3.修行の始まり
それから、レイトの日々は修行漬けになった。といっても七歳の少年が一人で出来ることなどそう多くはない。
この世界が完全にゲームのように敵を倒して経験値を得て、レベルが上がればステータスも上がる……といったシステムで出来ていればレイトもゲームの要領でレベリングが可能だったかもしれないが、あいにくこの世界は設定こそゲームと共通でも、システムは現実の世界とそう変わらなかった。
つまり強さを得るためには、地道な鍛錬と努力、なにより身体の成長が不可欠。しかし武術の心得など皆無で身体も幼いレイトが一人で出来る修行など、それこそ子ども騙しのような内容だった。
走り込みと筋トレのあとに、剣代わりの棒きれで素振りを続けるレイト。これが正しい型なのかわからないまま、ひたすら剣を振る。汗は滝のように流れ、細い少年の腕は限界も早くすぐに震え出す。
「ハァ……ハァ……98、99、……100ッ!! よしっ、終わったぁ!」
限界を迎え、その場に座り込む。記憶を取り戻して修行を始めてから一週間が経つが、まだ目に見えた効果は出ていない。
体力や腕力は同年代の子どもと比べても突出しているとは言い難いだろうし、棒きれを力任せに振り回すだけでは剣術には程遠いだろう。
それでも、とレイトは自分の手のひらを見た。そこには痛々しいマメの跡がある。棒を振り始めて二日目には両手にマメができて、三日目にはすべて潰れた。それでも振り続けて、ようやく手のひらに固さと厚さが生まれてきた。
「キツい……けど。へへっ、意外と悪くないんだよな、これが……」
レイトは確かな充実感を覚えていた。自分にはいずれ最強になれる才能があるということを知っているだけで、どんな努力も苦痛も、耐えられる気がする。
それに、身体を動かすのは単純に楽しい。前世の自分はインドア派で、屋外でこうやって走り回ったりトレーニングをすることもほとんど経験がなかったが、実際にやってみるとなかなかこれが楽しいのだ。
レイト・スウォンドという破格の才能を秘めた身体だからだろうか。苦痛よりも、楽しいや気持ちいいのほうが先にやってくるのだ。
レイトが無意識に頬を緩ませていると、彼に声をかけ近づいてくる少女が現れた。
「あー、レイトだ。何してるの? あたしもまぜてよー」
「メイルか。今日も修行だよ。もう終わったけどな。オレもそろそろ家に帰る時間だし……また明日だな」
「えー、つまんないの……」
声をかけてきた少女の名は、メイル・モカモット。レイトと同じくアワキラ村に住む、同い年の女の子だ。
人口がさほど多くないこの集落では年が近い子どもは少ない。レイトとメイルは小さいころから互いのことをよく知る幼馴染みだ。
ついこの間までレイトとよく遊んでいたメイルだったが、最近のレイトがまるで人が変わったように変なことを始めたので、なんだか物足りなさを感じており、少しの寂しさもあり……
「レイト、最近あたしと遊んでくれないんだもん……あたしのこと、嫌いになったの?」
「う……いや、そんなことないぞ! ただ、オレもやりたいことがあって……ごめんな、メイル」
「そんなこと言って、どうせ明日も遊んでくれないんでしょ。昨日も同じこと言ってたもん」
まいったなぁ……と頭を悩ませるレイトだった。レイトだって、メイルと遊びたくないわけではない。『レイト・スウォンドを超える最強』になり、いずれ出会うベスティアとともに『学園』や『ダンジョン』を満喫するという目標こそ出来たものの、それはそれとしてこの村での生活だって楽しみたいのだ。
かといってメイルと遊び呆けているうちに成長のチャンスを逃してしまうわけにもいかないし……と考えて。
浮かんできた一つの案。それは……
「じゃあメイル、明日からオレと一緒に修行してみないか?」
どちらも一緒にやってしまおう、という欲張り案だった。だが、メイルの反応は芳しくない。
いつもはくりくりとよく動く可愛らしい瞳が、今は思いっきりジト目になってレイトを睨みつけている。
「レイト……それ、女の子へのお誘いにはダメなやつだと思うよ……」
「だよなぁ……いや、ゴメン。オレももう少し考えてから言うべきだった」
「まぁ、レイトがどうしてもって言うなら付き合ってあげないこともないけど……?」
ちらちらとレイトに視線を送りながら、メイルは言った。
前世では恋愛経験の一つもしてこなかったレイトだが、これだけわかりやすければイヤでも気づく。
(メイルは、オレに好意を寄せている……!)
もちろんそれは、まだ恋愛のなんたるかもわかっていないような幼い子どもの、ラブとライクの区別もついていないような感情なのだろう。
だがそれでも、いや、そういう感情だからこそ、レイトは真摯に向き合ってあげたいと思った。
レイトもメイルのことは少なからず好いている。当然ライクのほうだが。
(それに……確か、ゲームの中では、メイルは出てこなかった。きっとレイトが村を出るときに、二人の関係も終わるんだ)
ならばせめてそれまでは、メイルとは良好な関係を続けていきたい。
「じゃあ、明日から一緒に修行だな! 何からやる? 走るか? それともいきなり戦うか?」
「ふふ、レイトが修行を始めてから、あたしもおうちの本で修行について調べてみたんだ」
そういえば、とレイトはメイルの家業を思い出す。
メイルの家は村で唯一の雑貨店を営んでいる。年に数回訪れる行商人から品物を仕入れ、少しばかりの値を上乗せして店頭に並べている。ときにはメイルの両親が遠くの都市まで買い付けに旅立つこともある。
そんな商売人の環境で育ったメイルは、幼いころから読み書き計算を習い、簡単な本なら一人で読めるようになっていた。
この世界の平均的な学習環境や識字率などはレイトにはわからないが、少なくとも村内の子どもの中ではメイルの賢さは群を抜いていた。
「へー、さすがメイルだな。んで、それにはどんなことが載ってたんだ?」
「あのね、女の子は『花嫁修業』っていうのをするんだって。いろんな料理を作ったり、お掃除やお洗濯をしたり、お裁縫をしたり……いっぱいやることがあるのよ」
「は、花嫁修業か……確かにそれも大事かもしれないけど、メイルにはまだ早いんじゃないかな……
それに花嫁修業って、オレがやってる修行とはちょっと違うし……いや、待てよ?」
シンフォニックワーズのゲームシステム。雑貨屋の娘メイル。そして修行。
それらのピースがハマる、完璧な解がレイトの頭の中で組み上がる。
「メイル……あのさ、明日一緒に料理を作ってみないか? ちょっと試してみたいことがあるんだ」
「うわぁ……やった! うん、約束だよ! 指切りしよう、指切り!」
小指を絡ませ、約束を交わす。メイルはニコニコと笑いながら、レイトが見えなくなるまでずっと手を振りながら帰っていった。
その場に残ったレイトは、一人腕を組み考え込む。
(シンフォニックワーズには、いろんなゲームシステムとスキルがあった。
あれはあくまでゲーム内のシステムだったけど……この世界でも、同じことができるんじゃないか?)
少なくとも今のレイトには、ステータス一覧や保持スキル一覧の閲覧などといったいかにもゲーム世界らしい便利機能は使えない。
だが、この世界がシンフォニックワーズと同じ法則で作られているならば……ゲーム内で出来たことをこの世界で再現することも可能なはずだ。
「……というか、既にオレも『魔法』を使えてるんだよな。――薄明の導き、『オーバーゲイン』!」
レイトが呪文のような文言を唱えた瞬間、彼の肉体に力が漲る。ハードな修行によって心身に疲労が蓄積していたにも関わらず、今からもう同じ修行内容をもう一セットこなせるのではないかと思えるほどだ。
レイトが使ったのは、『色彩魔法』の初級術式である肉体補助魔法だ。いわゆる自己バフスキルで、ゲーム内では前衛職キャラの多くが初期時点で習得していた。
「シンフォニックワーズのアクティブスキルには精神力を消費して発動する『魔法』と、純粋な剣技や武術、固有技術などがシステム化された『技能』がある。
魔法はさらに『色彩魔法』や『芳香魔法』、『紋様魔法』なんて分類があって……それがキャラクターたちの個性になってた」
レイトのゲーム内での個性は、自己完結型前衛タイプ……と言えばいいだろうか。ゲーム内クラスは『魔剣士』。補助魔法を己に使い、強化されたステータスと高性能の剣技を用いて、とにかく大きな数字で殴り殺すキャラだった。
高ステータス×高倍率バフ×高性能スキル=シンプルイズベスト。パーティ戦闘が基本のシンフォニックワーズにおいて、NPCだからこそ許されるソロ戦闘特化構成を築き、最強と呼ばれた男。
もっとも今のレイトは年相応の身体能力に初歩的な補助魔法くらいしか備わっておらず、最強だったレイト・スウォンドには到底及ばない。
「この世界だと魔法を使える人間もそう珍しくないみたいだもんな。母さんも火種にする程度の小さな炎なら魔法で出してたし。
オレもどういう理屈か『魔法』が『色』でイメージ出来るようになってて……いつの間にか使えるようになってたんだ」
魔法をどうやってイメージするのか。それによって『色彩魔法』『芳香魔法』『紋様魔法』などの分類が行われているのではないだろうか。
もしかすると、シンフォニックワーズの作中で魔法に関する説明があったのかもしれない。
だがシナリオをすべて飛ばしてしまったレイトは、そのあたりの設定については深く知らないのだった。
「もしかしたらメイルの家にある本には、そういうことも書いてあるかもしれないけど……っと。それよりも明日のメイルとの修行の準備、今のうちにしとかないと」
レイトが試してみたかったのは、魔法以外のスキルも任意で発動できるのか――? ということだった。
「確かめようにもシンフォニックワーズのスキルはほとんどが戦闘用・ダンジョン探索用で、今のオレの知識や技術じゃ再現が難しそうなんだよな。
でも『調合』スキルならどうだ? 調合リストの中には、食材と食材を組み合わせて料理を作成するものも多かった。
だったら『料理』だって擬似的な『調合』スキルとして機能するんじゃないか? いや、きっとそうだ!」
レイトの頭の中には、シンフォニックワーズのために蓄えた無数の攻略情報が眠っている。
金策が難しい序盤は、「コロコロの実」と「虹色胡椒」を調合して作った「セブンスパイス」を、さらに「やけたももにく」と組み合わせて完成する「スパイシーミート」を店売り回復アイテムの代わりに使うのがセオリーだった。
その他にも一時的にステータスを上昇させる「スイスイフィッシュバーガー」や状態異常回復に使える「はちみつハーブオイル」など、ゲーム中に料理名がついたアイテムは多数存在していた。
「すぐに材料が用意できるものは少ないけど……うちにある食材でも、簡単な調合レシピなら再現できそうだな。
足りないものもメイルの店で調達できそうだし……よし、そうと決まれば早速家に帰って明日の準備だ!」