1.だってオレは
だからオレは、スキップボタンを押したんだ。
朝、目が覚めた瞬間に、少年の世界観はすっかり変わってしまった。
知らない記憶が、少年の頭の中に居座っている。これまで生きてきた世界とはまるで違う、不思議なモノに溢れた世界で生きた記憶だ。
「これは……夢、なのか?」
いや、違う。確かに夢のような現実味がない記憶だったが、夢であるならばこんなにもはっきりと記憶が残ることはないはずだ。
目覚めてすぐに儚く消えていく夢の光景とは違い、まるで昨日起きた出来事を思い出しているかのように鮮明な映像が、少年の頭の中に存在している。
少年は、今日で七歳になる。だけど知らない記憶の中ではもっとずっと長く、その世界で生きていた。記憶の中の自分は今の自分よりもずっと身体が大きくて、今とは別の家族とともに暮らしていた。
そう、知らない記憶の中で少年が暮らしていた世界は……地球。日本。令和××年。
少年が今暮らしている世界には、地球という概念も、日本という国も、令和という年号も存在していない。
これが何を意味するのか。奇しくも知らない記憶の中に、それを一言で説明できる単語があった。
「異世界転生……? オレが? いやでも、ちょっと待てよ。今のオレの名前は……レイト。レイト・スウォンドだ。
………………はぁっ!? なんでオレが、『あの』レイトと同じ名前なんだ!?」
前世の記憶が次々と蘇ると同時に、レイトは自分が置かれた状況について理解していく。
まず、自分が現在生きている世界とそこでの生活について、一度確認しておこう。
ここは辺境の村、アワキラ。レイトはこの村で生まれてから一度も村の外の世界を見たことがない。
アワキラが都市部から遠く離れた辺鄙な土地にあることが理由だ。だが、自分の目で見たことはなくても、話に聞いたことはある。
集落から集落へ旅を続ける行商人たちが年に数回は村に立ち寄り、外の世界がどうなっているのか村の人々に語るからだ。
そこで語られる華やかな街や人々の数々。レイトも幼いながらに都会に対する憧れを抱きながら、それらの話に耳を傾けていたものだ。
これは王都で流行っているお菓子なんだと行商人の手に握られた飴がどうしても欲しくて、両親に泣きついて買ってもらったこともある。
「あの飴……確か、『ペロクル飴』って名前だったよな。食べたら元気が出てきて……いや、体力が回復……??」
かつてのレイトにとって、『ペロクル飴』は体力を小回復する効果を持つアイテムだった。どこの商店でも安価で販売されていて、コスパもいいからと所持品枠に余裕があれば常に限度数まで補充をしていたものだ。
よく思い返してみれば、行商人が語る外の世界の物語に出てきた固有名詞は、どれもこれも前世の記憶の中でも聞き覚えがあるものばかりだった。
『王都ウォートギム』『ベルム王立学園』『フライア商会』『色彩魔法』『壊癒双剣・ブレンディスルク』『悲嘆の迷宮』……どれもレイトが異世界転生をする以前から馴染みがある単語ばかり。なら、転生前のレイトはどこでそれらの単語を知ったのか?
「……『シンフォニックワーズ』だ。これって……オレが前世でやり込んでたゲームの設定と同じじゃねーか!」
シンフォニックワーズ――それは前世のレイトがもっともやり込んだゲームのタイトルだ。
剣と魔法の王道ファンタジー世界に存在する巨大学園と迷宮ダンジョンを舞台に、華やかな学園生活と危険なダンジョン探索を繰り返していく。
主人公を支える多くの仲間との友情や絆、芽生える愛、そして迷宮の奥に隠された世界の秘密を巡る心躍る冒険譚。
シビアながらも戦略性に富んだシステムと難易度はやり込み型プレイヤーにも好評で、多くのプレイヤーがシンフォニックワーズの虜になっていた。レイトもその中の一人だったわけだ。
そして、シンフォニックワーズの中にはとある最強のキャラクターが存在していた。
主人公のライバルとなる悪役令嬢ベスティア・ジェルワースの従者がそうだ。
ゲーム内最高のステータスが設定され、単体で完結しているスキル構成には一切の無駄がなく、彼にしか扱うことがないユニーク武器を装備し、主人公たちの最大の好敵手として立ちはだかる、その男の名前こそ――
レイト・スウォンド。
前世の記憶を取り戻した少年と、同じ名前だ。
いや、今の自分があのレイトと同じ名前である――と言うほうが少年の感覚には近い。
「オレが……あの最強のNPC、レイトに転生した?」
レイトは寝床から起き上がると、家の中にたった一つだけある手鏡を手に取った。けっして裕福ではないスウォンド家で長年使われている鏡は、各所に多少の摩耗こそあれど鏡面は綺麗に磨かれ、鏡としての機能は十全に発揮している。
鏡の中に映る顔は、やはり前世の記憶の中にある自分の顔とは全然違っていた。けれどシンフォニックワーズのレイト・スウォンドにもしも幼少期グラフィックがあればこういう感じだったんじゃないかという顔をしていて――
「じゃあ、オレはこれから……レイトとして生きるってことなのか?」
ゲームにおいて、レイトは主人であるベスティア・ジェルワースとともに学園へ入学することになっていた。
もしもこの世界がゲームの内容通りに進行していくというなら、レイトもその通りの人生を送ることになるはずである。
確かゲーム本編の舞台となる学園は、十代後半の生徒が集まる、日本でいうと高校と大学を合わせたような機関だったはずだ。
ならば七歳の誕生日を迎えたばかりのレイトは、少なくとも十年以内には主人となるベスティアと出会い、彼女とともに学園へ入学することになるのだろう。
レイトは、この世界の元ネタ(?)になっているシンフォニックワーズをやり込んでいた。
それこそ寝食も忘れて命を削るようなプレイを重ね、ゲームシステムとダンジョンの構造を熟知し、他のプレイヤーの誰も真似できないようなやり込みプレイを成功させたこともある。
だったらこの世界でもゲーム知識を持ち込んで、強くてニューゲーム状態のウハウハ無双プレイが可能なのではないか?
通常のゲーム世界転生者ならそう考え、実際に行動をしていたことだろう。
だが、レイトは違う。レイトはそんなことはやらない。いや、できないのだ。
なぜならば……
「オレ……シナリオ全部スキップしてたから、この世界で何が起きるかなんて全然わからねーんだぞ!?」
彼はシンフォニックワーズのシナリオパートをすべてスキップしていた、”シナリオ否定者”なのである!