2
この時代、鉄はあくまでも神がかった神秘の金属であり、たやすく手に入る代物ではなかった。そのほとんどが大陸から渡ってきた鉄板を加工した程度のもので、鉄そのものを作り出すという技術はまだ浸透していなかったのだ。
そうした倭で、唯一自ら鉄を生み出す技術を持っていたのが、たたら師と呼ばれる匠たちであった。彼らは火を操る術を知り、鉄という命をささえる金属を作り出す奇跡の一団とさえいわれた。しかし、不思議と人前に出ることを厭い、時には集団で土地を移っていくこともあった。それゆえに、詳しい製鉄の方法は謎に包まれたままなのだった。
稚武たちが向かったたたら場と呼ばれる里は、山の奥深くに隠れるようにあった。道とも思えない茂みばかりを突き進んで川を飛び越え、坂を上り、かと思えば下り、また川を渡る。甲太と乙次は当然のように軽快な足取りで進んでいったが、二人の案内がなければ到底たどり着けなかったろう。
林の坂の下に唐突に現れた集落に、稚武は度肝を抜かれる思いだった。あちこちの小屋から煙が立ち昇り、何か陽気な歌が聞こえる。下流と比べてずいぶん緩やかになった肥川の川べりで、女たちが楽しげに洗濯していた。
「ここがおいらたちの里だ」
「いいところじゃないか、みんな明るい顔をして働いている」
稚武は感心して言った。しかし甲太は難しい顔をして沈黙し、それからぽつりと呟いた。
「うん……みんな、いい人ばかりなんだよ。本当に」
それから甲太は、乙次と一緒になって一気に坂を滑り降りていった。遅れずに稚武も後につき、咲耶とカムジカもそれにならう。
里に入ると、甲太たちは誰かを探すように視線を巡らせ、見つけた青年のもとにすぐに駆け出して行った。
「八雲、ただいま」
呼ばれた青年は顔を輝かせて振り返り、二人の姿を見て両手を広げた。
「甲太、乙次、お前らよく無事で」
甲太はホッとした様子で八雲の胸に飛び込んでいく――が。抱きしめてくれるとばかり思っていた腕が、がし、と甲太の頭をつかんだ。逃げようとした乙次も同様につかまる。
八雲は豹変して声を低くした。
「……おめぇらよォ、何度言ったら、分かるんだあぁッ」
大蛇も真っ青の形相で怒鳴り、八雲は少年たちにげんこつを落とした。
「勝手に里から出るなってあれほど言っているのに! どうして毎度毎度心配かけるようなことをするんだ、このクソガキども」
甲太は涙を浮かべて頭をさすった。
「おいらは悪くない、だって乙次が」
「だってもクソもあっか。乙次がいなくなったら、勝手に探しに行く前に俺たちに一言言えと言っただろう! これで何度目だ、お前の頭は空っぽか」
「だって……」
甲太が今にも泣き出しそうになって顔を歪めると、八雲もため息をついて二人を抱きしめた。
「……本当に、心配したんだぞ」
「ごめんなさい、八雲」
神妙な面持ちで乙次が謝る。しかし悪びれている様子はなかった。八雲は腕をほどき、苦い顔で乙次を覗き込んだ。
「お前なー、本当に反省してんのか。一晩経てば性懲りもなくふらふらとするくせに。……ああ、また生傷つくって……」
腕を組んでため息をつく。
「おら、さっさと手当てしてもらって来い」
「うん。……あ、八雲、お客さん連れてきたよ」
「客?」
乙次に言われて、八雲は初めて稚武たちの姿に気づいたようだった。彼が顔を上げたので、稚武たちもやっとその姿を真正面から見ることができた。そして息を止めた――八雲は右目に眼帯をしていたのだ。
(目一つの―)
咲耶は半歩身を引いてカムジカに寄り添った。
八雲は訝しむような目で、よそ者たる稚武たちを眺めていた。
「何だ、あいつらは。どうしてつれて来たりした」
「村の子達から、僕を助けてくれたんだよ。旅の人で、たたら場が見たいんだって」
「そうか」
乙次の言葉に、八雲は急に態度を変えた。にこにことして軽い足取りで歩み寄ってきたのだ。
先ほどの変貌振りもあって、稚武は緊張したままだったが、八雲は人当たりの良い笑みのまま言った。
「やーやー、うちの弟が世話になったらしいな、ありがとよ。たたら以外にゃ何もねぇところだが、良ければゆっくりしていってくれ」
「ああ……」
肩透かしを喰らった気分で稚武は頷いた。
「乙次の兄貴なのか。なるほど、似てる」
「まぁね。ただ、俺はあんなぼんやりした性格じゃないぜ。――なぁ、お姫さん。あんた、かわいいな」
咲耶はぱちくりとした。そのさまさえ八雲は気に入ったようだった。
「乙次の放浪癖もたまには役に立つじゃねぇか、こんなべっぴんさんを連れてくるとは。今日は良い日だ。なぁなぁ、あんた、名は何というんだい」
「咲耶……」
言われるがままに答えると、八雲は「芳い名だねぇ」と満足げに頷いた。
「俺はたたら師の八雲ってんだ、よろしく。咲耶みたいな美人は大歓迎だぜ、いつまでだっていくれてかまわないからな」
「あ、ありがとう」
ぐっと顔を近づけてくる八雲に、咲耶は少々押されぎみで答える。その二人の間に、微妙に顔を引きつらせた稚武が割って入った。
「咲耶はこれでも巫女の端くれだ。お前の相手ができるほど気のきいた女じゃない」
八雲は何か感じ取ったらしく肩をすくめたが、それからにやりとした。
「へぇ、巫女さんか。そりゃあますます大歓迎だ。神の寵を受けた人間がいるといい鉄が作れるって話さ。なんなら、一生ここにいてくれたっていいんだぜ」
「悪いが旅の途中だ」
「お前にゃ訊いてねぇよ」
八雲は片目で稚武を覗き込む。
「だいたい何なんだ、さっきからでしゃばりやがって。お前、咲耶とどういう関係だ。巫女さまのお付きか」
「違う」
ムッとして稚武は答えた。
「俺は稚武。事情があって、剣打ちの匠を探している。どうしても直してもらいたい剣があるんだ」
「へぇ」
ふっと八雲の隻眼に真面目な光が差した。それでいて、彼は子供のようにわくわくとして言った。
「俺はこれでも、出雲一の刀匠を自負しているつもりだぜ。話を聞こう、うちへ来いよ」
案内された家は大きな竪穴造りで、お世辞にも羽振りの良い暮らしぶりとは言えなかった。しかし、使い込まれた家具はどれもしっかりとした作りで、散らかっている工具のようなものたちは八雲の実直な仕事ぶりを想像させた。
甲太と乙次は連れ立って、家の表でカムジカと戯れている。
「咲耶たちは運がいい」
八雲はむしろに腰を下ろし、上機嫌で言った。
「ちょうど明日、たたらに火を入れることになっているんだ。ゆっくり見ていきなよ。宿ならここを使っていいからさ」
「何日もかかるの?」
「三日三晩たたらを踏み続けて、その次の早朝に炉を崩すんだ。その時の感動ったらないぜ、鉄の塊が、まるで生き物みたいに見える。火花が上がって、呼吸しているみたいに」
「たたらというのは、どういう仕組みなんだ」
稚武が含みのない口調で尋ねると、八雲も乗り気になって答えた。
「簡単に言えば、炉(釜戸)に炭と粉鉄を入れて火をつけるのさ。それで中の空気が薄くなるといけねぇから、ふいごを踏んで空気を送る。あとは炉を壊して、できた鉄の塊――ケラというんだが、これを取り出すんだ」
八雲は人差し指を立てて得意げに言った。
「だけど、鉄を作るのはたたら師だけでできることじゃない。炉をつくるための赤土をとってくる奴、木を切って炭を作る奴、粉鉄を採る奴……この里のみんなで作るんだ」
粉鉄というのは砂鉄のことだ。出雲の山々には良質の砂鉄が多く含まれており、また松や楢などの樹木が豊富なため、鉄作りには適しているのであった。
「粉鉄を採った後の土砂は川に流すと聞いたけれど……どうやって粉鉄と土とを分けるんだ、あんな細かいもの」
稚武は本当に不思議に思って尋ねた。そこにこそ、鉄を作り出す彼らの神業の秘密が隠されているように思えたのだ。
八雲は頬杖をついて楽しそうに言った。
「手間はかかるが、理屈は単純明快さ。粉鉄は普通の土よりも重いんだ。だから肥川にいくつか堰をつくって、上から土砂を流す。すると軽い土だけが押し流されて、重い粉鉄は流れずに沈むんだよ。俺たちゃそれをすくえばいい」
なるほど、と稚武は感嘆を隠し切れずにため息をもらした。咲耶はいまいち話を呑み込めきれていなかったが、分かったような顔で大人しくしていた。
「それであんなに川が濁っていたんだな。……だけど、なぜそれだけで村の人たちは、たたら場を鬼の棲みかなんて言ったんだろう」
「そりゃあ、俺たちが異形だからさ」
八雲は苦笑いながらも明るく言った。そしておもむろに、右目の眼帯をはずして見せた。
隠されていた眼を目の当たりにして、稚武と咲耶は無言で息を呑んだ。
「その目……」
八雲の右目は、黄色を帯びた白に濁っていた。瞳はわずかに茶を残して、乳白色に膿んでいるようだった。
「これでも、とりあえずは見えているんだ。ただ、見る方も見せる方も、あまり気分のいいものじゃなくてさ」
言いながら、彼は再び眼帯を巻いた。
「俺は一応、代々このたたら場の長を務めてきた家の者でね。乙次や甲太の年には、もう親父について火見の役をやっていたんだ――炉に空けた孔から中の火加減をうかがう役さ。たたらでは一番重要な役なんだが、これを十何年も続けていると、さすがに目を傷めるんだわ。中は灼熱の世界だからな」
八雲は笑いながら頭をかいた。
「親父は五年前、三十歳で死んだけど、片目はもう完全に潰れていたよ」
「どうして……」
咲耶は食い入るように八雲を見つめた。
「そんなになりながら、どうしてあなたたちは鉄を作り続けるの。鬼なんて呼ばれて、それでも」
「さぁ、なんでかなぁ……」
八雲は穏やかに遠い目をして言った。
「確かに、辛くて仕方ないときもあるよ。たたら場を出て行く奴もけっこういる。けど、不思議とそういう奴らも、何年かすると戻って来るんだよな。山の下でこさえた子供を連れてさ」
嫁さんも一緒じゃないってとこがミソなんだけど、と苦笑する。
「だからさぁ、なんだかよく分からんけど、たぶん俺たちの血には、たたらから離れられない呪いみたいなものがかかっているんだよ。あの鉄と同じ熱を持った血潮が、体中に流れてる」
稚武も咲耶も、胸を打たれる思いで八雲を見つめていた。稚武としては、軽薄な男とばかり思っていた彼を見直したつもりであった、が。
「――でさ、俺もそろそろこの血を次の代に伝えたいわけよ。な、咲耶、協力してくれないか」
「えっ?」
突然にっこりと八雲に手を握り締められ、咲耶は目を瞬かせた。
「だからつまり、俺の嫁さんに―」
「咲耶は巫女だと言ったはずだ」
眉を寄せて稚武が言った。しかし八雲は不敵に笑う。
「関係ないね、巫女をやめたくなるくらいに俺に惚れさせればいいんだろう。自信はあるぜ。どうやら恋敵はいないようだし」
彼は含みのある目で稚武を見た。さすがに感じ取った稚武は、言い返そうと口を開きかける。しかしそれよりも早く、きっぱりと咲耶が言った。
「わたしはもう巫女じゃないわ。剣を手に戦う者よ。どっちにしたって恋なんてする必要ないし、する気もないわ。多分わたしは、一生、誰かを好きになったりなんかしない」
八雲は驚いたように言った。
「咲耶は恋をしたことはないのかい? 一度も?」
「ないわ」
「そいつは寂しいな」
真実寂しそうに八雲は微笑んだ。
「恋を知らずに死ぬことほど寂しいものはないよ。命をかけられるほど大切な人に出会えなかったってことだからね。悪いことは言わない。俺で一度、試してみなよ」
彼はまた軽い笑みを浮かべて言った。咲耶はそれをまともには受け取らなかったが、少しの間をおいてぽつぽつと言った。
「大切な人ならいたわ……小さい頃からずっと、わたしを守ってくれていた人よ。誰よりもそばにいてくれた人だった」
「それは恋じゃなかったのかい。巫女さまといっても、自然な気持ちは抑えられないものだと思うけどね」
咲耶は頷かなかった。小さく「分からない」と呟いてから、はっきりと言った。
「でも、その人はもういないの。だからわたしは戦うのよ」
へぇ、と八雲は目を丸くする。
稚武はやや呆れたように言った。
「……だそうだ。こいつのことは諦めるんだな、咲耶は頑固だぞ」
それから気を取り直すように、稚武は麻袋から布包みを取り出した。
「それで、戦うために必要な剣を直してもらうために来たわけなんだ。これなんだけど―」
開かれた包みの上には、剣らしき柄とわずかな刃のかけらしかなかった。
「どうだろう、何とかならないか」
「これは……」
八雲は柄を手にとってしげしげと眺める。その様子を、稚武は苦い思いで見つめていた。刃が砕けて以来、剣は皇以外の手を拒むことをやめてしまったのだ。それは神器が死んでしまったということに他ならなかった。
しばらくもしないうちに、八雲は眉をひそめた。
「これは一体何でできているんだ。どうも鉄じゃないし……銅でも金でもない。見たことのない金属だ」
「――そうか」
稚武は声音を落とした。
「確かにそれはただの剣じゃないんだ。無理を言って悪かったな」
返してもらおうと伸びた稚武の手を、八雲はさっと避けた。
「いや、待てよ。もしかしたら……ナム爺なら」
「ナム爺?」
ああ、と八雲は頷いたが、それより先に稚武に迫った。
「なぁ、教えてくれ。これはどこから持ってきた剣なんだ。大陸とかか」
一流を自負していた刀匠として、見知らぬ金属を正体もわからぬまま返すわけにはいかないらしかった。
稚武は苦い口調で言った。
「いや、もともとは……ここから出てきたという剣なんだよ」
「ここって。……まさか、鳥上山からか?」
「そうだ。ヤマタノオロチから出てきたという、神器の剣なんだ」
八雲は目を見開いて稚武を見つめた。それは当然の反応だろう、もちろん稚武も予想していたことだった。そして神器たる剣をもつ皇子を畏れ、誰もがひれ伏すのだ。
しかし、八雲は違った。彼はしばらく唖然としていたが、やがてその顔に浮かんだのは畏怖ではなく憎悪だった。奥歯をかみ締める痛みが伝わってくるような、明らかな怒り。
八雲は力を込めて柄を握り締め、稚武に突き出した。
「帰れ」
「八雲?」
驚きながらも稚武が剣を受け取ると、八雲はさらに言った。
「今日はもう遅い。一晩くらい泊めてやるが――朝になったら、さっさと山を下りてくれ」
「八雲、どうして怒っているの」
咲耶が眉を下げて尋ねる。
「どうしてだと?」
八雲は立ち上がり、隠し切れない怒りをもって稚武を睨みつけた。
「昔にも、同じように神器の剣を携えてやって来た奴がいた。もちろん俺が生まれるよりずっと前の、じっちゃんのじっちゃんの、そのまたじっちゃんぐらい昔の話だ。――来訪者の名は、ヤマトタケルノミコト」
稚武はハッとした。以前に石上の宮で習った紀伝を思い出していた。
(……そうだ。確か、クマソタケルを討伐したヤマトタケルノミコトは、都に戻る途中で出雲に立ち寄って―)
八雲は怒鳴った。
「そいつは、イヅモタケルと呼ばれてた俺の遠いじっちゃんを殺したんだ。鉄を創り出すたたらを、大王家を脅かす危険因子だなんてぬかしてな」
稚武は何も言い返せなかった。ただ困惑の表情で八雲を見つめた。
八雲は息を整え、それから吐き捨てるように言った。
「お前が何者で、なぜ神器の剣なんぞを持っているかは聞かないでおいてやる。だけど、とても歓迎はできない。ヤマトタケルが攻め込んで来たせいで、俺たちはこうして山奥にひっそりと暮らすしかなくなっちまったんだからな」
そのまま、八雲は出て行ってしまった。考え込むようにうつむいたままの稚武に代わり、咲耶が追いかけた。
「待って、八雲」
「来なくていい、たたらの準備をしに行くんだ」
八雲は振り返らずに言った。
「今夜はその辺で適当に寝てくれ。……そして俺が戻ってくる前に帰ってくれ、頼む」
怒りというよりは哀切を感じさせる背中で、彼は行ってしまった。見送るしかできない咲耶の裾を、それまでカムジカと遊んでいた乙次がやって来て引いた。無言で見上げる瞳には、幼い子供らしい心配の色が浮いている。
「おい、何かあったのか。なんで八雲があんなに怒ってんだよっ」
かっかした様子で甲太も問う。
「えっと、わたしにもよくわからないんだけれど……」
ただ、稚武の祖先であるヤマトタケルを、八雲が憎んでいるというのは分かった。けれど咲耶には、八雲も本当は怒りを思い出したくないのだというふうに見えた。このまま静かに、この山奥のたたら場で平和に暮らせたらそれでいいと。だからこそ、稚武の訪れを厭うのだろう。ミコトと同じように剣を手にする彼は、まるで今の生活を破壊しにやって来た凶兆のようで。
(誰にも、他人の平和を壊す権利なんてない……)
たとえ自分が己の平和を打ち砕かれた者であり、復讐を胸に走っているのだとしても、そのためにまた誰かを傷つけてはいけないのだ。
穏やかな幸福を望まない人はいないはずなのに、どうして自分たちは泣きながら争っているのだろう、と咲耶はぼんやり考えた。




