scene3
ヴァンパイアの館は近くで見ると相当な大きさがあった。
中世ヨーロッパの貴族的な館。
伸び放題の雑草で埋め尽くされた庭や、水の止まった噴水がなければ外観だけでもさぞかし立派な館だったろうと思う。
玄関まで続く石畳を進み、ライオンの彫刻が施されたドアノッカーのついた扉を開ける。
ギギギ、と乾いた音を立て、玄関のドアが開く。
中は薄暗かった。
窓中の窓に暗幕カーテンを張っているのだから、当然といえば当然だ。
広いロビーの正面には上の階へと上がる大きな階段が見える。
オレはおそるおそる階段をのぼった。
ヴァンパイアはこの屋敷の最上階にいるらしい。
いたるところにクモの巣が張り巡らされ、まるで幽霊屋敷のようだ。
幽霊の存在を信じちゃいないが、ここは異世界。何が出てきてもおかしくはない。
胸にかかえたクイを握りしめ、オレは階段を探しつつ上を目指した。
それにしても、広い。
いたるところに扉がある。
何の部屋だろう?
とは思うのだが入る気はしない。
オレは慎重にだだっ広い廊下を進み、階段を見つけては上へと上がった。
やがて、廊下が終わり、突き当りに細い階段が見えてきた。
どうやら、ここが最上階へと続く道のようだ。
オレは農夫お手製の十字架に祈りを捧げると(クリスチャンではないが)ゆっくりと階段を上って行った。
その突き当り、階段の終わりに金属製の扉が見えた。
木製ではなく金属製というところがまた、怖さを倍増させている。
オレはノブに手を伸ばすと、静かにまわした。
キィ、という小さな音とともに扉が開く。
そっと中を覗き込むと、天蓋つきのベッドが見えた。
棺桶じゃなくてベッド?
ちょっと、イメージと違う。
ヴァンパイアって棺桶で眠るんじゃなかったっけ?
相変わらず、暗幕が張ってあるが、陽の光が強いのかうっすらと中の様子は見える。
見た感じ、女の子の部屋のようだ。
化粧台に大きな姿見の鏡。
クローゼットにタンスまである。
タンスの上にはぬいぐるみがたくさん並んでいた。
ここのヴァンパイアって、そういう趣味なのか?
訝しく思いながらも、クイを握りしめ一歩一歩ベッドに近づく。
「すーすー」と、寝息が聞こえる。
確かにいるようだ。
棺桶ではなくベッドで寝るなんて。
オレはそんな眠っているヴァンパイアの枕元に立って唖然とした。
「か、かわいい……」
寝息を立てて眠るヴァンパイアは、少女だった。
銀色の長い髪に、ほっそりとした顔。
きれいに整った細い眉毛に、小さな赤みがかった唇。
すらりと伸びた鼻からは、可愛らしい寝息が聞こえる。
年齢でいったら、15歳くらいだろうか。オレよりも一回り年下といった感じだ。
本当にこの少女がヴァンパイアなのか?
オレの知ってるヴァンパイアのイメージは黒いマントを羽織ったオールバックのおっさんだけど。
でも、この状況下で、こんな館に一人で寝ているというのも不自然だ。
やっぱ、ヴァンパイアなのか。
どちらにせよ、この可愛い少女を退治しなければ元の世界へは帰してもらえないというし。
やるしかない。
オレはクイの先端を下に向け、彼女の心臓付近に構えた。
正直、効くかどうかわからない。
でも、ヴァンパイアは心臓にクイを打ち込めば殺せるというのは聞いたことがある。信じよう。
「……………」
狙いを定めながら、オレは迷っていた。
本当に、いいのだろうか。
確かにこの少女は特殊な環境下で眠っているが、本当にヴァンパイアなのだろうか。
単に病気がちな人間なのでは。
だとしたら、オレは異世界で人殺しをすることになる。
いろいろな思いが頭の中を駆け巡る。
そうこうするうちに、部屋の中がだんだん暗くなっていった。
「……!?」
や、やばい、陽が暮れてきた。
はやく退治しないと。
でも、本当にいいのか?
心の中で葛藤しているうちに、完全に陽が暮れた。
瞬間、ボウッと部屋中のロウソクがいっせいに灯った。
「ひっ!?」
タイマー式なのかなんなのか、火をつける動作もなく、まるで蛍光灯のようにいっせいに明かりがつき、部屋中が明るくなった。
「ぎゃふん!!」
瞬間、オレはものすごい力ではね飛ばされた。
空気圧のような、風の力のような、よくわからない力に飛ばされ、オレは床に叩きつけられた。
「い、いたたた……」
腰を押さえつけながら起き上ると、ベッドの上に目を光らせる少女の姿があった。
銀色の長い髪を逆立て、真っ赤な瞳でオレを見つめている。
その口からは、身の毛もよだつような鋭い牙が見えていた。
や、やっぱり、この子ヴァンパイアだったんだ……。
「わらわを殺しにきたか、人間よ」
少女がしゃべった。
口調は年寄りっぽいけど、声は可愛らしい女の子だ。
「い、い、いえ、えーと、話し合いにきました……」
オレは作戦を変更しようと考えた。
要は、村人たちの畑を荒らさないように説得すればいいのだ。
ならば、話し合いで解決できればそれに越したことはない。
「ほう、話し合いとな」
「は、はい、話し合い。平和的な方法」
「では、貴様の持っているそれはなんだ」
少女がオレの右手に持っているクイを指差す。
いきなりすぎて隠すの忘れてた。
「いや、これは、その……」
「それでわらわを殺そうとしたのであろう?」
「い、いえ、めっそうもない……」
「問答無用!」
「ひ、ひい!!」
少女が跳躍すると、オレのいた場所に鉄拳が叩き落とされた。
バキッという音とともに床板が割れている。
あっぶねえ。避けなかったら、本気で死んでた。
「避けるな」
「避けるよ!」
ぐ、と拳を握りしめて光る目でオレを見つめている。
ヤバい、本気で怪物だ、この子。
「この前も加齢臭を充満させたおっさんたちが来たが、性懲りもなく別の刺客を寄こすとはな。見せしめに、貴様の首を村の畑に落としてやろうか」
こ、怖い、発想が怖い……。
オレ、なんだかとんでもないことに巻き込まれてしまったみたい。
「お、お、お助けを……」
ガクガクと膝が震える。
まさか、異世界で死ぬなんてことはないよね?
そんなの、あっちゃダメだよね?
「今回は許すわけにはいかぬ」
本気だよ、この子!
ヤバいよ、オレ!
「血を吸わぬだけでもありがたく思え」
「ええい、こうなったら……」
オレは一か八か、首に下げた十字架をかかげた。
効くかどうかはわからないが、何もしないよりはマシだ。
「……ッ!?」
とたんに、少女の顔つきが変わった。
あれ、もしかして効いてる?
「な、な、な、なぜ人間が、わらわの苦手なものを……」
十字架って効くんだ。
よし、だったら。
「残念だったな。オレは村人たちから召喚された異世界の人間。ヴァンパイアの弱点なんて、全部知ってるぞ」
「ひいいぃ」
少女が目をおさえて悶える。そんなに怖いの、これ?
まあ、農夫が作ったにしては良くできてるけど。
「こいつもくらえ!」
オレはポケットにしまってあったニンニク汁の瓶を取り出すと、ふたを開けてヴァンパイアに投げつけた。
「ぎゃあああ! ニンニク、ニンニクくさあああい!」
正直、オレでも鼻をつまむほどのニンニク臭が部屋中に充満する。
加齢臭でも敏感な彼女の鼻なら、もっと強烈だろう。
「ひい、ひい……」
かわいそうに、涙目になっている。
ていうか、これだけでもほぼ死にそうになっている。
効果絶大だな。
「よし、あとはこいつを心臓に突き立てれば」
ぎゅっとクイを握る。
眠っている時は躊躇したけれど、ヴァンパイアとわかればためらうことはない。
もだえ苦しむ彼女の胸にクイを打ち込めば、終わりだ。
一歩一歩近づくオレに、少女は「来るな、来るでない」とわめき立てている。
虫のいい話だ。
さっきは命乞いをするオレを殺そうとしていたくせに。
少女は倒れ込みながら、必死に逃げようとしていた。
そんな彼女の頭上に立ち、オレはクイを振りかぶる。
「ひい、ひいぃ……」
「……」
涙を流しながら逃げようとするそのヴァンパイアの姿に、オレはたちまち殺意がなくなった。
あまりにも可哀そうだ。
彼女はヴァンパイアだが、人間に危害を加えたわけではない。
少なくとも、誰かを殺したとか誰かを傷つけたとかという話は聞いていない。
オレは、振りかぶっていたクイを下ろした。
「……?」
涙で顔をくしゃくしゃにしていたヴァンパイアが不思議そうな顔をする。
「……なぜ殺さぬ?」
「なぜって言われても」
「わらわを殺しにきたのであろう?」
「そうだけど……、やめた」
「なぜじゃ」
理由なんてわかるわけがない。
無抵抗な人間をいたぶるのはオレの趣味じゃないし。
殺さないですむのなら、その方がいい。
「わらわはおぬしを殺そうとしたのだぞ?」
「それはそうだけど……。理屈じゃない。殺したくなくなったんだ」
「……」
涙目できょとん、としながらも彼女は言った。
「おぬし、他の人間とは少し違うの」
「そうか? 人間て、みんなこうだと思うぞ」
「いや、今まで他の人間はわらわを殺そうと躍起になっておった。おぬしはなんだか、ちょっと違うの」
農夫のおっさんたちのエグさを考えれば、まあそうなるか。
「それよりも、お願いがある。殺さないかわりに、村人たちの畑を荒らすのをやめてくれないか」
そうだ、その確約がとれれば殺さなくてもいいのだ。
しかし、オレの予想に反して彼女は言った。
「畑? わらわは何もしておらんぞ」
「は……?」
「人間の食べ物など、食べてどうなる。それは、おそらく山賊の仕業じゃろう」
「さ、山賊!?」
おいおい、聞いていた話とだいぶ違うじゃないか。
ていうか、山賊退治もお願いされるのだろうか。
オレは漠然とそんな不安を抱いていた。