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ふらっと出掛けてはどこぞの山賊かと言わんばかりの格好で戻ってきたりする主人に手を焼いていたというより、諦めの境地だったネイトとリナ夫婦だが、最近はとても人生が充実している。
「ほら、これなら暖かいでしょう? 冬になったら使うといいと思うの」
「まあまあ、カレン様。なんてしっかりとした布地なんでしょう」
「これはね、毛皮を布に織り込んであるのよ。だから暖かいの。今はまだ暑い時期だから仕舞っておいて。そうして寒くなったら出せばいいわ。ね?」
主人が迎えた奥方はとても可愛らしい娘で、一気に家の中が明るくなったのだ。
今もリナと二人で、奥方のカレンはしっかりと織り込まれた厚手の布を広げて見せている。それぞれ色合いも違っているのだが、十枚はあるだろう。ネイトとリナ達の分もあるのだそうだ。
この辺りでは、冬に使うのも羊毛を織って作った毛布がせいぜいだ。それでも冬場はどうにかなるものなのだが、この毛皮を織り込んだ布ならば、これ一枚で暖かいに違いない。毛皮を細く切断して横糸代わりに、そして縦糸は布と糸とを使って織ってあるようである。
「それは寝台で使えばいいと思うんだけど、こっちは服に使うといいのよ」
「まあ、なんて厚手の生地なんでしょう。これは縫うのも大変でございますね」
「それはそうなのよね。だけど一度仕立ててしまえば、なかなか風も通さないし、暖かいの。今のうちからゆっくりと縫っていけばいいわよ」
彼女は北にある寒い地方の出身で、冬に対する備えというのか、寒さをしのげる物にはかなり詳しい。連れてきた従者も三人ほどいるが、様々な物を持って行き来している。今回は、冬になったらこの屋敷で使えそうな物をと運んできてくれたのだ。
一階にある空いている客間でそれらを広げていたのだが、服にすればいいと言われた布地もしっかりと織り込まれている上質なものだ。派手ではない色合いは、普段使いを考えているからだろう。
ネイトやリナが使えそうな少し地味な色合いのもの、そしてロメスに似合いそうな若々しい色と、見ているだけでどんなものに仕立てようかと考えずにはいられなくなる。裁縫も得意なリナは、目移りせずにはいられない。・・・・・・刺繍や縫い物にあまり興味のないらしいカレンは、最初から自分で縫う気はなさそうだが。
これでロメスの服を縫ってあげればきっと似合うことだろう。・・・・・・だが、血まみれにしてすぐ駄目にしそうだ。あの主人だけはどうにかならないものか。リナは溜め息をついた。
そして、奥方といっても、カレンはまだまだ若い娘である。
「あ。鶏が鳴いてるわ。餌、やらなきゃ」
「カレン様。そんなこと、ネイトがしますのに・・・」
「いいの、楽しいから」
鶏のコッコッという餌をねだる鳴き声に気づき、カレンがくるりと身を翻して駆け出して行ってしまう。説明だけしておけば、あとはリナがどうにかしてくれると思ったのだろう。今日は気軽なスカート姿だが、どこかに行く時は男装しているだけあって、カレンはかなりフットワークが軽い。
そして女主人として家庭内のことに采配を振るうのではなく、カレンはリナに全てを任せるスタンスでいるらしい。これらをどう仕立てるかすら、リナに一任するつもりだったのだろう。
(使用人の仕事を奪わない、出来た奥方様ではあるのでしょうけど・・・。本当に、自分の娘のように日に日に可愛くなってきてしまうわね。あの坊ちゃまに、こんないい方が嫁いできてくださるなんて)
それを見送って、リナも笑顔で布地を片付けていく。外から聞こえてくる声の様子から、どうやらカレンは鶏に襲われているようだ。
カレンはかなり感情も表情も豊かで、馬が髪を噛んだと言っては笑い、鶏に餌をやろうとして突つかれそうになっては悲鳴をあげつつネイト達の背中に隠れるのだから、本当に見ていて飽きない。
今もどうやらネイトを制して餌をやろうとしたのはいいが、一番元気な鶏に肩まで跳びかかられているらしかった。
「やーん、蹴ってくるのよ、この子―っ」
「カレン様、ほら、ちゃんと地面に撒かないからですぞ」
「はっはっは。ネイトさん、お嬢は痛い目に遭わないと分からんお人ですのでな、別にそのまま鶏に襲わせておけばいいんですよ」
「何よ、ドルカンの馬鹿―っ」
この間は、「たーすーけーてー」とかいう声が外から聞こえたので何処にいるのだろうかと思って見に行ったら、二階の窓からぶら下がっていた。
「きゃーっ、カレン様っ。誰かっ、誰か来てぇっ」
「リナさーんっ、助けてぇー」
「どうしましたって、お嬢っ!? あんた何やってんだっ!?」
「サリト、助けてー」
「アホかーっ。引き上げてやるからあとちょっと我慢しろよっ」
何でも、窓の外から出入りできる金具を作ってみたそうで、それを試しに使ってみたら強度が足りなくてぽきっと折れてしまったのだとか。そしてそのまま落ちそうになり、窓からぶら下がってしまうことになったのだそうである。
さすがのリナも、何かあったら大変だからと、カレンについてきた従者のドルカンに無茶はさせないように言ったのだが、そのドルカンも自分達の主人に言うセリフが
「いいですか、お嬢。ちゃんと落ちても怪我しないように、命綱をつけてからやらないと駄目ですよ」
というものだった。止めるべきだと思わないのかと言ったら、
「まあ、この二階なら落ちても骨折はせんでしょう。痛い目に遭えばカレン嬢ちゃんも反省しますよ」
である。
若い娘さんには家の中で縫い物とか家事とかをさせるのが一般的だと思うのだが、この奥方はかなり自由奔放に育ってきたらしい。
従弟だという貴族の坊やが一緒にいる時は思慮深い行動を心掛けている奥方だが、そういった目がない時はどこまでも好奇心旺盛に動き回っている。
「どうなることかと思ったが、あれで坊ちゃんもカレン様を大事にしてなさるようだし」
「そりゃそうですけどねぇ」
どこをどう育て間違えてしまったのか、一歩間違えたら軍人よりも犯罪者になっていただろうと思われるロメスは、それでもカレンを自分なりに大切にしているらしい。結婚に持ち込んだやり方は外道としか言いようがなかったが。
夫婦ながらも別々の部屋で休んでいる二人だが、最近は少しずつ距離も近づいてきているようだ。
困った主人ではあるが、やはり自分達が見守ってきたロメスである。カレンと幸せになってくれるのであれば、それが自分達にとっても何よりだ。ネイトとリナはそう思って、二人を見守っていた。
「おはよう、カレン。朝のキスをしに来たんだが?」
「ちょっとロメス、勝手に入ってこないでって言ったでしょうっ!? どうしてそこで人の寝顔なんて見てるのよっ」
「君の寝顔なら毎朝毎晩見たいね。愛してるよ、カレン」
「あなたがそこにいたら着替えられないでしょっ。さっさと出てってっ」
「分かった分かった」
そう言って部屋を追い出されても、ロメスは楽しそうである。
今までの乱れたロメスの生活を知るネイトとリナにしてみれば、どうせ起きている時の朝のキスとやらはできなくても、カレンが寝ている間にどこまでしているやらというものである。それでもあのロメスが甘ったるいセリフをここまで一人の女性にだけ垂れ流す日が来ようとはと、人生とは分からぬものだと思わざるを得ない。
「じゃあ、行ってくる。カレン、行ってらっしゃいのキスは?」
「黙ってさっさと一人で行きなさいよっ」
「しょうがないな。だけど馬小屋までは見送りに来てくれるだろう?」
別にカレンにそんなことを訊かなくても、ロメスなら隙を見てキスなど幾らでもやれるだろうが、単にカレンの真っ赤になって怒る顔が見たいだけらしい。
どんなに爽やかそうな顔をしていても、どこまでもロメスの根性は捻じ曲がっているのだ。わざとカレンが怒る言葉を選んでいる。
実際、馬小屋までカレンを抱きかかえていきながら、その合間にも彼女の手を取っては何度も口づけていた。
「ちょっとロメス。なんで手にばっかりキスするの」
「他の場所だとお前が恥ずかしがるからな。だけどこの細く小さい手は気に入ってる。この指に俺の手を絡めて眠りたいね」
「朝から何言ってるのよ」
「別に昼寝の話だろ。なあ、今度、鍛錬場で体を動かした後、こうして手を繋いで一緒に寝てみようか」
「仕事しなさいよっ」
「そうだな。じゃあ、俺が仕事をしているか確認する為にも、カレンは今日も来てくれるんだろう?」
「ばっ、ばっかじゃないのっ」
どうせ自分達の目がなくなった時点で、手へのキスだけでは終わっていないのだろう。若い二人を見守る気持ちは多分にあるが、見ている方が恥ずかしい。
ネイトとリナはもう黙って目を逸らすしかなかった。
そんなカレンの従者三人は一階の窓から、馬小屋へと向かって行く二人を見ていた。大体、どうしてカレンを抱きかかえる必要があるのかと思ったら、逃がさない為だったらしい。歩きながら口説きつつ、その合間に指先にキスもするという器用さだ。手ならいいというものでもないだろう、手に口づけながら流し目をおくる仕草やら何やら、一つ一つが全ていやらしいのだ、あの男は。
「ドルカンさん。あれさぁ、見てる方もかなり目の毒なんだけど、どうにかならねえの? てかさ、ロメスの旦那ってかなり色気ダダ漏れしてるタイプだよな。俺、あの二人と同じ空間にいたくねえよ。目を逸らしても耳から入ってくるんだぜ?」
「次のロイスナー行きはお前に任せてやるから諦めろ、サリト」
「お嬢もなぁ・・・。そろそろロイスナーもじりじりしてるけどどうするよ、ドルカンさん。あの旦那にも、顔出ししてもらいたいらしいぜ?」
「そんな話が出てるのか、キイロ?」
「そりゃ何と言ってもお嬢の旦那だ、誰もが気にしてるさ。次回はドルカンさんも一度は帰った方がいい。どんな男か知りたくて興味津々だよ。とはいえ、・・・何とも説明しがたい男だからな。うちに忍び込んだ時のアレしか、こっちは知らねえし」
「アレか・・・」
「ああ、アレだ」
捕まった地下牢で堂々とカレンに求婚した大間抜け野郎、それが彼らの知る唯一の姿だ。
だが、同居してから知ったロメスの城での姿とサリトの報告に、ドルカンとキイロもその認識を既に改めていた。
現在、彼らは二階から一階の部屋に移り、現在二階を使用しているのはロメスとカレンだけである。それが一番カレンの身を守ることになるだろうと判断したからではあるのだが・・・。
実態がどうであれ、既に二人は夫婦だ。
サリトが知ったロメスのもう一つの姿をカレンに対して彼らが隠し通しているのは、そういったことを知らないカレンであればロメスも大事にし続けるだろうと考えたからである。
もしもあの殺戮を楽しむ姿をカレンが知って怯えようものなら、それこそロメスはそちらの本性を剥き出しにしてカレンを蹂躙するのではないか。そう危ぶんだのだ。
ロメスの本性はあまりにも異質で分からない。
だが、少なくとも何も知らない今のカレンを大事にしてくれている。それならそれを受け入れるしかないのだろう。
「けどさぁ、あの侵入してきた時の旦那はともかく、今の旦那ならかなりの色男じゃねぇか。少なくとも見た目と肩書きだけはお嬢の婿として悪くないと思うけどな。あのツラを見せようものなら、ロイスナーの女共も色めき立つってもんだと思うね」
「それはそうだろうが、問題はそこじゃない、サリト。ロイスナーに受け入れていいかどうかだ」
ドルカンが溜め息をつく。
「正直、悪いが俺もあの男を一度ロイスナーに受け入れてしまった後は、抑えられる自信はない。あの時は鉄格子の中だったからあの男も身動きがとれなかっただけだ」
「キイロもさぁ、そこまで考え込まなくても、何も旦那がロイスナーの中で人殺しを楽しむと決まったわけじゃないだろ? 俺にしてみりゃ、そりゃロメスの旦那はおっかねえけど、あそこまでお嬢を大事にできるのはすげぇって思うぜ。どう見ても手加減してるしな。大体、その気になりゃ、お嬢くらいさっさと好きにできるタラシじゃねぇか」
「そりゃそうだが、それとこれは別だろう」
カレンを一人で王城に行かせている間に集めたロメスの噂は凄まじいものだった。戦いの場では言うに及ばず、戦争がなければ自分から山賊や犯罪者の巣窟へと出向いてまで皆殺しに励む男。
そんな人間を、あんな閉ざされた城に籠もって暮らすロイスナーに受け入れていいものか。
それこそ邪魔の入らない場所というので自分達を楽しく全滅させられたりしたら目も当てられない。
「それにさぁ、カンロの姫達をお嬢が気にしてるからある程度は手助けしてるって言ってたけど、本来、ロイスナーとカンロ伯爵家は全く別の家だぜ。あまり大々的にはやれねぇだろ。それでも手助けしろっつーんなら、そろそろお嬢にもロイスナーに戻ってもらわねぇとって話も出てたじゃねぇか」
「そこだな。カレン嬢ちゃんが気にしないのであれば、伯爵家なぞ放っておけるんだが」
「なあ、ドルカンさん。どっちにしてもお嬢もそろそろロイスナー戻ってもらわにゃ困るなら、ついでにロメスの旦那のお披露目も済ましちまったらどうよ」
ロメスがやったという野盗共の死体を見たというサリトは、その時こそかなりロメスに対して距離を置いていたのに、かえって最近はそれで吹っ切れたらしく、三人の中では一番ロイスナーに受け入れてもいいのではないかという意見寄りである。
そこを見ていないドルカンとしては伝聞でしか分からないが、街で兵士達の会話に聞き耳を立ててみれば、なんとも言い難い噂になっていた。何でもロメスが溺愛している妻であるカレンを野盗が狙ったが為に、ロメスがその野盗共を皆殺しにしたのだとか。その真偽はさておき、問題はロメスの殺し方だ。兵士ですら吐く者が続出したという。
「もしくはお嬢一人だけでもロイスナーに戻ってもらうか、だな。まさか舞踏会に出るだけの予定が結婚式と新婚生活までついてくるとは思わなかった。こちらにとってもお嬢のこの滞在は予想外すぎたんだ。ドルカンさん、サリトの言い分も分からんではないが、一度、俺達も全員で話し合う必要があると思う。少なくとも、俺一人の意見とかじゃ、若造すぎてまともに扱ってもらえないんだよ」
三人は揃って溜め息をついた。
カレンはどんな時でもロイスナーを一番に考える。ロイスナーにとって必要ならすぐにでもここを発ってカンロ地方に戻ろうとするだろう。
だが、その時にあのロメスはどう出るのか。単なる愛玩的な妻だからとその自由を許すのか。それとも強引な手段で手に入れた妻を最初から手放す気などないのか。
新婚当初から別居を笑顔で受け入れていたロメスだが、それでも結果として今や仲の良い恋人同士といったありさまだ。こうなることを計算していたのか、単なる運命のいたずらか。
今はまだあまりに二人の関係は不安定すぎるのだと、離れた場所にいるロイスナーの者達には理解できないであろうこの状況に、三人も考えあぐねずにはいられなかった。
それは使い込まれた大剣だった。ありふれた形だし、特長があるわけではない。しかしよく手入れされているのが、見れば分かる。
「どうなさいました、将軍?」
「いや、カロンがここに忘れていったんだが、よく使いこまれているな、と」
「ああ、第六部隊長の剣ですか」
「いや、あいつはこんな剣を持っていなかった筈だ」
ケリスエ将軍にとってカロンは同じ家に住む息子だ。互いの得物ぐらい把握している。
第一部隊長の副官を務めるキヤンは、自分も見ていいかと目で質問し、それを受け取ってまじまじと眺めた。鞘から出した剣はたしかによく使いこまれ、手入れされている。
「特に装飾も何もありませんが、質は良さそうですね。叩きのめすタイプの剣なのに、切れ味も良くしてあります。だが、そうなると血脂でかえって使いにくくなるんじゃないかとも思うんですが」
「そうだな。しかし、ここまで使い込まれてるということは、それでも骨に食い込んで折れたりはしなかったということか、叩く時のコツがあるのか・・・。刃こぼれしたのも全て研いであるらしい」
「となると、この鞘もその度に作り直しているのかもしれませんね。ちょっと振ってみても?」
「ああ」
鞘から抜き、少し離れた位置でその剣をキヤンが振ってみる。
「悪くはありませんが、俺には不向きですね。うちの隊長なら、・・・どうかな、ちょっと持ってもらわないと分からないですね」
「どれ」
今度はケリスエ将軍が振ってみる。なるほどと頷いた。これはおそらく、使い主の為に重さまで計算された剣だ。キヤンやケリスエ将軍よりも大柄な人間が持っていたものだろう。
「面白がって買ってきたのかもしれんな、カロンも」
「そうですね。ただ、この剣の持ち主ならうちに引っ張ってきても良かったかもしれません」
「全くだ」
ケリスエ将軍も口角を上げる。
そこで剣には興味をなくしたのか、ケリスエ将軍の手から剣を受け取って鞘に仕舞い、キヤンが卓上にそれを置き直した。
「今回は将軍もかなり物入りだったのでは? 俺達はなかなか面白かったですが」
「たまにはいいさ、こんな使い方も。さ、第一部隊の分だ。持って行け」
「これ、うちの隊長にも差し上げていいですか?」
「お前にやったものだ。好きにしろ」
そう言って、ケリスエ将軍が八本程のかなり小さな剣を渡す。剣と言っても、掌からはみ出ない程度の短く小さなもので、切ることもできるが、あくまで投げつける為の飛び道具だ。お守り代わりに身に着けておいて、いざという時に投げる。形状も重さのバランスもそれを考慮されていた。
ケリスエ将軍がカレンにまとまった数を発注していたものだ。
まさかカレンも自分に注文されたそれらの一部が、カレンのダンスのお相手をした人間への褒美として使われるとは思わなかったことだろう。たかがダンスの褒美にしては多すぎるが。
「こんな可愛らしい剣などわざわざ使うもんじゃないが、仕込んでおけば役立ちそうだしな。投げてみた時に面白そうだと思ったんだ。まずは試してみろ」
「本当にあのムーンフェアリーは面白い存在ですね。太陽の乙女とは違ったタイプですが、あの狂犬もつくづくと奥方の価値が分かっていないのだから呆れ返ります」
「ロイスナーと言えば、品質も抜きん出た商会だ。だが、あのロメス殿は我らと違う。剣の質で生き残る為の努力をするタイプじゃないからな、本当に知らないのだろう」
「そうかもしれませんね。あのロイスナーが目的じゃないだなんて信じられませんよ」
そこへ、第五部隊長のソチエトが入ってくる。
「なかなか俗物的なお話をされておいでですな」
「第五部隊長か。どうだった?」
「試してみましたが、面白いですな。飛びやすく、的にも刺さりやすい。第一部隊長にも後でお試しになるよう勧めておくとよろしかろう、キヤン」
「早速そうさせてもらうつもりですよ。本当にあの月の妖精だけは、こちらが貰い受けたかった」
そういうキヤンは半分本気である。ソチエトはやれやれと呆れてみせた。
「だから若い者は分かっておらんというのだ。どんなに我らが愛の言葉を捧げようとも、カレン殿が受け入れたのは、彼女の身一つだけを求めた狂犬の言葉のみ。所詮、妖精は欲絡みの想いには応えぬものと決まっておる」
「・・・別に欲得しか考えていなかったわけじゃありませんが」
少々気まずい思いでキヤンが顔を逸らす。実際、カレンは顔だちも整っているし、性格もまっすぐで魅力的だ。人妻なのが惜しまれる。未婚であれば何が何でも口説き落としたものを。
そこで、ケリスエ将軍が優しい目つきで一つを取り上げて指先で壁へと投げつける。刺さった深さに満足しているようだった。
「まあ、いいじゃないか。・・・しかし、初めからあんな黒髪の乙女だなんて美談は信じていなかったが、本当にろくでもないことをしたらしかったな、ロメス殿も」
「ああ、誰も信じてませんでしたけどね、我らにしても」
「本当に若いもんはどうしようもありませんな」
テラスでの会話は、窓を開け放っていた二階にも丸聞こえだった。・・・忍び込んだとか、地下だとかという時点で、あの狂犬が何をやらかしたのか、察しがつこうというものだ。
それでもあんなカレンを見れば、協力した甲斐もあるというもので。
「だが、たまにはこういう作戦も悪くないだろう。剣をとることも血を流すこともないものだったが、な」
三人の心に、ロメスにしがみついて泣いていたカレンと、それに戸惑っておろおろしていたロメスの姿が思い返される。
(あんなものを特等席で見られるとは思わなかったしな・・・)
キヤンも人の悪い笑みを浮かべた。
あれは、何かと女に不自由していなかったロメス・フォンゲルドが、泣く妻一人も宥めることのできない醜態をさらすという、見ただけでも溜飲が下がる一幕だった。しかも、相手が幼女から老婆に至るまで平然と甘い言葉をだらだら吐けるロメスが、まさか自分の妻に綺麗だと言っただけで、「頭でも打ったの?」だ。今まで何をやっていたのか。あの時は、誰もが声を殺して笑い転げた。
自分達があの狂犬をここまで翻弄できる悪戯を仕組めるとは、本当にケリスエ将軍についてきて良かったと思う。フィゼッチ将軍率いる近衛騎士団、エイド将軍率いる王都騎士団よりも格下とされるローム国騎士団だが、所属する人間の満足度では他の二つよりもはるかに上だろう。少なくともキヤンはそう考えている。
(男と女だけが運命の出会いじゃない。命を懸けられる上司との出会いも運命だろう)
キヤン・ハイリは貴族の出身なので、最初は近衛騎士団に入団した男だ。しかし、戦場でケリスエ将軍の下、第一大隊を率いる第一部隊長と知り合ってその男っぷりに惚れ込み、近衛騎士団からローム国騎士団への異動を強行した。周囲には馬鹿だと罵られたが、それを後悔したことはない。
ケリスエ将軍にも将来を考えて近衛騎士団に戻るよう冷たく言い捨てられたが、そこでキヤンが去ろうとする将軍を制して第一部隊長との出会いと自分の思いを語ると、しばらく考え込んでいた様子だったが、本来は第三部隊のところを第一部隊へ配属してくれた。
今では第一部隊長の副官として押しも押されもしない立場となったキヤンに、かつて近衛騎士団に所属していた名残りは全くない。
そんなキヤンにとってもかなり面白い舞踏会の夜だった。
(ダンスを踊れる人間が限られるとはいえ、第一から第六までの全ての部隊から均等に人を出させたからな、将軍も。しかも口説き言葉のレクチャー付きときたもんだ)
他の将軍達に比べて一歩下がっているケリスエ将軍だが、部下として働くならやはりこの人の下で良かったと思う。一度剣を取れば死体の山を築くくせに、言葉の足りぬ優しさと思いやりを持ち続けるこの人が。
ダンスのお相手などケリスエ将軍だけでもいけただろうに、わざわざ自分達を動かすことで、この飛び道具をくれる理由を作ってくれた。この小ささならば装束や靴の内側に仕込み、たとえ剣が使えない事態に陥っても最後の武器として使える筈だ。それは取りも直さず、何があっても生き残れという将軍の部下に対する想いに他ならない。しかも配れるようにちゃんと多めにくれるのだから、本当にもう、この将軍だけには敵わない。
ソチエトと目が合う。きっと同じことを考えていたのだろう。
第一から第六にいたる部隊長とその腹心の中で、言葉にしない将軍の心尽くしを見抜けぬ間抜けは存在しない。
「将軍のおっしゃる通り、なかなか悪くない夏の夜の夢でございましたな」
ソチエトがそう締めくくった。
考えてみれば、どんなに女癖が悪かろうと、それは自分達の目の前で行われるものではなかったから問題なかった。今になって、カイエスとロムセルはそう思わずにはいられない。
「どこの夫人や未亡人と浮名を流そうが、その未亡人がここに乗り込んでくるわけでもなかったし、どこのロメス様に惚れこんだお嬢さんとて、ここまでやってくるものじゃなかったからな」
「言うな、カイエス。大体、今までがおかしかったんだ。あのロメス様が釣った魚とはいえ、奥方に向かって、砂を吐くような甘い言葉を垂れ流さなかったことこそが」
王城の軍部エリアは男しかいない。その為、いくらロメスと深い関係になったとしても、その女性が王都騎士団の棟に乗り込んでくることはなかった。屈強な男しか存在しないような場所に乗り込もうものなら、ロメスの所に辿り着く前に何が起こるか分からないからだ。
「俺達の前じゃどこまでも身勝手で人でなしなロメス様なんだがな」
「それだから出来るんだろ。奥方の前でだけ豹変できる時点で、どこまでも身勝手で人でなしだ」
そう言ってカイエスとロムセルは、精神衛生上の問題から一番広い部屋の端っこへと設置した上司の机に視線を向けた。・・・・・・自分達だって、できることなら違う部屋にいたいのだが、部下とは辛いものなのだ。せめて同じ部屋でも一番遠い場所にいることで、ダメージを減らしたい。
その視線の先には、自分の椅子の横に置いた長椅子にカレンを座らせ、仕事に勤しむフリをしている上司の姿があった。
「あの、・・・思うんだけど、私、ここにいちゃいけない人間なのじゃないかしら、そもそも?」
「まさか。・・・ああ、退屈だからそんなつまらないことを思いつくんだな。じゃあ、カレン。ちょっと俺の気晴らしに付き合ってくれないか?」
「待ちなさい、ロメス。あなた仕事中よね? 何が気晴らしよ、ちゃんと仕事しなさいよ」
「そうだな。しかし書類を見ていると、どうしてもぼーっとしてくるんだ。だからそんな俺を助けてくれるだろ? 君は俺の妻なんだから」
「何それ」
「カレン、愛してるよ。最愛の妻が俺の瞼にキスしてくれたら、眠気も消えると思うんだが」
「あり得ない嘘を言ってないで、ちゃんと仕事しなさいよっ」
「だけど試す価値はあるだろ? ほら、おいで」
「ちょっとっ。人を勝手に膝の上に乗せないでっ」
「大丈夫。誰も見てない」
「見てるわよっ。・・・って、カイエスさんっ、ロムセルさんっ、行かないでぇっ」
「えーっと、すみません。カレン様。私とロムセルは、足りない書類を確認しに行って参りますので」
「申し訳ございません、カレン様。それでもカレン様がいてくださると、ロメス様がちゃんと椅子に座って仕事してくださるものですから・・・。本当に申し訳ないとは思っているのですが、・・・よろしくお願いいたします」
「何をよろしくなのよーーーっ」
少なくとも、サボってどこぞに雲隠れした上司を探し回る日々よりもはるかに仕事が片付くのは事実だ。とはいえ、同じ部屋にはいたくない。犠牲の乙女には本当に感謝するしかないと思っている。
二人はさっと部屋を出て廊下の壁に隠れた。少なくとも同じ部屋で見ているよりマシだ。
「ほら、カイエスもロムセルもああ言ってたじゃないか。・・・俺の言うことが信じられないなら、まずはカレンの瞼にキスしてやるよ。そうしたら分かるだろ?」
「分かるも何も、それ自体が嘘って分かってるわよっ。・・・って、ちょっとロメス、どうしてあなたは人の話を聞かないのっ、人の腕を押さえないでっ」
「はは、本当に照れ屋さんだな」
「・・・・・・って、瞼じゃないでしょっ、そこはっ」
「ああ、ちょっと場所がずれたか。じゃあ、もう一度」
「やんっ。ちょっとっ、・・・やだっ、耳にキスなんてしないでっ」
「ああ、間違えたかな。・・・そうだな、カレンが俺の瞼に自分からキスしてくれたらやめてやるよ。・・・どっちがいい? 俺にこのままキスされ続けるのと、俺の瞼にキスするのと」
「・・・っ、するっ、するからやめてっ」
この時点で、二人は席を外していて良かったと、本気で思った。それでもあの上司がかなり手加減しているのが分かってしまう自分達も切ない。
「そりゃ残念だ。・・・・・・はい、よく出来たな。ほら、カレン。ご褒美にコレやるよ」
「何これ?」
「蜂蜜を固めさせたものらしいな。どうだ?」
「かなり甘いわ。だけど美味しい」
「そうか。・・・ほら、このまま俺にもたれて寝てろ」
「どうしてよ」
「あまり昨夜は寝てないだろ。隠してても分かる。・・・甘いものをとったらちょっとは気が楽になったんじゃないか?」
「うん・・・」
「大丈夫。少ししたら起こしてやる」
「・・・もしかしてそれでコレくれたの? あれ、薬に使われてるから結構高いわよね」
「そうか? ちょうど手元にあったんだ」
「嘘。言っとくけど、私、そういうのにはそれなりに詳しいのよ。・・・どうしてロメスはわざわざそうやって人を怒らせておいて、偽悪的なことをするの? 普通に言えばいいのに」
「普通、ねぇ・・・。じゃあ、カレン。君の白桃のような肌に、今日は眠りが足りていないばかりに暗い陰が落ちているのがとても気にかかるんだ。いつもは生き生きとしている薔薇色の唇も今日は萎れているかのように力を失っている。なあ、今すぐその唇を俺のキスで赤く染めてやりたいんだが、キスしてもいいか?」
「だ・め・で・すっ。・・・って、どうしてそう恥ずかしいことばかり言うようになっちゃったのよっ」
「普通に言えというから言っただけだ。ほら、もう休め。・・・おやすみ、カレン。ちゃんと手を握っておいてやるから」
「・・・どうしてそこでわざわざ指を絡ませるのっ」
カイエスとロムセルは、げんなりとせずにはいられない。
仕事場に妻を連れ込んでいちゃつく上司・・・。だが、その方が仕事もはかどるとなると、注意しにくいどころか、カレンには悪いが自分達の為にも上司への生け贄として捧げさせてもらいたい。
しかし、こちらの目のやり場と塞げない耳に困るのも事実なのだ。
それこそ寝不足の部下がいようものなら、「目を覚まさせてやるよ」と、そのまま川に放り込むようなロメスが、カレンが相手となるとあれである。
「それでも相手がカレン様だから、このままコトに及ばずにいてくれるんだろうしな」
「言うな、カイエス。カレン様が知ったら悲鳴をあげて逃げてしまわれるだろ」
二人が小さな声でそっと呟く。本来、あの上司は物陰でも草むらでも人妻の寝室でも、時間も場所も気にせず女性としけ込む男だ。探しに行ったら木の陰で、・・・なんてこともよくあった。
カレンにはそういう扱いをする気が全くないからなのだろう。あのロメスとは思えない制御ぶりをなぜか発揮している。それでもカレンは恥ずかしがっているが、本来のロメスはあんなものではない。
そういう意味では感心しないわけではないが、それでも目の前でいちゃいちゃされるのは困る。
「一体、何がどうしてああなったんだろうな」
「さあな。ただ、暇つぶしにどこぞに行って問題を起こされるよりははるかにマシだ。最近、退屈の虫がどうのこうのと言わなくなったのって、カレン様にあわせてはるかに手加減しなきゃいけないから、そっちに集中してるのもあるんだろ」
「そうかもな。力を出し切るってのは、人間特に問題なくやりゃあいいだけだが、相手のレベルに合わせて力を抑えるのって神経を使うしな」
「てかなあ、カイエス。俺としては、そこまで丹念に手をかけてまでカレン様を絡め取ろうとする執着の方が理解できん。何でもかんでもやりっ放しで放置するあのロメス様が、どうしてカレン様にはあそこまで自分を譲るんだろうな。結婚して手に入れて、それ以上に何か理由なんてあるものなのか?」
誰であれ、通常の大人相手に対応するのは問題なくても、病気がちで小さな幼児相手では勝手が掴めないようなものだ。自分よりもはるかに弱く小さな相手に合わせるというのは、かなり神経も使うし疲労をもたらすものである。
カレンはロメスを好き勝手にやっていると思っているようだが、おそらくロメスはカレンの微妙な表情や体の僅かな反応すら読み取った上でやっている筈だ。
「ロメス様を理解しようなんて、俺は既に諦めてるからな、分からん。何にしてもそこまで大切にできるというのは素晴らしいことなんだろうが、いかんせん、こちらへのダメージが大きすぎる」
「言うなよ、カイエス。俺だって逃げ出したいんだから」
今までは自分達が避けられる場所でやってくれていたが、あの上司はあれで容姿も声も魅力的なものを持っているせいか、女性を口説く時には声音も口調も聞いている方が男であっても反応せざるを得ないものを醸し出す時があるのだ。
できることなら同じ場所にはいたくない。
カレンが睡眠不足な様子にはカイエス達も気づいていたが、こうなるといつ戻るべきなのか。
きっと、カレンが眠りにつくまであの上司は優しく彼女を撫でながらキスし続けているのだろう。
エイド将軍の執務室。
そこでエイド将軍を前に、筆頭隊長のロメス、二番隊長のファレロ、三番隊長キーセル、四番隊長ドロイが、それぞれの副官を連れて揃っていた。
「それでは、皆様、お集まりになったようですので」
コホンと咳払いしてドロイが切り出す。見るからに苦労人らしい四番隊長のドロイは、エイド将軍とロメスの関係を考え、いかにロメスの本性に触れることなく説明するかで、かなり胃が痛い様子だった。
二番隊長ファレロと三番隊長キーセルも、そんなドロイの心中を知らないわけではなかったが、誰かに押しつけなくてはならないと二人で協力した為、結局、いつものようにドロイが貧乏くじを引いたのである。
「まず、先だって、王都の城壁外で盗賊の集団がロメス殿により殲滅されたのが事の始まりとなります」
「なんと。・・・ロメス、お前、またそんなことをしていたのか。いつの間に・・・」
エイド将軍が目を見開く。
「ああ、あれでしたら私も非番の日でございましたので、報告は兵士に任せておりました。エイド将軍に報告するようなことでもない些末な出来事でございましたし」
「本当にお前はどこまで謙虚な男なのだ。非番の日ぐらい、妻に迎えた乙女とゆっくり過ごしておればいいものを。どうしてお前はそんなにも民を守ろうとせずにはいられない優しい男なのだろうな」
エイド将軍以外の人間に、しらーっとした空気が流れる。
エイド将軍は殲滅という言葉を聞いていなかったのだろうか。本当に心優しい男がそれをすると思うのだろうか。どうしてそこが分からないのだろう。
・・・ロメスのかぶっている猫があまりにも巨大すぎるからに違いない。
「それはともかくとしまして、その盗賊の後片付けを済ませ、その後も兵士達がそこで見回りをしておりましたら、盗賊の仲間が戻ってきたのを捕まえることになったそうです」
「続けろ」
気を取り直して続けたドロイだが、そこで厳しい視線となったロメスに先を促される。
先程までのエイド将軍に向けていた、はにかんだ表情から一転して冷徹な表情へと切り替えたロメスだが、所詮エイド将軍も戦いに生きてきた男である。そういったロメスの切り替えは気にならないらしい。
「その盗賊の仲間を尋問した結果、特に若い娘を対象とする奴隷商人との繋がりが浮かび上がりました。どうやら王都でじっくりめぼしい娘に目をつけ、そして王都を立ち去る時、一気に人攫いをする予定だったようです。しかしロメス殿が全滅させてしまったが為に、その予定が崩れたらしい結果となりました。かどわかした後は、一気に馬車で駆け抜けて奴隷商人の所にまで行く手筈となっていたそうで、その期日が三日後とのことです」
そこでドロイが言葉を切る。
エイド将軍以下、皆、考えていることは同じだろう。
「今回、その奴隷商人と落ち合う位置が王都外ということ、そしてローム国騎士団の兵士がその仲間を捕まえたこともありまして、あちらが対応しておられたようです。しかし最初にロメス殿が関わっておられる為、王都騎士団の意見もあるようならばと、こちらに話を通していらっしゃいました。尚、対応なさっていらっしゃるのは、あちらの第六部隊長のカロン殿とのことです」
「カロン殿が対応? これはどちらかというと、あちらの第三部隊の担当だろう?」
「最初はそうだったようですが、ロメス殿が関わっていらっしゃることから、カロン殿が担当を代わられたと聞いております」
ロメスの質問にドロイが答えると、エイド将軍とロメス以外の人間に、疲れたような空気が漂った。つまり、何かあってもロメスに対抗できる人間に切り替えたということだ。
あちらでは狂犬対策警報が発動したのだろう。分かっていないのはエイド将軍だけだ。
「なぜうちのロメスが関わっていたらカロン殿に切り替わることになるのだ?」
「・・・・・・何と言いましても、ロメス殿はエイド将軍の懐刀として知られております。あちらとしては、ケリスエ将軍の腹心でもあるカロン殿を持ってくることで、エイド将軍への配慮を示された形にしたのではないかと推測いたします」
嘘も方便である。上司を欺いているかのような気分にもなるが、真実が全てにおいて正しいわけではないのだ。
ドロイは微妙に視線をずらしながらエイド将軍の質問に答えた。
「なんとまあ・・・。本当にケリスエ将軍の所も気遣いがすぎるというものだ。そんなこと、私もロメスも気にしないというのにな」
「全くです。ですが、そういうことであれば、カロン殿もこちらに花を持たせるつもりで話を通してきたのではないでしょうか。エイド将軍はどうお思いになりますか?」
「ふむ・・・。ドロイ、どうなのだ?」
「はい。特に問題がないようであればあちらで対応されるとのことですが、もしもこちらが対応するのであれば情報とその盗賊の仲間はこちらに引き渡し、任せるとのことでございました。尚、その奴隷商人はそのまま全滅させる方針と聞いております。尚、奴隷商人とその盗賊達の待ち合わせ地点は、王都より西に四十キロメートル程行った先にある森の中とのことです」
そこでロメスが静かに笑った。
声を発しない、あくまで表情だけのものだったが、何かを感じた全員の目がロメスに向けられる。
誰もが惹き込まれる凄艶な微笑は、これから行うことを考えてうっとりとしているかのようだ。男なのに、魅入られずにはいられない。ドロイばかりでなく、ファレロとキーセルも息を呑んだ。
どれ程に問題のある男とされていても、それでも自分達がロメスに従うのは、この男の持つ魅力があるからなのだと、こういう時に強く感じる。
結局、それが男ということなのか。強い者には無条件で惹かれるのだ。
そんなロメスだが、ふっと普通の微笑に表情を変え、エイド将軍に向き直った。
「エイド将軍。どうぞご命令を」
「うむ。そういうことであれば、遠慮もいらぬだろう。ロメス、好きなだけ連れて向かうがいい。」
「はっ。・・・二番、三番、四番からそれぞれ二十名出せ。カイエス、うちからは適当に見繕っておけ。それから斥候と囮役を用意しろ。俺はカロン殿の所へ行ってくる。・・・・・・エイド将軍、それでは失礼して私はカロン殿の所へ行って参りますがよろしゅうございますか?」
「勿論だ。よろしく伝えてくれ」
「はい。ロムセル、行くぞ」
「はい」
散歩にでも行くような、明るく楽しそうな調子で出て行くロメス達を見送ると、全員が一気に力を抜く。
「やれやれ。あれでロメスも戦いとなると、人が変わる男だからな」
困った奴だと言いたげに、エイド将軍が苦笑する。あれを困った奴だ、で済ませられるエイド将軍はやはり大物なのだろう。残された面々に、そんな思いが流れる。
「本当に見た目だけはかなり色気がありますからね、ロメス殿も。今もつい、見惚れてしまいましたよ、男なのに。なあ、ファレロ」
「俺に振るなよ、キーセル。・・・ですが、そのロメス殿の奥方は反対に可愛らしく笑顔を絶やさない娘さんで驚きましたよ。この間なんて、エイド将軍の手を取って踊っていらしたじゃないですか」
「何だ、見とったのか、ファレロ。・・・あの黒髪の乙女はなかなか無邪気な娘でな、私があまりダンスは得意ではないと話したら、別に舞踏会の音楽に合わせて踊るのだけが踊りではないのだと、手拍子での踊りに誘って来たのだよ」
「ああ、それでですか。まるで仲の良い父と娘のようでしたよ。ちょうど俺はドロイといたんですが、ドロイなんて固まってましたからね。しかも、護身程度とはいえ、男装しているだけあって、細身の剣も使うようですね」
「そのようだな。だが、ロメスがいる限りは、あの黒髪の乙女に剣を使わせることはせんだろう。実際、何かの際にと練習していても、人を刺したことすらない剣だそうだからな」
そんなエイド将軍とファレルに、そこでドロイが今回の話に戻す。
「黒髪の乙女といえば、今回の盗賊を殲滅したのも、その奥方達と出掛けた先で彼らとかち合ったからだそうですね」
「ややっ。何と、それは本当なのか、ドロイ?」
ドロイの言葉に驚き、エイド将軍が確認する。あのカレンがそんな恐ろしい目に遭っていたとは。
「はい。どうやら非番の日、奥方とその従弟だという伯爵家の長男殿と一緒に城壁外へ遠乗りに行かれていたそうなのです。そして見通しの良い野原で遊ぼうとなさった際に、林の中から奥方達に狙いを定めた盗賊達がいたのだと。ロメス殿は奥方達を従者と共に逃がし、一人残って彼らを迎え討ったと報告されております」
「なんと。・・・どこまでロメスは黒髪の乙女に忠実な騎士なのであろうな。だが、今回の人攫いは若い娘に狙いを定めていたという。ならばあの乙女が狙われたのも当然だ。・・・ロメスも、乙女を狙う輩と思えばこそ、全滅させねば落ち着けなかったのであろう」
感動するエイド将軍に、カイエスは何も言えない気持ちで下を向いた。
・・・その報告は間違っている。盗賊達はロメス達に気づいてなどいなかった。ついでにロメスは奥方達を逃がしたのではない。単に自分の殺戮を見られないよう、よそに行かせただけだ。
大体、人攫いって話、今さっきまで誰も知らなかったのじゃなかったか、ロメスにしても。
ああ、どうしてあの上司はこういうエイド将軍の誤解に関してだけは運がいいのだろう。
「カイエス、お前もどう思う?」
「はっ。小さいフォル様もカレン様も心優しく思いやり溢れる方々ですので、ご無事で何よりでございました。お二方とも綺麗な顔立ちをしていらっしゃいますし」
「そうだな、そして伯爵家の坊やに何かあっても一大事だった。・・・ロメスもカレン殿は大事にしておるのだろう?」
「はい。やはり地方から出てきたカレン様ですので、王都の見物に出て何かに巻き込まれては大変だと思われているのでしょう。城に頻繁に来させているのも、ここの軍部であれば滅多なことにはならないと思っているからのようでございます。少なくともエイド将軍が率いる王都騎士団ほど安全な場所はないとおっしゃっておいででした。非番の日は、カレン様を連れて王都のあちこちへ出かけていらっしゃるようです」
「そうかそうか。考えてみれば澄ましがちな王都の娘さん達と違い、本当にカレン殿はころころとよく笑うし、可愛らしい。あまり人の出入りもない村で育ったと言っておったし、王都のような華やかな場所で何かあっては大変だな。・・・ファレロ、キーセル、ドロイ、お前達もよくカレン殿には配慮してやってくれ」
「はっ」「はい」「はっ」
カイエスは真面目な顔で下を向いていた。
・・・これも処世術なのである。王城に来させているのは、田舎から出てきたカレンが街で出歩くのが危ないからというより、ロメスにとっては単に気に入ったものを傍に置いておきたいが為の独占欲が理由でしかないだろう。たしかに安全にも気は配っているが、城下町が危ないわけではない。
(従者だっているんだから、別に街中だって安全なんだよな、本当は)
しかしエイド将軍の誤解を自分が正そうと思う日は来ないだろう。
カイエスが顔を上げると、ファレロ、キーセル、ドロイとその副官達が複雑そうな表情で自分を見ていた。
(ああ、きっと彼らにもバレてるんだろうな・・・)
それでも自分達は口を噤むのだ。
たとえどれ程に普段は自分達の軽口を許していても、それはロメスにとって自分の行動を妨げるようなものでも何でもなく、どうでもいいことだからだ。
本当にあの男が望んでいることを邪魔したらどうなるかなど分からない。
だからあの上司の殺戮に関しても、自分達は文句を言っても本気で止めようとは思わないのだ。
そんな上司が妻に迎えたカレン。それは単なる今限りのお気に入りなのか、それともそうではないのか。・・・その見極めができない限り、きっと自分達は彼女に関しても上司を本気で止めようとは思わないのだろう。
その日の夕食は、いい鹿の肉が手に入った為、それを焼いたものが出されていた。あっさりとした鹿肉は、塩をきかせて焼くだけでもいいが、少し酢を煮詰めたソースをかけると更に美味しくなる。
最初の一口でご機嫌になったカレンは、そのソースをつけた肉をパンに包んで食べてみる。添えられた香草と相まって、かなりいける。
しかし、そうやって小さく味わっているカレンとは反対に、ロメスやキイロ、そしてサリトが大きく切り分けた鹿肉をパクパクと平らげていく様子は、本当にどこに入るのかと思うペースだった。いつもカレンはその食べる量に感心する。
「あ、そうだ。カレン、お前、しばらく城には来るなよ。というより、明日からは出歩くな」
「あらまあ、何かあったんですの、坊ちゃま? あれほどカレン様にお城に来い来いおっしゃっておきながら、いきなり来ないようにだなんて」
「ああ。実は先日、カレン達と出掛けた城壁外で、野盗が出ただろう」
ドルカン、キイロ、サリトがピクリと反応する。ネイトとリナはロメスの仕出かしてくれることに関してはスルーする癖がついている為、そこは無感動に流した。終わったことはそのまま忘れるようにしておかないと、この困った主人だけはやっていられない。
「そういえば、あれって兵士さん達が退治してくれたんでしょ? ロメスもその場に立ち会ったから報告したり何だりで一晩かかったって言ってたわよね」
「ああ。そうなんだが、実はあの野盗達は、この王都で若い女性を狙った人攫いもやらかすつもりだったらしい。その仲間が捕らえられて、その女性を売りとばす奴隷商人との繋がりが分かったんだ」
「まあ、なんて恐ろしいこと。・・・カレン様、本当にご無事でよろしゅうございました」
リナが身を震わせる。皆殺しにしたと聞いた時には、本当にロメスの育て方をどこまで間違えてしまったのかと思わずにはいられなかったが、そういう集団であったのだとしたら、ロメスが退治しなければカレンに何が起きていたかも分からない。
皆で口裏を合わせて兵士達が退治したと、そうカレンには説明することにした際には、本当にこの主人だけはどうしようもないものだと思ったものだが、たまには役立つことをするものである。
「ちょうどその野盗に最初に関わったのが俺だったからな。その奴隷商人達も責任を持って俺が出向いて潰してくるようにと命令されたんだ」
「まあ。そうなるとしばらくはお屋敷に戻られませんの、坊ちゃま?」
「ああ。明日から出発まではそのまま城に詰めるし、そのまま出向くことになるな」
「無理はせんでくださいよ、坊ちゃん」
「しないさ」
ネイトの無理をするなというのは、単に程々にしておいてくださいよ、の意味である。カレンの前では表現にも気を遣うのだ。
しかしカレンは言葉通りに解釈した。かなり危険な任務だと察し、食事の手を止めて、顔を青ざめさせる。
「そんな・・・。だって、あの時、ロメスがいたのって、そんなの偶然じゃないの。それでそんな人を攫って売りとばすような人達の所に行くだなんて危険よ。ああいう人達って、悪いことをしている自覚があるから、周囲にもかなりの罠を仕掛けているし、躊躇わずに人を殺すものなのよ、ロメス。そんなのんびり油断しきって行くものじゃないわ。本当に危ないんだから」
ロメスとカレン以外の間に、白けた空気が漂った。危ないのはロメスではない。
「まあま、カレン様。これでも坊ちゃまは軍で戦ってますのよ。そんな戦というわけでなし、奴隷商人くらいでしたら、全く危なくはございませんわ」
「そりゃそうかもしれないけど、リナさんは知らないのよ。だって昔、カンロでも人攫いしては売りとばしていた人達が捕まったんだけど、すごい大掛かりな組織だったのよ。カンロ領の軍にもかなりの犠牲者が出たんだから」
カレンがぶるりと身を震わせる。幼い頃からカンロ伯爵家にも出入りしていたカレンである。そこで顔見知りだった騎士も亡くなったのだ。とても穏やかで優しい人だったのに。
そんなカレンにリナも何と言えばいいものかと、困った顔になった。
知らないのはカレンの方だ。そもそも奴隷商人なんて、ロメスは初めてではない。
しかしこの奥方にそれを説明したくはない。さすがのリナも言葉に窮した。
「お嬢。カンロのあれは、そこまで大がかりな組織とは思っていなかった油断もありましたからな。それにどうしても地方の軍です。それに比べて王都の軍ははるかに強いでしょう。そこまで心配なさることはありますまい」
「だけど、ドルカン。あなただって覚えてるでしょ。あの時、カンロの軍だって何十人殺されたか。ちょうど通りかかっただけの街の人もかなり殺されたって言ってたじゃないの。しばらくはお葬式の鐘の音ばかりが響いてるからって、私も街に行かせてもらえなかったじゃない」
「あれは大掛かりな犯罪者集団の上、元締めは外国領主でしたからな。ですが、そうそう、あれ程のことはありませんぞ、お嬢」
「だけど、あの野原に行ったのだって、偶然だったのよ。どうしてそれで責任をとって奴隷商人の組織に行かなきゃいけないのよ。ひどいじゃないの」
「いやいや、カレン様。そういうのは色々と慣例が絡むものなのですよ。坊ちゃんにしても特に気にしておられんでしょう」
ネイトが助け船を出す。どうせロメスのことだ。無理やり理由をつけてその仕事を自分で取ってきたに違いない。ひどい目に遭わされているのは、ロメスに横槍を入れられた方だ。
「そうだよ、お嬢。ロメスの旦那は軍でも出世してるって話だし、別に指揮を執る程度だろ。先頭に立って戦うわけでなし、心配いらないさ。どっちかってっとお嬢の方こそ、ロメスの旦那も城にいないなら、たしかに屋敷から出ない方がいい。その人攫いとやらの仲間が、他にもこの王都にいないとも限らないんだからさ」
「サリトの言う通りですよ、お嬢。ああいう奴らってのは全滅させたつもりでも、実は逃げた奴らがいるもんですからね。ましてや若い女性を狙っていたとなると、尚更危険だ」
皆にそう窘められると、カレンも唇をとがらせて下を向かざるを得ない。だが、カンロの奴隷商人の時だって海賊や山賊までも絡んでいた。それこそ軍と同じように武器を持ち、人殺しも行う荒っぽい集団だったではないか。王都でのそれだってきっと似たぐらいに危ない集団に違いない。どうして皆はそういったことを理解しないのだろう。
「だけど・・・」
カンロでのあの事件はドルカン達も覚えている。そんなカレンの考えている内容は、ドルカン、キイロ、サリトにとっても分かりすぎるくらいに分かっていたが、誰しも言えることと言えないことがあるのだ。サリトとて本当にロメスが指揮を執るだけだなんて思っていない。
ネイトとリナにしても同様である。
「坊ちゃま。ちゃんとカレン様に心配ないことぐらい、説明して差し上げてくださいな。説明が足りなければ誰だって不安になりますわ」
ここで五人の責めるような瞳がロメスに向けられた。
それもこれもロメスが悪いのだ。ロメスの真実を知らないカレンを妻に迎え、しかもそれを知らないままで置いておかせたいとしている男が、ここは責任を持って説明すべきだろう。
(どうしてこいつらってこういう時は結託するんだろうな)
ロメスはやれやれと思った。
五人もいるのだから、適当に説明しておいてくれればいいものを、どうして自分に回してくるのだろう。本当に部下といい、使用人といい、自分はつくづく恵まれていない。
「あのな、カレン。こういうのは上の評価へと繋がるものだ。俺が結果を出せばエイド将軍の評価に繋がる。だから俺も引き受けた、それだけだ。しかしあくまで責任者というだけで、俺は高みの見物だ。そんなことよりも、その間は俺もカイエスもロムセルも城にいなくなる。・・・屋敷からは出るな。もし、俺の留守に何かあったらケリスエ将軍の所のカロン・ケイスを頼れ。あいつなら信用できる」
「ロメス様。カレン嬢ちゃんに屋敷から出るなとおっしゃるのは、やはり残党がいるということですかな?」
「もしかしたらだがな。・・・どうも王都に入り込んでめぼしい女を物色し、一気にかどわかすつもりだったらしい。カレンは男装で目立っていた筈だ。目をつけられていたとしてもおかしくない。ドルカン、俺が戻るまで決してカレンを屋敷から出すな」
「分かりました。お嬢、お分かりですな?」
「・・・うん」
別にこの中心区域であれば巡回兵士もいるし、キイロ達がついているなら出歩いても特に問題はないだろうと思ってはいたが、あえてロメスは不安を煽ってカレンを屋敷から出さないように仕向ける。
城に来るなというのは、さすがに自分やカイエス達、更に各隊長もいなくなるとなると、下っ端の兵士が何をやらかすか知れたものではないと考えたからだ。ロメスは、自分がいない王都騎士団を信用してはいなかった。
自分のいない王都騎士団なら、それこそローム国騎士団のカロン・ケイスの方がはるかに信用できる。決してカレンに手を出さず、そして守る実力を有しているという意味で。ケリスエ将軍の方が位も実力も権力も上かもしれないが、・・・男としてそれだけは嫌だ。
「それよりもちゃんと食べろ、カレン。リナの作る料理は美味いだろ?」
「うん。この鹿もちょうどよく熟成されてて美味しい」
「その辺りを見切って買ってくるのが上手いんだ、リナは」
「まあまあ、坊ちゃま。そんな嬉しがらせを言うもんじゃありませんわ」
にこにことリナが笑顔になる。大体、何を心配することがあるというのか、である。一人で奴隷商人にとっ捕まってくれたことを思い出せば、今回は軍を率いていくのだから全くもって心配はない。
そんなリナの様子に、カレンもつられて微笑むと、食事を再開した。
かなり身の回りに無頓着なロメスだが、剣の手入れだけは自分で行っている。というのも、それこそが自分の命綱だからだ。
今回はどれを持っていくべきかと、常に持ち歩いている剣以外も床に並べつつ、持っていく荷物をまとめていた。
(野盗の仲間らしい格好をしてみてもいいかもしれないな。ぼろぼろの衣服も入れておくか? だが、仲間の顔は把握しているかもしれんしな)
一応、彼らが飛びつきそうな囮役の女性も用意するが、何なら自分とてわざと捕まってもいいのだ。女性を対象にした人攫いと言っても、ああいう手合いは売り物になる人間であれば男女など気にしない。自分の見た目であれば、育ちの良さそうな身なりをして隙を見せておきさえすれば攫ってくれるだろう。何より内部に入り込んだ方が、遠慮せずに暴れられるではないか。
ちょっと仕立ての良さそうな服も入れておくべきだろうか。
どうせ兵の指揮など他の三人いる隊長に任せておけばいいのだ。その為に部下は存在する。
そんなことを考えながら、鞘から抜いてはどの剣にすべきかとロメスは悩む。こういう時間は嫌いじゃない。
「ロメスー。開けてー」
そこへ、扉の外から声が掛かった。
「カレン? 何やってんだ?」
まさか夜這いでもあるまいと思い、そのまま扉を開けると、そこには大きな布にくるまれた荷物を抱えたカレンが立っていた。既に夜着には着替えていたが、その荷物を見れば、どうも色っぽい話ではなさそうである。
ロメスに扉を開けてもらうと、そのまま抱えた物によろけつつ、カレンはよちよちと入ってきて、それを寝台にボンッと落とした。ガチャガチャと音を立てて、布の中から荷物が広がる。
そのまま扉を閉めてロメスが寝台に近づくと、そこには様々な剣と木の枝が転がっていた。
「どうしたんだ、カレン。すごい数だな」
「どうしたじゃないでしょ。ほら、ちゃんと選びなさいよ」
「何だ、俺にくれるのか?」
基本的に得物というのは値段や格好よさではない。使い慣れた物が一番だ。しかし使うかどうかはともかく、ロメスもこういった物を見るのは嫌いじゃない。それどころかかなり好きだ。
「あくまでこれらは見本なのよ。ロメスはキイロと近いタイプの剣だから、キイロがロメスのいつも使っている剣を見てその辺りのを持ってきてくれてたの。けど、普段は特に剣も使ってなかったし、ロイスナーでロメスに合わせてきちんと作ってあげるつもりだったから、もういいかと思ってそのまま仕舞ってあったのよ」
だけど危ない所に行くなら、色々と持って行った方がいいでしょと、カレンが続ける。
ロメスは苦笑した。危ない所に行くならば、それこそ自分の使い慣れた物が一番で、クセも何も分かっていない物を持っていく方が危険なのだ。しかし、人を殺したことのないカレンにはそれが分からないのだろう。
「とりあえず、抜いてみてもいいか?」
「勿論よ。ちゃんと持って振ってみて。見本だから重さのバランスもそれぞれ違うの。ちゃんと試し切り用の枝も持ってきてるから」
「へえ」
カレンは離れた壁際に椅子を持っていき、座って言った。危ないので離れていた方がいいと判断したらしい。
まず全ての剣を抜いて振り回し、ロメスはいつも自分が使っているのと似たようなものを幾つか選び出した。そのまま試し切り用の枝に切りつけ、その後、普段の自分の剣で切ってみる。同じような剣なのに、カレンが持ってきた剣はかなり深くスッパリと切れることに、ロメスは驚いた。
「・・・かなり切れ味がいい剣だな」
「当たり前でしょ。うちの剣なんだから」
「お前の所、何やら変な技術は持っていたようだが、剣も得意だったんだな」
「・・・あなた、ロイスナーを知らなかったのに、私と結婚しようと思ったの?」
「お前とそれとは別だろ。俺は女と結婚しても、剣と結婚する趣味はない」
何を馬鹿なことを言ってるんだと言わんばかりのロメスに、カレンの頬が赤くなる。まるでそれは、自分がロイスナーと無関係のただの女だったとしても、ロメスは自分を望んだのだと言っているかのようだ。いや、多分、そういう意味なのだろう。
そんなカレンに気づくこともなく、ロメスは剣に見入っている。
(たしかに慣れた得物が一番とはいえ、ここまで違いがあるとなると話は別だ。こんな枝じゃなく、もっと本格的に試したい)
難しい表情で考え込むロメスに、カレンが心配そうな顔になる。
「どうしたの、ロメス? 気に入らなかった? それなら違うのも試してみたら?」
「いや、反対だ。気に入ったんだが、こんな枝じゃなく、もっときちんとした場所で使ってみたくてな」
「そうなの? じゃあ、全部持っていって全部試せば?」
「は?」
「何かね、剣を使う人って同じこと言うのよね。実際に使ってみないと分からないって。全部持って行って片っ端から試しなさいよ。一番使いやすいタイプが決まったら、そのタイプであなたにあわせてロイスナーで作ってあげる」
ロメスは呆れ返った。誰がこんなにも様々な剣をえっちらおっちら持って行けるというのだろう。
「キイロが持ってた剣をロメスが譲ってもらったって話だったから、あれが気に入ったならそれでいいかとも思ってたんだけど、どうもあの剣、ロメスは使ってないみたいだし、それなら使いやすいものを選べばいいのよ」
どうやらカレンは剣の価値というのを分かっていないらしい。ロメスにしてみれば、ここまでの高品質の剣など、ほいほいとくれるものではないと思うのだが。
(まあ、その製造地の女当主となれば、そういうものなのか)
別にそれが目的でカレンを手に入れたわけではないが、まさかの大きなオマケがついてきたものだ。
「全部はさすがに無理だな。じゃあ、この三本程持って行っていいか?」
「好きにしなさいよ。私に断る必要はないわ」
明日にでも城の鍛錬場で試してみるかと、ロメスは思った。こういうのは振り回せる場所でやらないと分からないものなのだ。部屋の中で小さな枝など切っても意味がない。
それ以外の剣も全部くれるというのでそのまま棚に並べていくと、最後に小さな剣が残っていることに気づいた。
「こりゃまた、小さな剣だな。料理用か?」
「それ? 投げつける為の剣よ」
「ああ、なるほどな」
玩具のような小さいものだったが、指で持って適当に壁に投げつけてみる。小さな力でかなり飛ぶことに驚き、ロメスはそれを荷物に入れることにした。
ロメスが全ての剣を仕舞ったとみて、カレンがそれらを包んでいた布を畳み、小脇に抱える。
「カレン、ほら、ちょっと来い」
「何?」
ロメスが剣を選んだことで満足したのだろう、カレンは一仕事を終えたようなすっきりした顔になっている。ロメスに手招きされ、何かしらといった感じで寝台をまわって寄ってきた。
正直、ロメスの鎧の話は無視しておいてケリスエ将軍の矢を受注していたことにはムカついていたが、こうして自分の為に様々な剣の見本を取り寄せてくれていたとなると、ロメスもやはり嬉しい。
なんと可愛い妻なのだろう。
寄ってきたカレンを膝の上に乗せて、そのまま寝台に座る。
「なあ、カレン。わざわざ俺の為に?」
「そりゃそうでしょ。ちゃんとそう言ったじゃない」
最初の頃は恥ずかしがっていたものだが、今となっては膝の上に乗るくらいなら慣れてしまったらしいカレンだ。警戒心もなく、それこそ「あなた、馬鹿じゃないの」と、その顔にはありありと書かれていた。
あまりの可愛くなさに、つい泣かせたくなってしまったロメスだが、そこをぐっとこらえる。
そういうのはいつでも出来ることだ。
「そんなにも俺が心配だったか?」
「なっ、何言ってるのよっ」
途端に真っ赤になるカレンに、ロメスもやっぱりここは楽しませてもらおうという気になった。
ロメスは、丸々と太った兎を捕らえた虎のような上機嫌ぶりで、右手でカレンの頬を撫でながら、左の掌をその背中にゆっくり這わせた。
(えっ、ちょっと、・・・やだっ、ロメスったら何する気っ?)
背中を撫でているだけといっても、緩急と強弱をつけてくるものだから、それにあわせてカレンの背中が反り返る。このままでは自然と寝台に横たわることになるだろう。
かなり危険を感じ、カレンは腹筋に力を入れてそれに逆らおうとした。結果として、ロメスの服にしがみついてその胸に身を寄せることになってしまったのだが、どっちに転んでもロメスにとっては問題なかった。
「あっ、あのっ、ロメスッ」
「ん?」
ロメスの左手が動く度にカレンの体に緊張が走り、掌から逃げようとしては体をロメスに押しつけてくる。
どれほど可愛くない言葉を口にしても、それこそ爪も生えていない子猫が叩いてきたようなものだ。
思った通りの反応をロメスは楽しんだ。そのロメスの気持ちが伝わったのか、カレンの瞳には恥ずかしさのあまり涙が滲んでいる。
そんなカレンの耳の傍でロメスは低く優しく囁いた。
「俺は嬉しいよ。少なくとも、ここに来て初めて剣を用意したのが、俺の為だったなんてな」
「あら、初めてじゃないわよ」
「は?」
そこでカレンが顔を上げる。さっきまでの緊張が消え、花が咲くかのような笑顔になった。
「だって、ケリスエ様にもその投げつける剣、納品したもの」
「あ?」
何だ、それ。
一気にロメスの気分が急降下した。そんなロメスに気づかず、まるで夢見る乙女のような表情で、聞いて聞いてと、カレンが説明する。
「あのね、私が鍛錬場で的に投げつけているのをケリスエ様が見てたんですって。でね、投げつける剣を色々と試してもらったの。そうしたら靴とかに仕込めるタイプの剣をまとめて欲しいと言われたから、七十本程、この間ロイスナーから持ってきてもらって納品したの」
「・・・・・・そうか」
どうしてここでケリスエ将軍なのか。常に一歩下がっていると言われているケリスエ将軍が、なぜ毎度毎度カレンに関してはその影をちらつかせるのか。
そしてどうして先ほどまで自分に対して為す術もなくいいように翻弄されていた妻は、まるで恋する少女のようにケリスエ将軍のことを語るのか。
「あれはね、私が自分のお守り用に開発してもらったものだから、褒めてもらってとても嬉しかったの。ね、ロメスも使えそう? あれね、靴や上着に仕込んでおけば、いざという時に投げつけられるのよ」
それでもこうやって頬を赤らめて、自分の役にも立つだろうかと訊いてくるカレンに対し、大人げないことは言えないのが男である。
何より、ケリスエ将軍に嫉妬しただなんて言えない。何があっても言えない。それは男のプライドに関わる問題だ。
自分の表情が見えないよう、カレンの額にキスしてロメスは言った。
「ああ。なら靴にでも仕込んでいくよ。カレンの代わりに俺を守ってくれるだろうからな」
「ふふ、そうかしら」
「ああ、きっとな」
嬉しそうなカレンだったが、そこで思い出したかのように暗い顔になる。
「ねえ、ロメス」
「何だ?」
「・・・やっぱり、私達をあそこに連れて行っちゃったから今回の危険なお仕事を押しつけられたの?」
どうやら本気で気にしていたらしい。ロメスはどうしたものかと思った。押しつけられたというよりも奪い取ったが正しい。カロン・ケイスの、そうくると思ってたさと言わんばかりの諦めきっていた顔を思い出す。
「そんなことはないさ」
嘘ではない。それは本当に嘘ではない。だが、話の流れとして、カレンはそれを信じなかった。
「だって・・・」
だから気にして、こんなにも沢山の剣を持ってきたのだろう。そんなカレンのいじらしさに、ロメスはその耳元に唇を寄せて囁いた。
「なあ、カレン。お前が持ってきてくれた剣は役立つと思うし、その気持ちが嬉しいよ。だけどな、別にお前がこれらの剣を俺に渡せようが渡せまいが、そんなのは関係ないんだ」
「ロメス?」
「カレン。俺がお前を望んだのは、そういったものを俺にくれるからじゃない。お前自身が欲しかったからだ。・・・カレン、俺にいつでも無事に戻ってこいと思うのなら、お前が笑って待っていてくれさえすればいい。それが何よりもの俺のお守りになる」
暗い表情だったカレンの頬に赤みがさす。以前から気づいていたが、やはり耳元で囁かれるのにカレンは弱いらしい。耳の近くで話しながら、時々唇が耳殻を掠めるようにするだけで、言葉が出なくなるようだ。
そのまま首筋に沿って唇を当てていくだけで、体から力が抜けていくのが分かる。
「愛してるよ、カレン」
「だけど、だって・・・やっ」
「気にするなって言っただろ?」
それは全く嘘ではない。本当にカレンが気にする必要はないのだ。しかし、言えば言うほど信じてもらえなくなっている。だが、こうやってしょんぼりしているカレンを見ると、やはりロメスとしても離れがたくなるわけで、つけこまずにはいられない。
「俺にとってはお前の存在こそがお守りだって言っただろ? なあ、カレン。そんなに気にするなら今晩はここで一緒に眠ってくれるか? 明日からはしばらく帰れないから、せめて今夜はずっとお前を見ていたい」
「・・・・・・!」
今まで気にしていたこと全てが頭からすっ飛んだかのように、カレンの耳や首までが赤くなる。どうしたらいいのかと、頭や視線を横や下にうろうろとさせ、結局下を向いてしまう。
そんなカレンに、ロメスはかなり気分が良くなった。
「なあ、カレン。返事は?」
夜着を通してロメスの手に伝わってくるカレンの体温が一気に上昇する。見たら、手の先まで赤くなっていた。
返事できずに下を向いているカレンの全身が真っ赤になっている様子は、どこまでもロメスの気に入る反応でもあった。
(こんなにも純情な妻を迎えるとも思わなかったがな、・・・悪くない。とはいえ、たまにはカレンからも何か言ってほしいものだよな)
しかし、ここで返事を強要しようものなら、ぷるぷると震え始めているカレンはまた泣きそうである。
仕方ないなと、ロメスもそこは諦めることにした。
「誰よりも愛してるよ、カレン。だからカレンも、俺よりも誰かを愛さないでいてくれるか?」
「・・・・・・」
やがて、小さく、うんと頷く声が聞こえる。
そこまでで、ここは満足しておくべきだろう。
ロメスはその指の移動一つ一つにビクビクと怯えるカレンを、なるべく驚かせないようゆっくりと頬に手を添えて上向かせると、優しい笑顔とキスを贈った。