12
幻のように春の桜は散り、みずみずしい青葉が一斉に茂りだした。夏までの間に稚武と風羽矢はまた書物を一つ二つ読み終え、剣の腕を上げた。
倶馬曾討伐軍の徴兵は二人のあずかり知らぬところで着々と進み、実感の湧かないままにとうとう出立の日となった。
その朝、出陣の儀式も済んでいよいよという時に、稚武と風羽矢は大王に呼ばれた。
「大泊瀬、それに風羽矢。二人とも、今日までよく厳しい修練に耐えてきた。わたしは、そなたらを誇りに思う」
二人は照れてちぢこまった。おろしたての鎧を身に着けている稚武は、はにかみながら言った。
「もったいないお言葉です。まだ倶馬曾を平定してきたわけではないし、神器を破壊してきたわけでもないのに」
そうだったな、と大王は笑った。
「だが、大泊瀬、そなたならやり遂げられると信じている。わたしは都に残るが、いつでもそなたの身を案じているよ」
「ありがとうございます……大王」
心から喜んでいる稚武であったが、大王はふっと寂しげに微笑んだ。
「……結局、そなたはわたしを父とは呼んでくれなかったな、一度も」
「えっ」
稚武はわたわたと焦って手を振った。
「違います、違うんです。別に、大王を父と思えないとか、そういうのではなく……っ。ただ、あの、本当にそう呼んでいいのか、自信がもてなくて」
「自信?」
きょとんとした大王に、稚武は頬をかいて頷いた。
「はい……俺はまだ、皇子として一人前ではないですから。――だから、ちゃんと倶馬曾を平定して、神器の呪いを解いて、そうして帰ってきたときには、呼ぶことができると思うんです。……父上様と」
聞いている大王の顔が晴れていく。
「俺、もっとしっかりとした男になって帰ってきます。あなたを父と呼ぶのにふさわしい男に。だから…待っていてください」
大王は満面の笑みで頷いた。
「そうか。――ああ、待っているとも。そなたの無事を祈りながら、わたしはこの地で待っているよ」
「はい」
稚武はかすかに頬を赤らめながら、嬉しそうにこたえた。そんな相棒を、風羽矢は少々羨ましくも微笑ましい気持ちで見守っていた。
「皇子、そろそろ出立の時間です」
親子の別れに区切りをつけさせなければならない立場の久慈が、決まり悪そうに言う。
稚武は素直に頷いた。
「はい。……では」
ああ、と大王は名残惜しそうに頷いたが、ハッとして稚武を呼び止めた。
「待ちなさい。――そなたに、これを渡しておこう」
「は……」
立ち止まった稚武に歩み寄り、大王は自分が首から下げていた勾玉を外して差し出した。
その勾玉は美しい桜色をしていた。珍しい色だ、と単純な感想をもって、稚武はうやうやしくその勾玉を受け取った。そしてさらにしげしげと見つめる。
大王はおだやかに目を細めた。
「ずっと渡しそびれていた。それは、そなたのための御祝玉だよ、大泊瀬」
「御祝玉」
稚武は目を丸くして大王を見た。
「俺の……ための?」
「そうだ。もちろん、大王家の御祝玉である神器の『玉』とはわけが違うが。……昔ね、わたしが宮古に妻問うた時に贈ったものなのだよ。だが……彼女は宮から姿を消したとき、これだけを残していったのだ」
言葉もなく桜色の勾玉に目を凝らしている稚武に、大王はにこりと笑んだ。
「持っていきなさい。きっと宮古がそなたを守ってくれる」
「はい…!」
我にかえり、稚武は頬を上気させてその御祝玉を首に下げた。
「ありがとうございます、大事にします…っ」
ああ、と大王は満足そうに微笑んだ。
「では、行って来るといい。体には気をつけよ」
「はい」
「倭の未来を頼んだ」
稚武は勢いよく頷いた。
「はい、行って来ます!」
弾けるような笑顔だった。誰もがその笑みに魅了されていたので、気づく者はいなかった。稚武を見送る大王が、ひっそりと目を潤ませていたことに。
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