14
数日後、稚武たちは出航の日を迎えた。ようやく他の地域から集められた兵たちの統率も済み、港では何十艘もの船が万全の準備を終えて、狭戸の海へと漕ぎ出されるのを待っている。
船の倉庫で積荷の最終確認を行っていた稚武と、それを手伝っていた風羽矢のもとに、なじみの部下がやってきた。隊長の一人の磯城という男だった。
磯城は、邪魔をして大変申し訳ないというふうに恐縮しながら言った。
「おそれながら、皇子。実は今、わたくしの隊に皇子に謁見を願い出ている兵がおりまして……」
「へえ、何だろう」
稚武は忙しかった手を止めて振り向いた。磯城はさらに小さくなり、早口で言う。
「いいえ……たいしたことはありません。ただの下級の一兵士であります。田舎の出らしく、まったくわきまえのない奴でして。まだ若い者ですから、言うことが大胆と申しましょうか……いえ、ですが、お忙しいところならば手間をかけさせるわけには参りません。奴にもそう言い聞かせますので、お気になさらず」
「ちょっと待てよ。そこまで言われたら気になるだろ」
呆れたように稚武は顔をしかめた。
「いいよ、別に。会うくらい誰とだってするよ」
「皇子だってもともと田舎者だからね」
さらりと横で言った風羽矢に、稚武はにっと笑って返す。
「そう言うお前もだろ。……で、そいつは何か、俺に特別な用でもあるのか?」
「あ……いえ、その、あの」
ここで磯城は急にしどろもどろになった。だらだらと汗をかきながら、やがて覚悟したように打ち明けた。
「実は、その男、恐れ多くも皇子や風羽矢殿の兄だと申しておるのです」
「はぁ?」
二人はそろって声をはね上げた。そしてピンと来たのも同時だった。
「――桐生兄ッ?」
「は、奴の名をご存知で?」
磯城は顔を上げて目を丸くした。少年たちは答えることもせずまくし立てる。
「桐生兄が来てるのか」
「どこにいるの」
二人に覗き込まれて磯城はひっくり返った声で答えた。
「は……はひ、どうしてもとついてきおったので、表に待たせてあります」
聞いたとたん稚武と風羽矢はばたばたと飛び出して行った。ぽつんと取り残された磯城は、少年たちの騒がしい足音の響きが遠ざかるのを唖然として聞いていた。
わき目も振らずに二人が船から下りると、船着場には一人の青年が腰を下ろしていた。彼はこちらに気づき、顔を明るくして立ち上がった。
「桐生兄」
少年たちは弟の顔に戻って彼に抱きついた。青年は、少し大人らしさを増しているものの、稚武と風羽矢にとってかけがえのない兄――桐生その人に間違いなかった。
「よう、お前ら。元気そうだな」
桐生は飛びつかれてよろけながらも言った。
「桐生兄、桐生兄だ、本当に」
「桐生兄だ!」
彼らは何度も桐生の名を呼んだ。逃がさないようにがっしりと捕まえ、まだいくらか二人よりも背の高い彼を確かめるように覗き込んだ。
目玉が飛び出そうな顔をしている周囲をはばかりつつ、桐生は小声で言った。
「会えてよかった。兵に志願したかいがあるってもんだ」
「そうだ、桐生兄、どうしてこんなところに」
周りになどまったく目もくれていない稚武は、かまわず大声で訊ねた。そうなると、桐生も口調を改めざるをえない。
「今しがた申したとおりです。あなたがたの姿を一目でも見たいがためですよ。風羽矢殿、それに――大泊瀬皇子」
突然うやうやしく言われて、稚武はこの状況のまずさに気づいた。自分は皇子であり、風羽矢はその側近であるが、桐生は一介の下級兵士に過ぎないのだった。
稚武は表情を引き締めて、だが気軽なさまで言った。
「ここではまともに話もできない。桐生兄様、俺の部屋に来てください」
その一言で誰からの口出しも跳ね除け、稚武はにこにことして桐生を仮宮の自室まで案内した。桐生は予想外の展開に頭をかいたが、稚武と同じく浮き足立っている風羽矢に背を押されて、なされるがままに従うことにした。
仮宮は簡素な小屋だった。少年たちは桐生を座らせると、目をきらきらとさせて彼に向かった。
「くつろいでいいよ、桐生兄。俺たちに妙な気を使う必要もないし、誰にも口を挟ませやしないから」
「……悪いな、助かる」
桐生は照れたように言った。
「今さらお前たちに丁寧ぶるのも、何かまどろっこしくてな」
「そんな他人行儀なことをされたら嫌だよ、僕らだって」
「桐生兄はずっと俺たちの兄ちゃんなんだからな。俺たちに遠慮する桐生兄なんか気持ち悪いや」
それから三人はしばらく取りとめのない話をしたが、やがて桐生がふと思い出したように言った。
「そうだ、風羽矢。お前、出自について何か分かったのか」
「え?」
思いかけない問いに、風羽矢は目を丸くして首を振る。
「いいや……別に、何も」
「あれ、そうなのか。大王のお遣いの方が、色々と調べに泊瀬までやってきたけれど……。結局何か分かったのかも言わずに出て行っちまうし、肝心の風羽矢が都でどう暮らしているのかも教えてくれないし……どうも変な奴らだったなぁ。妙にこそこそしててよ」
まさか騙されたのだろうか、と桐生は難しい顔をする。風羽矢も眉をひそめて視線を下げた。
(……誰かが僕の素性を調べている? それが大王の使いであるなら――大王が)
不気味な緊張が胸にこみ上げた。不快感も混じる。何でもない顔をして、やはり大王は素性の知れぬ自分の存在を厭わしく思っていたのだろうか。
稚武も複雑な表情で考え込んでいたが、何となく見つめていた桐生の胸に違和感を覚えた。そして「あッ」と声を上げる。
「桐生兄、御祝玉がない」
以前、桐生は泊瀬の里長の家に伝わる御祝玉を首から下げていたが、それがなくなっていた。
御祝玉というものは、正式な求婚のときに男から妻問う女に贈られるのが一般である。彼がそれを手放したということは、つまり。
桐生はわずかに照れて手を頭にあてた。
「結婚したんだよ、五十鈴と」
「やっぱり」
「おめでとう!」
少年たちはわっとはしゃいで桐生をどやした。
「桐生兄、絶対里中の奴らから恨まれてるぜ。みんな五十鈴姉をねらってたもんな」
「あーあー、五十鈴姉もついに人妻かぁ」
二人は口々に言った。そのうちに、稚武がふとして訊ねた。
「……もしかして、子供ももう生まれたのかよ?」
「いいや」
桐生は首を振りながらもさらに決まり悪そうに笑っていた。
「……まだ、お腹の中に、な」
風羽矢は「わぁ」と顔を明るくしたが、稚武は逆だった。彼はさっと気色ばんだ。
「馬鹿か、桐生兄! 結婚したばかりの嫁さんと、生まれてもいない子供を置いてきたのかよ。遊びに行くんじゃないんだぞ、戦争なんだ。倶馬曾はどんなところなのか見当もつかないし、生きて帰れる保障なんかどこにもない。それなのに」
「そう言うなよ。……わかってる」
桐生も真面目な顔をして稚武にこたえた。
「だけど、心配だったんだよ、お前らのこと。都に行ったきり、連絡の一つも寄越さないんだからな。まぁ、稚武は、大泊瀬皇子が現われたっていう話がすぐ泊瀬まで届いたから分かったけどよ。風羽矢の方なんか何一つ便りがなくて、母さんもすごく心配してたんだぞ。宮に直接乗り込むわけにもいかないし……」
はっとする二人に、桐生はわずかに目を柔らかくした。
「そうしたら、皇子が倶馬曾の遠征に出るって言うじゃないか。お前らは俺より年下なんだぞ? これで黙っていられるかよ。……五十鈴も承知してくれた。五十鈴や子供ももちろん大事だけど、お前らだって俺の家族なんだからな。同じくらい大切だよ」
稚武と風羽矢は反論の言葉が見つからず、だが不満をあらわにして兄を上目遣いで見た。桐生は陽気に笑い飛ばした。
「お前たちが俺を心配してどうする。死ぬかもしれない立場はみんな一緒だぞ。俺たちを生きて故郷に帰すことがお前の仕事だろうが、日嗣皇子さま」
桐生に額をこづかれ、稚武は子供のように幼い顔をして唇を引き結ぶ。桐生はあくまでも明るく言った。
「倶馬曾なんかでくたばるもんか。無事に帰ってくるって約束で、里を出ることを許してもらったんだからな。約束を破ったら五十鈴に怒られちまう。怒ったらあいつは俺より怖いんだぞ」
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