act.1 桜舞う君に出会い
山上さゆりは片田舎の高校の正門を見上げ、怖気づきそうになる自分をなんとか奮い立たせていた。そこに広がるのは広大な敷地に複数の校舎と施設、校庭、そして裏山。正門には看板が立てかけられている。
【私立五陵学園 第五十八回入学式】
さゆりは新入生としてこの学園にやってきた。わくわくと校門をくぐる新入生を見て、少しうしろめたさを感じつつ、胸元に光った校章に目をやった。新入生たちの校章は銀色、さゆりの校章は金色。
それはさゆりが普通科ではなく特別科に入った証であった。
私立五陵学園特別科は一般入試を行っていない。特別推薦でのみ入学できる。かくいうさゆりも事故で半年間意識不明になり、奇跡の生還を果たしたのだが受験はとうに終わっており、祖母のコネでこの学校へ推薦で入ることができた。
それは特別科が本当の意味で特別で特殊であったからできたことで、最初その話を祖母から聞かされた時驚きすぎて眠れなかった。しかしさゆりにもその特殊な学園生活を送る資格がかろうじてあり、授業選択次第では普通科に混じって勉強できるとも聞いたので、さゆりは入学を決めたのだった。
「特別科、山上さゆりです」
「こちらの花をつけて体育館に直接どうぞ。入学式が済みましたら、特別科校舎・特別科校庭を越えた先の『双寮食堂』に移動してください」
「あ、ありがとうございます」
さゆりが移動しようとすると、小さく『特別科だって』と囁かれる声がした。なんとも言えない居心地悪さに早く移動しようとしたさゆりの肩を優しくつつく指があった。
「気にすることありませんわ」
それは綺麗な巻き髪の可愛らしい女の子だった。校章は金色で同じ色の花飾り。どうやら彼女も特別科に入学してきたらしい。さゆりは笑顔で答えた。
「ありがとう。私、山上さゆり。あなたは?」
「中国から来ました、李蓮華と言います。せっかくなので日本語読みで蓮華と呼んでください」
「れんげちゃん…日本語上手なんだね」
「母が日本人ですから」
「よろしくね」
さゆりは早くもできた友達に心躍りながら、校門から体育館までの道を一緒に歩いた。
桜が数十本植えられており、中でも一番大きな桜は見ていて何がしらか惹きつけられるようであった。蓮華が手を引いてくれなかったら、なかなか体育館に入れなかっただろう。体育館では200人近い普通科の新入生が並んで座っていた。特別科はどうやら一番右端の列のようだ。
蓮華と一緒にパイプ椅子に座ると、さゆりの前に座っていた女子生徒が振り返った。黒くて長い髪の少しつり目気味だがそれがとてもよく似合っている。アジアンビューティーとでも言うのだろうか。
「ねぇ、アタシ、弓削千代。あんたは?」
きっちりと今時のメイクをしたアジアンビューティーは、人懐こそうな笑顔でそう聞いてきた。
「山上さゆりです」
「李蓮華です」
「そっかよろしくね。クラスも一クラスだし、寮でも一緒だから仲良くしてね」
「うん」
そう、特筆すべきは特別科だけが全員寮生活なのである。ひとクラスだけのせいぜい30人もいない生徒のために寮が存在するのだ。特別科が普通科の生徒の間で話題に上るのは無理もないことだった。
他の学校と同じような入学式が終わり、新入生退場となった。特別科の生徒だけが鞄や荷物を持っている。普通科生徒が校舎に移動するなか、さゆりたちは靴を履いて再度外に出た。
ふと特別科校舎の裏の森に目を向けた。森の入口付近にも桜が植えられてるらしい。またしても惹きつけられるようにさゆりは森に近づいた。
「さゆりー?」
「さゆりさん、寮はそっちじゃありませんわよ」
「ちょっと桜を見てから行く。すぐに追いつくから先に行ってて」
「わかったー。森の奥に入っちゃだめだよー?」
千代の言葉にわかったと頷き、さゆりは桜の元へ急いだ。何かがさゆりを急いている。自分でも不思議に思いながら、さゆりが桜の木の下に行くとその根元で誰かが寝ていた。
ブレザーの下にパーカーを着ていて、少し赤みがかった髪が柔らかそうだ。校章は金色。花はつけていないけれど校章についている『Ⅰ』から見て一年生、クラスメートということになる。この後寮に集合と言われているのに行かなくていいんだろうか。
「あの…」
さゆりは遠慮気味に彼に声をかけた。もしも起こして機嫌が悪かったらどうしよう。もし授業をサボったりする怖い生徒だったらどうしよう。そんなことを考えながらもう一度声をかけると、彼の大きな瞳がゆっくりと開いた。何度か瞬きをしてから完全に開かれる。
その澄んだ瞳がゆっくりとさゆりをとらえた。
「…桜が…舞ってる」
彼が寝起きのかすれ声でそう呟いた。さゆりにはわからなかったが、彼の視界には自分を覗き込んでいる彼女に向かってはらはらと桜が舞い降りて、とても幻想的な眺めだったのである。
「…寮に移動しないの?」
さゆりが聞くと彼は覚醒したかのようにがばっと起きて、きょろきょろとあたりを見回した。
「やべっ…オレ入学式…」
「もう終わったよ」
「…うわー…絶対怒られるな……桜に呼ばれてつい…」
「桜に?」
「うん。あ、この後どうするって?」
「寮の食堂に集合だって」
「そっか。サンキュ」
ニコッと笑う彼の笑顔にさゆりは安心した。怖い生徒ではなかったらしい。彼となら仲良くできそうだと思い、右手を差し出した。
「私、山上さゆり。あなたは?」
彼はしばらくさゆりの右手をまじまじと見てから、様子を窺うようにそっと手を差し出した。まどろっこしくなったさゆりが半ば強引に握手する。彼は驚いた顔でさゆりを見つめた。握手するために手を差し出したのはさゆりなのに、どうして彼はこんなにも驚くのだろう。
「高尾…佳澄…」
「佳澄って素敵な名前だね」
「……痛くない?」
「痛くないよ?そんなに強く握ってる?」
さゆりの答えに佳澄の瞳はきらきらと光りを得て、そして盛大に細められた。さゆりが何か聞こうとする前に佳澄の腕の中に閉じ込められた。
「すげぇ!!こんな子初めてだ!!」
「え?何?どういうこと?」
「すげぇー!!さゆりすげぇ!」
同じことを繰り返す佳澄に茫然としながらも、佳澄が純粋に喜んで、喜びから抱きしめているのだとわかって、さゆりはされるがままになっていた。悪意や下心は一切ない。まるで大型犬のような佳澄に頬がゆるんだのである。
「これからよろしくな!」
こうして、さゆりの学園生活は幕を開けた。