act.8 裏真言師・楠宗光
それは暑くなりはじめた六月のことだった。中間テストが終わり、ほっと一息ついた頃、夏服に身を包んだ千代がいつもの笑顔を見せながらさゆりの前に現れる。
「街へ?」
「そう。買い物行きたいんだよね。コスメとか買いたいし」
「いいね!」
街というのはバスで30分ほど行った場所にある駅前繁華街のことだ。大きなデパートや若者向けのファッションビルなどがあり、沢山の人が利用する。普通科の生徒なら学校帰りに寄り道したりするのだが、寮生活であるさゆりや千代は滅多に行かない場所でもあった。
「じゃあ早速外出許可もらいにいこ!」
「うん!」
特別科の生徒が外に出るには外出許可が必要になる。それは特別科生徒にだけわかる結界が張られているせいでもあり、勝手に外に出られないようになっているのだった。
第二職員室にいた黒鉄は暑さのせいかワイシャツの胸元を大きくはだけさせて、うちわで自分を扇ぎながら、渋い顔を見せた。
「ダーメ」
「ええ~!?なんでよ~」
「暴走の恐れのある半人前の土蜘蛛と、これまた半人前の巫女じゃ許可はできません」
「夏休みなんか野放しじゃない!」
「それは帰省中のことだろうが。野放しにしてんのは学園じゃなくお前の実家だろ」
「でも!規則に従うなら『妖1人に対して人間1人の同行』じゃない!」
「実力が伴ってなきゃダメなんだっつーの!もう一人連れてけ」
「でも…蓮華ちゃんは特別講義受けるっていうし、太郎くんは見当たらないし…」
さゆりが困ったように眉を下げると、黒鉄はちょうどいいタイミングで職員室に入ってきた宗光をうちわで指した。千代が大仰に嫌な顔をしてみせる。そんなことおかまいなしに、黒鉄は宗光に声をかけた。
「別に…かまいませんが」
「だとよ。よかったな、二人とも。門限までには帰って来いよ」
そう笑って言うと、黒鉄は三人分の木の札を手渡してきた。これで結界の外に出られるらしい。まだぶつぶつ文句を言う千代を引っ張って、バス停へと向かった。
バスは幸いにもすぐ来たので普通科の生徒に紛れてバスに乗り込む。バスの中は冷房が効いていてうっすらかいていた汗がひっこんでいくのが心地よかった。
「ごめんね、楠くん…付き合わせちゃって」
「かまわない。俺もちょうど科学の参考書が欲しかったところだ」
「楠くん、理系の授業とってるんだね」
「ああ。勉強は嫌いじゃないからな」
そこまで話したところで、視界の端で千代がふてくされたような顔をしているのが見えた。さゆりが目を向けると千代の目が楠を睨んでいるように感じて慌てて取り繕った。
「千代ちゃんはコスメ買うんだっけ?」
「…アタシこいつ嫌い」
「…千代ちゃん」
「……いや人間性も苦手だけど…単に相性の問題なのかも…」
千代なりに悪いと思いながらの発言らしく、少し声音が弱弱しかった。宗光が大きくため息をつく。
「…それを言うなら俺もだ」
「楠くんまで…」
「仕方ない。俺の先祖たちにとって土蜘蛛は最も警戒しなければならない相手だった。急に同級生だと言われても違和感はある。弓削もそう感じているから俺が苦手なんだろう」
「特にその首から下げてる長い数珠。近づいただけで火傷しそうなんだもん」
千代の指が、宗光の下げている数珠に向けられた。普通の数珠より長く、二重に重ねてゆったりと宗光の首にかけられている。木でできたものでとても熱そうには見えない。さゆりが思わずその数珠に指を伸ばすと千代が焦ってさゆりの指を引っ込めさせる。
「バッ…やめな!」
「山上は人間だ。この数珠に触れても妖のように焼かれたりはしない」
「妖が触ると…火傷しちゃうの?」
「ああ。俺やローゼンタールの使う道具はいわば武器だ。強い神具なら弱い妖を消し去る」
「逆に私たち妖の武器も人間には触れられないわ。身体や心に傷をつけるものだから」
「だからこそ我らの神具と妖の武器は対等に戦える」
特別な武器だからこそ扱うものの能力と技量が問われるのだと宗光は言葉を締めた。武器の仕組みも千代と宗光がお互いを苦手なのもなんとなくわかった。だがそれならどうして二人とも五陵学園に来たのだろう。宗光が妖を嫌いならこの学園に来るべきではない。逆も然りである。ならば
「…でも二人ともお互いを解ろうとしてこの学園に来たんでしょう?」
さゆりの言葉に二人が目を見開いた。そしてお互いを見つめる。さゆりが言っているのは正論だ。
自分はなんのためにここに来たのか。
『アタシは…それでも人間になりたい』
『…なんと言われようと俺は五陵に行きます。妖すべて滅ぶべしなどと俺に言う資格はありません』
動揺する二人の気持ちをよそにバスは終点である駅前ロータリーに到着した。さっき自分で言ったことが千代と宗光の心を揺さぶっているとはつゆとも知らず、さゆりは明るい笑顔で二人に行こうと促した。千代がうんと続く。宗光もそれに倣った。
「アタシ達はこっちね。アンタが行きたい本屋はあっち」
「ああ」
「アタシの糸をつけとくからあとで辿れるから」
「…わかった。俺の用事が早く終わったらこの糸を辿ればいいな」
「うん」
千代はさゆりの手を引くと雑貨やコスメの置いてある店を目指した。少しは仲良くなったのだろうか。さゆりは心配そうにその背中を見つめていた。千代は店のディスプレイを指差してはしゃいでいる。こうして見ていると妖だなんて誰もわからないだろう。
それから二人はしばらくショッピングを楽しんだ。千代が熱心にマスカラの種類を吟味している。そろそろ宗光がこちらに来る頃ではないだろうか。そう伝えようとした時、さゆりの意識がぶつりと途切れた。
「…さゆり?」
さゆりはぼうっと虚空を見つめている。千代が声をかけても全く聞いていないようで、そのままフラフラと歩き始めた。
「ちょっと!さゆり!?」
千代は持っていた商品を適当な棚に戻すと、慌てて後を追った。さゆりは何かに導かれるように歩き続けている。ちょうど本屋から出てきたらしい宗光がこちらに向かって歩いてきた。
「山上?」
宗光の方も向かず歩き続けるさゆりに宗光は千代の隣を歩く。
「いつからああなった?」
「ついさっき。ねぇ、さゆりはどうしちゃったの?」
「トランス状態だ」
「トランス?」
「巫女が神託を受ける際にああなる場合があるらしい。神をその身に降ろすのだからな」
「…じゃあ今…さゆりに何かが降りてきてるの?」
「わからん。それに近い状態であることは確かだ」
「どうしたらいい?無理矢理止める?」
「原因がわからない以上無理に止めたら山上に負担がかかるかもしれん。そっと後をつけよう」
さゆりが目指すのは繁華街の裏通りの、建物と建物の間にある隙間のような空間だった。驚くべきはその場所の気温。まるで冷蔵庫にいるかのような寒さだ。今は6月だというのに。
「…なにこれ」
「妖気だ」
宗光が数珠を構えながら唇を固く結んだ。吹雪でも吹こうかという寒さのなか、さゆりはようやく正気に戻った。キョロキョロと回りを見回し、ようやくこちらを振り返る。その瞳は少し不安そうな色を携えたいつものさゆりの瞳だった。
「ち、千代ちゃん…楠くん…」
「さゆりっ!」
千代は慌ててさゆりの腕を引くと自分の後ろに隠れさせた。肌に感じる温度は真冬のそれで、夏服を着たさゆりと千代はぶるりと身震いをする。その様子を見てか宗光が二人の前に立ちあの長い数珠を振るい始めた。じゃらりじゃらりと鳴るそれから温かい熱風が生まれる。宗光の火の霊気が周辺の温度を変化させているらしかった。
「ねえ!あれ何よ!?」
「…おそらく雪女だろう」
その視線の先に立っていたのは白い着物の女だった。編み笠をかぶって長い杖を持っている。さゆりが昔話で読んだ雪女とは少し恰好がちがうようだった。
「…巡礼…?」
「巡礼の末に行き倒れになった女が雪女になった、というところだろうな」
「あんた祓い屋でしょ?あんなもんぱぱーっと…」
「無理だ…」
「はぁ!?」
千代が咎めるような声を上げる。さゆりが思わず宗光を見上げると、彼は眉根を寄せて絞り出すように首を振っていた。苦しそうな横顔にさゆりが千代にしがみついた。それ以上は責めないであげてほしいと。宗光がどんな理由で倒せないといってるのかはわからない。けれどあれだけ苦しんでいるのなら、それだけはどうしてもできないという意味だろう。
「ッ…このバカ!」
千代は両手を勢いよく広げるとその十本の指から出した糸を雪女に向かって放った。
「…弓削!男の一人が抱いてる雪の塊を壊せ!」
言われてみると確かに、蹲る男の一人が大事そうに雪の塊を抱いており、雪女はそれをただただじっと見つめている。千代は頷くと糸を幾重にも巻きつけた。
『…何をする…私のぼうやに…』
「…ぼうや…?」
「…あの雪の塊のことだろう。よくはわからないが…巡礼途中に寒さで子供を死なせたのかもしれない。雪女になってまで探しているうちに自分を見失ったんだ」
「だからって人間襲っちゃだめなのよ!!」
千代は掛け声とともに糸に力を込めた。雪の塊は崩れるように壊れ、地面に欠片となってぼとぼとと落ちる。途端に悲鳴を上げて雪女の姿は掻き消えた。
「…消えた…」
「いい?さゆり。妖には妖なりの事情も確かにある。でも人間を襲ったらそれは法律違反の犯罪者なの。いちいち同情なんてしてられないわ」
「千代ちゃん…」
「アタシは妖として…妖の長たる土蜘蛛の一族として、学園長の作った法律を守る義務がある」
千代の目は真剣だった。その瞳にいつものおちゃらけた雰囲気は一切ない。さゆりはそれを噛みしめるようにこくりと頷いた。
その瞬間
「山上!弓削!」
宗光の怒号にも似た声と共に二人は宗光に引き寄せられた。二人の銅には宗光の数珠が大きく太くなった状態で巻き付かれていた。
続く