六章 クルアーン様
気持ちが急くのか、帰り道は行きより長く感じられた。ミリアの屋敷に帰り、昼食の後、袋を抱えたサモラと一緒に家を出た。
二人は何も話さず、ぶらぶらあちこち歩き回った。サモラはまだ迷っているらしい。
アラカが後悔し始めると、サモラが速足になった。導かれるままについていく。
しばらく歩いていくうちに、石造りの大きな建物が並び始めた。建物や木立の向こうに見える金色の丸い屋根がだんだん大きくなる。
サモラは村長や長老たちが働く建物や集会所、兵士たちの宿泊所などを教えてくれた。行き交う人にサモラは挨拶をする。
木々の中に見え隠れする二階建ての建物を指さして、サモラが言った。
「あれが私達の学校よ。読み書きはもちろん、糸の紡ぎかたや染色、縫い方などを学んでいるわ」
二人はそのまま進んで行った。次に現れた建物からはカタンカタンという音が絶え間なく聞こえてきた。
「織物を織っているの。特別な草を糸にするのよ。村の男たちは田畑を耕し、女たちはみなここで、はたおりをする。特別に選ばれた女たちだけがクルアーン様の糸を織ることができるの。ここからは糸を紡いだり、染色をしたりする建物が続くわ。王様、お妃様や王族の方々のお召し物を縫う部屋もあるのよ」
音が次第に大きくなっていった。平べったい建物の窓に近寄り、アラカは中を覗いてみる。はたおり機がいくつも並び、女たちがその前に座り一心に手を動かしていた。
サモラはアラカの腕を引っ張り、建物の裏手に回った。
「此処からは誰にも見つからないように行かないと。聖堂の下に大きな洞穴があってね、そこから入れるの。クルアーン様が元々、住んでいた所よ。ずいぶん前に母様が案内してくれて、それから来たことないけど、多分わかると思う」
サモラはか細い声で独り言のように呟いた。アラカはただ黙って頷く。
林の中に道はなかった。アラカはひたすらサモラの背中を見つめながら進んだ。時折サモラは立ち止まる。木やあたりを確かめるように見回す。それからまた速足で歩きだす。
しばらく行くと、金色の丸い建物全体が姿を現した。村の中で一番大きな建物だろう。石造りとは思えないくらい滑らかな壁は日の光を浴び、眩しいくらいに輝いている。上の方にはガラス窓が並び、光を反射していた。アラカは建物から目が離せず、突き出した木の根につまづき、あやうく転んでしまうところだった。サモラはアラカの手を取り、どんどん進んで行く。
やがてサモラは手を離し、地面を調べ出した。枯葉をどけ、何かを探している。
「入り口があるはずなの。木のふたで閉じられているわ。アラカさんも手伝ってね」
二人はかがみながら、あちこち動き回った。
「あったわ!」
サモラのどけた枯葉の下から、朽ちかけた木のふたのような扉が現れた。取っ手を引っ張る。一人がやっと入れるほどの穴が口を開け、壁にはつるを編んだような梯子が暗闇の中に伸びていた。サモラが下り始めた。
「古いから気を付けてね」
地下に降り立ったアラカは、荒くなった息を落ち着かせようと深呼吸をした。
サモラは袋の中から火打ち石とこよりを取り出し、ろうそくに火をつけた。それからアラカにろうそくを持たせ、梯子をよじ登り扉を閉めた。小さな灯りがぼんやり二人を浮かび上がらせる。かびくさい匂いと湿った空気の中、手を繋ぎながら横穴をゆっくり進んだ。
やがて広い空間に出た。
「私達の祖先は、王様がやってくる前からずっとこの辺りで暮らしていたの。そしてここで、クルアーン様と会ったそうよ」
「じゃ私たち、親戚同士みたいなものね。ノニにも同じ血が流れているのだから。と言うことは、サモラたちの祖先は今の王様の祖先に征服されたのね。だから厳しい掟に縛られている。このままでいいの? みんな何もしないで耐えているだけなんて」
薄明りの中でサモラの顔をじっと見つめる。
「村の人たちがどう思っているか、私にはわからない。母様はまだそんな話をしてくれないから。私達は悲しい運命を背負っているの。決して忘れてはいけない、村人しか知らないことよ。今の王様だって知らないはずと母様が言ってた」
「ノニは知ってるの?」
「はっきりは分からないわ。でも母様はノニ様を信頼してる。だから知っているかも。私はこれ以上、何も言えない。ごめんなさい」
「いいのよ。気にしないで。案内してくれるだけで十分だわ」
アラカはサモラを安心させるように優しく言った。ノニが話してくれるかどうかはなんとも言えない。とにかく今はクルアーンを一目でも見たいと思った。
二人は地下の広場のような場所を壁に沿って回ってみた。だがクルアーンの正体を明らかにするような物は何もなかった。上に向かっている階段がろうそくに照らされて見えてきた。
「聖堂に繋がっている階段よ。上りましょ」
階段はそれほど長くなかった。サモラがろうそくを取って上り始める。突き当りの天井部分に扉があった。二人は肩や頭、手を使って石でできている扉を押し上げた。ゆっくり上がっていく扉から淡い光が差し込んでくる。なんとか細い隙間から地上に這い上がった。
そこは物置部屋のようだった。小さな窓が一つ、壁の高い所にある。押し上げた扉の上にろうそくを置いて、サモラは部屋の外を伺った。
「今は誰もいないはず。でも用心しないとね」
アラカも部屋の外を覗いてみる。黄金色に輝いている壁の前に緩やかなカーブを描いて廊下が伸びていた。聖堂の中は円形になっているようだ。廊下は滑らかな白い石がはめ込まれ、滑りそうなくらい磨かれてある。天井は高く、いくつもの天窓から光が差し込んでいた。
サモラは靴を脱ぎ、廊下に出た。アラカも急いで靴を脱ぐ。足の裏がひんやりする。二人は廊下を走った。
やがて広間の入り口に辿り着いた。サモラは一礼をして中に入っていく。壁一面には色とりどりの小石で細かな細工が施されている。その豪華な広間の中央にはもう一つ大きな部屋があった。広間はその部屋を中心にして囲むように作られてある。部屋の周りを回ってみた。扉が四つあり、どの扉の前にも花が飾られてしっかり閉じられている。
「クルアーン様を脅かさないように、ほんの少しだけ扉を開けるわ。毎朝、村の女たちはここに来るの。お祈りをささげ、お供えをして、それから糸をいただく。その時だけ扉は開けられるのよ。声を立てずに、そっと覗いてね」
扉が音も立てずに、アラカの頭の分だけ開けられた。サモラは辺りに注意をはらっている。アラカは目を凝らした。
部屋いっぱいに、白くつややかな糸のようなものが張り巡らされている。その内側に黒い何かがいた。正体を確かめたくて、頭をぐいと部屋の中に入れる。白い糸が邪魔してはっきり見えない。頭を上下左右に動かしてみる。
途中で折れ曲がり、短い毛で覆われている黒く細長いものはなんだろう? さらに目を凝らす。床には骨らしきものが散らばっていた。
とその時、突然大きくその生き物が動いた。
思わず声を上げそうになり、ぎゅっと口を押える。すると聞いたこともない悲しみに満ちた何物かの声がした。
<わが声の届きし者よ>
か細い声だったが、そう聞こえた。ぞわっと鳥肌が立つ。誰を差して言ってるのだろう?
まさか自分のはずはない。
声の主を確かめようと恐る恐る体を伸ばし部屋の中へ入ろうとした時、サモラに急に強く体を引っ張られた。
そのほんの一瞬、アラカの眼に映ったものは巨大な蜘蛛だった。扉がピタリと閉められる。それからサモラに引きずられるようにアラカは物置部屋に戻った。
あの声は蜘蛛の声?
アラカの驚きと疑問をよそに、サモラはアラカを追い立てた。




