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「姫巫女?」
飛び上がるように言ったのは稚武だった。
「ヒメミコって、まさかあの、姫巫女? 倶馬曾の女王になる?」
稚武は座り込んでいる咲耶を見て、上から下へ何度か視線を往復させた。
「咲耶が?」
これ以上ないと言うほど、稚武は驚いていた。ともすれば咲耶よりもだ。
青ざめて咲耶はあとずさった。自分の正体を知っている男に、ましなやつはいないはずだった。穂尊のような阿依良の兵か、それとも――
咲耶は無言で震え、視線を泳がせる。そして積み重ねられている伎楽面を見て、あっと声を上げた。
「あなた……あの、踊り子ね。陽里の祭りに来ていたわね」
「いかにも」
ユキニはにこりとして頷いた。
「あの日はひどい目にあった。姫巫女、よく逃げられたものだな。……しかしなぜ、秋津の若君と共におるのじゃ?」
「なぜって……」
咲耶は答えようとして言葉につまり、それから眉を曇らせた。
「秋津の……若君? それってなに」
隣で桐生が息を呑む気配がした。しかし、それと対照的に、稚武がのん気にポンと手を叩いた。
「あーあ! お前、どっかで見た事があると思ったら、いつだったか石上の祭りに来ていただろう。そうだそうだ、思い出した。大陸渡りの楽団だな」
「いかにも」
ユキニがパチンと指を鳴らして合図すると、馬車は林のふちで止まった。ぶるん、と馬が鳴く。
ユキニは車から飛び降り、一人の女性と三つ子の大男たちを後ろに従わせた。
そして、大人びた恭しさで言った。
「わしの名はユキニ。ペクチェという大陸の端の国から参った。――こっちはリャン」
優しい微笑みの女性が頭を下げる。
「そしてナニシ、コトウ、キキハじゃ」
三つ子が揃って頭を下げる。稚武にはどうにも見分けがつかない。だが、そんな事は問題ではなかった。
「それで、どうして俺たちを助けた? ユキニはなぜ日向の宮で泥棒なんかしていたんだ」
「泥棒ではない。ちょっと金になりそうな忘れ物でもあったら、ちょうだいしようとしたまで。秋津の皇子は失礼だ」
「自分で盗人だって言ったくせに……」
尊大な態度で言い放つユキニに、稚武は小さく反論した。しょせん相手は子供、ムキになっては大人気ないというものだ。
さて、とユキニは上機嫌で言った。
「わしらはこれから阿依良に向かうが、若君とそのお供はどうする」
お供、というのは桐生のことらしい。稚武は一も二もなく答えた。
「俺たちも阿依良に行く。そこが倶馬曾の都だと言うのなら」
風羽矢は「都」にいる。早く迎えに行かなければ――稚武はそれしか考えていなかった。
「連れて行ってくれ、頼む」
ユキニは満足そうに頷いた。
「よろし。車で行けば三日とかかるまい。お忍びの皇子の手伝い、楽しいぞ」
言ってから、ユキニはてきぱきと三つ子たちやリャンに指示を与え、野宿のしたくを始めさせた。優しい物腰のリャンと寡黙な三つ子たちは、従順に従っている。
「ユキニは働かないのか」
不思議に思って稚武は訊ねた。ユキニはどこからどう見ても、まだ幼い子供だ。しかし、その態度の横柄さや人を従わせるのに慣れた物言いから、どうやらただの子供ではないらしい。
自信ありげな瞳でユキニは言った。
「働かん。それはリャンたちの仕事。わしが奪っては兄上に叱られる」
「兄上?」
「ペクチェ国王、コウロ王さまでございます」
軽やかな声音で言ったのはリャンだった。目を見張る稚武に、ユキニはにまにまとして言った。
「兄上はおっかない。わしは兄上からの命で、楽人に身をやつして倭の情勢を聞き回っておるのじゃ。これがなかなか面白い。先日は阿依良の奴らに襲われて、ひどい目に遭ったものだが」
だから「同じ」と言われたのか、と稚武は納得した。ユキニはどうやら、日嗣である稚武が、お忍びで倶馬曾の情勢を見て回っていると思っているらしい。端から見れば、確かに間違ってはいない。
「よきこと、よきこと。若君、ともに阿依良に参ろうぞ」
いくら偉そうにしていても、やはり子供である。ユキニはたいそう稚武が気に入ったらしく、愛らしい笑みを浮かべた。
「……ちょっと、待って」
震えるような、か細い声だった。見やると、咲耶が全身をこわばらせて稚武をにらんでいた。
「咲耶?」
「あなた……稚武、あなた、何者なの。さっきだって、変な光を出して。いったいなんだったの」
「ああ、あれか」
怖がるのも無理はない、と思い、稚武は腰の剣を見せた。
「あれは、これだよ」
布を解かれてあらわれた切っ先は、夜闇の中で薄ぼんやりと光を放っていた。はっと桐生が顔色を変える。だが遅かった。
「ほう。これが噂に聞く倭国の宝、大王家の剣か」
感心したように言ったユキニの言葉に、咲耶が目の色を変える。
「まさか――神器の『剣』」
叫ぶと同時に、咲耶は膝をついて稚武の腕を取った。
「そうなの、これがそうなの? 三種の神器の一つなの?」
「な、なんだ?」
度を失っている彼女に、稚武がたじろぐ。だが咲耶はおかまいなしに、乱暴にその剣を奪い取ろうとした。
「咲耶、何をするんだよ」
「貸して、わたしに貸して! これがあれば――」
そして稚武の手が剣の柄から離れた瞬間、咲耶は思い切り地に叩き伏せられた。突然、剣が巨岩のように地面に沈んだのだ。何が起こったのかわからず、咲耶は目を白黒させた。
「おい、大丈夫か」
慌てて稚武が抱き起こすも、咲耶は衝撃で口がきけないようだった。稚武は剣を拾い上げ、なかば呆れたように言った。
「何だか知らないけれど、『剣』は貸せない。これは皇にしか扱えないものなんだ」
咲耶は目を見開き、震わせて稚武を見た。
「だって……じゃあ、あなたは」
稚武は誇らしげな顔もしないで言った。
「俺は秋津の大王の子だよ。向こうでは大泊瀬皇子と呼ばれている。――こんなかたちで姫巫女に名乗ることになるとは、思っていなかったんだけどな」
「嘘」
信じられずに咲耶は叫んだ。
「じゃあ、まさか桐生も」
しかし、桐生は「いや」と首を振った。
「俺はただの乳兄弟だ。血はつながっていないんでね」
「……嘘……」
弱々しく、咲耶はそれだけを何度かつぶやいた。
確か祭りの夜、どこかの郡の首長が、秋津に日嗣が立ったと言っていた。では、それが稚武なのか。
「どうしたらいいの……」
咲耶は目の前が一気に暗闇に呑みこまれたのを感じた。
剣が皇しか扱えないなどと、きっと口で言われても納得できなかっただろう。しかし、たった今、剣が自分を拒絶することを咲耶は身をもって知った。稚武から離れた瞬間、剣は冷たく咲耶を突き放したのだ。
「じゃあ、わたしはどうしたらいいの」
地べたにへたり込んでいた咲耶は、大きく顔を歪めてわめいた。
「だって、二つそろえなきゃいけないのに。わたしがそろえなきゃいけなかったのに。神器がそろわなきゃ、禍の王を討てないのに」
「禍の、王?」
きょとんとした顔で、稚武が咲耶を覗き込む。キッと顔を上げて咲耶は低く言った。
「そうよ。禍の王。陽巫女さまを殺し、陽里を焼き払って、倶馬曾をのっとった男。わたしたちの仇。倭を滅ぼす禍よ」
禍という言葉に、稚武で予感めいたものが生まれていた。けれどあえて気づかないふりをして訊ねた――訊ねずにいられなかった。
「そいつを討つのに、どうして神器が必要なんだ。それも、二つ……」
「だって、禍の王は」
「咲耶!」
厳しく桐生が叫んだ。けれど、咲耶の口は止まらなかった。
「『玉』を持っているんだもの。呪われた神器の『玉』を。だから、討ち倒すには残りの二つの神器が必要なのよ」
(風羽矢)
稚武は喉の奥でその名を呼んだ。違う、嘘だ、と叫ぶ胸。やはり、とうなだれる心。二つの悲鳴の狭間で、稚武は、涙ぐむ咲耶をただ呆然として見おろしていた。




