scene5
「シーラ、てめえ裏切ったのか」
オレの不用意な発言によって、場の空気がかなり険悪なものになっていた。
いや、険悪どころか一触即発の状態だ。
少しでも何かあれば一気に襲い掛かってくるだろう。
オレは身構えたと同時にシーラに目を向けた。
しかし、当の本人はいたって冷静な顔をしている。
「裏切ってなどおらん」
シーラは落ち着き払った声でそう答えた。
「だったら、なんで人間がこんなところにいる!? ここは魔族だけしか入れない聖域だぞ」
「ユータローを勝手に連れてきたことは謝る。しかし、おぬしらに人間とは何かを知ってもらいたくてあえて連れてきたのじゃ」
彼女の顔に動揺の色は微塵も見えない。
そしてそれが、彼女が本心を語っているということを示していた。
「人間とは何か、だと?」
へん、と狼男は唾を吐きながら言った。
「それならよーく知ってるぜ。人間は姑息で身勝手でどうしようもねえ生き物だってな」
ううう、耳が痛い。
言われてみればそうかも。
オレってけっこうわがままだし。
「それは確かにその通りじゃろう」
シーラはうなずいた。
「おぬしの言う通り、人間とは姑息で身勝手で傲慢で嘘つきでどうしようもない生き物じゃ」
増えてるぞ、シーラ……。
「しかし、おぬしらはそんな人間の一部分しか見ておらん。彼らは、それと同時に優しさや愛情にあふれておる。ここにいるユータローもそうじゃ。この男は、ひとりぼっちのわらわのために異世界から召喚されたというのに帰らずにわらわの側にいてくれておる」
「シ、シーラ……?」
オレは驚いてシーラに目を向けた。
ばしり、と彼女と目と目が合う。
「ふふ、おぬしの気持ちに気づかんとでも思ったか」
バカめ、といった顔でにやりと笑う彼女。
なんだよ。
気づいてたんなら言ってよ、恥ずかしい。
「わらわが言いたいのは、時代が変わっても、住む世界が変わっても、人間は変わらないということじゃ。優しくて愛情にあふれていて、なおかつ楽しい。我々も学ぶべきところがたくさんあるはずじゃ」
「あんたの言い分はよくわかった。だがな、だからといってハイそうですかとすんなり受け入れられるほどオレたちの因縁は浅くねえんだよ。こちとら、数百年分の確執があるんだ。いまさら、お手々つないで仲良くやりましょうなんて、できるわきゃねえだろ」
そうだそうだ、と周りから声が上がる。
穏健派のモンスターたちもそれには異論がないようで、何も言ってこない。ていうか、この穏健派のモンスターたちって、何がしたいの?ただ黙って見てるだけなの?
「とにかく、オレたちは決めたんだ。人間を一人残らず殺してやるってな。邪魔をするなら、たとえあんたでも攻撃するぜ」
鋭いキバだらけの口を大きく開けながら好戦的な目で言う狼男。
ああ、もう。
ほんとイライラする。
「だーかーらー! なんにもわかってねえな、おまえら!」
オレはズカズカと狼男の前まで詰め寄ると、彼の岩のような大きな手を取った。
「……!?」
「んなこたぁ、シーラだってわかってんだよ。それでもオレをここに連れてきたのは、こうやってオレと直に話をさせるためなんだよ。わかれや、クソ狼」
「ク、クソ狼……?」
「ほら、これ。これなんだかわかるか? シェイクハンド。英語で握手。人間社会で、はじめましてとかよろしくお願いしますっていう意味。オレぁ、アメリカ人じゃねえけども」
きょとん、とした顔の狼男。
オレは気にせず今度は頭を下げた。
「これはお辞儀。イッツ、ジャパニーズスタイル。お互いに敬意を表すときとかに使う。ほれ、やってみ」
オレの行動があまりにも意外すぎたのか、狼男は微動だにしない。
プッツンしていたオレは恐怖心なんてとうになくなっていた。
「やれって言ってんだろ!」
「は、はい」
言いながらオレに握手をしてお辞儀をする狼男。
動きはぎこちないが、まあ、こんなもんだろ。同時に使えばマナー違反と言われているが、知ったこっちゃない。
「それから、あいさつ。初めての出会いだったら『はじめまして。お会いできて光栄です』。久しぶりの再会だったら『おひさ。お元気そうで何より』。懐かしい再会だったら『わお、めっちゃ久しぶり。元気だった?』。ほれ、言ってみ」
我ながら、どういうシチュエーションなんだよ、と思うがまあいい。
要は、彼らに人間社会というものをもう少し知ってもらえればいいのだ。これが人間社会の常識なのかは知らんけど。
「は、はじめまして。お会いできて光栄です。おひさ。お元気そうで何より。わ、わお、めっちゃ久しぶり。元気だった?」
固まったまま、オレの言った言葉を繰り返す狼男。当たり前だがほとんど棒読みだ。
「次に自己紹介。『オレの名前は宮本勇太郎です』」
「オ、オレの名前はミヤモトユータローです」
「オレのじゃねえよ、自分の名前言えよ!」
「あ、つい……」
オレたちのやりとりに、きょとんとしていた周りの連中からクスクスと笑い声が漏れてきた。いや、漫才やってるわけじゃないんだけども。
「オレの名前は、ウルフです」
「……あんた、ウルフっていうの?」
「あ、ああ、そうだが」
なんてわかりやすいネーミング。誰がつけたんだか知らないけど。
「じゃ次に、好きな食べ物。『オレの好きな食べ物はカレーです』」
「オレの好きな、食べ物は、小鹿の新鮮な肉です」
リアルだよ……。
「『趣味は読書です』」
「趣味は、えーと、狩りです」
「『長所はへこたれないところです』」
「長所は、あきらめないところです」
「『短所は人に流されやすいところです』」
「短所は、怒りっぽいところです」
「あ、自覚してんだ」
「悪いか!!」
オレと狼男の文言のやりとりがあまりにおかしかったようで、そこかしこで笑い声が起こっている。
「わ、笑うんじゃねえ!!」
狼男はしどろもどろになりながらわめき立てているが、もはやそれすら滑稽に映ってしまう。
そこかしこで、クスクスと笑い声が響いていた。
見れば、オレたちを真似てお互いにシェイクハンドやお辞儀をしているモンスターたちまでいるではないか。これ、万国どころか生物を超えて共通のあいさつなのかもね。
「笑うなあっ!!」
叫ぶ狼男に、なんだか拍子抜けしてしまった。
ふと、気が付けばシーラも隣に来て狼男を指差してげらげらと大笑いしている。
いやいや、そこまでやっちゃ失礼だろ。
「シ、シーラまで……!?」
「げらげらげら。いや、だって、狼男のウルフともあろう者が、げら」
「いきなりすぎてつられちまっただけだ!」
にしてはだいぶつられてたな。
案外、悪いヤツじゃないのかも。
「おい人間。どうしてくれんだ! てめえのせいで場の空気が和んじまったじゃねえか」
「どうしてくれんだって言われても」
オ、オレのせいなのか……?
「気にするなユータロー。こいつらの決起集会はいつものことなのじゃ。気はめいっぱい弱いくせに、口だけは達者なのよ」
「そ、そうなの?」
え、なにそれ?
もしかして、本気じゃなかったっていうの?
うそ。
オレ、マジでビビってたんですけど。
「穏健派の連中が何も言わなかったのも、そのためじゃ。ま、本気になったらなったで穏健派の連中が黙ってないがの」
「そ、そんな……」
オレのプッツンはなんだったのか。
てめえはオレを怒らせた、とか言って(言ってないけど)めっちゃ恥ずいじゃん……。
「でも、ユータローのおかげで、人間に対するわだかまりが多少は減るかもしれんの」
シーラの指差す先、そこには多くのモンスターたちがお互いに手と手を取り合ってお辞儀をしている景色が映っていた。
そっか、オレのプッツンも無駄じゃなかったかもしれないんだ。
「シーラ」
オレたちの側に魔女のライラが寄ってきた。
近くで見ると、いっそう魔女っぽくて恐ろしい。
本当に、シーラより年下なのかよ。
「手間をかけたの。礼を言う」
「いや、異世界から来た友人をみなに紹介したかったしの。よいタイミングだった」
も、もしかして、そのためにオレを連れてきたの?
勘弁してよ。寿命が縮まったよ。
「ユータローとやら」
「は、はい!?」
魔女に声をかけられて、オレはピンと背筋が伸びた。
シーラよりも年下とはいえ、オレよりも270歳以上も年上なのだ。威圧感がすごい。
「おぬしのシーラに対する友情、確かに感じたぞ。人間でありながら、見上げた奴よ。これからも、シーラをよろしくな」
「は、はい……?」
よくわからんが、よろしくお願いされた。
まあ、何はともあれ、人間とモンスターとの争いは回避された(というかもともとそんなつもりはなかったらしいが)わけで、めでたしめでたしといったところか。
「……では、帰るとするか」
シーラの言葉にオレは「うん」とうなずいた。
「帰れ帰れ。とっとと帰りやがれ。ついでに、自分の家まで帰れ」
「うるさいわ」
コキン、と魔女のホウキで頭を叩かれる狼男。
なに、この光景。
さっきまで殺し合いでもしかねない雰囲気だったのに。
モンスター同士の付き合い方って、よくわからん。
「それじゃあの……と。その前に、何か忘れておるの」
シーラの言葉に、オレは「はて?」と首をかしげた。
何か忘れてるようなこと、あったっけ?
「なんじゃシーラ。ついにボケたか?」
笑ってもいいものかどうかわからない冗談をライラが言う。
「ぶわーはっはっはっはっは!!」
案の定というか、なんというか。
狼男がそれに大ウケしていた。
「笑うな」
コキン、とまた魔女がホウキで叩く。
よかった、笑っちゃいけなかったんだ。
しかし、当のシーラはあっけらかんとしていた。
「ま、忘れるくらいだからたいしたことではなかろう」
そういうものなのだろうか?
まあ、オレも思い出せないくらいだし、彼女の言う通りたいしたことではないのだろう。
「それじゃあの」
シーラに手を引かれてオレたちは館へと帰って行った。
それにしても、いい経験をさせてもらった。
日本にいたら絶対に味わえなかった体験だ。
日本に帰ったら絶対、自慢してやろう。
オレはそう心に決めた。
湖のほとりで忘れ去っていた使い魔のホープのことを思い出したのはそれから数時間後のことだった。
第三章へつづく




