2.砂の果実。 天為。 2
天為は砂漠に眠る伝説を求めて、崩落の嵐に埋もれる辺境にいた。枯れたオアシスに残された古い祠から、地下洞穴に挑んだのだ。そして、深く地底に広がる洞穴を進み……出くわしたのだ。
人喰いの砂蛸に。
深く狭い洞穴は、蜘蛛の糸と同じく、捕食者の狩場だ。被喰者である天為は、逃げるしかなかった。砂蛸は、陽光の下では生きられない生物だ。洞穴の外まで逃げ切れば、それで助かる筈だった。しかし、時は既に夜。
「……俺の腹時計も当てになんないねぇ。」
腹時計かよ、とのつっこみもない無人の月夜の中で、人事のように天為は呟く。眼前には、巨大な砂蛸。ひっそりと長い間、同じ場所で同じように佇んでいた小さな祠は、砂蛸が無理やり通り抜けた為に、無惨にも霧散した。砂蛸は祠には頓着せず、ただ、目の前の生意気な食料を仕留めようと憤慨し、頑丈な触手を大地に叩きつけている。
砂蛸は、蛸というよりはひび割れた体表を持つ蛭の集合体と言った風貌の魔物だ。そもそもタコらしいふんわりとした頭に見える胴体がない。彼は、固く長くしなる十の触手を振り回す。その瞳は触手の先にあり、光ではなく熱を映し出す。
天為は砂蛸と向き合う。大長尺の古刀を鞘から抜き放ち、低く斜めに構えた。彼の周囲には深い夜と広大な砂漠が存在するだけだ。助けも逃げ場もない。
ま、逃げられないなら、戦うしかない。
彼に静かに月が降り注ぐ。長く切れた月色の瞳。お揃いの月髪は、狼のそれのように短く跳ねて、踊っている。身にまとう物は黒一色。年齢はわからないが、若くは無い。痩せすぎだが、枯れてはいない。彼は周囲に静かな力を漂わせながら、敵と対峙する。それが、彼の日常。
それが、天為だった。
ふー……。
天為が息を吐き出すとともに、砂蛸が襲いかかる。全方位から、触手が落ちてくる。触手が天為に向かって収斂する。見た目以上に固く荒い触手の一撃は、象でさえも打ち倒す。それが一切の隙間なく、天為に打ち下ろされ、砂塵が舞い上がった。だが、その、さらに上。
……ふわり。
天為が、舞っている。
火に踊る煙のように、風に舞う羽毛のように、光に舞う粒子のように。何がどうなってそうなったのか?
誰にもわからなかった。ただ、砂蛸が気付いた時には、天為は中を舞っていた。掠りもせずに、全ての触手をかわして。
……ハルカ、中空5m。
月が注ぐ。天為は光を反射して、静かに輝いていた。彼の瞳には、冷たく輝く氷が浮かんでいた。
月夜雲が揺らぐ。
……ふわり。
天為は大長尺の古刀を振るった。それは、夜の闇に光の軌跡を残す。その軌跡の中に、鋭月が降臨する。灼熱の大砂の中に、雪を呼んだ。
呼雪の切っ先は、砂蛸を捉えたのか、外したのか判断がつかないほど、軽やかに踊った。美しい光の軌跡は直ぐに消え、何も起こらないかのように思われた、その次瞬。砂蛸は粉砕された。海の蛸なら、スライスされただろうが、砂蛸は、堅い鱗に覆われた乾いた生物だ。死ぬときは、爆散する。
月光の夜にもうもうと、爆煙が舞い上がる。
煙は砂漠の強い夜風に洗われ、流れていった。そして、僅かに残った砂塵の中から、咳がとまらない天為が現れる。
「どぅぇぁ…あ、あー。
意味不明なコメントを発しながら、鞘を拾い上げ、古刀呼雪を収めた。落ち着くまもなく巻き返す風が、収まりかけた砂煙を呼び戻す。新たな砂煙で視界が利かない彼の足元を深い砂がすくう。よろめきながら、天為は、体調があまりよくない事に……熱が出ている事に、気付いた。
「くそぅ……。ちよっと、まずいかも……
砂漠の寒暖差に負けたのか、喪服の男のせいなのか。いずれにしても、かなり体調が悪い。緊張が解けたら、途端に疲労があふれ出してきた。よくある話だ。咳が止まらない天為は肩で息をしながら、冷たい砂の上に両膝を付いた。相棒の気配を探ろうとするが、うまく精神が拡散しなかった。熱のせいだ。体中が、膿んでいる。咳が止まらない。病気のせいか、砂煙のせいか、よくわからない。彼は目を閉じて、想いを巡らせる。
(……さて、洞穴の探索は空振りに終わったし、次はどうする?)
天為は、まだ収まらない砂煙に咳込みながら……何だ?……いや……ちょっとまて、自分だけじゃない。
どっ、と冷たい汗が噴き出す。
別の誰かが同じく咳込んでいる。天為が身構えるより早く、風が吹き、煙が流れた。
月明かりに浮かび上がったのは、身長3mを超える魔物。手を伸ばせば届く距離にいる。相手も天為と同じく驚きの表情を浮かべている。お互い、その存在にたった今、気付いたのだ。
引き絞られた身体に山羊の頭部と足を持つ異形の人間……血と殺戮を好む、陰の国、フィンドアの魔人だ。
「……おいおい。
天為の呟きが合図となった。瞬時に驚きから脱却し、両者とも、それぞれの武器を繰り出した。