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世界が生まれ変わる物語。  作者: ゆうわ
第三章 幕間。夢喰い花。
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スタンドアロン 第一話 始まり天為。 1


 夢悔い花が誘う夢は、彼らを夢の底へ、光の届かない場所へと引き込んで行く。そこにはまだ若く未熟な天為と高坂がいた。精一杯を生きていた。かけがえのない仲間達と共に。ああ……。


 ……この涙はどこから来るんだろうな。



 ◆



 ……深い、闇の中。


 天為はゆっくりと手を伸ばした。埃とお香の臭いが充満する闇の中から……海面を目指す深海魚の様に……ゆっくり、ゆっくりと手を伸ばした。空気を求めるように、外の世界を求めていた。

 差し出された自身の細い手の影を見ながら、叶わなかった夢を手探りで探しているみたいだな、と彼は想いをさまよわせた。彼は夢を諦め、日常に身を置いていた。そして、今日も日常の中で足掻く。特別な話じゃない。みんなそうだ。キミモソウデショ?


 かたん。


 小さな乾いた音を立てて、扉は開いた。光が注ぐ。弱い光だが、暗闇に身を置く彼にとっては閃光に等しい輝きだった。

 彼が開いたのは、玩具のような軽い扉だ。テラの屋根上へと続く、隠し扉だ。軽く小さな扉だった。が、それは確かに、彼の日常へと続く扉だった。開かれた扉から光と共に、芯の残る冷たく清々しい蒼い大気が流れ込み、彼の周囲に充満する。もう少しで梅雨が終わる時の、鬱陶しさと晴れやかさが綯い交ぜになった、シンプルでややこしい空気だった。


 「よっ!」


 天為は、掛け声と共に体を勢い良く引き上げ、扉の外へ……8メートル程の高さがある屋根の上に出た。

 一気に世界が広がる。

 小さな、美しい世界。梅雨時の低い雲と優しい空気。寺から真っ直ぐに続く一本の道にすがるように構成される……朝靄に沈む、小さな村。

 そして、眼前の怪魚。

 10m近い体長があり、空に浮かんでいる。屋根の上を泳いでいた。それは、肉食獣の牙と髑髏の頭部を持つ異形の怪魚だ。靄の中を泳ぎ回る、靄魚。靄魚は朝食に少し足りない小骨の様な人間を認め、食欲と言うよりは補食本能をくすぐられて、天為に狙いを定めた。「黒い」髪、「黒い」瞳で、服装も全て黒ずくめの天為の事を、痩せ過ぎで無力な人間として、靄魚は認識した。世界を切り裂く靄魚の甲高い悲鳴が早朝の村に響きわたる。間を置かず、巨大魚は天為に飛びかかって来た。


 これが、彼の日常だった。常に死と隣合わせで、若干……いや、ソレナリに……狂っている。


 天為は怯むことなく、鋭角的な屋根を滑り降りる。異形の怪魚に向かって。何故ならそれが、彼の、「村守」の仕事であるから。靄魚は身の程知らずにも挑みかかってくる小さな生き物に向かって、再び亡者の悲鳴をあげる。魂が引き裂かれる轟音を受け止めながら、天為は刀……名を“呼雪”と言う……に手をかけた。

 相手は体長10mの巨大魚だ。刃渡り1メートル程度の刀一本でやりあう様な相手ではない。だが、やるしかなかった。ここは村の中心部。肉食のクリーチャーを放置して良い場所ではない。そして、彼は村守。それだけが彼の価値を、存在理由を形作っていた。天為は覚悟を決め、屋根を滑り降りながら、息を大きく強く吸った。そして、長く吐き出す。天為の集中が高まっていく。靄魚は人の頭部程の大きさの牙が3重に並んだ顎を最大限に開いたが、天為は構わずに走り込む。そうしながらも、深い呼吸を繰り返し、自身の精神を極限の集中状態へと導いていく。


 (……極限の集中状態、即ちそれが、心頭滅却の境地じゃ。)


 彼の師である、この寺の住職、鬼谷は天為に教え込んだ。また、心頭滅却を極める事は、時を操る事と等しいのだと。そして、深く息を吸い吐き出し……靄魚の顎に捕らわれようとしたその刹那に……彼は、心頭滅却の境地に到達した。


 が……がしーん……。


 時間の歯車が止まる音が彼の世界の中に響き渡った。この瞬間、天為には、何もかもが見えていた。彼の魂は無限に拡散し世界と同化していた。彼は究極の集中がもたらした覚醒状態にいた。何もかもを把握していた。冷静でクリアだった。彼の世界では、何もかもがゆっくりと流れていった。靄魚も、雨も、無論、天為自身も。だだ、彼の思考だけが、留まることなく流れていく。いつの間にか周囲を取り囲んでいた無数の雨粒一つ一つでさえも、はっきりとその位置を認識していた。それら一粒一粒に触れる事なく、天為は走り抜け、そのまま一本一本が彼の腕より太い牙をすり抜け、鱗の上を滑り抜けた。彼の切れ長の瞳は一点を見つめる事は無く、世界を捉えていた。靄魚の体のうねりや視線を読み、怪魚の行動を予測し、天為は戦いの先の先を走る。天為は、クリーチャーの行動を読み切り見切っていた。

 靄魚は天為を見失ったまま、テラの本堂の屋根を食い破った。爆発するかのように瓦が吹き飛んだ。獲物の血を味わえない事を思い知らされた靄魚はシンプルな脳味噌に響きわたる原始的な感情を爆発させた。単純な、食に対する渇望。靄魚はグラスが割れそうな程、甲高く微細に震える激昂の悲鳴を発した。だが、無力な獲物である筈の人間は、既に靄魚の牙の範囲外、彼の死角である背鰭の真上の虚空を舞っていた。無数の屋根の破片と共に。全てを見ながら何も見ていない彼の瞳は静かな光を……冷たく佇む氷壁の輝きを……湛えていた。靄魚は何も気付かない。呼雪のコイクチが切られる。


 ふわり。


 と天為は呼雪を振るう。魂を喰らい全てを凍り付かせる妖刀は、靄魚の命を呑み込み、ちらりと喜びの雪を振りまいた。雪は弱い曇り日に輝き溶けた。靄魚の頭部は音もなく胴体と離れていき……戦いは一瞬で終わっていた。

 天為は地上8mの中空で、梅雨の空を見やった。極限の集中状態がもたらす、無限の中を彼は泳いでいた。

 僅か、僅か僅か。コンマ数秒の世界の中で、天為は空を見やった。低い雲が裂けて、淡い朝日が世界を包み始めていた。時の止まった世界では、音と無く、匂いと無く、ただ、光だけが世界を包み、輝いていた。全ては美しく、雄大で、永遠を内包していた。世界の外に内に。そして……ひと月と経たない内に彼は微妙に違う空を全く違う心境で愕然と見上げる事を知らない。ただ、この時は、世界が美しくて。

 天為はうっすらと笑い、ゆっくりと瞳を閉じ……そして、極限の集中状態……心頭滅却を解除した。爆発するかのように時間が解き放たれる。

 切り離されたまま、空中で凍りついたまま腐り果てるかと思われた、靄魚の頭部は突然、時間の顎にかかり、連れ去られ落下した。靄魚の頭部は地面に激突して、轟音を上げた。黒い血液が吹き出し、否応なく胴体も大地に叩きつけられた。靄魚が絶命すると共に周囲の靄が晴れて消えていく。

 高い屋根の上から枯れ葉の様に舞い、音もなく着地した天為は他人事のように呟いた。


 「おーこわ。」


 村に立ちこめていた靄は速やかに去っていく。大きな寺が靄から浮かび上がる。この小さな村には似つかわしくない、荘厳なテラだ。靄に取って代わって朝日が、テラを包み瓦を輝かせる。何万回と繰り返された村の静かな朝が戻り、漸く平和……が、続けて彼が何か言葉を発するより早く、悲鳴が響き渡った。

村外れの水田からだ。村守の仕事は終わらない。


 「まー、靄魚って、単独行動しないしねぇ。フツー。」


 彼は絶望混じりに呟いた。ま、と、言うことで……これが、若き日の天為の日常だった。


そして、彼は走り出す。


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