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「あら、お帰り」
日が暮れて、紅科は機を織る手を休めずに二人を迎えた。規則正しく刻まれる音に機織りの抱かれながら、宇受はあけすけな顔を見せて寝ている。
部屋には里の娘らしい少女たちが三人来ていた。彼女たちはくつろいで紅科と話し込んでいたようだが、稚武と風羽矢が現われるととたんに黙り込んだ。視線はうつむき、頬がみるみる赤く染まっていく。
「お客か?」
稚武が紅科に訊ねると、少女たちは弾かれたように部屋を飛び出して行った。その際、一番顔を赤くしていた少女が振り返って紅科に念を押した。
「じゃあ、お願いね、ユモリさま」
「はいはい。あまり期待はしない方がいいと思うけどね」
紅科が苦笑して答えると、少女は幼い迷子のように眉を下げた。
「そんなこと言わないで。あたしたち、真剣なんだから」
それから彼女は稚武と風羽矢にぱっと頭を下げて出て行った。ばたばたという騒がしい足音の向こうで、きゃあきゃあと興奮したように何か言い合う声がつづく。本人に聞かせるつもりはないのだろうが、風羽矢と目があっちゃった、稚武の声が聞けた、という黄色い悲鳴はしっかりと二人の耳に届いていた。
稚武はうんざりしたように顔を歪め、それを見た紅科は楽しそうに笑った。
「人気者だねー、稚武、風羽矢。あんたたちが来てから、来る子来る子、みんな同じ恋を占って欲しいって言うのよ」
紅科は熟田津の人々にとって何より信ずるべき巫女だった。
彼女は伊予の国つ神・愛比売からの託宣を唐突に口にし、嵐が沖までやってきていることを知らせたり、裏山の土砂が崩れやすくなっていることを告げたりした。そうした場面を、稚武と風羽矢ももう何度か目にしていた。
それから、こうして少女たちの恋の相談を受けることも多くあった。
「ねぇ、いっそ、熟田津で身を固めちゃえば? 戦のことなんか忘れてさ。悪くないと思うよ」
「冗談じゃない」
稚武がますます眉根をきつくする。すると紅科の笑みがいくらかこわばり、彼女は機を織る手を止めた。
「もしかして……都にお嫁さんや子供がいたりする?」
「それはいないけど、僕ら。でも、役目を放り出すわけにはいかないよ」
「……そうよね」
紅科は機織を再開したが、心ここにあらずというのが音だけでわかった。どうやら、少年たちに熟田津に落ち着いて欲しいというのは偽りのない彼女の本心だったようだ。
風羽矢はなんだか申し訳ないような気がして、声音を落とした。
「熟田津のことは好きだよ。紅科たちには感謝している。だけど僕ら、軍に帰らなきゃいけないんだ。待っている人たちがいるから。都では大王が待っていらっしゃるし……そろそろ、ここを出て行くことを許してもらえないだろうか」
「だめよ」
紅科は目を合わせずに答えた。
「まだだめ。あんたたちの体だって本調子に戻っていないだろうし……」
「もう平気だよ」
稚武が言うと紅科はこちらを振り向いた。
「……だめよ。松山たちが許さないわ。あんたたちを帰すってことは、秋津と倶馬曾が戦になるってことなのよ。それはもう話したでしょう」
「認めさせれば一緒に戦ってくれるとも言った」
紅科は押し黙った。彼女は稚武を真っすぐ見、風羽矢を見、それから視線を下げた。
「……あれは口先だけの話よ。みんな酔っていたから……」
「どうすれば認めてくれる?」
構わずに稚武は問うた。しかし紅科はうつむいたまま、なかなか答えなかった。
長い沈黙に耐えかねて、稚武は質問を変えた。
「紅科は他の……鏡や玉の主が、どこにいるか知っているのか」
やっと顔を上げた彼女は、不思議そうな顔をしていた。
「知らないわ、何のこと」
「とぼけるなよ、俺が剣の主だってことを知っていただろう」
稚武は顔をしかめたが、紅科は首を振った。
「だけど、鏡や玉のことなんて知らない。あたしが愛比売さまから聞いたのは、剣の主が海岸に流れ着いたということだけ。剣は倭の宝で破壊の力をもち、その少年は皇の血をひく子で、そして銀の鹿に乗るということだけよ。他には何もおっしゃらなかったわ。――いつもそうなの。愛比売さまの御声はいつも唐突で、よく掴めないの。本当よ」
「そうなのか?」
こくん、と紅科は頷いた。
「愛比売さまはあたしの問いかけに答えてくれるわけではないの。未来見をしてくれるわけでもない。前触れもなく不意に降りてきて、脈絡なく語られるの。あのかたがおっしゃるのは、現在と、現在につながる過去のことだけ。未来のことは決しておっしゃらない。国つ神さまとはそういうものなのよ」
少年たちは納得するしかなかった。そしてそれ以上問いを重ねる気にはならなかったので、黙り込んでしまった。すると紅科は明るく言った。
「ごめんね。今度、愛比売さまが降りてこられたときに尋ねてみるわ。うまくいくかは分からないけれど……」
彼女の傍らで、宇受はすやすやと眠っていた。
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