夢か現か
夢を見ていた。
長いような、短いような、昔の様な、最近の様な、不思議な夢。
迷って道を歩いてきたような、そんな徒労感を覚え、彼は振り返った。
その瞬間、【覚醒】した。
顔立ちは少年から青年へと成長している真っ最中といったところ。
何故自分がいま目覚めた状態なのか理解出来ない様子で身を起こす。
彼にはいま、時間の感覚は無いが、日の光を眩しく感じて夜ではないと判断した。
自分は高校へ向かうため歩いていたはずだ、と記憶がじわじわ蘇ってくる。
気を失うような出来事は、思い出される彼の記憶の中に無い。
まず現状を確認してみる。
驚いたことに【全裸】で森の入り口の様な場所で倒れ込んでいた。
近くに衣服や鞄、財布などの所持品は見当たらない。
羞恥心と混乱が彼の心臓に早鐘を鳴らす。
『何だこれは?ドッキリか?』
パニックに陥った彼はムクリと身を起こし辺りを見回す。
近くの木々の陰を注視してみるがカメラは見つけられない。
しかしドッキリである可能性が高いと彼は判断した。
少しコミカルな動きで慌てた風を装い、周囲を見渡す演技をしてみる。
彼のサービス精神がそうさせたのか、パニックが続いているだけなのか。
「おーい! おーい!」
急に野太い声で呼び掛けられ、演技ではなく心底から驚き身体を震わせた。
彼が声の方向へ目を向けると、まるで時代劇の農夫のような男がいた。
彼がいる森の入り口からだいぶ離れた場所には長く塀のような壁が続いており、農夫はその壁の門のようなところにいてこちらに呼び掛けている。
「はやぐこっちゃこぉい!
そごだばあぶねはんで!」
どうやらこちらに来いと言っているようだ。
こちらは全裸であるのだが農夫は気にしないで声を掛け続けてくれている。
彼は股間を両手で隠しながら、トトトトと小走りで農夫の元へ向かった。
野外で全裸という異常な状況の為か、彼の男性器は縮み上がっている。
片手で十分隠れるが、彼はなにがしかのプライドの為に両手で隠し走った。
農夫は近付いた彼に浴衣の様な着物を羽織らせ、笑顔で語り掛ける。
「おぅおぅまんずはたまげでまったべな!
はぁほどげさまだじのとごさつぇでぐはんでな!」
農夫は門の方を指差して彼を導き歩く。
内側に門番のような男たちがいて彼を驚きの表情で迎えた。
しかし特に何を言うでもなくただ黙って農夫と彼を通した。
門番は槍と楯の様なものを手にしている。
コスプレなのか、日光江戸村なのか、彼は混乱したまま頭に疑問符を浮かべつつ農夫のあとに続いて歩いていく。
先ほど倒れていたとき頬や身体に付いた泥汚れを気持ち悪く感じる。
着せてもらった浴衣の袖で顔をゴシゴシと拭ってみるが気持ち悪さは消えない。
農夫が時折話し掛けてくれるが頭に入ってこず、生返事を繰り返しながら歩き続けた。
しばらく林道を歩き、連れて行かれたのは大きい屋敷だった。
純和風の木造平屋かやぶき屋根で、昔の豪農が住んでいたような建物に見える。
周囲には小さな建物と畑や田んぼが広がっている。
屋敷の玄関は引き戸が開いており、農夫が奥へ呼び掛ける。
「おーい! ほどげさまだづぃー!
まんだわげものつぇできたどー!」
しかし呼び掛けるまでもなく反応はすぐ近くから発せられた。
しかも複数人から。
「あらー、本当に三人目が来てんじゃん。」
「男かぁ、女が良かったなぁ。」
「どっちでもいいじゃない、良い子であれば。」
気配もなく背後に現われた声に彼と農夫はビクリと身体を震わせ振り返る。
五人の男女が笑顔で彼を見詰めていた。
その男女は農夫や門番と違い、地味目だが色違いのTシャツとズボンをそれぞれ着用していた。
しかし履いているのは農夫らと同様、草履か草鞋のようなものに見える。
間を置かず女性の一人が農夫へ声を掛けた。
「【ゴサク】さん、ありがとう。
【御館様】の方にも連絡してもらっていい?」
「はぃぃ、おやがださまさつだえますぅ!」
女性は何故か一言一句を妙にしっかりと発声している。
それに対し農夫は緊張の面持ちで返答し、ぺこぺこと頭を数回上下させたのち走って行った。
彼は先ほど迎えてもらった最初から、農夫を気のいいおっちゃんだなぁと感じており、いまの怯えた表情の農夫に同情と疑念の感情が湧いた。
『あのゴサクさんて人、何に怯えたんだろ?
この人たちが何者なのか教えて欲しかったなぁ。
ヤバイ人たちじゃなきゃいいんだけど。
今さら逃げられないよなぁ、逃げ場所もないしなぁ。』
彼は混乱と諦めが入り混じったままぼんやりと男女を見つめ返していた。
すぐにその中で体格の良い男性が彼に笑顔で話し掛けた。
「よぅ、俺は【櫛灘比呂季】ってんだ。
おまえ名前なんてーの?」
「あ、【尾城玄治】です。」
簡潔な自己紹介に周囲の男女がまた話し始める。
「オジョウくんだってー、珍しい苗字だねー。」
「そこまで珍しくないんじゃないか?」
「えー? 結構珍しいんじゃない?」
「ハイハイそこまで!
あとはみんなのとこへ行ってからにしよ!
ロクたち待ってるよ!」
先ほどゴサクを怯えさせたであろう女性の鶴の一声で話し声は途絶えた。
彼らはぞろぞろ連れ立って屋敷に入り、尾城玄治はまだぼんやりした面持ちのまま集団の真ん中に据えられた。
『クシナダって苗字の方が絶対珍しいって!』
と不満を胸中に抱えつつも歩き出した。
歩きながら尾城はまた思考の世界に入り込む。
『この人たち、みんな俺より年上だよなぁ。
さっきの女の人は三十歳前後かな。
なんにせよ俺よりは大人に違いない、
まずは現状把握のためにも話を聞く必要があるよな。』
周囲を窺うが五人ともリラックスした様子で歩いている。
『状況が全然わからない、なんなんだこれは?
ゴサクさんはなんだか方言のような訛りがあったけど、
この人らは標準語で話している。
ゴサクさんや門番の人は時代劇の様な恰好をしていたけど、
この人らは洋服を着ている。』
ここで尾城は違和感を覚えた。
『いや、洋服に見えるけど何か、あれ?
細部が違うのかな?
いや、まずここはどこなんだ?
自分は上野にいたはずだ。』
尾城は気を失う前の記憶を辿る。
『学校へ行こうと家を出たのは覚えているんだよなぁ。
駅で電車に乗り、乗り換えで上野で一旦降りた。
乗り換え先の駅へ歩いていて急に記憶が途絶えているのか……、
何か無いか? 何か予兆や怪しい人物とか・・・』
「オジョウくん? どうしたの?
ほら、入って。」
女性の声に尾城はハッと顔を上げた。
自分が部屋の入り口で立ち止まっていることに気付く。
その部屋は広く、木の机が何台も四角を形成するよう繋げられ、会議室の様相を呈していた。
入口までは板張りだったが部屋には段差があり、そっと降りるとひんやりした感覚が伝わる。
床は土だが固められていて、すべすべした感覚が足の裏に心地よい。
テーブルとイスなのに和風の会議室には合計二十名ぐらいの男女が椅子に座っていた。
相撲部屋の稽古場を会議室にしたらこんな風になるのかもしれないな、と思わせる造りだ。
違うのは部屋には太い柱がいくつも等間隔で立っており、その存在が何か違和感を感じさせた。
尾城は先ほどの女性と櫛灘比呂季に促され、四角の内側、位置的に裁判の被告席に座らされた。
穏やかそうな女性が濡れた布で顔や足を拭いてくれる、とても気持ちよくて自然と感謝の念が溢れた。
草履のような履物も渡してくれたので履いてみる、思ったより柔らかい素材なことに少し驚きを覚えた。
顔を上げると、裁判長の席に該当する場所にいた男性が尾城に声を掛けてきた。