act.2 担任にして寮監
特別科の寮はおおまかに言うと『椿寮』という男子寮と『桜寮』という女子寮、そして『食堂』の三つの棟がある。さゆりたち新入生は鞄を持ったままに状態で、食堂へと移動した。30人近い生徒が思い思いの場所に座って雑談をしている。厨房に面している部分に黒いワイシャツ姿の男性が立つ。年齢でいうと三十路過ぎで無精ひげを生やしていて、どちらかというと強面の男だった。
「おーい、静かにしろー」
男性が言うと場内が一斉に静かになった。隣に座っている佳澄でさえ緊張した顔つきになっている。男性は静かになった一同を見て満足そうに笑った。
「新入生28名の諸君、入学おめでとう。俺が担任の黒鉄だ。ちなみにこの寮の寮監でもあり、この学園の副学園長でもある。わからんことはなんでも聞いてくれ」
どこかでパチパチと拍手がおこり、ほとんど全員が拍手をした。黒鉄が照れくさそうに笑って、ファイルで自分の肩をとんとんと叩く。
「…んじゃこれから一人ずつ簡単な面談をする。終わった者から寮の自室に帰って各自届いた荷物の整理に入ってくれ。以上」
黒鉄が寮監室に入って行くと、今度は入れ替わるように男子生徒がそこに立った。ブレザーは着ていないがかわりにクリーム色のカーディガンを着ている。その髪は金髪で、背も高かった。
「初めまして。僕は寮長で三年の刑部清雅。現在桜寮の寮長がいないのでそっちも僕が兼任してるからよろしくね。ここからは僕が寮の説明をします」
目の細いほっそりした顔立ちの清雅が、ニコニコとしながら話を続ける。
「まず、この双寮食堂は基本的に談話室も兼ねているので、消灯時間までは利用可能。食事の時間は朝は6時から8時、昼は昼休みの時間、夜は18時から20時ね。各寮についてる大浴場は18時から22時まで。22時は消灯時間だから、寮も食堂も全照明を落とすからよろしく。消灯時間をすぎても寮に戻らない生徒には大浴場とトイレの掃除が罰則でつくからね」
清雅は持っていた利用時間表を指さしながら淡々と説明していく。
「次に休日。基本的には消灯時間と利用時間を守ればあとは自由。学園の敷地外に行く場合は黒鉄先生の許可をもらってね。何か質問あるひと?」
「はーい」
「はい、佳澄」
「消灯時間前なら桜寮に遊びに行っても平気ですかー?」
「ダメ~。男子は24時間桜寮には立ち入り禁止。入ったら酷い目にあうから覚悟して。ただし、女子は椿寮に入っても大丈夫。何か危ない目に合いそうになったら僕の名前を呼んでくれれば助けにいくからね~」
ダメと言われた当の佳澄は残念そうに「さゆりの部屋に遊びに行こうと思ったのに」と言って口をとがらせてみせた。さゆりは恥ずかしくなって思わず俯いてしまった。こんなに純粋な好意を向けられたことがなかったからだ。中学の時も仲のいい男子はいたけれども、こんな風に接しては来なかったし、さゆり個人に向けてこんな言葉を言う男子もいなかったからだ。
さゆりが呼ばれたのは大体の生徒が自室に戻った頃だった。
「山上さゆり、寮監室に来い」
「は、はい」
後ろを振り返るとあと一人の男子が座っていた。彼は髪を銀と黒のツートンカラーに染め上げて、ピアスをいくつもつけている。テレビに出ているロックバンドのメンバーのようにも見えるが、顔立ちは数段彼の方が上である。さゆりの視線に気づいた彼はさゆりに向かって悠然と微笑んでみせた。
さゆりはどうしていいかわからず、小さく会釈すると、寮監室に入った。
寮監室は六畳ほどの広さの部屋に机と椅子と棚がある、簡素な造りだった。置かれている丸椅子に座ると、デスクの椅子の座っていた黒鉄が持っていたファイルをペラリとめっくった。
「山上さゆり。山上神社の娘。人間。間違いないな?」
「はい」
「この学校の特別科にはどんな生徒が集まるか、聞いてきたか?」
「…はい、大体は」
「じゃ、まあ簡単に…規則だから説明だけするぞ。この特別科には霊力のある人間すなわち『祓い屋』と人間との共存を目指す『妖』が在籍する、異論ないな?」
「はい」
「妖はこの学園の敷地にいる限り、人間を襲わないし行動にも制限をつけてある。あいつらの目的はあくまで人間社会を学ぶことにある。
人間であるお前は午前の授業は普通科に混じって普通の授業を受けられる。午後は特別科で主に妖について学んでいく。普通科の科目は…国語・数学・英語・世界史…ま、基本だな」
ファイルのページをさらにめくると、黒鉄は男らしい眉を片方上げた。
「小さい頃から妖が見えて…半年前に事故。半年間意識不明の状態から回復…こりゃすごいな。確かに…霊力は高いようだ。潜在的なものも含めれば相当だろう。でもそれを使いこなす『能』がない。チェーンソーでコピー紙を切るようなものだろうな」
「…う…」
よくわからないが、要は技術がないと言われたのだろう。さゆりが恐縮していると、黒鉄は目を細めた。
「ここはそれを学ぶ場所だ。頑張れよ」
「はい」
「あー…あとお前、佳澄と握手したんだって?」
「あ、はい」
「よくなんともなかったな。喜んだだろ、佳澄」
「はぁ…それが何か特別なことなんですか?」
「まあな…あいつは天狗と人間の間に生まれた半妖だ。人間じゃない。そのせいで他の人間たちとの接触は極力控えている。だからよけいに嬉しかったんだろうさ」
「…佳澄が…」
「しばらくは懐かれると思う。もしイヤだったら遠慮なく俺か清雅に言えよ」
「…は、はい」
喉の奥で低く笑う黒鉄にお辞儀をして、さゆりは寮監室を後にした。ごく普通の高校生に見えた佳澄が人間ではなかったなんて。小さい頃から視えていたせいか偏見は特にないけれど、怖い思いも何度かしているさゆりは複雑な気持ちで桜寮へと向かった。
「なんでこんなに狭いんですの!」
寮の廊下に蓮華の怒号が響き渡る。ことの経緯を知らないさゆりに、部屋着に着替えてアイスを頬張る千代が説明をした。
「自分の部屋にキョンシーの棺桶が入らないんだって」
「キョンシーって…あの?」
さゆりが思い浮かべてるのは、昔の映画のあの腕を伸ばしてピョンピョンと飛ぶものだろう。千代は綺麗な形の眉を寄せて
「言い方変えたら死体ってことでしょ?同じ寮に置くのはちょっと…」
と言った。それも至極当然だろう。蓮華も特に気分は害せず、廊下に出てきた。
「わかってますわ。黒鉄先生にも中国に送り返すように言われてますし…部屋が狭いのはベッドが入らなくて困るって意味で」
「え?あんたベッド自分用の送って来たの!?ぜいたく~」
「う、うるさいですわね」
頬を少し赤らめた蓮華が口を尖らせてそっぽを向く姿に、さゆりと千代は顔を見合わせてくすくす笑いあった。千代が長く伸ばして綺麗にネイルアートしてある右手を差し出した。
「この三人の中で妖はあたしだけね。土蜘蛛っていう妖なの」
千代と握手を交わすさゆりが視界の端で千代の部屋で蠢く黒いものをとらえた。思わず目で追うと黒いものは何十匹とおり、ワサワサとせわしなく動いている。悲鳴を上げるのを必死にこらえているさゆりに気づいた千代がばつの悪そうな顔をした。
「あー…アタシの分身みたいなもん。部屋の片づけをやらせてて…私の部屋からは絶対出ないから」
「う、うん…」
「ここってけっこうゴキブリが多くてさ、うちのコたちがおおはしゃぎで捕まえてるんだよね」
「……いるの?」
「うん、いるよ?さゆりも苦手?うちのコたちの駆除させようか?」
「いいの?」
「いいよぉ。友達だもん」
人懐こい千代の笑顔に佳澄と似たような部分を見つけて、さゆりはありがとうと言った。千代がはにかんだように笑って、さゆりの段ボールだらけの部屋に入る。
「ちょっと目つぶっててねー」
「う、うん」
さゆりが目をつぶったのを確認すると、千代は自分の長い髪の毛の奥から数匹の蜘蛛を取り出した。一匹の大きさは掌サイズ。これを見たらさゆりは卒倒してしまうかもしれない。
「お願いね」
蜘蛛たちに囁くように言って、千代はドアを後ろ手に閉めた。見るとさゆりが律儀に両手で目元を覆っていた。好奇心が強い人間なら『見てはいけない』と言われたものほど見てしまうのに。それがさゆりの素直さなのだと感心しながら、千代はさゆりの肩を叩いた。
「もういいよ。終わるまで食堂でおしゃべりしよ」
「うん。蓮華ちゃんは?」
「行きますわ」
「よしよし、行こー」
三人ははしゃいだ声を上げながら、食堂へと急いだ。