act5 朧玉(おぼろだま)
前にも述べたが、さゆりや蓮華、太郎とあと一人は特別科にいるが人間なので普通科に混じって午前の授業を受ける。その間、佳澄や千代たちは特別科校舎で人間の文化について学ぶ。妖怪についての授業は午後からで、週2回の実技授業以外は座学となる。
普通科の授業が終わり、さゆりは広げていたノートを閉じていた。
「ねぇねぇ、山上さん」
「山上さんて特別科なんでしょ?」
数人の女子に囲まれた。好奇心の目はキラキラと輝いていて、さゆりは無意識に身構えた。まさか妖怪について学んでるなど言えるはずもない。こういう時用の受け答えを用意するように黒鉄に言われていたのに。
「そう…だけど」
「太郎くんてどんな人!?」
「彼女いるの?」
「こっちの学食で食べる日とか決まってるのかな!?」
質問の内容が予想と違っていたことに拍子抜けしながら、さゆりは彼女たちの言葉を反芻した。
「太郎くん…の、彼女?」
「そう!特別科にいるのかな?あの髪型縦ロールの李さんとか…」
「蓮華ちゃん?それは違うと思う…」
そんな感じでしどろもどろ答えていると、隣のクラスで英語の授業を受けていた蓮華と太郎が顔を覗かせる。彼女たちが突然静まり返った。太郎の一挙一動をじっくりと観察しているらしい。
「さゆり、昼飯どうする?」
「向こうで食べる約束してるよ」
「んじゃオレもそうすっかな」
「楠くんはどうしますの?」
「…同席していいなら一緒に行こう」
「じゃあみんなで寮の食堂に戻ろっか」
そのやりとりを聞いていた普通科の女子に太郎が気まぐれに手を振ると、彼女たちから黄色い声援が上がった。蓮華の眉間に皺が寄る。
「なんですの?あれ」
「太郎くんのファンなんだって」
「悪趣味ですわね」
「…同感だ」
蓮華に同意したのは楠宗光。さゆりたちと同じ特別科の人間で、長身で真面目な性格だ。佳澄が懐いているせいか、自然と仲良くなりさゆりたちと食事を一緒にすることも増えた。蓮華と気が合うらしく、反対に太郎や千代とは合わないらしい。佳澄はそんな彼らが面白いと言う。さゆりも佳澄と同意見だった。彼らは普通の高校生より少し大人なので、本気のいがみ合いにならないのだ。
「クロワッサンもボーズも見る目がねぇんだよ、な?さゆり」
同意を求めるようにさゆりの肩を抱く太郎の手を、宗光が叩いた。そして同時に蓮華が太郎の腹をつねる。
「クロワッサンとはどういう意味ですか!」
「似てるだろうが、その縦ロール」
「失礼な!」
そんなやりとりをしばらくしていると、ふと太郎が歩みを止めた。宗光も蓮華も真剣な目つきで同じ方を見ている。その先には一人の女子生徒が、廊下の窓に向かって何かをブツブツ呟いていた。髪はボサボサで目の下はクマが出来ている。太郎はさゆりを守るように自分の後ろに隠し、宗光が女子生徒に近づく。
「どう…したの?」
「いいからボーズに任せとけ」
宗光が数珠を巻き付かせた手で女子生徒の肩を叩くと、彼女は少し身震いをした後さっきとは打って変わってスッキリした顔立ちでどこかに行ってしまった。
「…人間の念、ですわね」
「大したものでもないし心配ないだろう。少し熱い思いをさせてしまったかもしれないが…」
「お前、『火』だもんな」
太郎の言葉にさゆりがよくわからない、という表情を浮かべると少し笑って教えてくれた。
「人間にも妖にも『属性』ってのがある。今は基準が五行に統一されてるからそれで教えると…属性は五種類。『木』『火』『土』『金』『水』。自分の霊力を使う時にその属性に変換させて術にする。オレは『金』、ボーズは『火』、クロワッサンは『水』、佳澄は『木』、千代は『土』だな」
「毎週やってる朧玉テストの、朧玉に込めた霊力を見てみると属性がわかりやすいですわ」
「朧玉テスト…」
「今日もあるだろう。山上は苦手なのか?」
「うん…」
ここにいるメンバーは同じ人間でも祓い屋として実績のある者ばかりで、さゆりはいつも教わってばかりだった。特に苦手なのが先程蓮華や宗光が言った『朧玉テスト』である。
直径3cmほどの透明なガラス玉が一人一個配布され、その中に霊力を閉じ込めるテストである。霊力を込め過ぎれば割れてしまうし、込める霊力を抑え過ぎても玉が綺麗な色にならない。玉を割った者は一週間の食堂掃除の罰が課せられてしまうのだ。これは霊力のコントロールの基礎となる授業で、一学期はずっと続けられる。それを思うと、さゆりはため息が止まらなかった。
なるほど周囲を見渡すとそれぞれが持っている玉にうっすらと色がついている。太郎は白、佳澄は緑、千代は黄色のようだ。
さゆりは自分の手の中にある玉に向かって必死で念じてみる。
どうか上手くいきますように。どうか割れませんように。
パリンッ
「ああっ…!」
「山上さゆり、罰当番」
「そんなぁ…」
がっくりと肩を落とすさゆりに、佳澄がそっと飴を投げてくれた。黒鉄の見ていない隙に口に放り込むと、それは甘いミルク風味で美味しい。口の動きだけでありがとうと伝えると佳澄は照れたように笑っていた。
罰掃除は夕食が終わってから始める。全部の椅子をテーブルの上に上げて、箒で大まかにゴミを掃き出してからモップがけ。流石に数週間毎日やってきたら慣れたものではあるが、そこそこ力仕事も多いので辛いのは確かだった。蓮華や太郎がコントロールの仕方を教えてくれたりもしたが、自分が霊力を放出している、という意識がない限り教えてもらってもよくわからない。
落ちこぼれ。
認めたくはなかったが、自覚しはじめてきた。
妖怪についての授業も座学ならなんとかついていけてるが、実技になるとてんでわからない。
「今週もかい?お疲れ様」
見ると清雅がジュースを差し出していた。お礼を言って受け取ると、さゆりはつい清雅に朧玉についての愚痴をこぼしてしまった。蓮華たちに教えてもらったのに自分のものにできない自分が情けなくて仕方ない。
「そっか…まぁ僕はなんとなく原因はわかってるけどね」
「本当ですか?」
「君の霊力が強すぎるからだよ」
「それは…わかりますけど…」
さゆりは口を尖らせた。力が強すぎるから朧玉が割れるのだということはさゆりにだってわかる。知りたいのはそれを抑える方法だ。
「太郎たちはきっとこう言っただろう?『ストッパーをかけろ』『蛇口の調節のように開閉する意識を』」
「はい」
「君にはね、もうすでにストッパーがついてるんだよ、自動で」
「は?」
「ストッパーはついてる。だから日頃から霊力だってそんなに洩れてないんだ。でもその蛇口を勢いよく全開にしたら霊力が暴発してしまうんだよ。要はゆっくり霊力を放出する方法を覚えればいい」
言うなり清雅はさゆりに朧玉を投げてよこした。落とさないようにしっかりとキャッチして、掌を広げると、後ろに回り込んだ清雅が抱きしめるようにして両手で包み込む。うなじのあたりに清雅の息がかかってくすぐったい。だがやがてその息使いに自分の呼吸がシンクロしはじめた。
「さぁ…目を閉じて。さゆりちゃんはケーキを作ったことはあるかい?」
「あります」
「じゃぁそれを思い出してみよう。目の前にクリームを塗ったスポンジケーキがある。あとは生クリームを飾り絞りにするんだ」
さゆりが思い出したのは小学校6年の時、父の誕生日のために巫女さんの一人に教えてもらってケーキを焼いたことだった。一生懸命泡立てた生クリームを絞り袋に入れて、きゅっと力を入れる。
「力を入れすぎるとクリームがぶちゅっと出ちゃうよ?慎重に慎重に…」
慎重に、慎重にと反芻しながらさゆりは掌に集中した。
作ったケーキを父は美味しいと喜んでくれた。皆にも少しずつわけて…あとは誰にあげたのだったか…確か皿に盛ったケーキを持って…。
「さゆりちゃん」
「…は、はい!?」
「できてるよ、ケーキ」
「えっ!?」
掌をゆっくり開くと、その中に入った玉に何かキラキラとしたものが込められている。金の粉のようなキラキラしたもので埋め尽くされているのだ。なんにせよ、割らないで霊気を込め終えたのは初めてだった。
「できてます!ありがとうございます!清雅先輩!」
「よかったね」
「今の感覚を忘れないように頑張りますね」
「うん、頑張って。それじゃあご褒美だ」
清雅はそう笑って、煙管から煙を吸うと一気に吐き出した。紫煙が蝶や花の形へと変わってさゆりの周りをひらひらと飛んでみせる。さゆりが喜んで手を伸ばすと、それは突然炎へと姿を変じた。
「僕の属性は『火』。覚えておいてね」
「は、はい」
「君の属性はまだ決まらないよ。もしかしたらずっと決まらないかもしれない。でも気にすることはない」
「また…予言ですか?」
「ああ。信じるかどうかは君次第」
「…わかりました」
清雅はまた笑って食堂を後にした。
残されたさゆりの手には金色に輝く朧玉がひとつあるだけだった。