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「ふぅむ、大陸渡りの楽団とな……」
王城の大門の番兵は、宮にやってきた派手な一団をじろじろと見た。端から順に見ていくと、
「子供が一人に」
紅で顔中に化粧を入れたユキニがにっこりとする。
「笛吹き、太鼓、銅鑼」
三つ子が各々の楽器を手に、むっつりと会釈した。
「歌うたい」
華やかな伎女の姿に盛装したリャンが、花のように微笑んだ。
「それから、踊り子が三人か」
大きな仮面をつけて並んだ三人は、面白い具合に身長差が階段になっていた。一番大柄の男は大陸の国の官人風の衣裳で、他の二人は薄い生地を幾重にも重ねた、濃い色の裳をまとっている。大陸風の、女の衣裳である。
「大陸の踊り子は、いつものそのように仮面をかぶっているのか?」
番兵は不審がるように見た。リャンが香り立つ声で答える。
「ええ、本物の踊り子というのは、舞を奏します日には朝から仮面をつけているものなのですの。そうして神に近づき、舞うのですわ」
「ほう、なるほどなぁ」
男は曖昧に納得したようなそぶりでうなった。その頬がかすかに赤らんでいるのは、リャンの美しさに心奪われているからに違いない。
「むむ、なにごとだ、そこ」
大門の騒がしさを見咎めて王城の中から現れたのは、幾人かの配下をひきつれた文官だった。番兵たちは叩頭して下がる。どうやら少しは身分のある人物らしい。あごの辺りには、茶色い刺青があった。
改まった声音で番兵の一人が告げた。
「は、大陸渡りの楽団と申しております」
「ほう、確かにそのようだ」
白髪のその文官は、しげしげと一団を眺めた。
リャンはにっこりと最上の笑みを浮かべる。
「倶馬曾に新しき王が立つと聞き申しまして、お祝いに駆けつけたしだいでありますわ。どうかお目どおりかないませんこと?」
「うむ、おぬしらは、実にちょうど良いところへ参ったよ」
年老いた男は、いくつか歯の足りない口で笑った。
「今宵な、王が正式に立たれるのだ。宮は宴の準備に忙しい。気の利いた楽人を呼ぶ暇もなくてのう、楽のできる者を探していたところなのだ。おぬしら、腕は確かか?」
「まぁ」
リャンは蕾が花開くように声を明るくした。
「ええ、それはもちろん。わたくしどもの楽の音は大陸一と自負しておりますわ。ぜひ、今夜の宴にわたくしどもをお使いください。新しき王に、ぜひとも聞いていただきたく存じます」
「おうおう、大陸の歌舞の華やかさは一見の価値があると聞いておるでな。王の御前で精魂込めて舞っておくれ。お上にも伝えておこう」
満面の笑みでにこやかに言い、老官は後ろの部下に言った。
「空いておる離れに部屋を用意せよ。この楽人たちをお連れしろ」
「はっ。――どうぞ、こちらへ」
若い衛士に案内されて宮に足を踏み入れた一団の後ろで、老官は声高に笑っていた。珍しい舞をお見せすれば、きっと王のお目がかかる。わしは運がいい――そんなことを下っ端の門番に自慢しているようだ。リャンとユキニ顔を見合わせ、鼻で笑った。
案内された離れは木立の隅にあった。ユキニたちは馬を車から外し、手ごろな木に結びかえる。見張り役を買って出た三つ子を除き、彼らはひとまず小屋に入って息をついた。
「うまくいきましたわね」
ほっした様子でリャンが微笑む。ユキニは床板の上に寝転び、早くもくつろぎ始めていた。
「今夜宴があるというのは運が良かった。天は稚武に味方していると見える」
ずっと黙りこくっていた踊り子たちも、解放されたように仮面をとった。
「ああ、重かった」
大陸風の官人の衣裳を着ていた桐生が大きく息をついて言う。隣の華やかな衣裳の咲耶が、リャンに微笑みかけた。
「すごかったわ、リャンさん。わたし、どきどきした」
「まぁ、それほどでもありませんわ。ふふ」
照れたように、リャンは控えめに笑った。あはは、と潜入の成功を喜ぶ彼らから一人はずれ、稚武が怒りのにじむ声で言った。
「なァに楽しげに談笑してんだ、お前ら……」
「ん?」と彼を見やった桐生たちの目が、にま、と歪む。そしてさらに大きく笑いがはじけた。
「笑うなッ」
何がおかしいかといえば、稚武は女装しているのであった。仮面があるから化粧はしていないものの、ふわふわ、ひらひらとした裳は伝統的な女性の着物である。男らしい眉に、きりりとした顔立ち。それが、こんな情けない格好をしているのだ。それで怒って見せるからさらに笑える。
特に腹を抱えて笑ったのは桐生だった。泊瀬のみんなにも見せたいとまで言った。
「あっははは! こんな皇子さまの姿を見たら、国のみんなは泣くな。大王なんてきっと卒倒なさってしまう」
「声が大きいよ、桐生兄はッ」
ぶすっとして稚武は言った。それからユキニをにらむ。
「どうして俺だけ女装なんだよ。桐生兄は男の格好をしているのに!」
「だから、他に合う服がなかったのだ」
「嘘つけ」
稚武は盛大に眉を歪めてどっしりと座り込んだ。それで柔らかな生地が優しく揺れるから、ますます不釣合い感が増す。
ユキニがなだめるように苦笑した。
「しかし男というのは、相手を女と見ただけで隙を見せるもの。宴とあれば、皆も酔うだろう。王を討つ機会はきっとあるぞ」
「…………そうは言ってもなぁ」
納得できない様子で憮然としている稚武に、桐生が「大丈夫。よく似合ってるぞ」とからかう。稚武がますます怒って、二人は賑やかに取っ組み合いを始めた。もちろんふざけ半分である。
その喧騒をすり抜け、面を外したままの咲耶がそっと戸に手をかけた。
「あら、どこに行くの? 出て行ったら危ないわ」
リャンに問われ、咲耶はにこっと笑って答えた。
「ちょっと、車に忘れ物をしてきてしまって。心配しないで、すぐに戻ります」
そう、とリャンはおっとりとして返し、離れの小屋を出て行く彼女を見送った。
やがてけんかに一段落つき、稚武がふっと顔を上げた。
「あれ……咲耶は、まだ戻ってこないのか」
「え? ああ、そうですね、遅いわ……」
ユキニの遊び相手をしていたリャンが、わずかに眉をひそめる。
「――まさか」
はっと嫌な予感がして稚武は立ち上がった。いや、それはすでに確信だった。離れを飛び出し、馬の外れた車の中をのぞく。すると中に人影はなく、さっきまで咲耶が着ていた派手な衣裳が脱ぎ捨ててあった。美しい生地が、波のように広がっている。
稚武は、その格好に似合わない低い声で毒づいた。
「あんの、くそ馬鹿ッ」
(王はどこにいるのかしら……)
呼々の懐剣を胸に、咲耶は茂みに隠れ隠れしながら宮の奥を目指していた。
今ごろ、稚武たちが怒っているかもしれない……きっと怒っているだろう。自分はひどく勝手なことをしている。わかっているけれど、咲耶は彼らに頼ってばかりいるわけにはいかなかった。
(禍の王も、穂尊も……それに、陽巫女を騙っている女も、わたしが討つわ)
この使命だけは、稚武には譲れない。これを取り上げられたら、咲耶にはもう生きる意味がなくなってしまうのだ。
結局、『鏡』を見ないままにここまで来てしまった。
(けれど、もういい。神器なんかなくたって、わたしには呼々が遺してくれた剣がある。こうなったら神器の鏡も剣も必要ない。せっかくこんなに近くまで来たのだもの……これ一つで、あいつらを討ってみせるわ。たとえ刺し違えてでも)
ここまで咲耶を突き動かしたのは、先ほどの老いた文官がこぼした言葉だった。――今夜、正式に王が立つ。
倶馬曾に、何百年と続いてきた伝統あるこの女王の国に、一瞬でも男王が立つのは許せなかった。たとえ、咲耶以外のすべての民がそれを望んでいるとしても。
今ならまだ間に合う。食い止めるのだ、この国が禍に染められるのを。
それができるのは自分しかいない、許されるのは自分しかいないと咲耶は確信していた。
(もう、すぐそこに禍の王がいる。きっと近くにいる。仇を討つときが来たんだわ、やっと。決着をつけてやる、すぐにでも)
勢い込んで茂みから飛び出し、次の木陰に滑り込もうとしたときだった。
「そこの女、何をしている」
飛び上がった心臓を押さえ、咲耶は恐る恐る振り向いた。少し距離を置いて、阿依良の兵隊がこちらを見ていた。頬の黒い刺青――咲耶の胸に、血の記憶が飛び散った。
「おい、どうした。何とか言ったらどうだ」
厳しい顔をして、彼らは近づいてくる。咲耶は恐怖で足が凍りついていたが、ごくっとつばを呑んだはずみで駆け出すことができた。
「あっ、こら、待て!」
後ろで怒鳴り声が響き、続いて呼子の笛の音が高く鳴り渡った。咲耶は無我夢中で、とにかく人気のない方、宮の奥へ奥へと走った。
咲耶はそれほど足の疾い娘ではなかったが、辻に出てあてずっぽうに道を選ぶと、運の良いことに兵士の姿はなかった。そういうことが何度か続いた。ただし、後ろから迫り来る兵はどんどん数を増している。
(逃げなきゃ――)
咲耶は何度も転びそうになりながら走り抜けた。恐怖が胸を塞いで、息をしている感覚さえわからなくなっていた。全力で走り続けて、ついに足が鈍くなってきたとき、また辻に出た。今度は勘が働かず、咲耶は立ち止まってしまった。
(どっちに行ったら)
阿依良兵の怒声はすぐ後ろの角まで迫ってきている。ここで姿を見つけられたら、確実に捕まる――
咲耶は絶望し、ぎゅっと胸の懐剣を抱きしめた。 その瞬間、
「痛っ」
どくんと鼓動を打つように、右の手の平がひどく痛んだ。あの、花形の痣だ。その激痛は今までになかったほどで、骨と肉とがきしむようだった。
あまりの痛みに、咲耶は目が回った。だから、その時に何がどうなったのか、実のところよくわからない。ただ、不意に近くから声がした。
「――君、こっちへ」
「え?」
「早く」
気がついたときには乱暴に腕をつかまれ、咲耶は誰かに抱きかかえられるように倒れこんでいた。
パタン、とすぐ耳元で戸の閉まる音がした。一枚の板をはさんだ向こうで、男たちの怒鳴り声が聞こえる。
「どこに行った」
「手分けして探せ。あまり事を荒立てるな、こんな大切な日に」
「見つけたら宮から放り出してやれ!」
しばらくもしないうちに、夏のにわか雨のように男たちの声は遠くなっていった。どうやらやり過ごせたらしい。
ほ……と息をつくのにも震えながら、咲耶はやっと生きた心地を取り戻し始めていた。そして、自分がどんな格好をしているかを知ってぎょっとした。
垣根の戸を背に座り込んでいる見知らぬ少年に、抱きしめられていたのである。
「きゃああッ」
高く悲鳴を上げて、咲耶は彼を突き飛ばした。けれど、腰が抜けたのか、たいした距離もとれないままにまた尻餅をつく。
「シッ、静かに」
突き飛ばされたことに微塵の不快も見せず、少年は微笑んで言った。
「怖がらなくていいよ、ここにまで兵は入ってこないから」
優しい声だった。自分でも不思議なほど、咲耶は急に安心して力が抜けた。両手をついてへたり込んだ彼女を、少年が心配した様子で覗き込む。
「大丈夫? ……なんで、あんなのに追われていたんだい」
咲耶は答えず、ずっと静かに微笑んでいる彼を凝視した。
「あなた……どうして助けてくれたの」
「え? だって、困っているみたいだったから」
きょとんとして彼は言った。その率直な言葉には、かけらの含みもないように見えた。
さすがの咲耶も眉をひそめる。
「無用心ね。もしもわたしが強盗だったりしたらどうするつもりなの」
「強盗なのかい?」
ぱちくりとした目で返されて、咲耶はすっかり毒気を抜かれてしまった。
「……違うわ」
「だろうね」
少年は柔らかく破顔した。
「悪い人には見えなかったよ。だから助けたんだ」
咲耶は彼を見つめた。少年の微笑みは優しいが、どこか寂しげな影があった。そのように笑う人を、咲耶は初めて見た。
なぜだか、ふいに一瞬、胸が痛んで泣きたくなった。
けれどもすぐにハッと我に返り、急いで辺りを見回す。どうやら、どこかの殿の庭の隅らしかった。咲耶たちの周りは木立に囲まれており、正面には池がある。赤い橋のかけられた、人工の池だ。
殿舎は大きく、突き出た廊に人影はなかった。
「ここはどこ」
早口に、咲耶はさらに言った。
「ねぇ、王はどこにいるの。穂尊は、ヒミコは。どっちへ行けば会えるの」
「穂尊たちの知り合い?」
少年は目を丸くした。それから少し残念そうに眉を下げる。
「ヒミコは海に禊ぎに行っているよ。帰ってくるのは夕方ごろかな……。穂尊はたぶん、西の殿で仕事をしていると思うけれど。今日は忙しいらしいんだ」
「王は?」
詰め寄られて、少年は困ったように小さく笑った。
「さぁ……。少なくとも、玉座の方には、いないだろうけどね……」
「そう」
咲耶はきつく眉根を寄せた。ヒミコは不在、王の所在はわからないとなったら、標的は絞られる。
「お願い――わたしを、穂尊のいる殿まで連れて行って。会わなきゃいけないの、どうしても」
「ええ?」
咲耶のはりつめた表情に驚いたのか、少年はわずかに身を引いた。それから弱り顔で、やはり口元だけ微笑ませて言った。
「……ごめん。案内できるほど、僕は宮に詳しくないんだ。この殿から出てはいけないときつく言われているし……一緒に行ってあげたい気もするけれど」
「そうなの?」
咲耶は自分が無理を言っていることに気づいた。
「ううん、ごめんなさい。あなたにまで迷惑をかけられないわ。助けてくれてありがとう」
入ってきた戸から小路へ戻ろうと、咲耶は垣根の向こうの気配をうかがった。けれど、いざ踏み出そうとすると、なかなか振り切れなかった。
なぜかしら咲耶は、もっとこの少年と一緒にいたいような気がしていたのだ。もう少し彼と話してみたかった。声を聞いて、静かな笑顔を見ていたかった。どうしてかと言われたら、自分でもよくわからないのだけれど。
しかし、ここで立ち止まっている時間などなかった。
(そろそろ稚武たちだって動き始めている頃かもしれない……)
稚武の怒っている顔を思い描いたとき、咲耶はハッとして少年を振り返った。
「そうだわ。ねぇ、もう一つ訊いていいかしら」
「うん、なに?」
「このあたりで風羽矢っていう男の子を見たことはない? 秋津の人らしいんだけれど―」
とたんに少年の顔から笑みが飛び去った。信じられないような顔で咲耶を見つめ、白い肌が見る間に色をなくしていった。
ここにきて、咲耶はやっと気づいた。
「あなた――まさかあなたが、風羽矢?」
よく考えれば、もっと早く気づけたはずなのだ。まず、目の前の少年は刺青をしていなかった。それにこの殿から出られないというのは、幽閉されているということではないか。
少年は怯えた目で咲耶を見た。
「なんで……僕の名前を知っているんだ。君はだれ?」
「会えてよかったわ、風羽矢」
咲耶は手を叩き、心から喜んだ。
「わたしは咲耶。えっと、あなたを探していたのよ。稚武や桐生と一緒に」
風羽矢はさらに目を大きく見張った。声はかすれていた。
「稚武……が」
「そうよ。二人はずっとあなたを探し回っていたのよ。今もここに来ているわ。離れにいるの」
「稚武が……僕を、探しに?」
咲耶は大きく頷いた。
「迎えに来たのよ、風羽矢を」
そこまで聞いて、風羽矢の顔に明るい色が戻ってきた。輝いた目は潤んでいるようだった。
咲耶は風羽矢の手をとって引いた。
「一緒に行きましょう、風羽矢。早く会わせてあげたいわ。稚武はいつもあなたのことばかり言っていたもの」
風羽矢は頷きかけたが、寸でで我に返ったようだった。光を得ていた顔が、急にかげる。
「……行けない」
「え? どうして」
「行けない、稚武にはもう会えない。僕にそんな資格なんかない……」
小さく震えながらうつむいた彼に、咲耶はカッとなって言った。
「何を言っているの。ここまで来るのに、稚武たちがどんなに大変だったと思っているの? 稚武は秋津の偉い人だって、あなたも知っているんでしょう。その彼が、桐生とたった二人で、この倶馬曾を歩き回っていたのよ。あなたに会いたい一心でよ。なのに、あなたが彼を拒絶するなんて」
風羽矢はあっけにとられて咲耶を見た。咲耶は、今度は嘆願するように言った。
「ねぇ、お願いだからわたしと一緒に来て。事情はよく分からないけれど……せめて稚武に会ってあげて。稚武がどんなにあなたを求めていたか、会えばきっと分かるから」
風羽矢はしばらく口がきけなかった。稚武がどんなに風羽矢を求めていたか――風羽矢にはもうわかるような気がしていた。風羽矢が、どれだけ稚武を求めていたか……。
「来てくれるでしょう、ね?」
咲耶に念押しされて、風羽矢はとうとう頷いた。ほ、と咲耶は顔を明るくする。
「良かった。嬉しい……稚武も桐生もきっと喜ぶわ、すごく」
咲耶につられるように、風羽矢もようやく笑みを取り戻した。稚武に会える……そう考えて胸を満たすのは、やはり喜びだった。
そうだ――稚武はきっと、許してくれたのだ。そして、こんなところまで追いかけてきてくれた。自分たちの絆は、神器の呪いなどに屈するほどもろいものではなかったのだ。
どうしてもっと信じられなかったのだろう、と風羽矢は思った。
「さぁ、早く行きましょう。少しでも早く会ってほしいわ」
咲耶は喜び勇んで風羽矢の手を引いたが、彼はふと考え込んで動かなかった。
「風羽矢? どうしたの、早く」
「ごめん……先に行っていてくれないか」
顔を上げて言った彼に、咲耶は瞬いた。
「どうして」
「一人では行けないんだ。一緒に連れて行きたい人がいる――妹なんだ」
咲耶はさらに目をぱちくりさせた。
「妹? そんな人がいるなんて、聞いていないわ」
「うん、稚武や桐生兄は知らないと思う……こっちで出会ったから。けれど、血のつながった妹なんだよ。おいて行けない」
風羽矢は咲耶の肩に手を置いた。
「彼女を説得して、連れて行くよ。だから君は先に戻って、稚武にこのことを伝えておいてくれないかな。待っていてくれって」
「わかったわ」
咲耶は素直に頷いた。
「すぐに戻って伝える。一緒に待っているわ、あなたのこと。だから早く来てね。絶対よ」
「ありがとう」
外の様子をうかがい、戸から出る頃合いを見計らっている彼女に、風羽矢は何とはなしに尋ねた。
「咲耶……っていったね。君はどういうわけで、稚武と一緒に来たんだい」
「え? そうね……なんとなく、成り行きでかしら。目的地が一緒だったから。二人には親切にしてもらったし。こうしてあなたを見つけて、やっと一つ恩を返せるわ」
「親切? ……稚武が、君に?」
目を丸くした風羽矢に、咲耶も少し首を傾げつつ言った。
「そうね、口は悪いけど……でも根は優しい気がするの、あの人」
「……そうか。うん、そうだ」
風羽矢はどこかぎこちなく微笑み、声を落とした。けれどそれは、咲耶が気づかないほどわずかなものだった。
咲耶はにこっと笑って戸を開けた。
「じゃあ、待っているわ。南西の離れよ、わかる?」
「うん、妹はこの宮に詳しいから、迷子にはならないと思う」
「良かった。できるだけ早くね、二人とも待っているから」
風羽矢は頷き、もう一度だけ咲耶を呼び止めた。そして照れくさそうに言った。
「あのさ……先に、稚武に伝えておいてほしいんだ。 ――君が来てくれて嬉しい、って」
「わかったわ、必ず伝える」
咲耶は笑い、戸が閉まる瞬間まで風羽矢と目を見交わしていた。
そしてすっかり人気のうせた小路に出ると、弾む胸を抱えて離れの方へ駆け出した。
今は仇討ちのことは考えないでおこう、と咲耶は思った。意地を張って無茶をするより、稚武と風羽矢を再会させてあげることのほうが何倍もすばらしいことのように思えた。何より、稚武にこのことを伝えると約束してしまったのだ。それを果たさずには、穂尊や禍の王のために捨て身になれない。
咲耶はとにかく走り、離れを目指した。




