我らを解放せよ>
ノニが頭を垂れている。ミリアもひざまずく。アラカはクルアーンを見上げたまま、魔法にでもかかったように体が強張っている。
「な、なぜ、私なのでしょう?」
<そなたの胸深きところに答えはある。答えを見出せねば、そなたの力は何の役にも立たぬ。心の声に耳を傾けよ>
意味が分からない。けれども何をどう尋ねたらいいのかも分からない。
<そなたの助けとなる正しき者を見極めよ。決して惑わされてはならぬ。その者を信じ、互いに助け合うならば、わが命は成し遂げられるであろう。その暁には、この国に再び繁栄がもたらされ、我らと共にあることを決して忘るることはないであろう>
アラカは体を緩めると、ノニとミリアにクルアーンの言葉を伝えた。アラカが一礼すると、ミリアは静かに扉を閉めた。
ミリアの家に帰り、アラカはようやく緊張が解けた。それでも体の節々にゴリゴリしたかたまりが居座って痛みを感じている。冷たい汗で背中は濡れ、風邪を引いたみたいに寒気もするのだった。
ノニが心配そうな表情をしている。助けとなる正しき者とはノニのことだろう。
「安心おし。私はずっと傍にいるよ」
ノニもそう思っているのだ。心強い声が、今は余計に心をびくつかせる。
「先ずは着替えを。その後でアラカに決心がついたのなら、ぜひお話しましょう。この村の言い伝えを」
ミリアがおごそかな口調で言った。
「何故、私なのかさっぱり分からない。勝手に命令なんかされても……。でも、クルアーン様の言うことを無碍にはできない。言い伝えを聞いたら決心がつくかもしれないわ」
アラカは納得できない顔で返事した。




