act6 エクソシスト・太郎=ローゼンタール
「さて今日の妖怪生物学は”小鬼”についてだ。教科書28ページ」
こんな始まりが日常になってきた。とはいえ今では慣れた顔で授業を受けてはいるが、最初の頃は驚きの連続だった。妖の生徒は普通の人間にはない特徴が習性もあるし、なにより自由で奔放な生徒が多かった。今も黒鉄が居眠りをしているろくろ首に注意をして、隠れてパンを食べている佳澄の頭を教科書で叩いている。
「小鬼は西洋ではゴブリン・オークなどとも言われてる。基本的には大人しいが、姿を見られるのを好まないので主に夜の森で活動することが多い。右側の牙に毒があり、全身にまわると小鬼と同じ姿になってしまう。日本では雑鬼や家鳴り、と表現されることもあった。悪戯が好きな小鬼が夜中に天井裏を走るので、家がキシキシ鳴るからだな。…では今日は実技として『小鬼探し』をしてもらう。各自二人組になって小鬼を一匹ずつ見つけて来い。えーと今日はグレースがいないから一人余っちまうな」
「オレは一人でもいいぜ」
「太郎か…お前ならいいか。捕まえた小鬼は虫かごに入れて提出な。かごにペアになった二人の名前を書いて出せよー?んじゃ、解散」
一息ついたところでさゆりの肩を叩いたのは佳澄だった。いつもの笑顔でさゆりの顔を覗き込む。
「さゆり、一緒に組も」
「うん」
千代が不服そうな声を上げたが、蓮華がいるので自分もと名乗りはあげなかったらしい。佳澄と一緒に教室を出ると、後から後から生徒が廊下へと出ていく。
「どこ探す?」
「ん~…校内はみんな探すだろうし、森にでも行ってみようか」
「うん」
小鬼自体あまり見たことがないさゆりは佳澄に任せることにした。靴を履いて外に出ると寮の奥の森を目指す。さすがにここまで来る生徒はいないのか急に静かになった。
「さゆりが噛まれたら大変だし、もし見つけたらオレを呼んで。オレが捕まえてかごに入れるから」
「わかった」
たどりついた先の木々は鬱蒼としていた。ここから先何ヘクタールもの森が続いている。佳澄が白い翼をはためかせた。
「オレ、上から探してみるから」
「うん」
バサバサと飛び立つ姿を見送ってから、さゆりは森に入った。ヒノキや様々な木が大木となって生えている。普通科の生徒は立ち入り禁止になっているらしく、有刺鉄線が張り巡らされている。しかしこの鉄線は特別科の校章を持つ生徒にはすり抜けられるようになっているのだと聞いた。さゆりが試しに鉄線に向かって思い切って突進してみると、なるほど、何もないかのようにするりと抜けられた。
しばらく木の洞や枝の中、根元などを探してみたが小鬼は見つからなかった。もう少し奥を探してみようと、歩みを進める。
ちょうどその頃、大木のてっぺんで一匹の小鬼を見つけた佳澄があることに気づき下に降りた。
「そうそう、さゆり、西の森の方には行かないでな?あそこは…」
先ほどまでそこらへんに居たはずのさゆりの姿が見当たらなかった。咄嗟に風に耳を澄ませたがさゆりの動作音一つ聞こえて来ない。
佳澄は慌てて西の森の入り口に移動した。そこにさゆりの匂いが残滓となって残っている。
「嘘…だろ…」
佳澄は襲い掛かるように影を広げる森を見上げた。
ここは通称『禁踏の森』。特別な結界が張られ、学園長の許可が無い者は入ることすら出来ない。しかし、佳澄の怪力を無効化してしまうさゆりはもしかしたら例外かもしれない。そのことを視野に入れて注意すべきだったのに。佳澄は口の奥で歯ぎしりした後、掴んでいた小鬼をかごに入れて上空へと飛び立った。
さゆりは木々の向こうを睨みながらゆっくりと移動していた。この森に入り、佳澄の声がして振り返ったらもう道は違っていた。二歩進んで一歩下がったらもうすっかり景色が変わっていたのだ。ヒノキや椎木のあたりにいたのに、ここに生えているのはモミの木のように見える。森がさゆりを迷わせようとしているみたいだった。
そしてさゆりを取り囲むようにこちらの様子を伺っているのは、オオカミの群れだ。ギラギラとした瞳がいくつもこちらを向いている、さゆりが焦って走り出そうものなら一気に飛びかかってくるだろう。息を潜めてゆっくりと後ずさった方がいいのは確かだ。しかしオオカミの群れは徐々に輪を狭めてさゆりへと近づいて来ていた。
後ずさってばかりのさゆりが最も憂慮すべきことが起こった。木の根に躓いて尻餅をついてしまったのである。途端にオオカミたちが駆け出し、さゆりに飛びかかった。
「ひっ…!!」
さゆりが目を固く閉じて数瞬、何も起こらなかった。かわりに降ったのは固い金属のぶつかる音。そしてオオカミの悲鳴。恐る恐る目を開けて見ると、大きな十字架を剣のように持った太郎がさゆりの前に立っていた。
「なんだぁ?今日はオレにジャレてこねぇと思ったら…さゆりかよ」
「太郎くん…!?」
「さゆり、目ぇつぶってろよ」
「は、はい!」
「見よ、これが導きの光なりや!」
眩い光があたりを覆ったのは瞼越しにもわかった。するとすぐに太郎がさゆりの腕を引いて走り始めた。引きずられるように走って、ようやく目を開けた時にはオオカミは追いかけて来ていないようである。太郎もそれを確認するとどさりと座り込んだ。さゆりもそれに倣う。
「…はー…どういうことだよ、さゆり」
「どういう…って」
「ここは禁踏の森だぞ!?どうやって入った!?」
「わからないの。普通に入れて…私はてっきり普通の森かと思ってたのに…帰り道がなくなって、オオカミたちが…」
急に怖さが蘇り、さゆりの瞳が潤んだのを見ると太郎は叱る気も失せたのかさゆりの頭を優しく撫でた。
「悪かったよ、大きな声を出して」
「ううん」
「お前にはことごとくオレたちの常識が通じないみたいだからな、こんな事もあるだろ」
「…そうなの?」
「さっきも言ったがここは『禁踏の森』だ。学園長の許可がなければ入れないし、万が一入れても今みたいにオオカミの餌食になる。ここの森は黒鉄の縄張りでさっきのオオカミも黒鉄の眷属だ。なんでこんなに厳重か…なぜなら学園長と黒鉄の家があるからだ」
「家…」
「この国の人間が妖に襲われないように妖たちを監視している最重要人物だからな、学園長は」
「太郎くんは会ったことあるの?学園長に」
「ああ。オレは…事情があって学園長に世話になってる。会ったこともあるし、この森に入る許可ももらってる」
「そう…」
太郎は面倒そうに立ち上がると、周りを見渡した。どこまでも広がる森に、太郎が溜息をつく。さゆりはつられるように立ち上がると、自分たちを囲む森の重厚さに背筋を震わせた。今自分たちを囲んでいるのは杉の木、さっきともまた景色が違って見える。
「めちゃくちゃに走ったからな…ここがどこかもわからねぇ。どうしたもんかな」
「あの…あの…太郎くん…私…ごめんなさいっ…私がっ…」
「…お前は悪くない。お前が簡単に入れるような結界なのが悪いんだ」
「でも…」
「待ってな。今、オレの魔法で外に出してやる」
言ってニヤリと笑ったその顔はいつもの太郎だった。不安も恐れも微塵もない、いつものあの軽口だ。さゆりが一瞬ぽかんとしていると、太郎はふとさゆりに顔を近づけた。
「…お前、誰かと付き合ったことあるか?」
「…へ?いや…あの…ない、けど」
「そっか、じゃあ悪いな」
なにが悪いと言うんだろう。さゆりが考えている一瞬をついて、太郎がさゆりの唇にキスをしてきた。キスというよりも何かを吸われるような感触。さゆりの顔が真っ赤になる頃、その唇はようやく離された。
「今はお前のスイッチが閉じてるみたいだから、こうやって吸わせてもらった」
「な…あの…えっ!?」
「その霊力、借りるぞ」
そう言って太郎はさゆりの身体を米俵のように肩に担いだ。スカートが捲り上がりそうな感覚にさゆりが慌てて足をバタつかせる。太郎は暴れるさゆりのお尻をぺしりと叩いた。
「暴れんな!お前が地面に立ってると磁場が狂うんだよ」
「…磁場?」
「さー、太郎先生の特別授業だ。いいか、呪文だの経だのは要は『願い』だ。自分がその力をどう使いたいかを明確に表現する。その言葉が力の具現化を手伝うんだ」
「…ぐげんか…」
「オレやボーズみたいに宗教がハッキリしてるヤツは、その宗教に沿った言葉のほうがイメージが湧きやすい。ただそれだけだ。勿論儀式やなんかのときは手順や呪文も大事だけどな」
「……」
「今のオレの願いは、お前と一緒にここを出る、だ」
太郎は胸元にかけられたロザリオに唇を寄せた。さっきさゆりの唇を奪ったその唇に小さな青い光が灯っている。さゆりを抱える腕に力がこめられる。
「…父と子と聖霊の名に於いて命ず…行く手を遮る暗き森よ、森よ、その双腕を解き放ち給え。光よ、我に力を…我らを彼の地に導き給わんことを!!アーメン!!」
太郎の拳が青い光に包まれ、その拳を地面に叩きつけると辺り一帯がまたまばゆい光に包まれた。その光は怖くない。さゆりはそう安心して目を閉じた。
目を開けるとそこは森の外だった。そしていつの間にやらさゆりは自分の脚で地面に立っている。前には寮や校舎が見えて、さゆりは喜びいさんで後ろを振り返った。自分を救い出してくれた太郎と喜びを分かち合うため。
しかし振り返る先には地面に倒れ込み、苦しそうに胸をかきむしる太郎の姿だった。
「太郎くん!?」
続く