アラカとサモラ
目が覚めた時には、すでに日は高く上っていた。アラカは部屋を出てノニを探した。だが姿はなく、ただ召使いが部屋の掃除をしているだけだ。召使いはアラカを食堂に通し、温かい食事を用意してくれた。暫く経ってミリアがやってきた。
「よく眠れたようね。ノニはもう出かけたわ。あなたを起こそうとしたけど、私が反対したの。初めての歩き旅ですものね。ノニは忙しくしているわ。観てもらいたい人も、村の外の話を聞きたい人も沢山いるから」
「外の話? 何故?」
驚いたようすにミリアは笑顔を向けたまま、
「私達は村から出られないのよ」と返事した。
返す言葉がみつからなくて、ミリアをじっと見つめ続けた。
「あのね、サモラとお友達になってくださるかしら? 村を案内するように言ってあるの。もう外で待っているわ」
「私、一人で歩き回るほうが好きなの」
ミリアは少し困った顔をして言った。
「ここではね、外から来た者は、そう滅多にいないけれど、勝手に歩き回れないの。厳しい掟があるのよ」
言い方は優しかったが、その瞳は有無を言わせぬ強い光を放っていた。
「わかったわ。でもまだ食事が終わってないの。少し待ってもらえる?」
アラカは素直には応じたくなかった。
ミリアは動じることなく、ふんわりした笑みを浮かべ頷いた。
ずいぶん時間を取って、朝食を済ませた。部屋に戻り、肩から下げる袋にメイを入れ、玄関に向かった。
もしかしたら、待ちくたびれて何処かへ行ってしまったかもしれない。そんな期待をしながら外に出たが、サモラはちょこんと階段に座り、待ち続けていた。
「おはよう、アラカさん。用意はできましたか? 案内できて私、すごく嬉しいの」
「ほんとは一人で行くつもりだったのよ。でも掟があるんじゃ仕方ないわね」
アラカはさっさと歩きだした。サモラは後を追うようにしてついてくる。
「どこを案内してくれるの? 立派な屋敷ときれいな花はもう見飽きたわ」
サモラはしばらく考え込んでいた。
「チルメズ山から流れ出る水が、泉になって村の外れに湧き出ているの。そこはどうかしら。遠いけど、水は澄んでいて魚も見えるし、周りは木登りにちょうどいい木が沢山あるわ。柵の向こうがよく見えるほど高いのよ」
言ってしまってから、ハッとして辺りを見回す。村人たちに交じって兵士たちの歩く姿も見える。少し悲し気に微笑んだサモラを、アラカは興味深く見つめた。
「いいわ。案内して」
二人は家々の間を抜け、麦畑を通り、森の中へ入って行った。思ったより遠かったが、三日も歩きつづけてきたアラカにとってはたいした距離ではなかった。村の敷地はずいぶん広いようだ。
森の奥にある泉は苔むした岩に囲まれ、ひっそり水面に木々を映していた。
二人はしゃがみ、小さな魚が泳ぐさまを暫く見つめていた。時々どこかで鳥の鳴き声がする。アラカは手を泉に浸した。冷たい水を揺らすとさざ波が泉全体に広がり、魚たちが右往左往している。
「どの木が登りやすいの?」
サモラはすぐ傍の大木を指さした。
その木は太い幹を何本もぐねぐねと曲がらせ、上に向かって伸びていた。サモラがまず登っていった。アラカには初めての木登りだった。下を見ると少し足がすくむ。二人が立ち上がってもびくともしない太い幹からは、険しい山が柵の向こうに見えた。こうやってしか外を見られない、それも山の景色だけなのが気の毒に思えた。
「なんでこんな柵があるの? 敵などいないでしょ?」
「この村では王様やお妃様のお召し物を作っているの。その布はこの村に伝わる、私達だけにしか織れないものよ。だからその布や作り方を盗まれないように、柵を巡らせてあるし、兵士が番をしてるわ。王様が守って下さっているのよ」
「でも外に出られないじゃない。閉じ込められているのに、王様に感謝しているわけ?」
サモラはいっしゅん顔を曇らせたが、強い口調で反論した。
「感謝など……していないわ。でも王様が守って下さらなかったら、織物は奪われてしまうかもしれない。そうしたら村もめちゃめちゃにされて、大事なクルアーン様の身にも危険が及ぶわ。私達も村を守っていかなきゃいけないのよ」
「それでこうやって、外を眺めて我慢しているのね。本当は外に出たいんでしょ? 貧しくても、自由に行き来できる方が幸せじゃない? 私なら掟なんか無視して、なんとか外に出る道を探すわ」
アラカは生意気な口調で言った。
「外の世界はどんなかしら? 行ってみたいわ。でもそんなこと誰にも言えない。思ってもいけないのよ。私は村長の娘だもの。だから外の話を聞くのはやめておくわ。……生まれる前からずっと村はこうだった。ブリア村に生まれたなら、こうやって生きていくしかないのよ。アラカさんには分からないわ」
サモラは小さく肩を上下させ、溜息を吐いた。
アラカはくちびるを噛んだ。サモラの言う通りだった。簡単に言ってのけるのは、何も知らないよそ者だからだ。あまりにも自分と違う境遇に、今まで好き勝手に生きてきた自分を少し恥ずかしく思った。
「どうか母様には私の話したこと言わないでね」
サモラが心配そうな表情を浮かべている。
「絶対、言わない。二人だけの秘密。だから安心して」
アラカは心からそう言った。サモラの顔に安堵の表情が浮かんだ。
「ねえ、クルアーン様ってどんな神様なの?」
「糸を作って下さる方よ。聖堂を作って、お守りしているわ。この村には悲しい言い伝えもあるのよ」
サモラとアラカは幹をまたぐように座っていた。アラカの好奇心がむくむくと頭をもたげ始めた。
「そのクルアーン様ってあの金色の建物にいるの? 会ってみたいな。言い伝えも聞かせてよ」
サモラはまた、不安そうな顔つきになった。
「ノニ様だけは前にもお会いになったそうだけど、朝、捧げものを持ってくる時しか扉は開かないのよ。特別なお客様以外、外から来る人は絶対に会えないわ。アラカさんが会うのは無理じゃないかしら。言い伝えは母様がいいって言ったら話すわね。ごめんなさい」
母の言いつけを守るサモラに腹立たしくなり顔をしかめる。メイの乾いた笑い声が聞こえたような気がした。
「私だけのけ者なのね。ノニと一緒に来ているっていうのに酷いわ」
そう言いながら、フッといい考えがひらめいた。できるだけ何気ないようすで話し出す。
「ねえ、手相を観てもらったことある?」
サモラが残念そうに首を横に振った。
「観てあげてもいいわよ。私、ただのノニの世話係じゃないの。聞きたくない? あなたの持って生まれた星、変わっていく星。好きな人と幸せに結婚できるか、元気に長生きして暮らせるか、なんでもわかるのよ。ノニは子どもなんて相手にしないわ。大勢観てもらいたい人が集っているのでしょ?」
誘うように、サモラの顔をのぞき込む。
「ノニ様は力のある方で、何度もこの村に来てくださったそうよ。いろいろ相談に乗って下さるって、母が言ってたわ。病気や、結婚の日取りとか、家族のもめごととかね。今頃、学校ではその話でもちきりよ、きっと。アラカさんは本当に手相を観ることができるの?」
サモラの目がキラキラ輝いている。
「勿論よ。私が何故ノニと一緒に旅をしてると思っているの? ノニの一番弟子だからよ。観てあげるわ。お金はいらない。特別にね」
サモラは喜んで両手を広げた。サッと線を探り、サモラの両手を握る。
「しっかりした線があるわ。おしえてあげたいことがいっぱいよ。ねえ、観てあげるからクルアーン様の所まで案内して。今を逃したら、一生観てもらえないわよ。ノニが会ったのなら、私だっていいはずよ。一番弟子だもの。そうじゃない? 誰にも言わないと約束する」
サモラは額に皺を寄せ、考え込んでいた。胸をドキドキさせながら、アラカはじっと待った。アラカの視線を避けるように柵の向こうに目を向けていたサモラは、やがてアラカに目をやる。それから俯いて自分の手のひらを見やった。それでも暫く黙っていた。
「もういいわ。ノニに頼んでみる。絶対ノニは会わせてくれる。あなたに頼む必要なんてなかったわね。だから忘れてちょうだい」
アラカはゆっくり立ち上がり、木を降りる振りをした。ノニがクルアーンに会わせてくれるか自信はなかった。
「待って」
サモラが顔を上げた。そして固い表情のまま、とうとう小さく頷いた。




