18 歩道橋の上で痴話喧嘩
時刻は五時二十分。早朝のスクランブル交差点の前で、高斗と七海は腕を組みながら立っていた。
「ちょっと高斗。もうちょっと離れて歩きなさいよ。まあ、どうしてもって言うなら、近くにいてもいいけど」
そう言われたので横を見ると、七海はぎゅっと高斗の腕を抱え込んでいた。これだけ密着してる状態でどう離れろと思われるだろうが、当の七海はツンデレなので、高斗に対しては思ってることと百八十度違う態度を取ってしまうのだ。もちろん、隠せていると思ってるのは本人だけで、周りからはバレバレなのだが。
信号が青になったので、高斗は白線の上を渡りながら隣の七海に言った。
「そんなにくっつきたくなかったら、腕を離したほうがいいんじゃない……かな」
「……あんたの鈍感さって、たまに神経が繋がってないんじゃないかって思っちゃうわ」
ムッとしながらも、七海は高斗の腕を離さない。高斗は慌てて首を振りながら、
「で、でも、七海はぼくと違ってモテるんだから、ぼくなんかに構わなくても、頭が良くてかっこよくて素敵な彼氏が出来ると思うよ」
「頭が良くてかっこいいだけじゃ駄目なのよっ。イケメンは将来ハゲちゃうし、頭が良くても将来はボケちゃうでしょうが! なにが悲しくてただのハゲとボケ老人の面倒見ないといけないのよ。
そんなことより、昨日の返事をまだ聞いていないわ。高斗ったら思い切りはぐらかしちゃって。もう答えは決めたの?」
苛立ちげに、七海は抱える腕に力を込めた。
周りにいる人たちも、何事かと彼らの騒ぎを何事かという目で見ていた。
高斗は苦しげに答える。
「ご、ごめん、まだ……」
「なによ! この優柔不断! トンチキ! 不甲斐なしの甲斐性なし!」
「そこまで言うことないじゃないか。それに、何で答えを急がせるのか分からないんだけど」
「あんたバカぁ? モタモタしてたら羽波先輩や芹奈に先を越されちゃうじゃないのよ。その前に言質を取っておけば……言質?」
ハッと何かに気づいたように、七海は歩道橋の上で立ち止まった。
「七海?」
急に静かになったので、心配そうに高斗は七海の顔を覗き込む。
不意に、七海は言った。
「そうよ……そうだわっ。いっそ高斗の寝込みを襲っちゃえばいいのよ。そうすれば、責任をとって結婚せざるをえない。これだわ!」
「……何を考えてるのかと思えば。自分の身で考えてみてよ。無理やり体を重ねられて、相手と不義の子を身ごもったとして、強制的に結婚を迫られてごらん? 承諾すると本気で考えてるの?」
「高斗もたまには正論言うのね。でも、高斗のくせに生意気だわ!」
そう言うと七海は高斗の肩を掴み、歩道橋の上から頭をグイグイ押し出した。
「ひええ、止めて止めて。落ちる落ちる落ちちゃうよお」
「乙女の心を傷つけたアンタが悪いんでしょうがっ。だいたい、どさくさにまぎれてあたしとの子を不義の子とか言ってくれちゃって! あんた、それでも父親なの!?」
「父親じゃないって! でも、分かったから。ぼくが言い過ぎたのは謝るから。その手離してよ!」
歩道橋の上に高斗の絶叫が響き渡る。そこで、七海はようやく彼を解放した。
「まったく、鈍感だし口は悪いし! ……あたしったら、何でこんなやつ好きになっちゃったんだろ」
「え? 何か言った?」
そう言うと高斗はぐいっと顔を近づけてきた。
「ふん、何も言ってないわよ。気持ち悪いから顔を近づけないで」
「ご、ごめん。でも、そういう風に強がらないほうが良いと思うよ。七海って本当は気が弱くて泣き虫なんだから」
「な、あたしのどこが泣き虫なのよ!」
「小学校の時、クラスの子に苛められていつも泣いてたじゃないか。ぼくが庇ってあげてから収まったけどね」
「な、な、な…………」
高斗の言葉に、七海は猫のように全身の毛を逆立てた。顔はボンッと赤く染まっている。
「なによ! そんなの十歳ぐらいの時でしょうが! しかも、庇ってあげたって何よ! あんたなんかが庇わなくたって、あたし一人で解決できたんだから!」
再び七海は高斗の頭を掴むと、歩道橋の上から身を乗り出させた。
「だから落ちる落ちる! ほんとに落ちちゃうってえええ」
「うるさいうるさい! あんたなんか、奈落の底まで沈んじゃえばいいのよっ」
不機嫌そうに七海は答えるが、その表情にはうっすらと笑みが浮かんでいた。それは、子供のときの話をいまだ高斗が覚えててくれたことに対して、である。
これが、七海なりの照れ隠しなのであった。




