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 今日も今日とて、王都にあるカンロ伯爵邸では仲睦まじい夫婦の姿があった。


「こうして君とゆっくり過ごせるというのはとても素晴らしいことだ。カンロはエイリに任せて、二人だけでこのままずっと暮らしていたいね、リネス」

「まあ、あなたったら。・・・二人じゃありませんわ、フォルだっていますのに」

「ああ、そうだね。だけどフォルはカレンに夢中だからしょうがない。ほら、今日もカレンの所に行きたくてうずうずしてる」


 カンロ伯爵が指さす先には、カレンのお迎えを待って庭先でうろうろしているフォルの姿があった。

 夫であるフォンゲルドの屋敷に移ったものの、それでもカレンは頻繁にフォルの所に来てくれるので、最初は寂しがったフォルも今ではカレンが来てくれるのを楽しみに待つようになっている。


「カレン様のおかげで、フォルも本当に楽しそうですものね」


 出掛けた日は、夕食の席でフォルは興奮しながらその日のことを話すのだ。所詮は子供の話だけに意味が分からないことも多いが、どうやらかなり色々な人達に可愛がられているらしい。

カンロ伯爵夫妻にとってもそんな長男の様子はとても嬉しいもので、体に無理をさせぬ程度に好きにさせてやろうとしていた。


(生きている間は、出来る限り心のままに生きさせてやりたい)


 カンロ伯爵は目を閉じる。親が子に望むのは、そんなシンプルなものだ。

それでも社会で暮らす以上、様々なものを背負って人は生きる。だからエイリを始めとしてカレンにもロレアにも、本当の自由など与えてやれないのは分かっていた。

 けれども幼いフォルには、その心のままに感じ、そして心のままに動くことのできる幸せな時間を重ねさせてやりたい。

 そういう意味ではカレンには足を向けて寝られない。彼女のおかげでどこまでフォルの世界が広がったことだろう。

 フォルに何かあってはいけないからと、少しでも危険な場所は避けようと連れて行く先を考え込んでいるカレンに、何があってもカレンに責任を押しつける気はないから好きにしてやってくれと頼んだのは、カンロ伯爵夫妻の方だった。


「まさかフォルが玩具の剣とはいえ、鍛錬場で体を動かすようになるとは思わなかったが」

「ふふ。カレン様がフォル用の剣を作ってくれましたものね」


 カレンの従者はかなり器用で、フォルでも持てる軽い剣を、木を削って作ってくれたのだ。剣の形をした玩具なので、刀身の部分には綺麗な花が描かれ、動物をあしらった模様まで彫られている。フォルはそれを毎晩抱きしめて眠るくらいにお気に入りだ。

 さすがはロイスナーである。器用さでは他の追随を許さない。


「旦那様、奥様。ロメス・フォンゲルド様とカレン様がおいでになりました」

「そうか。応接室・・・は、今更か。こちらにお通ししてくれ」

「あら、今日はロメス様がご一緒なのね」

「そのようだ」


 勝手知ったるカンロ伯爵邸である。すぐに二人が入ってくる。今日も今日とてカレンは男装ときたものだが、それはさすがにリネスも諦めていた。邸で行われる茶会ならばともかく、出かける時のカレンはどこまでも男装なのだと思うしかないだろう。


「おはようございます、伯父上、伯母上」

「おはようございます。カンロ伯爵、伯爵夫人。本日もまた朝からお美しい。白百合はお嫌いではありませんでしたか?」

「まあ、私に? 嬉しゅうございますわ、ロメス様」


 相も変わらずロメスはすっきりとした出で立ちである。白百合の花束を抱えてきていたものの、伯爵夫人のドレスに花粉がついては申し訳ないからそのまま花瓶に活けてくれないかと使用人に渡し、リネスの手をとって挨拶をする。


「本日はフォル殿の体調はいかがでしょう? 調子が良いようでしたら、今日は少し離れた丘まで遠出して、城を眺めるのもいいかと思ってお誘いに参ったのですが」

「まあ、きっと喜びますわ。ほら、さっきからずっと庭で待ってましたの。・・・ほほ、お二人を見逃してしまったのかしら」


 リネスが示す先で、フォルが道の方をずっと眺めているのが見える。ロメスはさっとそちらへと向かい、フォルに声をかけた。


「フォル殿。お待たせしました。良い朝ですね」

「ロメス兄様っ」


 ぱっと笑顔になったフォルが駆け寄ってくる。慣れた様子でロメスがフォルを抱き上げると、フォルも大好きだと言わんばかりにロメスに抱きついた。


「おはようございます、ロメス兄様、カレン姉様」

「おはよう、フォル。ごめんなさい、待たせちゃったわね」

「今日は前に約束した野原に出かけましょうか。お城を眺められる丘があるんですよ」

「行きますっ」


 話しながらも、高い高―いと、フォルの体を持ち上げてクルクルとロメスがまわすので、キャーキャーとはしゃぐフォルである。どこに行くのであれ、ロメスとカレンが連れて行ってくれるなら嬉しいに違いない。

そんな様子に、しみじみとカンロ伯爵は感心する。


(あのロメス・フォンゲルドがここまで子供の面倒見が良いとは思わなかった。噂とは当てにならぬものだ)


単に、それはカレンがフォルにしてあげているのをロメスが見て真似してみたら、ロメスの方がはるかに高い所まで持ち上げてくれるので、今となってはフォルにとってロメスのそれがお気に入りになってしまっただけである。カレンにしても、フォルを持ち上げる程度であれば何ということはないが、あまりにフォルが動いたりするとバランスを崩して倒れかねないので、ロメスがしてくれるのであればそれに越したことはないと思っていた。


「カレン姉様、高いですっ」

「良かったわね。ほら、いらっしゃい、フォル」


 フォルが目をまわさない程度で終わらせたロメスが、カレンへとフォルを手渡す。


(こうして見ると、たしかに仲睦まじい親子のようだな)


 カンロ伯爵は、抱きつきながらも体を反らしてイタズラするフォルにカレンが慌てているのを、ロメスが支えてやる様子を見ながら、あっちの方が本当の親子のようだと思った。本物の父である自分よりも父親らしい。


「今日はちょっと風が強いかもしれないから、もう一枚服を着てマントをかぶった方がいいわね」

「着てきますっ」


 床に下ろしてもらうと、いつも世話をしてくれる乳母の元にフォルが駆けていく。話を聞いていた乳母も、そういうことならばと、フォルを着替えさせる為に一緒に出て行った。

 

「伯父上、伯母上。今日はこちらの城壁外に出ますので、帰りが昼過ぎになるかと思うのですけれども、夕方になる前には戻ります。やはり遅くなるといけませんし」

「いやいや、任せるよ。何と言ってもフォルは本当に毎日が楽しそうだ。それもこれもロメス殿とカレンのおかげだよ。ロメス殿にも本当に感謝するばかりだ」


 そんなカンロ伯爵に、ロメスが笑って否定した。


「感謝するのはこちらです、カンロ伯爵。何と言ってもフォル殿のおかげでこちらもカレンと一緒に出掛けられますから。最愛の我が妻は、フォル殿がいないと、私の顔すら見てくれませんからね」

「・・・は? ・・・ってカレン、お前、なんて顔をしてるんだ?」


 仲良い新婚夫婦にすら見えた二人である。ロメスの言葉が信じられなかったカンロ伯爵は、そこでカレンの顔を見て、あまりにも懐かしすぎる表情に驚いた。

 そう、あれはかつて先代のロイスナー城主と同じ表情だ。

 何を言ってやがるのかしら、このタコは。

 ・・・そうだ、言葉は必要ない。彼女は視線一つで語ってみせていた。


(見た目もよく似た母子だが、表情までそっくりとは・・・。いや、どちらかというとカレンの方がきつい感じだな。先代にあそこまでの鋭さはなかった)


 ちょっと心が切ない。

 だが、その顔を同じく見た筈のロメスは全く気にしていないようだった。それどころか、とても機嫌が良さそうである。


「カレンなら、この蔑むような目つきすら可愛いと思いませんか、カンロ伯爵?」

「・・・・・・ロメス殿がそう思うのであればそうなのだろうな」


 あの目で見られて可愛いと言えるロメスは少しおかしいのではないだろうか。そして、さっきまでの仲良い姿は何だったのだろう。

 そこへ、着替え終わったフォルが飛び込んでくる。


「ロメス兄様、カレン姉様。用意できましたっ」

「まあ、早かったわね、フォル。ええ、それなら寒くないと思うわ」


 駆け寄ってきたフォルを抱き上げたカレンはやはり慈母のような微笑を浮かべており、その肩に手をまわして玄関へと促すロメスもまた、とても穏やかな笑顔である。先ほどの軽蔑しきった視線とそれを楽しんでいたアレは何だったのだろう。


「じゃあ行きましょうか、フォル殿。・・・それではカンロ伯爵、伯爵夫人。フォル殿をお借りいたします」

「ああ、頼むよ」

「気をつけて行ってらしてね、ロメス様、カレン様。フォル、いい子にしてるのよ」

「はい、母様」


 三人が消えていくのを見送り、リネスは呟いた。


「カレン様・・・。ロメス様とどんな新婚生活を送られていらっしゃるのかしら・・・」

「さあな・・・」


 その答えをカンロ伯爵も持たなかった。






フォルはロメスの馬に乗せてもらっていたが、カレンと従者のサリトはそれぞれ馬に乗っていた。城壁の外に出ると街道の周囲には鮮やかな木々が茂り、草の香りも高い。

城壁内とは全く違う景色に、フォルもおっかなびっくりといった状態になっている。


「ロメス兄様。おうちがありません」

「ええ。もうここは次の街へと繋がる街道ですからね」


すれ違うのは商人の馬車や、少し離れた村などからやってくる人達だ。時折、貴族のものらしい馬車や、軍馬に乗った急ぎらしい兵士の姿もあったが、どちらにしても周囲に家がないのが、フォルには怖く思えるらしかった。


「ロメス兄様、このまま行っちゃうと、誰もいなくなりませんか?」

「そうですねぇ。誰もいなくなるかもしれませんが、私だけは一緒ですよ。不安ですか?」

「ロメス兄様がいるなら大丈夫です」


そう言ってしがみついてくる様子は、なかなか可愛らしく、これがカレンならもっと嬉しいのだがと、ロメスは思った。

城壁の外でもこの辺りは兵士が巡回しており、野盗などはまず出ない。


(まあ、カレンは全く怯えてないから、一緒の馬に乗っていても無理だな)


 その野原への道を知っているのはロメスなので、ロメスの馬が先頭に、そのすぐ後をカレンとサリトの馬がついてきていた。

そんなカレンは、サリトと周囲に生えている木々の特徴と気候の話をしている。

現在、従者の一人であるキイロは、カンロ領のロイスナーへ出向いているのだが、今度持ってきてもらう品についても二人は確認しているようだった。ロイスナーはカンロ領内における物流などにも関わっているらしく、王都でもカレン達は様々な物を買い込んでいたことを、ロメスも把握していた。


「エイリ姉上も伯父上が不在じゃ大変だと思うし、ちょっとそこは手助けしておいてほしいんだけど」

「そりゃ分かりますがねぇ、そこまでこちらが出張(でば)るわけにもいかんでしょう。せめてお嬢が一緒に出向いてくれるならこっちもどうにかできるが、やっぱりそれは厳しいってもんです。あくまでうちはロイスナーですからね」

「そこなのよね。だけど多分、このまま伯父上はロームで冬越しすると思うわ」

「でしょうなぁ」


人前では取り繕っているが、かなりカレン達主従は気安い間柄らしく、人目がないとフランクだ。人前ではカレン様と呼びながら、彼らだけだとカレン嬢ちゃん、もしくはお嬢といった呼び方になっている。

フォルに気づかれるのを避ける為、理由は言わなかったが、カンロは寒い地域だ。おそらくフォルの体を考えてこの夏から冬に至るまでカンロ伯爵はこちらにとどまるだろうと、二人は判断しているのだろう。ロメスから見たらフォルはかなり体が弱いが、カンロよりも暖かいロームに来てからとても体調が良いという。

カンロ伯爵の長女エイリ、次女ロレアが、現在カンロ領で伯爵の代行をしているそうだが、やはり色々と大変らしい。


(エイリ姫、か。カレンが大事にしていた金髪の従姉姫だな)


舞踏会の夜、結婚相手に良さそうな男を品定めしていたり、その舞踏会ならではの空気に呑まれている若い令嬢達の中で、カレンは異色だった。結婚相手など最初から考えもしていないのだろう、ダンスを申し込もうとする男が近寄ろうとしたらさっさとうまく逃げ、舞踏会の空気に呑まれるどころか会場内の細工などを冷静にチェックしている姿はあまりにも普通の貴族令嬢とは違い過ぎた。

だから、会場内に目を光らせていた自分達のチェックに引っかかったのだ。

あの大勢の貴婦人が参加している舞踏会で、彼女の姿だけが自分の視線を捕まえて離さなかった。

そして眺め続けている内に、天啓のように彼女の姿が、名前も知らぬ謎の城の女と重なった。


(本当に、それでお前が傷つくだなんて思わなかったんだ、カレン。お前を手に入れて、後はそれからゆっくりと名実共に自分のものにすればいいと思ってた。俺は、それしか知らない。獲物の急所を狙って仕留めたら、後は巣でじっくりと解体して全てを喰らい尽くす獣のようなやり方しか知らないんだ)


カレンはそんなロメスを順番が違うと言う。

だが、それでも。

 仮に時間を巻き戻すことができたとして、自分はカレンを傷つけると分かっていても同じように手に入れるだろう。結局、自分はそういう人間なのだ。

 自分達はきっとどこまでも平行線だ。それでも、いつかは折り合いをつけることができるのだろうか。


「うわぁ。街が小っちゃい」

「ええ。ほら、あれがお城ですよ、フォル殿」


 やがて城が見える丘に着くと、フォルが感嘆の声をあげる。それに対し、あの辺りにカンロ伯爵邸があるのだと指差したりして示しながら、ロメスは思った。


(おそらく、カレンはいずれカンロ領に戻るのだろう。大事な従姉姫の為に)


 そうやって誰かの為に努力するカレンの姿は時に痛々しい。ロイスナー家もカンロ伯爵家も潰してしまえば、彼女は自分だけを見るのだろうか。だが、それはきっと自分が欲しいと思った彼女ではないのだろう。

 

(俺は彼女を手放せるだろうか。約束を反故にし、カレンの足を折り、ここに留めたとして誰も驚かんだろうがな。俺はそういう人間なんだよ、カレン)


 それともカレンに約束した通り、自分は彼女の好きにさせるのだろうか。だがそれは、その時、自分が決めることだ。ロメスは頭を振って、その考えを追い出した。


「ねえ、ロメス。馬はどこに繋げばいいかしら」

「ああ。カレン、そこをもう少し右に行けばいい。その先に小川がある。そこにちょうどいい木もあるから、そこに繋いでおけば勝手に水も飲むだろう」


 少し離れた所から声を掛けてきたカレンに、ロメスは答えた。


「分かったわ。サリト、縄、足りるかしら」

「ああ。ちゃんと長めのを持ってきてる。それよりお嬢、どっちかってっと、昼飯の方が心配かもしれん。いつものように用意してしまったが、フォル坊ちゃんの口に合うかがなぁ」

「大丈夫じゃないかしら。パンとオレンジもあるもの」

「まあ、それでいいならいいけど」


 木に繋いだ馬は、早速小川に鼻先を突っ込んでいる。また、柔らかい草も生えている為、嬉しそうに食んでいた。


「カレン姉様、お魚がいます」

「ふふ、あまり乗り出しちゃ駄目よ、フォル」


 小さな魚が泳いでいるのを見て、フォルはそこから目が離せないようだ。そんなフォルの服を掴み、間違っても落ちないようにサリトがついている。

サリトにしてみれば、フォルのお腹に手をまわしたり腕を掴んだりする方がはるかにフォルの体を固定できるのだが、そうなると筋肉のほとんどないフォルの腹部を圧迫したり脱臼させてしまったりしかねないので、仕方ないところだった。

 

「カレン姉様。川に入っちゃ駄目ですか?」

「それは駄目。川って尖った石もあるし、滑ったりもするの。いきなり深くなったりもしているから、危ないのよ」


 少し離れた所に敷物を敷いて、カレンはそこに座っていた。いつもならフォルにはカレンがつくところだが、川べりは滑りやすい。サリトにも自分に任せろと言われ、カレンは二人の様子を楽しげに眺めていたのである。


「お魚さんみたいに泳ぎたいです」

「あらあら、それは無理よ。だってフォルはお魚じゃないもの」

「ロメス兄様ならお魚を捕まえられますか?」

「どうかしらねぇ」


 そう言われても、フォルは魚に未練があるらしい。手を突っ込むくらいならいいだろうかと手を差しこむとすかさず魚が逃げる。結局、目の前から魚がいなくなってしまい、涙目になっていた。

 そんな三人を残し、ロメスは近くを見回りに行っていた。


「なあ、お嬢。あれでけっこうロメスの旦那も気遣いさんだよな」

「そーお? 正直、何を考えてるか、全く分からないわ。話せば話す程、変なんだもの」

「まあなぁ。そりゃやらかしてくれることはぶっ飛んじゃいるが、けどまぁ、お嬢を大切にしてくれてるみたいだし、それならいいかとは思うぜ、俺らは」

「どっこっがっ、大切にしてるってのよっ」


 勝手に人に目をつけて、勝手に結婚せざるを得ない状況にして、勝手に人に自分のやり方を押しつけて、更にせめて普通に「好きだ」とか「愛してる」くらい言ってもいいだろうにと言えば、そんな言葉は言いたくないとぬかしてくれる男だ。

カレンにしてみれば、自分を譲ることもせず、単なる身勝手に生きているだけのはた迷惑な存在でしかない。

しかもロメスの外面だけはいいものだから、周囲にはこの自分の置かれた不条理さを全く理解してもらえないときたものだ。何が黒髪の乙女だ、何が命の恩人だ、である。


「そりゃまあ、お嬢から見ればそうなんだろうがなぁ」


 サリトが苦笑する。カレンの言い分はたしかに納得できるものだ。

 だが、ドルカン、キイロとも話していたのだが、ロメスのカレンに対する配慮はかなりのものだ。カレン自身からは見えないように、それでもカレンは二重三重に守られている。城へ遊びに行くカレンの為に、ロメスが遠慮なく使えるものは全て使って彼女の安全を確保しているのが、男だからこそ分かる。

 何より、自分の使用人にすら自分よりもカレンを優先させているのだ。ネイトとリナがカレンにいくら同情したとしても、主人はロメスである。ロメスがそれを許さなければ、どうしてそれができるだろう。

 

(少なくとも、先代のお相手よりはマシだ)


 ロイスナーに属する自分達を守る為、先代ロイスナー城主は互いに愛のない契約上の関係を結んでカレンを産んだ。

 それを知るカレンも、本来はロイスナーの為になる結婚を考えていたことだろう。カレンもまた、愛よりも利益を婚姻関係に見出していた筈だ。

 けれども自分達にも心はあるのだ。

 ロイスナーを維持してもらわねばならないとはいえ、カレンの幸せを望まないわけじゃない。


「おい、サリト」

「おや、ロメスの旦那。見回りは終わったのかい?」

「ちょっと耳を貸せ」


 静かに戻ってきたロメスが、サリトを呼ぶ。その表情が硬いことに気づき、サリトはフォルをカレンに渡して、ロメスに近づいた。


「この辺りに野盗はいないと思っていたが、少し入った林の中に変な奴らがいた。このまま川を下って行くなら低い位置だけに見つかりにくい。川沿いに進んでさっきの街道に出たら城壁へと走れ」

「旦那はどうするんだ?」

殿(しんがり)を務めてやるさ。で、城壁内に入ったら門番に俺の名前を出して、ここに誰か来させろ」

「分かった。無茶すんなよ」

「しないさ」


 二人の様子に何かを感じたか、カレンが敷物を手早く片付けた。ロメスが目で馬を示したからだろう、カレンは馬を繋いでいた縄を解き始めている。

 野宿の経験があると言っていただけに、置かれた状況を察したのだろう。

 先にサリトが馬に乗り、カレンからフォルを受け取ると、カレンも馬に飛び乗った。


「カレン姉様?」

「しっ。黙って、フォル。ちゃんと黙っていられるわね?」

「はい」


 カレンの緊張した顔つきに、フォルも騒いではいけないのだと分かったらしい。

 街道に出るまでは姿を見失わない程度にその背後を守っていたロメスだが、二頭の馬が街道に出た時点で引き返した。


 

 



 フォンゲルドの屋敷で何があったかを伝えると、ネイトとリナが疲れたような顔になった。


「仕方ありませんわ。城壁の門番さんに、着替えを預けておきましょう」

「ああ、儂が持って行こう」


 ドルカンとサリトが理由を尋ねると、その状況ならひと暴れしているに違いないと、二人は言い切った。そのままの格好でこの家に帰ってこられるくらいなら、着替えを渡しておきたいそうだ。


「なら、俺が持っていきますよ。どうせ場所は分かってますし、それに兵士さん達が向かってくれたならもう安全でしょう。ネイトさんとドルカンさんはすみませんが、フォル坊ちゃんをよろしくお願いします」


 そう言ってサリトがロメスの着替えを持って戻ると、ちらほらと兵士達が野原にいて、ロメスを探しているのだと言えば林の方向を示された。


「着替えなら、ここで待ってた方がいいぞ」

「そうですか? やはりまだその野盗がいるんでしょうか。だけど兵士さん達がいらしてくれて良かったです。これで安心ですね」

「いや、俺達は後片付けに来ただけだ」


 兵士達も、一度は林の中に入ったらしいが、これは外で待っていた方がいいだろうと判断して野原まで引き返したのだという。

 意味が分からなかったが、そうなるとロメスは一人で林の中にいるのだろうか。

 いくら腕が立つといっても、ロメス一人ではきついだろう。自分も加勢に行くべきではないかと、サリトが思った時だった。


「終わったらしい」


 そう、近くの兵士が呟いた。見ると、そこに血まみれのロメスが林から出てくるところだった。


「ロメスの旦那っ」

「・・・ああ? なんだ、もう終わったぞ」


 普段の様子からは想像もつかない投げやりな口調で血に染まった服を脱ぐと、ロメスは川に入って体を洗い始めた。返り血がどんどん落ちていく。ロメスにつけられた傷はあまりないようだった。


「着替え、持ってきたんだけど」

「そこに置いといてくれ」


 髪の中にまで血は飛んでいたらしい。男の水浴びなど見ていても仕方ないので、草の上に着替えを置くと、好奇心からサリトは兵士達に続いて林の中に入ってみた。

 そして腕や脚や胴体が()ち切られてあちこちに散らばり、木々や地面に飛び散った血の状況を確認した途端、そのことを後悔した。


「これを一人でやったか・・・」

「あのロメス様ですからね」

「ロメス様のこの手に関しちゃ、カイエス様かロムセル様に報告するよう言われているからな、誰か報告に行ってこい。間違ってもエイド将軍には伝えるなよ」

「分かってます」


 その兵士達の会話が正しいのなら、そこに築かれた死体の山はロメス一人でやったことになる。

 皆殺し、なのだろう。そこに散らばっている彼らの荷物を見れば、盗賊だったであろうことも分かる。

しかし問題は彼らに死ぬべき理由があったかどうかではない。亡くなっていた数は少なくともこの入口付近で十人はいる。その林の奥には何人いるのだろう。


(これ全てを一人で・・・)


 サリトはぞくっと体が震えた。今まで見ていたロメスが、違う生き物にすら思える。

 

 奥にまで入って行く勇気などなく、そのまま水浴びしていたロメスの所へと戻ると、彼は着替えと共に置いてあった布で、体を拭っているところだった。


「素人が見に行くもんじゃない」

「ロメスの旦那・・・。あれ、本当にあんたが一人で?」

「・・・今日は帰らない。リナにそう伝えといてくれ」

「あ? いや、俺は旦那を迎えに・・・」

「サリト。・・・大事なご主人様を俺に潰されたくないだろう?」

「え?」


 視線一つでサリトを黙らせると、着替え終わったロメスはさっと馬に乗って駆け去った。

 サリトの全身に鳥肌が立つ。

 まだ自分は興奮状態にあるのだと、雄弁に語っていたあの紺色の瞳。今、帰宅しようものならばカレンを襲いかねないということか。


(なんて男だ・・・)


 別にロメスが全員を殺す必要はなかった。兵士達が来てから行かせれば良かったのだ。なぜなら自分達の存在には気づかれていなかったのだから。なのに一人で全て片付けたのは、それだけ殺戮に飢えていたとでもいうのか。

 サリトが扱うのは小剣で、あくまで相手の油断を誘ってから仕留める剣だ。ロメスやキイロとはタイプが違う。それでも分かるものはある。

 殺す必要がなくてもそれをせずにはいられない人間なのだ、ロメスは。


(俺らで、あの男からお嬢を守れるだなんて思えねぇ。躊躇いもなくあんな殺し方ができる時点で、そいつは心のありようが違い過ぎる)


 あの男が本当にカレンを好きにしようとしたなら、自分達では手も足も出ないだろう。それどころか、自分達の死体を作り上げてから悠々とカレンを襲ったとして、それを今の自分なら驚きもしないと断言できる。

 同時にロメスは誰よりもカレンを守っている。おそらく、カレンの代わりに娼館なりどこぞの女の所なりに行ったのだろう。その血の興奮を鎮める為に。

 

(そういう意味ではお嬢を大切にしているんだろうが・・・)


 サリトは天を仰いだ。そんなロメスの心ひとつでどうとでも変わる大切さなど、どこまで当てになるというのだろう。なんという男に捕らわれてしまったのか、我らの主は。

 あの時、好奇心から侵入者に姿を見せたカレン。それが全ての間違いだったのかもしれない。






 鍛錬場でカレンとフォルが玩具の剣を使って楽しそうに遊んでいるのを見下ろしながら、カイエスが溜め息をついた。


「なあ、ロムセル。最近、従者殿が同行しなくなったのって、それでも安全だと判断したからなんだろうな」

「そりゃな。今じゃ、あの犠牲の乙女に何かあれば自分がバラバラ死体にされると、王都中の兵士が知ってるだろうよ。彼女を街で見かけようものなら、兵士であれ商人であれ、見かけた奴らは絶対に目を離さないときたもんだ。何かあればすぐに注進に走ってくるだろうしな」


 カレンはフォルをカンロ伯爵邸に迎えに行ってから城に来ているが、その道中を見かけた巡回中の兵士がいれば、すぐに距離を置いた場所から警護に当たるのだという。

 それもこれも、あの上司がやりすぎたせいだろう。


「あの黒髪の乙女と金髪の坊ちゃんが野原でお弁当を食べようとしていたら野盗が近くに潜んでいて、その時間を邪魔したからってんで全員血祭りにあげられたってんじゃあな、そりゃ兵士もビビるさ」

「・・・だけどなあ、ロムセル。別にカレン様がいようがいまいが、アレ、関係なかっただろ?」

「全くもって関係ないな。・・・・・・噂ってのは一人歩きするから怖いよな」


 そう、カイエスとロムセルは知っている。単にそこに殺してもかまわない奴らがいたからやってみた、ロメスにとってはその程度のことなのだと。

 しかし王都の兵士達はロメスを知らない。それこそ最愛の奥方を怖がらせたがゆえの報復とでも判断したのだろう。

 今や、カレン達の容姿は巡回にあたる兵士全てが知っている。

 カレンの従者はそれに気づいたらしく、決まりきった王城への往復なら安全と判断したらしい。かえって自分達がついていない方が、フォルに気を取られてカレンがその事実に気づきにくいだろうと考えた様子だった。

 何も知らず、カレンとフォルは仲良く鍛錬場で遊んでは食堂で食事をとり、時々はケリスエ将軍の所に行っている。


「なあ、カイエス。カレン様、あの皆殺しのこと知らないんだろう?」

「らしいな。従者は知ったらしいが、兵士達が野盗を退治して、ロメス様はその後始末に一日かかったと説明したらしい。・・・事実は反対だがな」

「泣かせるくらいに出来た従者だよな」


 事実を知らせない方がカレンは安全だと、従者は判断したのだろう。久しぶりのロメスの凶行に、そういえばアレは狂犬だったのだと、改めて王都騎士団内にも緊張が走った。

 それにもかかわらず、カレンは全くロメスに対して身構えてはいない。その様子に、誰もがカレンにロメスのことを知らせたら自分が危険なことになると、口を噤んでいた。


「あ、ロメス様だ」

「そろそろ昼食の時間だからな、迎えに行ったか」


 疲れたらしく鍛錬場で座り込んだフォルが、何かを言っている。フォルの額の汗を拭いてやりながら、カレンが太陽の方向を指さした。フォルが唇を尖らせると、カレンが笑顔になっている様子が分かる。

 そこに彼らの上司がゆっくりと近づいていくのが、見下ろしている二人の位置からも確認できた。


「あ、ロメス兄様」


 近寄ってきた男に気づき、フォルが笑顔になって手を伸ばすと、ロメスは軽々とフォルを抱き上げた。


「ちょっと待って、ロメス。まだ汗を拭き終わってないのよ」

「ああ、今日はかなり暑かったからな。いつもより汗をかいたか。・・・フォル殿、じゃあ、ちょっと水浴びをしに行きましょうか。拭くよりもその方がさっぱりするでしょう」

「行くっ」


 水浴びなんて経験がないので、フォルは面白そうだと思ってロメスに抱きつく。


「水浴びって、・・・ケリスエ様の所を使わせてもらうの?」

「別にお前はこの程度じゃさほど汗なんてかいてないだろ。フォル殿は男なんだから、俺達と同じ場所でかまわないに決まってるだろうが」

「え・・・。だけど、私、そこに入るの?」


 フォルの世話をするなら自分もそこに行くのだろうか。男の人達が使う水浴び用の場所など、カレンとて足を踏み入れる勇気はない。


「安心しろ。何なら貸し切りにしてやってもいい。俺と一緒に水浴びするか、カレン?」

「カレン姉様も一緒に行きましょうっ」

「ほら、フォル殿もそう言っている」


 一気にカレンの目が(すが)められる。

 何を言ってやがるのかしら、このオタンコナスが。

 まさにそんな感じである。もしもロメスが毛虫くらいの大きさならば、カレンの靴でガシガシと踏まれ、更にゴリゴリとされていただろう。

 意味の分かっていないフォルは嬉しそうだが、誰がそんなことをするというのか。


「はは、我が妻は本当に恥ずかしがり屋さんだな。そう照れるな、カレン。お前は俺の部屋で休んでろ。・・・フォル殿、こういうのは男だけの裸の付き合いなんですよ。カレンは女だから来られないのですが、俺と一緒じゃ嫌ですか?」

「行きますっ」


 よく分からないが、何やら男だけの付き合いというのもカッコよさそうだと思い、フォルが瞳を輝かせる。

自分から水浴びに誘っただけあって、ロメスもフォルの世話をしてくれるつもりだったのだろう。そんなフォルの着替えなどが入った袋を掴み、そのままロメスはフォルを連れて立ち去ってしまった。


「全く、どこまでふざけた男なのよ」


 本来なら水浴びなんてフォルの体には良くないのだろうが、今日は暑すぎた。おそらく、水浴び場の水も太陽で熱されて、体温程度のぬるま湯になっているだろう。ならば体を壊すこともあるまい。

 そう考えて、カレンも止めなかった。

 自分もロメスの部屋で布を濡らしてから体を拭かせてもらった方がいいだろう。王都騎士団用の棟の細部は、カレンもある程度把握するようになっていた。どこで水を汲めばいいかも分かる。


(最近、なんだかフォルは私よりもロメスの方に懐いている気がするわ)


 やっぱり女の自分よりも、男のロメスの方がいいのだろうか。男の子というのは寂しいものだ。最初は好き好き言ってくれていても、外に出るようになったらすぐに男だけでつるむのだから。

 なんだか母親のような切ない気持ちになりながら、カレンは自分の荷物を持ってロメスの部屋へと向かった。






 満腹になったら、フォルは寝てしまう。

 ロメスの作業部屋にはいつでもフォルが眠れるように小さな長椅子が置かれている為、カレンもすぐ近くの椅子に座り、フォルの寝顔を横目で見ていた。

 目の前には、カイエスとロムセルに書類を押しつけられては、仏頂面でサインをしているロメスの姿がある。

 邪魔だろうからと遠慮したのだが、カレンがいる方がロメスも働くからここにいてくれと、カイエス達に頼まれたのだ。


「カレン様。今度の舞踏会には出席なさるのですか?」

「舞踏会? また、そんなのがあるんですか?」


 カイエスの質問に、嫌な記憶をよみがえらせたカレンがしかめっ面になって問い返す。


「ええ。気軽なものではありますが、それなりに賑やかに行われますよ。時期的に、開放感のある形式で行われるものですから」

「カレン様はロームにはなかなかおいでにならないのでご存じなかったのでしょうね。この時期になると必ず行われるものなのです。城の庭も、かなり篝火(かがりび)を焚いて明るくしますし、花も咲き誇っていますし、楽しめると思いますよ」


 ロムセルが細かく説明してくる様子に、カレンも考え込む。

別に舞踏会と言われても、これでもカレンは結婚しているのだから、結婚相手を探す必要はない。踊るのは好きだが、・・・誰と踊れというのか。まさか、この男か、この男なのか。

 そう言えば、カンロ伯爵が何やらドレスがどうこうと言っていたような気もするが、いつものことなのでそのまま聞き流していた。もしかして、あれはそれを指していたのだろうか。


「カレン。こういう舞踏会は、警備の為に騎士団からも何人かが出席する。とはいえ、俺達のような騎士団は貴族じゃないからな、なかなか踊ってくれる令嬢はいないんだ。気が向いたら、お前も出席して、あいつらの相手をしてやってくれないか?」

「そうなの?」

 

 ロメスに言われてカレンも考え込む。

騎士団の人達には鍛錬場でも相手をしてもらっているし、色々と世話になっている自覚はあるのだ。そういうことならば、たまには恩返しをしてもいいかもしれない。

 あまり深く舞踏会のことを考えると、不快な記憶も呼び起こされるのだが。


「あの、・・・カレン様? かなりお顔が・・・」

「ああ、ごめんなさいね、カイエスさん。ちょっとムカつく男のことを思い出しちゃったの」

「何だ、カレン。別に俺の顔ならいつでもすぐ傍で見ていてかまわないんだぞ。妄想なんてせずに」

「だっれっがっ、妄想してるっていうのよっ、この詐欺師がっ」


 その様子に、カイエスとロムセルが半眼になる。


「ああ、そういえば舞踏会といえば、お気の毒にもカレン様がロメス様に捕まってしまった悪夢の出来事だったんでしたね」

「言うな、カイエス。涙で視界が曇るじゃないか」


 そんな二人の部下のコメントなど気にせず、ロメスはカレンに罵倒されながらも嬉しそうに椅子から立ち上がって近づいていく。

 どうせ書類仕事に飽きたのだろう。

 部下二人は諦めの境地で、体を動かす仕事を上司に割り振るべく予定を見直していく。


「詐欺師じゃないだろう? ほら、何と言ってもお前が俺の愛を受け入れた運命の夜だったじゃないか。お前だって俺の実行力が素敵だと褒めてただろう?」

「受け入れてないっ。って、どうして寄ってくるのよっ。さっさと仕事しなさいよっ」

「そう真っ赤になって照れるなよ。あの時は喜んで俺と踊ったくせに」

「こっ、このっ」


 椅子に座った姿勢のままのカレンを抱き上げると、ロメスが部屋の外へと向かう。

部下達は黙って好きにさせることにした。いつもより書類に目を通した上司には気晴らしが必要なのだろう。犠牲の乙女には感謝してもし足りない。そう思うしかないのだ。


「ちょっと、人をどこに運んでいく気よっ。下ろしなさいよっ」

「椅子に座りっぱなしで飽きたんだ。ちょっと外の空気でも吸いに行こう」


 片腕にカレンを座らせた格好で運びながら、ロメスにはそれが苦になっていないようだった。そうやって運ばれると、ロメスの旋毛を見下ろす格好になるわけで、狭い階段を上がっていくロメスの頭に落ちないよう抱きつきながら、その髪にそっとカレンは指を伸ばした。

 明るい黄赤色の髪は太陽によく似合うと思う。自分が髪も瞳も黒いせいだろうか、こういう色は少し羨ましい。

 

「こういう階段の天井は低いからな、ぶつからないよう気をつけろよ」


 そう言って、ロメスが連れてきたのは、棟の最上部にある屋上だった。


「すごいわ。かなり遠くまで見渡せるのね」

「ああ。とはいえ、こんな所から落ちたら死んでしまうからな。あの坊やは連れては来れん。危なすぎる」


 たしかに膝程の高さまでしか壁がない屋上では危険だ。はしゃいで駆け出したりでもしたら、とんでもないことになりかねない。

 そしてカレンに何かあってもまずいと思うのか、ロメスも端の方には行かず、そのまま中心の位置でカレンを抱えたまま立っていた。


「ねえ、ロメス。重いでしょ? 下ろしていいわよ」

「お前程度なら軽いものだな。それに、俺の腕に座らせている方が落ち着く」

「何それ」


 馬鹿じゃないのと呆れた顔になるカレンの頬に、ロメスが手を伸ばしてくる。

 こうして黙って立っていれば、本当に見た目だけは悪くない男なのだ。

最近では、何がリナ達の評価を取り戻すきっかけになったのか、「そこまでカレン様を大事にしているのならば許して差し上げましょう」と、ロメスは二階の自室で休むようにもなっている。

しかも、最初はカレンを守る為にと二階にある部屋を使っていたドルカン達も、今では一階の部屋を使うようになった。おかげで二階を使うのは、ロメスとカレンだけだ。

 ちょっと待てと思ったが、だからといって何が起こるわけでもなかったので、最近ではカレンもロメスの存在をあまり気にしなくなっていた。


「どうしたの、ロメス?」

「いや。こうして見ると、本当に黒い髪と瞳なんだなと」

「それが何? そりゃ私だってもっと明るい色の方が良かったけど、こればかりはしょうがないでしょ」


 自分だって、エイリ達のような明るい金髪には憧れたのだ。宝石のような色のついた瞳も羨ましいと思う。カレンにしてみれば、鴉のようなこの色合いはちょっと不本意なのである。


「そうか? 俺はお前のその色は好きだぞ」

「そう?」

「ああ。どんなに血まみれになっても分からないからな」

「・・・・・・」


 やはりこの男はおかしい。感覚が狂ってるとしか思えない。どうして血を浴びることが前提にくるのか。


「あのね、ロメス」

「何だ?」

「どうして私が血まみれにならなきゃいけないの?」

「お前がなる必要はないが、そういう意味で夜の闇色ってのは特別だってことさ。全てを隠してくれるからな」

「・・・何を隠すのかを聞きたくないんだけど、それ、褒め言葉じゃないわよ、絶対」

「いいんだ。褒め言葉なんて相手をいい気分にさせる為の誤魔化しにすぎないからな。そんなものをお前に使う必要はない」

「ロメス、あなた、やっぱりおかしいわよ」


 他の人には歯が浮くような美辞麗句を並べ立てておきながら、仮にも妻である自分には褒め言葉など必要ないとはどういうことなのか。しかも褒めたくないくらいに嫌われているというのならともかく、誰よりも特別だとロメスは言う。


「いーい? ちゃんと落ち着いて考えてみなさいよ。普通は反対でしょ? どうでもいい人には褒め言葉なんて使わず、特別な人には褒め言葉も出てくるってものよ。そういうものでしょう?」

「普通と言われても、お前だけが特別なんだから普通には該当しないだろう。それに、お前をいい気分にして誤魔化したいわけじゃないしな。俺は、お前の俺をまっすぐに見据えて軽蔑してくる視線も気に入ってるし、お前が顔を真っ赤にして怒り狂っているのを見るのも好きだ。まあ、俺のせいで泣くのは困るんだが、他の奴の為に泣くよりマシだと思えば、もっと泣かせてもいいな」


 カレンは黙ってロメスの頬を抓った。


「痛いぞ、カレン」

「どこまでおかしいのよ、あなた」


 怒らせて泣かせて軽蔑されたいと言われて、愛の告白と思う女がどこにいると言うのだろう。

もう、ここまでくると、さすがのカレンも諦めるしかないのか。

 修正不可能だ、この男は。

 脱力のあまり、思わず苦笑してしまったカレンである。


「ほんと、どこまでも駄目な男なのね、あなた」

「今更だな。・・・ああ、だけど」


 もう自分の方が折れるしかないのだろうかと笑ってしまったカレンに、ロメスがその紺色の瞳にいたずらっぽい光を湛えて見返した。


「一番気に入っているのはお前の笑顔だ」


 そうして小鳥がついばむようなキスをしてくる。

 驚いたカレンだったが、抵抗はしなかった。ただ、そっと目を閉じた。






 どうやらロメスは、カレンのドレスの作成をリネスに頼んでいたらしい。娘のエイリもロレアもいないからだろう、リネスは喜んでカレンのドレスを作らせていた。


「この髪飾りと首飾りと腕輪なら、やはり桃色がお似合いでしょうからね」




 ケリスエ将軍とカロンから贈られた装身具は、同じような濃いピンクの石をあしらって作られていた。

カレンが二人の所へお礼を言いに行ったら、その首飾りはロメスの見立てだと言われ、更にケリスエ将軍はそれを知って同じ交易で入ってきていた品物の方を見直させて、髪飾りと腕輪を探し出してくれたらしい。


「たしかに支払いはしたものの、元々はロメス殿が奥方の為にとっておいたものだからな。ロメス殿が贈ったのと変わりないのではないか? きっとよくお似合いになるだろう」


 そうカロンが言えば、


「私も装身具には明るくないのでな。ロメス殿の見立てなら間違いないと思って同じ石のものを探させただけだ。黒髪の乙女とも呼ばれる、まさに月の妖精のようなカレン殿にはお似合いになるだろう。あのコーラルピンクの石は、カレン殿のその気高く優しい心映えを表しているかのようだとも感じたものだ」


と、ケリスエ将軍も言葉を重ねてきた。ロメスよりもはるかに言葉を惜しまずに使ってくれるケリスエ将軍には惚れてしまいそうになる。


「あの装身具をつけた所も夢のようにお似合いだろうが、きっとそれを外せる男がいるとしたら、その一夜の夢の為なら死んでもいいと思うだろうな」


と、こっそり言われた時には、ぜひ口説いてほしいとまで思ってしまった。その時は、きっと一生ついていくと思う。

 夕食の席で、それをリナに話したら、ケリスエ将軍がいかに素敵かといった話になった。凱旋の際に、リナ達もケリスエ将軍の姿を見たことはあったらしい。

堂々とした無口で覇気溢れる将軍ながら、親しくなると茶目っ気もあるのだと話すと、リナもとても興味がわいた様子だった。


「いや、そもそもそれ自体がおかしいだろう。大体、どうしてそこで装身具を外すのなんのという話になるんだ」


と、ロメスはブツブツ言っていたが、


「ケリスエ様になら、ぜひ外してもらいたい」


と、言ったら、黙り込んでしまった。ケリスエ将軍が自分の後ろに立って留め具を外してくれようものなら、きっとドキマギしてしまい、その日は興奮して寝付けないと思う。

 ネイトとドルカン達は苦笑していたが、あのケリスエ将軍の魅力は男には分からないのだろう。

そりゃ本気で口説いてもらえるのならば考えるけど、冗談だから憧れは憧れで置いておくのだ。


「いいじゃないの。ロメスはそういうの、言いたくない人なんでしょ」

「そうかもしれないが、だからといってケリスエ将軍はないだろう。って、本気なら考えるのか」

「何言ってるのよ、当たり前じゃない。だってケリスエ様、誠実さがあるもの」

「口説き文句を垂れ流す奴に誠実さなんぞあるか」

「それはロメスのことでしょ」


ロメスだって、他の女性を口説きまくっていたくせに。そう言うと、皆が爆笑した。




「鎖骨から肩まで出すにしても、首飾りが映えるラインにした方がいいでしょうね。人妻とはいえ、まだお若いのですから今回のスカートはあまり膨らませるのではなく、あえて身を翻した時に夢のように広がるようにしましょう。気候的に、あまり重ねない方がいいでしょうから、今回は一番下に桃色を、そして上には白に近い桃色を重ねましょうね」


 リネスがボールガウンのデザインを仕立て屋と決めていくのを見ながら、どこまでも気が遠くなりそうなカレンだった。

 ここでエイリやロレアがいれば、リネスもそちらの仕立てに力を入れなくてはならないだろうからそこまでのことはないのだが、現在ロームにいるのはカレンだけだ。

リネスは自分のドレスを十分に持っているし、どういったものが自分に似合うかを知悉しているので、すぐに自分の衣装は決めてしまったらしい。

 カレンという着せ替え人形を手に入れたリネスは、どこまでも研究熱心だった。


「伯母上に全てお任せいたします」


 そう言う以外、何がカレンに言えただろう。一口に桃色と言っても、光沢や織り込まれた模様、そして透かしがはいったものなど、様々だ。違う種類の布地をあれこれ言われつつ体に当てられながら、カレンはひたすら忍耐で舞踏会の日が終わるのを待ち望まずにはいられなかったのである。






 舞踏会は舞踏会でも、今回はかなり庭が開放されており、あくまで夏の世の夢と言わんばかりのものらしい。

 カンロ伯爵夫妻は様々な人との交流に忙殺されていたが、一緒にいると、「この方があのフォンゲルド殿の・・・」と、なぜかカンロ伯爵達よりも注目されてしまう為、早々にカレンは逃げ出していた。

 壁の花でいようかと思ったが、そうなるとダンスに誘われたりもする。しかし、なぜかロメス・フォンゲルドの妻であると知った途端、怖気づく男が多いのだ。一体、あの男は何をやらかしたのだろう。


「カレン殿。城の庭であっても暗い場所に行かれるものではありませんよ」

「まあ、カロン様。気持ちのいい夜ですわね。やはり警備に当たられていらっしゃいますの?」

「ええ」


 人目につきにくい庭に出ようかとした所で、カロンに声をかけられる。かなり大柄なカロンだが、とても落ち着いていて紳士的な人だと、カレンも今では信頼していた。


「ケリスエ様とご一緒ではないのですか? いつもお傍にいらっしゃるものと思っておりました」

「ああ、ケリスエ将軍でしたら、とある男爵令嬢のダンスの練習に付き合っているのです。その練習をしている場所からカレン殿が見えましたので、何かあってはいけないからと、私を寄越しました」

「まあ、それは・・・。申し訳ありません、私の為にカロン様を・・・」

「いえ、そんなことはありません。ダンスの練習を見ていても仕方ないので、席を外す理由ができてほっとしたというのが本音です」

「はぁ・・・。ところでカロン様、こういう場合ってどこにいればいいと思います? 適当にどなたかと踊ろうかと思ったのですけど、私がロメス・フォンゲルドの妻であると知った途端、皆様、なぜか挙動不審になってしまいますので、庭で時間を潰そうかと思いましたの」

「ああ、そりゃロメス殿の奥方は誘えないでしょうね」

「何故ですか?」


 そこでカロンは考え込んだ。あの狂犬の奥方に手を出して死にたくないからだと言ってもいいものだろうか。まずいだろう。


「実は、・・・これはロメス殿に内緒にしておいてほしいのですが・・・」

「ええ、勿論、言いませんわ」

「あのロメス殿が惚れこみ、妻に迎えた乙女の話は有名でしてね、ダンス一つであれ誘おうものならロメス殿に嫉妬されて何をされるか分からないと思われているのです。ロメス殿の溺愛している奥方を平気でダンスに誘えるのは、ロメス殿が頭の上がらない相手、つまり王、大将軍、三将軍、・・・そんなところでしょう」

「はい?」


 カレンは聞いた言葉を信じられずに聞き返した。そもそも溺愛なんてされていない。


「あの、・・・カロン様?」

「何でしょう?」

「私、ロメス・フォンゲルドからは、警備にあたっている人間のダンスの相手でもしていてくれと言われたのですけど」

「そりゃ警備にあたる軍部の人間ならあなたに狼藉などはたらくこともありませんから、ロメス殿はあなたを守る為にそう言ったのでしょう。ただ、軍部の人間にしてみれば、自分達の上司であるロメス殿を怒らせたくないので、あなたを誘う勇気はないと思います」

「何ですの、それ・・・」


 カレンはがっくりと肩を落とした。舞踏会に来て踊ることもできず、何をしていろと言うのか。ここは責任をとってロメスに踊ってもらうしかないではないか。


「信じられないわ、もう。・・・しかもロメスも、どこに行ったか分からないし、私にどこで時間を潰せというのかしら」

「ロメス殿なら、・・・多分、酔っ払いの片付けにまわっているでしょうね」


 あの狂犬のことだ。遠慮なく叩きのめせる相手を探して、そのまま暗がりの警備にまわっているだろう。そうカロンは思った。


「ではカレン殿。もしもお嫌でなければ、私と踊っていただけませんか? 私も踊ってくださる方がいなくて寂しい思いをしておりましたものですから」

「いいんですの、カロン様?」

「勿論です。どうぞ、私に月の妖精と踊る栄誉を頂戴できませんか?」

「まあ、喜んで」


 カロンにエスコートされて会場に戻りながら、やっと踊れると、カレンはほっとしたのだった。やはり一曲も踊らずに帰宅するのは悲しすぎる。土産話にそんなことを言おうものなら、リナもがっかりすることだろう。

 そういう意味でも、カロンはとてもありがたい救い主である。ケリスエ将軍といい、カロンといい、ロメスに比べて何と紳士的なことだろう。

 そして踊ってくれる人がいないと言いながら、踊ってみたらかなりカロンはワルツも上手だった。


「ところで、私を誘えるのは将軍様方よりも上の人と言いながら、カロン様は平気ですのね?」

「ああ、ロメス殿にしても、まさか部下達がそこまで怖気づいているとは思っていなかっただけでしょう。少なくとも、カレン殿を安全に守っている限り、ロメス殿は何もしませんよ」

「そうかしら。ロメスにとって、そんなに私が大事とも思えませんけど」


 カレンがむーっと不貞腐れると、カロンは大人の微笑を浮かべた。


「どうしてですか?」

「だってロメスったら、私に好きだとも愛してるとも言う気はないって言うんですのよ。・・・信じられます?」

「そりゃまた、困った男ですね」


 呼吸するかのようにいつでもどこでも言える男の筈だが、彼女だけは別だということか。

あの黒髪の乙女とやらの話を聞いた時には、そんな可愛らしい恋物語をやらかすような男じゃあるまいと思い、どうせ真実は微妙に違うんだろうなと思ったものだ。

それでもカレンを大事にはしているようなので、カロンとしても彼女を尊重するように心がけた。更にケリスエ将軍を喜ばせてくれた今、感謝している相手でもある。


「カロン様だって、好きな相手には好きって言いますわよね?」

「あ。・・・ああ、まあ、それは・・・生憎、私もあまりそういうことは・・・」

「ああ、そうですわね。カロン様も、ケリスエ様のように誠実な方ですもの。軽々しくはお使いになりませんわよね」

「お恥ずかしながら、その点、私、不調法なものでして・・・。そうですね、簡単には言えないかもしれません」

「ですわよね。なのに、ロメスったら、誰にでも簡単にペラペラ言うくせに、私だけには言いたくないって言うんですの。ふざけてると思いません?」

「まあ、男ってのは・・・。本気の相手程、無様になるものですから」


 第五部隊長の言葉を思い出す。たしかに年の功なのだろう。あの時はロメスへのコメントだった筈なのだが、こうして口にしてみると、自爆レベルで自分の心にもグサリと突き刺さるものがある。

 そんなカロンを、カレンがどうしたのかと、首を傾げて見上げてきた。


「ロメス殿にしても、どうでもいい相手に心のこもらない言葉を重ねることはできても、本気の相手にはまともに言葉も出ないのでしょうね」


 そう、これはロメスの話なのだ。自分の話ではない。

 カロンはそう思い込むことにした。ああ、自分の心も痛い・・・。

 やがてダンスが終わると、そこでカレンに声をかける男がいた。


「第六部隊長ばかりが、ケリスエ将軍の月の妖精をダンスに誘えるとは羨ましいことです。どうぞこの老いぼれにもその栄誉をお与えくださいませんかな?」

「まあ、ソチエト様」


 そこに立っていたのは、ケリスエ将軍の部下である第五部隊長トル・ソチエトだった。


「よろしいかな、第六部隊長?」

「月は万物を照らすもの、独り占めする気はございません、第五部隊長。・・・カレン殿も、まだお疲れでなければ、どうぞソチエト殿と踊って差し上げていただけないでしょうか」

「まあ、嬉しいですわ」

「ではどうぞ」


 カロンが流れるような動きで、カレンの腕をそのままソチエトへと導くと、ソチエトも慣れた動きでカレンをリードして踊りの輪へと入って行く。


「やれやれ、これで出し抜けましたな」

「え?」

「実は、カレン殿を誘いたくてうずうずしている男共は多くおりましたが、何と言ってもケリスエ将軍が大事になさっている月の妖精、更にはロメス殿の奥方でいらっしゃる。おかげで、軍部の人間は遠目に眺めて指をくわえておったのですよ」

「あの、その月の妖精というのは一体・・・」


 あまりに恥ずかしすぎる呼称である。カロンのそれはただのお世辞だろうと思っていたが連呼されるとさすがに気になるカレンだった。


「ああ。エイド将軍の方では黒髪の乙女と呼んでいらっしゃるそうですが、ケリスエ将軍はあなたを月の妖精と呼んでおられますからな、我らも月の妖精と呼んでいるのですよ。その髪飾りもよくお似合いでいらっしゃる。黒髪に映えて、本当にお美しい」

「ありがとうございます」


 どこまでもケリスエ将軍の騎士団は褒め言葉を惜しまない。ソチエトもまた渋い魅力がある。カレンは真っ赤になった。


「ですから、カレン殿を月の妖精と呼んでいたら我らが騎士団の者でございましょうな。何にせよ、あの小僧が一番にカレン殿を誘って踊ったものですから、なら大丈夫だろうと、これからカレン殿へダンスの申し込みが殺到するかと思いますぞ」

「え? まさか・・・」

「おや。この老いぼれの話をお信じになりませんかな? まあ、これでもそれなりに目端は利くつもりですのでな、若造どもより先んじて声をかけさせていただいたのですよ」


 老いぼれと言いつつ、ウィンクしてくるソチエトは年を食った伊達男と言うべき風体である。曲の終わりと共に、壁際にある椅子へと案内するさまも堂にいったものだ。

 だが、座る間もなく、カレンに声が掛かる。


「もしもお疲れでなければ次は私と踊っていただけませんでしょうか、我らがムーンフェアリー殿? 第一部隊のキヤン・ハイリと申します」


 見れば、顔だけは見知っている男だった。


「ええ、喜んで」


 やはり慣れた様子でソチエトがキヤンにカレンの腕を渡していく。別れる際に、言った通りでしょう? と言わんばかりの表情を浮かべたソチエトに、カレンも微笑んだ。


「鍛錬場にお邪魔した際、私を見守ってくださっていた方ですわよね? いつもありがとうございます」

「いいえ。本当はそれこそお相手もしたかったのですが、ケリスエ将軍から、あくまでカレン殿のペースを大事にするように、あなたから言われない限りは見守るだけに留めろと言いつけられておりまして・・・。最近は王都騎士団の鍛錬場に舞い戻っておしまいになったものですから、月の化身だけあって、美しくも移り気なことよと、こちらでは涙で枕を濡らす男が続出しているのですよ?」

「まあ、本当にお上手ですこと」

「信じていらっしゃいませんね」

「ケリスエ様の騎士団の方って、どうして皆様、お口が上手なんでしょう。それに皆様、紳士的でいらっしゃいますわ」

「そうでしょうか? 思ったことをそのまま口にすることもできない武骨者の集まりですよ。いつもの男装もお可愛らしいが、こうして着飾ったあなたはまさに手の届かない月のようにお美しいと、それすらどうあなたに伝えていいかも分からず、我らはあなたを誘う勇気もなかったのです」

「まあ」

「カロン殿があの月の妖精を誘ってくださって、やっときっかけが出来たというところでしょうか。けれども今宵は月光を浴びて咲くピンクの薔薇のようだと、もうソチエト殿からも言われておしまいになりましたか? あなたが薔薇の妖精であれば、そのまま手折って持ち帰り、誰にも見せずに仕舞い込みますものを」


 どこまでも言葉を惜しまないローム国騎士団の面々である。これが貴族の子弟による褒め言葉ならば適当にあしらえるが、普段は言葉などより己の強さだけを追い求める騎士団だ。そんな彼らから贈られる褒め言葉の数々に、カレンは顔を赤らめることしかできなかった。






 ここは怒っていい場面だろうか。というか、一体あれは何なんだろうか。


「いい夜だな。どうしてそう不機嫌そうな顔に?」

「おい、分かっててやってるよな? あれ、わざとだよな?」

「何がだ、ロメス殿?」

「あのなあ、何を考えてるんだ、お宅の騎士団は?」


 不完全燃焼ながら適当にふざけた男共を殴り倒して少しだけすっきりし、やっと会場の二階に戻ってきたら、そこから見えるのは妻のカレンが次々と踊っている姿だった。

 そこまではいい。別に楽しく踊っているだけなら。

 何も俺には分からないが? と、首を傾げるカロンだが、分かっていない筈がないだろう。


「なんでカレンと踊ってるのが、そっちの奴らばっかりなんだ。しかも、毎回毎回、何を言ってるのか知らんが、カレンがあそこまで真っ赤になってるって、どういうことだ」

「そう言われても・・・。別に踊っている女性を褒めるのは普通のことじゃないのか? それで真っ赤になるだなんて、ロメス殿の奥方は本当に純情でいらっしゃる」

「おい。話を逸らすな。一体あいつに何を吹き込んでるんだ?」

「誰が何を言ってるかなど、俺が知る筈ないだろう」


 大の男がどんな口説き文句を使うかなんてことまで管理しきれるかと、カロンがお手上げポーズをすると、ロメスは恨めし気な顔になった。


「カロン殿。・・・先だってカレンが手配した弓矢だが、その持ち主が持っていたという剣、そっちはカレンじゃない人間が譲り受けててな、まあ、別に普通の剣といえば剣なんだが、その譲られた人間から更に譲ってもらったんだが?」

「・・・うちでは、ケリスエ将軍がカレン殿のことを黒髪の乙女より月の妖精の方が可愛らしくて良いだろうと、そう呼び始めたんだ。だからうちの奴らは全員、彼女を月の妖精と呼んでいる筈だな。月といえば天に輝くものだから、それにちなんだ褒め言葉の一つや二つや三つや四つも出ているだろう」

「ちょっと待て」

「更にロメス殿が見立てた首飾りはともかく、それと同じ石を使ったものをケリスエ将軍が捜したからな。それを知っている奴らは、やはり彼女がそれを身につけた姿を褒めてるだろうな」

「おい」

「自分達の将軍が月の妖精と呼び、髪飾りと腕輪も贈った相手だ。そりゃうちの奴らも一度はダンスに誘うし、更に彼女への褒め言葉も惜しまないだろう。だが、その程度じゃないか?」

「あいつは俺の妻なんだが?」

「うちの奴らにとって大事なのは、うちのトップにとってどういう存在かだ。まあ、ケリスエ将軍は男爵令嬢のお相手で忙しいし、さすがにダンスに誘うことは、・・・ないと思うんだが」

「って、何か? そのお相手で忙しくなければケリスエ将軍もあいつをダンスにでも誘うというのか」

「いや、さすがにそれはないと思うんだが、・・・・・・多分」


 しかし、会場ではなくテラスや庭なら踊りに誘うかもしれない。そうカロンが続けると、ロメスはぐしゃぐしゃと頭を掻いた。


「別にそう気にすることはないだろう。たかがダンスだ。浮気されるわけでも何でもあるまい」

「知ってるか? あのケリスエ将軍の褒め言葉がどうだの、ケリスエ将軍の魅力がどうだのとかで、あいつが家でキャーキャーはしゃいでんのを」

「お可愛らしいことじゃないか。まあ、ケリスエ将軍とて普通にロメス殿の奥方を尊重されているだけだ。別に手を出したりは、・・・・・・多分しないと思うが」

「いや、そもそもそこがおかしいだろう。なんであいつはそこまでケリスエ将軍にクラクラしてるんだ。しかもどうしてさっきからお前さんは完全否定をしないんだ。それ自体が既におかしいだろ、おかしいよな?」


 そんな文句を言われても、それはカロンの責任ではない。ロメスは知らないだろうが、ケリスエ将軍が女性と楽しい時間を過ごすのはいつものことだ。それにかの男爵令嬢と違い、カレンはあくまでケリスエ将軍を手の届かない憧れとして見ているのが分かる為、カロンにとってもさほど気にならない。

 そういう機微は、ケリスエ将軍率いるローム国騎士団を知らないロメスには分からないのだろう。だからいいようにこうやって挑発されているのだ。傭兵的な要素の強い自分達は、そういった心理戦も遠慮なく使う傾向がある。


(今夜のこれも、まさか俺達にわざとされているとは思わなかっただろうがな)


だが、あまりにもロメスが情けないようだと、カロンの方にもダメージがくるのだ。ここはきちんと二人で仲良くまとまってもらいたい。これ以上は自分の心が辛すぎる。

 仕方がないので、カロンは根本的解決に繋がる言葉を吐いた。

 

「ロメス殿が変な意地を張って言葉を惜しんだのが全ての原因だろう。ケリスエ将軍のアレは治らん。諦めて将軍にうっとりクラクラしている奥方を受け入れるか、ケリスエ将軍を凌ぐ褒め言葉を奥方に捧げ続けるしかないんじゃないか?」


 




 カレンは心地よい疲れに浸っていた。

 ソチエトの言葉は正しかったらしい。カロンと踊った途端、次から次へとダンスを申し込まれるようになり、休みなしで踊ることになってしまった。

さすがのカレンも今は疲れて椅子に腰かけ、休んでいる。

 けれども夢のようだった。あんなにも雨あられと美しい言葉を贈られ続けるだなんて、そうそうないことだと思う。ケリスエ将軍の部下達はなんと女性を褒めるのが上手なのか。


「あれだけ動けばのどが渇いただろう?」


 すると、自分の横に人が立った。グラスが手渡される。


「あら、ロメス」

「疲れてないか、カレン?」

「そうね。少し疲れたわ。ありがとう」


 グラスに満たされた甘口のワインがのどに心地よかった。


「まだ踊れそうか?」

「そうね、まだ大丈夫よ。だけどかなり踊ったから、もう踊らなくてもいいかも」


 カレンが飲み終わったグラスを受け取って小姓に返すと、ロメスはカレンの前で腰を折った。


「王都騎士団のロメス・フォンゲルドと申します。一曲、お相手願えますでしょうか、レイディ?」


 カレンは目を丸くした。その紺色の瞳に宿る合図に、知らず微笑む。


「カレン・ロイスナーですわ。ええ、喜んで」


 最後のダンスはロメスと踊るのもいいだろう。そう思い、くすくすと笑いながらカレンがその手を預けると、ロメスもカレンに微笑んでゆっくりとしたワルツへと導いた。

 そして、男の気を惹く為の笑顔ではなく、本当に面白がっているのが分かるカレンの表情は、ロメスに満足感を与えた。別にどれ程の男に褒められて顔を赤く染めようとも、本気でカレンがそいつらになびくと思っているわけじゃない。けれど・・・。

 二人の体がかなり寄り添う。


「疲れてるだろう? もう少し体を預けるといい」


初めて踊った時は人探しが目的だったから、こうやって二人のひとときを楽しむように踊る余裕はなかった。密着した体に、カレンの心臓が早鐘を打つ。


「あの、・・・ロメス、ちょっとくっつきすぎだと思うの」

「そうか? 普通だろ」

「普通じゃないわよ。恥ずかしいじゃないの」


 仕方ないなと呟いて、ロメスがカレンを促す。


「じゃあ、テラスに行こう。暗いし、音楽は届くし、そういうのが気になる奴はテラスで踊ってるしな」


 誰もいないテラスへと移動すると、会場よりはるかに暗いが音楽は届く。


「ここならよろしゅうございますか、レイディ?」

「まあ、ここなら・・・」


 よくよく考えたら普通に踊ればいいだけだったのではないかと思うのだが、カレンも流されるままにロメスの手を取った。

 流れてくる音楽に、薄暗いテラス。二人だけの時間が流れていく。


「なんだか、誰もいない世界みたいね」

「そうだな。・・・カレン、顔を上げてみてくれ」

「え? どうしたの?」


 暗い為、自分を見下ろしてくるロメスの表情はよく分からない。それでもカレンは微笑んだ。今日はかなり気分がいいのだ。

 華やかな王宮。笑いさざめく貴婦人達。そして素敵なダンスのお相手達と夢のようなひととき。

 しめくくりがこの男というのはアレなのだが、まあ、そこは許してやってもいい。

 フッと、ロメスが笑ったのが空気の揺れで分かった。


「どうしたの、ロメス?」

「いや、その首飾りもよく似合っていると思ってな。見た時、絶対にお前に似合うだろうと思ったんだ。ドレスもそれに合わせてくれたんだな、綺麗だ」

「ど、・・・どうしたの、ロメス?」


 あのロメスがこんなまともなことを言えるだなんて、一体何があったのだろう。

カレンは額に皺を寄せて考えた。・・・頭でも打ったのだろうか、この男。


「そういえば酔っ払いの片付けに行ってたって話だったわよね。転んで頭でも打ったの? 大丈夫?」

「・・・・・・」


そんなカレンの様子に、ロメスもさすがに反省した。たしかに自分は言葉を惜しみすぎたらしい。既にカレンは自分の褒め言葉など何一つ期待していないようだ。


(まさか、あのカロン・ケイスに女の扱いを注意される日が来ようとは・・・)


カロンもカロンだ。ケリスエ将軍を少しは(たしな)めてくれればいいものを。

まさか自分の妻をムーンフェアリーと呼んでまで可愛がっているなどと、誰が想像できただろう。あの後、例の剣と引き換えに、どんな表現で彼らがカレンを褒めていたかまでカロンから聞き出したロメスは、しばらく打ちのめされていた。


(てか、知ってたんじゃねえかっ。あのカロンの野郎っ)


そういうのを止めるべきなのがカロンの役割だろうに、なんて役立たずな男だ。だが、まさか自分の妻が他の男の言葉にうっとりと酔いしれるだなんて事実を、ロメスが受け入れられる筈もなかった。


(たしかに俺はどうでもいいことに囚われてたんだな。今までがどうであれ、最初からそんなこと気にしなけりゃ良かっただけの話だ。カレンを手に入れた時点であれらは俺の歴史から無かったことにすりゃ良かっただけだったってのに、真面目に考えすぎたんだ)


カレンが知ったら更に軽蔑するであろう結論である。

しかし、ロメスにしてみればカレンをケリスエ将軍に取られるのだけは許しがたい。というより、立ち直れない。ここは全力で阻止すべきだろう。

そう思いつつ、ロメスはカレンの左手を自分の右手で握ったまま自分の唇へと運んだ。目を伏せてその指先に静かに口づける。

自分よりはるかに小さい手だ。筋肉も足りてない。けれどもこの小さな手の持ち主を自分は望んだ。それは間違いないことなのだ。


(ちょっと、何なの、これ。ロメスってば何してるのっ?)


もしかしてこれは夢なのだろうかと、カレンは状況が分からずに混乱した。まるで愛しい女性に対するかのように、ロメスが自分の手に口づけているのだが、これは一体何事なのだろう。


「それでも俺にとって一番綺麗なのは、あの地下で初めて会った、そのままのお前だ。着飾っていなくても、お前はお前のままで美しい。・・・カレン、あの時からずっと忘れられなかった」

「ロ、ロメス?」

「もう一度お前に会う為に、どうやってまた忍び込めばいいのかと、お前のことをここで想い続けていた」

「えっ、と・・・?」

「どんな手段を使っても手に入れたいと思う程、お前が好きだ」

「・・・・・・」


 何が起こっているのだろう。この男は本物のロメスなのだろうか。偽物じゃないのだろうか。

 混乱しているカレンをよそに、ロメスはカレンの髪に軽くキスをした。

 そしてステップを止めると、ロメスはカレンの前に跪いてその手を取り、口づける。


「カレン・ロイスナー嬢。それでも私はあなたと一緒にいたい。その髪飾りを外して流れ落ちる髪を見るのも、その背中から首飾りを外す権利も、他の誰にも譲りたくはない。他の誰よりもあなたの近くにいたい。こんなにも望んだのはあなただけだ。あなたが望む愛の言葉も、これから先はあなた一人だけに捧げよう。誰よりも愛してる。どうか私と結婚してくださいませんか?」


 あまりの衝撃に、カレンは目の前の現実を受け入れられずに混乱した。


(う、嘘・・・)


 だって目の前にいるのはロメス・フォンゲルドの筈なのだから。これは一体、誰なのだろう。

 まるでプロポーズしているかのように、自分の前で跪いてこの手を握っているのは・・・。


「・・・カレン?」


 いつまでたっても返事をしてくれない為、ロメスが顔を上げると、そこにはぼろぼろと泣いているカレンがいた。


「うわっ、ちょっ、お前っ、何で泣くんだよ」


 焦って立ち上がると、自分の胸にカレンの顔を抱きしめる。

すると、余計にカレンが泣くのが分かった。うっうっと泣いてるのだから、ここで誰かに発見されたら自分は完全な悪者だろう。

一応、自分も警備の責任者だから大抵の奴らは蹴散らせるが、将軍クラスが出てきたらまずい。


「あのなぁ、カレン。お前に泣かれるのは困るって言っただろうが。・・・まあ、俺のせいで泣かせてるんだと思えば悪くもないかもしれんが」


星の瞬く夜空を見上げ、カレンの頭を撫でながらロメスは途方に暮れた。


「泣く前に、せめて答えを聞かせてくれないか、カレン?」


 弱り果てたロメスだったが、ひしっと抱きついて泣くカレンの頭を優しく撫でつつ、その耳元でもう一度尋ねる。返事の言葉などなくても、ここまで泣く時点で、全身で自分のことを好きだと言っているようなものだ。それでもカレンにだけ言わせたい言葉がある。


「なあ、返事は?」


 カレンは答えない。うーっと泣いている様子は、それこそロメスが慣れ親しんだ男を籠絡させる為の手管としての涙ではない。本気で泣いているのが分かる。

 ああ、だからこそ、そのいつでも本音で生きている彼女を欲しいと思ったのだ。

 その隠しようのない心のままで自分を誰よりも愛させたい。こんなにも泣かれたのでは、誰だってそんな思いも生まれるというものだろう。


「なあ、カレン?」

 

 更に激しく泣かれてしまった。


(ヤバイ・・・。言えば言うほど、今のこいつは泣く)


 しかし、こうなると泣き止むまでどれくらい自分は待たねばならないのだろう。かなりヤバイ。こんな所で彼女を泣かしていたとバレたら、それこそカレンをケリスエ将軍にお持ち帰りされてしまうかもしれない。上司であるエイド将軍にバレても、まさか今までプロポーズもしていなかったなどと話せる筈もない。

 それでも・・・・・・。

 どうしてだろう、とても嬉しいと感じるのは。


(こういうのが、幸せって奴なのかもしれないな)


 自分の為にこうして泣いているのだと思うと、そしてカレンがプロポーズされて泣くのは自分だけなのだと思うと、かなり気分がいい。こんなにもカレンの感情を揺さぶることができるのは自分だけだと思うのは・・・。

 

「答えられないなら今は答えなくていい。カレン、お前に毎日愛の言葉を贈ろう。そして毎日プロポーズもしよう。だから、・・・いつか俺に応えてくれないか?」


 返事はなかったが、カレンがこくりと頷くのが分かった。

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