2.砂の果実。 濁眼の聖騎士。 1
その男は、夜明け間近の砂漠を歩いていた。
リゾートのビーチを歩いているかのような気楽さで。一つの油断が人生の全てを連れ去ってしまうこの辺境世界にあって、その男は完全に落ち着き安定していた。何ら力むところが無い。
「何のようだ?」
男は歩きながら、砂漠に呟いた。大理石のような優しい乳白色の全身甲冑を着込み、漆黒の外衣を纏っている。大小様々な剣を背負っている。その数、12。長すぎる手足を持ち、暗い灰色の長髪は細かく波を打ち、整った精悍な顔を縁取っている。十分に年を取り、しかし力に満ち溢れている壮年の男だった。美しいと言って差し支えなかった……2つの特徴を除けば。
一つは手。通常の倍の長さがある指が六本ついている。
そして、もう一つは、目。虫卵のように真っ白に濁っていた。
ぎいいい。
と、男は歯をむき出しにして、口の端で笑った。
「戦いは嫌いではない。」
また男は砂漠に呟いた。それは独り言にはならず、返答があった。
「貴様、術者か?」
声がするとともに、男の眼前の空間から、長身の男が現れた。身長は3メートルを超える。宵闇色の外衣を着込んでいる。手には薙刀を持っている。
「我々の隠れ蓑を見抜くとはたいしたものだ。何を得意とするのかわからないが中々の使い手だ……ので、死んでもらう。」
「断る。」
ふっ、と薙刀の男は笑う。それを合図に騎士を取り囲むように次々と長身の男たちが現れた。その数、200名。
ぎいいい、と騎士は笑った。
「200か?たったそれだけで何をしようというのだ?」
薙刀の男は目の前の騎士が本気でそう思っている事を直感し、静かな恐怖を覚えた。
(……何故だ?仲間がいるのか?いや、我々と同じように軍を率いていたとしても、この状況では、死を逃れることはできない。何故だ。何故落ち着いていられる?)
騎士は無造作に背中にある剣の一つを抜き放ち、目の前の男に切りかかった。
「正気か?自分から仕掛けるとは!」
何気ないその一撃を薙刀で受けようとした長身の男は薙刀と共に切断され、絶命した。死んだ男は、術が解けて、本来の姿に戻った。羊の頭と足を持つ魔人。一瞬で騎士を取り囲む軍団に殺気が走る。軍団は、一切のかけ声もなく、一斉に襲いかかる。
ぎいいい、と騎士は笑う。
騎士は、そのまま散歩を続けるかのような気さくさで、剣を振う。騎士の剣は彼のマイトを帯びて、防御不能の致死の刃となっていた。次々と何もかもを切断していく。瞬きの間に10が死に、20が死に血砂の丘が築き上げられた。研ぎ澄まされた刃も、分厚い甲冑も関係なかった。意味をなさなかった。突風が走り、世界を戦いが覆った。
騎士を襲う軍団は、本来の姿を表していた。彼らは一旦、騎士と間合いをとり、縦に潰れた瞳で、超人的な強さを見せる騎士を睨む。1人、騎士の前に進み出る。
「我は陰の国フインドアより参った、第3旅団“落日”に属するゴートだ。貴殿は名のある騎士とお見受けした。だが、多勢に無勢。いずれ、倒れる事は必至。こちらも無駄な兵士の消耗は控えたい。そこで、一騎打ちを申し込む。お互いに利があると思うが、いかがか!名乗られよ!」
「断る。」
騎士は剣を背に戻す。ざわつく羊魔の軍団に向けてゆるりと、腕を振るった。
きん、という音と、羊魔達の悲鳴が同時に上がった。羊魔達はシュレッダーに放り込まれた紙切れのようにバラバラに切断される。騎士の一振り毎に。誰かが、呟いた。
「……12の無刀を駆る騎士……か?」
呟きと共にその羊魔は真っ二つになり、死んだ。騎士は腕を振るい指先から発する圧縮された鋭いマイトで、無造作に軍隊を切り刻む。無名の騎士、クオの大天使とも呼ばれる世界最凶の騎士だ。多くを救い、世界に剣を捧げたともいわれる聖騎士。その風貌と人間離れした戦いぶりを見て、羊魔達は目の前にいる人間の正体を知った。目の前にいるのは、伝説だった。
「濁眼の聖騎士……。」
絶望の軍人の百を殺したところで、濁眼の聖騎士は異変に気がついた。一向に数が減らない……いや、寧ろ……
「援軍か?」
砂丘の向こうから新たな軍隊が現れる。確か先ほど一騎打ちを申し込んだ者は旅団に属すると言っていなかっただろうか?だとすれば、敵は千を超えるだろう。
「きりがない。」
血塗れの濁眼の聖騎士は呟き、そして、笑った。
ぎいいい……