スタンドアロン 第一話 始まり天為。 5
目も開けていられないような雨の中、天為はビゲイト唯一の酒場、チープに辿り着いた。
ぎいぎい鳴るドアを押し開けると、酒と料理とタバコの臭いがいつも通りに充満した室内が迎えてくれた。今夜は夕方から降り出した大雨がくれた湿度がチープの不快指数を底上げしていた。15人程並んで座れるカウンターが店の奥に広がり、その手前には、柱に邪魔されながらも、6人がけのテーブルが4つあった。茶色くしなびた木の色一色で、部屋を飾る絵画も装飾品もなく、チープは酒場と言うよりは、酒が飲める村の公民館、と言った見てくれだった。それでも、いつもと同じように店内は満員だった。まあまあの料理とそれなりのお酒、スケベな唇だとよく言われる給仕のカシャに人気があった。正直言うと、チープ以外にこの村には社交場が無かったのもある。
天為は客……無論どれも見知った顔ばかりだ……に、雨水がかかるのも構わずに、フード付きのハーフコートを脱ぎながら、カウンターへと向かった。その濃紺のハーフコートは、豚の皮にシシルという樹木の樹液をしみこませたもので、よく水をはじき、軽かったが、さすがにこの季節になると、蒸し暑くて着られたものではなかった。とは言え、イッチョーラだったので、天為は一年中これを着ていた。
ハーフコートを左腕から引き抜くとき、痛みが天為の左肩を流れた。癒し手としての天為の力量を持ってしても、脱臼し筋が切れ骨が砕けた肩を1時間ほどで完全に治すのには無理があったのだ。
あの後、天為はふとっちょバールの家には寄らず、テラに戻って、チムを介抱した。庭で身体を最低限度に清潔に……自分の方も……してやり、畳貼りの四畳半に寝かせた。いい加減、限界だろうと天為は考えていた。チムはふとっちょバールの優しさと暴力でコントロールされていて、自分ではどうにもならないのだ。バールの側に居れば、暴力を振るわれることは分かりきっていたが、身の回りの世話に必要とされていて、たまに、本当にたまに飛びっきりの笑顔をくれる。大切な肉親だ。チムはバールに依存していて、離れられないのだ。離れている事が不安なのだ。
「天為。2つある。」
背後から鬼哭和尚の声がかかる。天為はひやりとする。全く気配を感じなかった。流石はトマ最高の癒やし手だ。魂の流れを完全に制御している。鬼哭は続ける。
「チムにはチムの世界がある。他人が口を出すことでは無い。戻りたがるのであれば、返してやれ。チムの幸せはチムだけが知る。例えどれだけ幼くても、だ。もう一つ。今朝の騒ぎは何だ?単純なクリーチャーの襲撃では無いぞ。」
まーガミガミ煩い。だが、鬼哭はかれの命の恩人で、親代わりで、人生の師匠だ。底には強い信頼があった。
「チムの事は、俺の好きにするよ。このままじゃいつか死ぬ。クリーチャーの件は、ツブラガイケを調査しているセオ達の報告と合わせ報告する。自体は楽観できないね。」
ぼんやり鬼哭との会話を反芻しつつ、うずく肩をかばいながら、村人達の挨拶と机と椅子と給仕のカシャのお尻をかわして、天為はカウンターに辿り着いた。
カウンターで楽しげに一日の疲れを癒す村人達に混じって、天為と同じように、村のルールからはみ出した人間達が彼のことを待っていた。天為より一つ年下の神経質そうなぎょろ眼を持つ、セオの姿が彼の目に留まった。彼は術者……魂の力の流れを操り、式と印を駆使して、無から有を呼び起こす者……だ。光の矢を放ち、炎の玉を打つ事の出来る者だった。癒し手である天為と全く逆のマイトの使い方をするものだった。それが、術者セオだった。
彼の横には、岩を砕いて作ったような顔をした、身長がトロールよりも大きい、トゥーハンデッドソードの使い手、ゴーフィが(椅子を二人分使って)座っていた。姿は見えないが、ゴーフィの影には、いつものように小さな術者リンが隠れているはずだ。
天為は全員がそろってることを確認し、椅子を引いた。
「あー。お腹すいた。」
そう言いながら席に着く天為に、彼の右に座るセオがあきれ顔で言った。
「あのな、天為。遅れてきてそれは無いだろ?普通、遅れて悪かったとか・・・。」
セオの話を聞く素振りも見せず、浅くだらしなく座っている天為が声を張り上げた。
「カシャ!ミント酒ちょうだい!ヒヤでー!」
「おい!天為!俺はオマエのそう言うところが・・・。」
天為の遅刻を屁とも思っていない態度に、いらっとして、言いかけたセオの言葉をまた天為が遮った。
「聞いてるよ。セオ。そう、カリカリカリカリするなって、まぁた、禿げるぞ。そうだろ?ゴーフィ。」
……この頃の天為はこうだった。若く幼く思慮にかけた。勢いだけで喋り、意味は上辺を滑る。彼はまだ本当の苦痛を知らず、そう、一言で言うなら幼かった。彼より少し大人であるセオは例によって、喋る気もなくし、ため息混じりに、若禿げに蹂躙された頭を両手で撫でた。セオの後ろで壁のようにそびえているゴーフィと呼ばれた大男は顔も上げずチープで人気の焼き豚焼き飯を飲むように食っていた。焼き豚焼き飯の入っている皿の他にも大皿が3枚ゴーフィの肘のあたりにに積み重なっていた。
(ゴーフィ的には、折り返し地点かぁ。)
天為が考えてると、セオが紙巻きタバコを差し出した。チャッスとか何とか訳の分からない礼を言って天為はそれを受け取った。セオは神経質そうな顔を幾分緩めて、微笑んだ。
「まったく。今月に入って、5回目だぞ。クリーチャーが村に現れたのは。少しは村を守るものとして神経質になったりしないのか?どうすればそんなに脳天気でいられるんだ?」
こきん。と、音を立てて、蓋を開き、タバコに自慢の発火装置で火をつけながら、天為は言い返した。
「失敬な!俺は、もーあの辺じゃ、神経質が皮もかぶらずに歩いてるって言われてんだぞ。そもそも、俺は神経質すぎて、心配しても心配しても、キリがないから、心配しない事にしてんの。だから、ノーテンキなんかじゃないぞ。」
言い終えたところで、天為は後ろから頭をはたかれた。ほっぺたをふくらませながら天為が、振り返ると、キャミソールにジーンズと言う給仕らしくないラフな格好のカシャが、ミント酒を手に立っていた。昼過ぎから起き出して、真夜中までこの店で働く、という暮らしをしている為に日に当たることがほとんど無い彼女の素肌は透き通るように白かった。肌がとても白い分、ふっくらとした官能的な唇が、紅も引かないのに赤く際だっていた。カシャはその魅力的な唇を今は少し、つきだしていた。天為の大好きなカシャの表情だった。
「それを世間様は、ノーテンキって、呼んでるの。大体、あの辺ってどの辺よ、バカ。何時まで村守を続けるのよ?アホなことばっかり言ってないで、いい加減、本気で結婚相手でも探しなさいよ。」
全く、と顔で言いながら、ミント酒を天為の前にカシャは置いた。襟足で束ねられた、とても美しい金髪を持つ、天為と同じ歳のこの女性は本気で天為のことを心配していた。この村では、結婚をせずに・・・つまり、自分の家庭を持たずに暮らす者が、村を様々な脅威から守る役目を担っていた。万が一、死んだときの為に、選ばれた者達。それが、天為であり、セオ、ゴーフィ、リンであった。そんな危険な役目を負っている天為のことをカシャは心配(今日だって、大怪我したんでしょ?)していた。それを天為も知ってはいたが、ついふざけて、言ってしまった。
「俺もそう思って、今夜は君にプロポーズし……
「バカ!死ね!」
カシャは、天為の言葉を聞いていられずに、さっと振り返り、厨房へと去っていった。誰にも見られることはなかったが、カシャの眼には涙がにじんでいた。
(バカ、アホ天為!どうして・・・。私・・・私も何で……今になっても……。)
怪訝そうな表情を浮かべるコック達を無視して、カシャは厨房を早足で通り過ぎた。カシャは、途中、皿をひっくり返し、床にぶちまけた。陶器が砕け、金属が打ち鳴らされた。けたたましい音が厨房に鳴り響いた。そして、ついにカシャは自分の心をコントロールできずに嗚咽を漏らした。誰にも気づかれないように。土砂降りの店の裏口で、月明かりさえ無く……カシャは一人きりで泣いた。