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第七章 出雲の剣 1

 道を進むにつれ、日に日に景色は春の彩りをおびてきた。


 稚武は簡素で動きやすい出で立ちで身分を隠していたが、それでも衆目の的になることはまぬがれられなかった。というのも、彼らに同行しているカムジカの珍しさゆえだ。街道ですれ違う旅人、立ち寄った村の人々、一時の旅の道連れとなった商人であっても、白銀の毛並みをもつカムジカには目を丸くした。中には、譲ってほしいと言ってくる者さえいた。


 稚武としても、カムジカの存在はいまだ謎のままだった。この常ならぬ獣は、今まで、さだめの分かれ目ともなるようなときに度々姿を見せることはあったが、こうして行動をともにすることなどなかったのだ。しかし、どうやら今回は稚武に協力するつもりのようだった。


 牝鹿は稚武たちが向かうべきところを心得ているらしく、分かれ道に差しかかったとき、決まってどちらに進むべきか示してくれるのだ。正体不明であっても、心強いことには違いなかった。


 そのようなわけで、稚武と咲耶は、目指していた山並みをとうとう目前に見ることができた。その昔、ヤマタノオロチが棲み、スサノオ神が降り立ったという奥出雲――鳥上山とりかみやま。そのふところを水源とする肥川ひのかわの流れに出会い、稚武たちは上流へと上っていった。


 肥川には鮎や鱒が豊富に泳ぎ、川沿いの村々は豊かであった。おかげで稚武たちも食うに困ることはなかった。村の人々は旅人を歓迎し、喜んで宿を貸してくれたのだ。


 しかし、一つだけ奇妙なことがあった。彼らは、稚武たちがさらに上流へ上るつもりであると告げると、一様に顔をこわばらせるのだ。それでいて、こちらがわけを訊くと言葉をにごらせる。首をひねりながらも順調に川を上り続け、稚武たちがようやく鳥上山のふもとにたどり着いた、その翌日のことだった。


 昨晩宿を貸してくれた村長の妻が、出発しようとする稚武たちに不審がるような目を向けた。


「あんたたち、これ以上山へ登って、何の用があるんだい。これから先には、まともな村もないんだよ」

「ちょっと大切な用事で」


 稚武が人当たりの良い笑みで答えた。


「ヤマタノオロチが棲んでいたというところへ行きたいんです」

「やめておきな」


 厳しい面持ちで彼女は言った。


「あそこはね、呪われているんだよ。鬼が棲んでいる――」

「鬼?」


 稚武たちが目を丸くすると、女は疲弊したような表情を見せた。


「嘘じゃないよ。そう思うなら、もう少しだけ川をのぼってごらん。だんだんとね……川の水が赤みを帯びてくるんだ。あれは血さ、ヤマタノオロチの呪いの血が今も流れ続けているんだ。そして鳥上の山は、目一めひとつの鬼の棲みかになっているんだよ」

 



 半信半疑ながら、稚武たちは素直に川上へと行ってみた。村はずれまで来ると、確かに水面がにごりだしていた。


「やだ……本当に、赤い」


 おびえるように咲耶がつぶやく。


 川は茶を帯びたよどんだ赤色をしていた。河原の石までもが血色に染まり、それは不気味な光景だった。さすがの稚武も顔をしかめる。


(けれど、これは本当にヤマタノオロチの血なのか。あの伝説はもう何百年も昔の話のはずなのに……)


 稚武は岸にたたずみ、うなるようにして考え込む。その隣でまだ川の流れを見つめていた咲耶の耳に、幼い子らのはしゃぐような声が聞こえた。何とはなしにそちらを見やると、林から抜けたところの石ばかり河原で、なにやら子供たちが集まって遊んでいるようだった。


 村の子供たちか、と咲耶は納得しかけたが、よく見てみると様子がおかしかった。彼らは輪を作り、皆で何かを囲んでいびっているようなのだ。


 子供たちが笑いながら蹴りつけているものに目を凝らしてみると、それは一人の男の子だった。両手で頭をおおい、小さくうずくまって足蹴に耐えている。


 いじめだ、と思ったときには咲耶は怒鳴っていた。


「こら、あなたたち! 大勢で何をしているの、情けないわよ。そんなことをして恥ずかしいとは思わないの」


 子供たちはいっせいにこちらを見、少々間の悪そうな表情で言い返した。


「なんだよ――よそ者じゃないか」

「女が男同士のことに口を出すなよな」


 利口ぶった口ぶりに、咲耶はいっそう腹を立てた。ぎゅっと眉を寄せ、ずんずんと向かっていく。子供たちは顔色を変えた。


「う、うわ、逃げろっ」

「本気だぜ、この変な姉ちゃん」


 蜘蛛の子が散るように子供たちは逃げ出した。しかしこういうとき、必ず一人二人はぐずがいるもので、運悪く逃げ遅れた男の子は咲耶につかまってしまった。


「ひゃああっ、うわぁん、怖いよう」

「あのねぇ」


 おびえきった苛めっ子を覗き込み、咲耶は片眉をひそめる。


「根性のまがったことをするから、そういう思いをするのよ。こっちの子が何かしたの、あなたたちに。どうせたいした理由もない、弱い者いじめなんでしょう」

「ち、違うもん」


 男の子は身を引き、いまだうずくまったままでいるいじめられ役の少年を一瞥した。


「そいつ、目一つの鬼の子なんだ」

「え?」

「だから、おれたちで退治しようとしたんだもん……っ」


 それだけ言い、男の子は真っ赤な顔で一目散に逃げ出した。


「ちょっ……、ちょっと待って」


 咲耶が呼び止めても聞かず、少年は待ち受けていた仲間たちと合流し、村の方へ駆け去っていった。


 唖然とするばかりの咲耶のもとに、稚武が呆れ顔でやってくる。


「何をやってるんだ、咲耶。子供のけんかに口を出して」

「稚武」


 カムジカをつれた稚武は、物知り顔で腕を組んだ。


「だいたい、男には自分で戦わなきゃいけないときがあるんだ。ああいう腰抜けどもなんてな、一発殴ればおとなしくなるんだ」


 彼は自分の経験から語っていた。


 稚武と風羽矢は、親なしのくせに里長の家でぬくぬくと育てられたというのもあって、同世代の男の子たちからは目の敵にされたものだった。稚武たちも、彼らの言い分にも一理あると思って最初は大人しくしていたのだ。お互いがいるから別に寂しくない、といつも二人きりで遊んでいたものだった。しかしある日、大勢に囲まれて手ひどいいじめを受け、それを知った桐生に叱られたのだった。本当に嫌なことを嫌とも言えないやつは、誰からも信じてもらえないと。

 その日から稚武たちは反撃に出た。殴られたら殴り返し、悪口を言われたら声を大きくして言い返した。そうして不思議なことに、それからだんだんと稚武や風羽矢は彼らとなじむようになっていったのだ。


 稚武はしゃがみこみ、あちこちに泥をつけている幼い少年を覗き込んだ。


「お前は悔しくないのか、あんな奴らに馬鹿にされて」

「……別に」


 驚いたことに子供はけろりとして答えた。気弱そうな顔をしていたが、なんだか眠たげに目をとろんとさせている。それから一つあくびをした。


 咲耶は慄くように喉を震わせた。


「あなた――鬼の子って、本当なの」

「ええ?」


 稚武が声をひっくり返して立ち上がったときだった。彼の頭を、こーんと硬いものが直撃した。


「ぃでっ」


 稚武は涙目になって頭を押さえる。そして、こつ、と音を立てて落ちたものを見てみると、それは小石だった。


「なんだぁ?」


 顔を歪めながら、石の飛んできた方向を振り返る。すると、ちょうどそちらから馬鹿でかい声が飛んできた。


「おいこら、てめぇらっ! 乙次(おつじ)に何してやがる」


 怒鳴った少年は目を見張るような速さで土手から駆け下り、稚武に飛びかかってきた。しかし、稚武も一応の武術の稽古をこなしてきた皇子である。まだ十一、二ほどの少年は、逆に両手をとられて身動きを封じられてしまった。


 稚武はぱちくりとして、渾身の力で縛めから逃れようとしている幼い男の子を眺めた。


「なんだ、お前。この子の知り合いか」

「うるさい、うるさいっ。てめぇこそ何だ、放しやがれっ」


 少年は真っ赤になってさらに暴れた。


「ええい、ちくしょう。――乙次、お前だけでも逃げろ。こいつらきっと、悪の手先だ」

「そんなわけないだろう」


 呆れ果てて稚武は彼を放した。しめたと言わんばかりに拳を握った少年の腕を、乙次と呼ばれた方の男の子が止めた。


「なんだよ、邪魔するなよっ、乙次」


 乙次は無表情だったが、大きな丸い瞳で強く訴えていた。気の短い少年がさらにムッとしたので、乙次はおっとりと言った。


「……だめだよ。悪い人たちじゃない」

「何で分かるんだよっ、そんなこと」

「……助けてくれたから」


 必要以上に間を取って話すのは乙次の気性らしかった。


 まだ納得のいかないらしい少年に、乙次はわずかに目を細める。


「……コウ」

「――ちぇ、分かったよ」


 コウと呼ばれた彼は、しぶしぶながら諦めたようだった。しかし、キッと稚武を睨みあげる目は、幼いながらに敵意をむき出しにしていた。


「てめぇら、見かけない顔だな。そこの村のやつじゃねぇのか」

「まぁな、旅の途中だよ」 

「ふん……こんなへんぴなとこに来るなんて、よっぽど暇なんだな」


 憎まれ口をたたきながら、コウは乙次の泥を払ってやった。乙次のひざからは血がにじみ、さらにあちこちに擦り傷がある。それも、さっき子供たちにつけられたものばかりではないようだった。ひどい仕打ちは今日に限ったことではないのだろう。


 コウは奥歯をかむように声を小さくした。


「ちくしょう……またあいつらだな。許さねぇ、よくも」


 乙次はのんびりと言った。


「コウは怒りっぽいね」

「お前が怒らなすぎなんだよ!」


 どかんと爆発してコウは怒鳴った。


「まったくお前は、いつもいつも一人でふらふらと……山を下りたらこういう目に遭うっていうのが、どうして分からないんだ。心配ばっかりかけやがって」

「うん……ごめんね」

「だいたい、やられたらやり返せばいいんだ。お前が馬鹿みたいにやられっぱなしだから、あいつらが調子に乗るんだぞ」


 お、と稚武が目を丸くする。どうやらコウと稚武は同意見らしかった。そのせいか、乙次がくすくすと笑った。


「なに笑ってんだよ、人の気も知らねぇで。……おらっ、帰るぞ!」


 コウは乱暴なさまで乙次の手を引いた。しかし首根っこを稚武につかまれ、ぐぇっと間抜けな悲鳴を上げた。


「ちょっと待った。少し話を聞かせてくれ」

「げほごほっ……なんだよっ」


 じたばたとして暴れるコウを、咲耶がまじまじと見つめる。


「うーん……どう見ても、鬼のようには見えないけれど」

「一つ目じゃないしな」


 二人の会話に、コウはさっと顔色を変えて口をつぐんだ。それから低く乙次に尋ねる。


「お前がしゃべったのか」


 ううん、と乙次は落ち着き払ったさまで答える。


「さっき、村の子が、僕のこと鬼の子だって言ったから……」


 コウは息を吸い込んでますます頬を赤くさせた。


「あいつら――あいつら、ふざけやがって!」


 怒りでか、コウは涙目になっていた。勢いよく稚武の手を振り払うと、鋭く睨み上げる。


「お前らもお前らだ。あいつらと同じだ。どうせおいらたちを嫌うんだろ。鬼の子って呼ぶんだろ!」

「そうは見えないって言ってるじゃない」


 咲耶は眉根を寄せて言った。


「あなたたちは、あの村の子じゃないのね。けれど鬼でもない。なのにどうして、そう呼ばれているの?」


 コウは唇を引き結んで黙り込んだ。さらに稚武が問う。


「山の方――つまりは肥川の上流に住んでいるんだな。この川が赤いのと、何か関係があるのか」

「……知らん」


 むすっとして答え、コウは乙次の手を取った。慌てて稚武が引き止める。


「あの村の人たちは、川が赤いのはヤマタノオロチの血のせいだと言っていた。本当なのか、せめてそれだけでも知りたいんだ」

「オロチ……? ――違うよ、あれは……」


 言いさして、コウはやめてしまった。しかし繕うように乙次が答えた。


「あれは、上流から土砂を流しているせいだよ」

「乙次っ」


 コウが咎めるが、もはや後の祭りだ。

 稚武は興味を引かれて瞬いた。


「土砂?」

「うん。僕らの里は、鉄を作っているから。粉鉄を採った後の土砂は川に流してしまうんだ」

「鉄を……作ってる? ――もしかして、たたらというやつか」

「そうだよ」


 とたんに稚武は顔を輝かせた。


「話に聞いたことはある。山を切り崩して、火をたいて、神業で鉄を作り出すっていう……その里が、鳥上の山の中にあるのか?」


 へらっと笑って乙次は頷いた。稚武が身を乗り出すようにして言う。


「行ってみてもいいか」

「馬鹿言うな」


 鋭くコウが睨みつける。


「おいらたちの里はな、よそ者がのこのこと来ていいようなところじゃ―」

「いいよ、おいでよ」

「乙次―――ッ」


 気の抜けるような笑顔で諾と言った乙次を、コウが悲鳴のように怒鳴りつける。しかし乙次は相変わらずの穏やかさで返した。


「大丈夫だよ……悪い人たちじゃないもの」

「そんなこと分かるかよ。なんか、変な鹿も連れてるし。どう見たって怪しいじゃねぇか」


 コウはちらっとカムジカを見やった。


「……でも、きれいだな」

「うん、きれいだね」


 にやりとして稚武はカムジカを撫でた。


「触ってみるか?」

「い、いいのかっ?」


 コウは分かりやすい子供だった。素直とも言えるし、単純とも言う。彼は頬を染めておずおずとカムジカに近寄り、稚武がそばを離れないのを確認しながら、そっと触れた。おお、と感動したらしい声が上がる。その隣で、乙次が平然とした顔でカムジカの銀色の毛並みを撫でていた。


 稚武はコウの顔を覗き込んだ。


「なぁ、見せてくれるよな、お前たちのたたら場を」


 コウはぐっと詰まったような顔をした。


「稚武、寄り道するつもりなの」


 咲耶が難しげに言うと、稚武は目を躍らせて答えた。


「寄り道なもんか。鉄を作るところってことは、剣なんかの武器を作る技術も抜きん出ているんだろう。もしかしたら、そこに、剣を直してくれる誰かがいるかもしれない」

「おいらたちの里の匠はやまと一だ」


 むきになったようにコウが言い、それから仕方ないというそぶりで唇を突き出した。


「しょうがねぇから、案内してやるよ」

「ありがとう、コウは優しいやつだな」


 稚武が言うと、コウは照れたらしく赤くなりながら、怒ったように返す。


「おいらは甲太(こうた)だっ」

「……僕は、乙次……」


 山の中へ案内しようと肩を並べた少年二人に、咲耶は首をかしげた。


「二人は兄弟なの?」


 むっとしたように甲太が振り返る。


「違う、おいらたちは友達だ」

 

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