願いは、……
そこは逆さ虹の森。世にも不思議な逆さまな虹が架かったことからそう呼ばれる深い森。ひっくり返ったへそ曲がりな虹が森のあちこちに息を吹きかけると、そこにはこれまた奇妙な光景が広がり、それが今でも残っているのだとか。
よく知られている場所でもドングリを投げ込むと願いが叶うというドングリ池、嘘をつくと根っこに捕まるという根っこ広場、いつまで経っても何度掛け替えてもボロボロになってしまうオンボロ橋……。これだけでもなんともおかしな話だが、これはまだほんの序の口。一部の情報通しか知らぬ所もあれば、それこそ誰も知らぬ所もある。それほどまでこの森は逆さ虹の影響を受けていた。
ここは逆さ虹の森。ここでは不思議なことがたくさんある森。世界中どこを見てもないものがあるところだった。
良く言えば個性豊か、悪く言えば一癖も二癖もある動物たちの暮らすこの森では、日々いろいろなことが起こる。つい先日は歌の名手であるコマドリが皆を広場に集めて歌唱大会を開いていたし、どこかの外見と内面が一致していないクマがアライグマに追いかけられていた。
毎日どこかでドタバタ劇が起こるこの森だが、ドタバタというかわいい言葉では済まされないことが起こることもある。
だって、どんなに平和だって食べ物ばかりはどうしようもないのだもの。ここにはいないけれど、コマドリが言うにはとおいところにある森ではオオカミが皆を襲うのだ、と。だから、皆オオカミを怖がるのだって。
森に住む有名人――動物――であるキツネはお腹をぐぅぐぅ言わせながら歩いていた。キツネは自分の食事をしようと狩りをしても、その相手に涙ながらに命乞いをされると離してしまう。どんなにお腹がすいていても。そして、頼まれると大事な食料である捕った虫や木の実だって分け与えてしまう。
だからいつもいつもキツネはお腹をすかせていたし、たまにそれを哀れんだクマが捕った魚を分け与えることもある。
森の皆はキツネをこう呼ぶ。『お人好し』、と。
季節は秋。実りの秋と呼ぶものもいるが、森の動物たちにとって秋とは次の春を迎えられるか否かを決める大切な時期だ。何しろこの不思議な森も冬は雪に閉ざされてしまう。秋の間にしっかり冬ごもりの準備をしなければならないのだ。
いつもはいたずらし放題のリスだって、暴れん坊のアライグマだって、みんな冬に向けて奔走していた。
そんな中、キツネはウサギと一緒に森を回っていたのだった。
「キツネさん、キツネさん。その木の実美味しそうね。わたしにちょうだい?」
ウサギはキツネが食べていた木の実に目をつける。
「ええ?君は木の実も食べるのかい。変わっているね」
「ふふ、わたしはいろんなものを食べるのよ。さすがに虫とかは食べないけれど」
「ふうん。僕が知っているのは別のウサギだけど、その子は草ばかり食べていたと思うけど」
「まあ、わたしも自分以外に木の実も食べる、っていう仲間には会ったことないわ。でも美味しいのだもの。食べたって良いでしょう?それにそのことで具合が悪くなったことなんてないのよ」
さすが、不思議のつまった逆さ虹の森。そこに住むものたちも変わっているものがなんと多いことか。
キツネは、そうなんだ、とさほど気にせずに木の実をウサギにやる。
「ありがとう!そうだ、あっちのほうに赤い実がなっていたわ。行きましょう」
ウサギはキツネを押しやって移動する。キツネは苦笑してそれに従う。
二人が共だって歩いて行くと、そこには果たして丸く紅玉のように赤い木の実がたわわに実った低木があった。
「これよ、これ。去年、誰だったかしら、これを食べたとか言うのがとっても美味しかった、って言っていたのよ」
「へぇ」
「でも、ダメね。わたしでは届かないわ」
ウサギの言うとおり、いくら低木といえども実がなっているところはウサギには高すぎた。
「しょうがないなあ。とってやるよ」
「さっすがぁ。頼りになるぅ」
「まったく、調子が良いんだから」
「まあまあ、良いじゃない。キツネさんのほうが大きいのだもの」
「はぁ。わかったから、そんなに見つめなくたってとってあげるってば」
キツネはウサギの無言の催促にしたがって次々と実をもいでいく。そのほとんどがウサギの口に入って消えていく。
「あー、おいしかった。あ、そうだ。向こうの方にドングリがいっぱい落ちているところがあるの。行かない?」
「えっ?!あんなものも食べるのかい?」
キツネはびっくりしてウサギを見るが、ウサギは笑って「何を好んでも良いでしょ」と言い、キツネを引っ張っていった。
こうして、その日一日キツネはウサギに引きずり回されることになった。この間、キツネの口に入った食べ物はウサギの半分にも満たなかった。
そして、ここからしばらく――木の実がなくなり、雪によって森が眠りにつくまで――続くのだった。
森の動物たちはこの二人を見て、何も感じなかった訳ではなかった。当然キツネが冬を越せないと、ウサギを止めたものもいた。しかし、ウサギは聞く耳を持たなかった。
「わたしは別に命じているわけではないわ。キツネが食べようが食べまいがそれはキツネが自分で決めたことじゃない。そのことで私に文句を言われても困るわ。そこまで心配なんだったらキツネに直接言ってよ」
それを聞いたものたちは埒があかないとキツネに直談判するものの、
「だって、ウサギが困っていたから。それにね、誰かの手助けをするととても気分が良くなるんだ。生きてて良かった、って思えるんだよ」
と、このように的外れな答えが返ってくる。自分の命を削ってまでやることか、と皆は問い詰めたが、キツネは変わらなかった。
「僕はね、みんなと仲良くしたいんだ。だから――」
小動物を襲うこともあるキツネは、はじめとても怖がられて森の動物たちの輪には入れなかった。それ故にキツネは恐れられないように、たとえ本能が欲していても我慢に我慢を重ねて『やさしいキツネ』を目指していた。その先に何が待ち受けていようとも。
厳しい冬が終わり、暖かな日差しが顔をのぞかせるようになった春。雪が溶け、萌黄があちらこちらに見えた頃、森にも賑やかさが戻ってきた。
「お久しぶり。無事冬を越せたようだね」
「そちらこそ、なんだか嫌に元気じゃないか」
「はは、秋に頑張ったから」
「そうだったな。冬越しおめでとう」
「うん、おめでとう」
そんな会話が森の至る所で行われる。
さて、秋にキツネを連れ回したウサギは、と言うと、
「あぁら、コマドリじゃない。生きてたのね」
「言うなあ。そっちこそ、ずっとこの森で冬を過したんだろう。その言葉そっちに返すよ」
「生きてたのか、って?当たり前じゃない。まだまだやっていないこと沢山あるんだから」
すこぶる元気だった。
「そういえば、キツネは見た?」
コマドリはふと気になって口にする。お人好しのキツネはいつも秋に自分の食べ物を人に譲って、春一応死んでいないというような体で出てきていたため、気になった。しかも、この春はまだ誰も見ていないらしいと情報通のタヌキが言っていたのだ。
「そんなのわたしが知るわけがないわ。そういうのはどっかの物知りの方に聞いてちょうだい。それか鳥仲間にね」
「だってだれも知らないって言うんだ。気になるだろう」
「知らないってば。しつこい男は嫌われるわよ」
「残念ながらそんなことはないんだよ。むしろ奥手では話にならないな」
だれもそんなこと聞いちゃいない、とウサギは言ってぴょんとはねて消えていった。相変わらず自由だ。
コマドリはため息をついて、飛んでいった。
誰かキツネの行方を知らないだろうか。酷く心配だった。
そして。
どこかでその影を意識していた。
コマドリは、落ち葉の影に隠れて春まで残ったドングリをくちばしでつまみ、ドングリ池に放り込んだ。
それからしばらくして、森にそれがささやかれた。
お人好しのキツネが死んだ。
最初はただの噂だった。どんなに経っても出てこないキツネ。もう生きていないのではないか、という憶測が流れ始めたのだ。そして、その噂をしていたもののほとんどがもう分かっていた。
もともとこれまで厳しい冬を越せていたこと自体が奇跡に近かったのだ。なにしろ秋の食いだめが圧倒的に足りないのだから。
しかし、きっとことしも生きている。
そう、信じていた。
だって、なんだかんだ要領が良い奴だったから。
だって、これまでだって春を迎えられていたから。
だから、今年もまた会えると信じていた。
どこかの洞窟で、見つかったらしい。
「なあ、お前去年の秋、キツネの奴にくっついてただろ。その時お前があいつの食べ物奪ってたって聞いたぞ」
しばらくして、森の動物たちの一部が昨年の秋、キツネにひっついて言いように使っていたウサギを取り囲んでいた。
「奪ってなんかいないわよ。人聞きの悪い。大体秋なんてみんな必死よ。一緒に回って効率よく食べてたってだけなのよ」
「はあ?よくも白々しくそんなこと言えるな。お前がいなければキツネは今も生きていたのかもしれないのに!」
「うるさいうるさいうるさい!わたしのせいじゃないわ!だってわたしはキツネに命令なんてしていないもの。言いがかりはよしてちょうだい!」
最後まで行動を共にしていたウサギに対する目は厳しかった。本当にウサギのせいでなくとも構わなかった。ただ、だれかなにかしら責められるものが欲しかった。
それほど、キツネは慕われていた。冬のうちに消えてしまう命はたくさんあるのにもかかわらず、ここまで思われるくらい。
彼の願い通り。『やさしい、お人好し』のキツネとして。
彼が最期に何を思ったのか、だれも知らない。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ちょっと童話にしては重いかな、と思いましたが投稿しました。
なかなかグリム童話などのような深読みすると怖い、というものは書けませんね。まあ、時代も感覚も違いますから難しいのは当たり前なのですが。人の死が今よりも身近だったはずですから。日本の昔話もしかり、ですね。
なかなか登場人物を辛い目に遭わせたり――というのは苦手なのですが、すこしでも何か感じていただければ幸いです。