黒い森と悪魔
暗く深い森の奥には古城があった。
黒い木々の中から覗く尖塔は、森の外れにある貧しい村からも見ることができる。
その古城が何時からあるのか、村の者は誰も知らなかった。
ただ、時折村に現れる勇敢な旅人が古城に向かい、誰1人として帰って来ないという事実だけが古城に対する村人の知識だった。
しかし何人犠牲者が出たとしても、村人にとって古城はただの城にすぎなかった。
自分達の住む村に魔物が現れる訳でもない。
立ち寄って金を村に落としていく旅人が帰って来なくとも、所詮は赤の他人。生死にさしたる興味もない。
村人にとって大事なのは、貧しい村で宿を求め食事をする旅人がいるということだけだ。
枯れた土地を耕して作った農作物を売って得る利益なんかよりも、旅人の懐から出る利益の方がずっと良かったからだ。
やがて、空き家を改修して宿屋が出来た。
畑を1日耕して、夕暮れ時にはささやかな幸せに1杯の麦酒を飲む農夫の集う酒場は、大きくなった。
村は古城の噂が近隣に広まっていくことによって、豊かになったのであった。
そんなある日のことであった。
「ぎゃああああっ!!!」
早朝。
立ち昇る霧の衣を切り裂いて、若い男の断末魔が森から村へと届いた。
それは、村からさほど遠くはない場所から上がった悲鳴に思われた。
「まさか古城の魔物が、こんな近くまで?」
「この悲鳴…、今朝旅立った人だよな…?」
「と、とにかく様子を見にいくしかないだろう」
村の男達は松明をかざし、武器代わりに農具を構え、恐る恐る森に入っていった。
森の中で彼等が見たのは、食い散らかされた―――残った部分と服の欠片から推測すると―――朝、村から旅立った旅人の遺体だった。
木々の間から、狼の声が聞こえる。どうやら彼は魔物ではなく、狼の群れの朝飯となったようである。
狼達は、村人の持つ松明を恐れて近寄っては来ないようだ。
「魔物じゃないなら…この人には悪いが村へ戻ろう」
「そうだな。俺達まで食われちゃ仕方がねぇ」
村人達が口々に言って村へと帰ろうとした。
「おい、待てよ」
しかし、旅人の遺体を1番近くで見ていた男が村人を引き留める。
「丁寧に埋葬でもしてやるつもりか?」
「そうじゃない。これを見ろ!」
男は血にまみれた腕輪を村人に見せた。
「それは昨日の…」
「そうさ!」
遺体となった旅人の腕輪は黄金だった。
此処に来る前に遺跡で見つけたと昨晩、酒場で上機嫌に語っていたと村人達は思い出す。
「これを使えば、村はもっと豊かになるぞ!」
「売るのか?」
「違う! まあ、見てなって」
上機嫌な男に、村人達は怪訝な顔をしつつ、顔を見合わせた。
それから一月もせぬうちに、村は活気に満ち満ちていた。
城には、黄金の財宝が眠っている。全ての部屋は黄金と宝石で埋めつくされ、持ちきれないほどであった。村には証拠として黄金の腕輪がある。
そんな噂が、旅人の間に広まっていたからだ。
旅人達は単純だった。
そんな黄金を手に入れた旅人の話を聞かないことも、その旅人が仲間を募って再び城に行くことがないことも、城の宝を取り付くしていないことも、誰も疑問になんて考えない。
自分が宝を手に入れる。
その考えだけにとり憑かれてしまっているからだ。
次々と旅人達は金に魅せられて森に消えていく。
貧しい農村は、やがて街と呼ばれるほど大きくなっていった。
ある時、騒がしい街の上空に悪魔がいた。
悪魔は、古城の主であった。
数百年程、居眠りをして、起きたらこの騒ぎである。
何事かと下に耳をすませば、黄金の城の話で満ち溢れていた。
自分の城に黄金など置いたつもりはないし、城を出る前に見てもそんなものはなかった。
ひょっとしたら小悪魔共が何かを集めて城に置いていたのかもしれない。
城を出る時に、小悪魔たちが「最近、人間がいっぱい来て食事に困らない」と上機嫌だったことと、この村だったはずの人間の集団が大きく発展していることは何か関係があるのだろうか。
悪魔は首を傾げながら、更に耳をすます。
「黄金へ辿り着く前に腹が減っては仕方がない。うちのパンは日持ちがするよー!」
『黄金伝説がついただけで、こんなに客がくるんだからありがたい』
「黄金を入れる袋が必要じゃないかい? うちの袋は大きいし丈夫だよ!」
『馬鹿だねぇ。どうせ狼に食われるのがオチさあ』
耳をすませた悪魔には、人間の本音も飛び込んでくる。
ある程度、耳をすませていた悪魔は思わず呟いた。
「人間ってのは怖いねぇ。俺達なんかよりずっと貪欲で知恵が回る。この数百年で人間は悪魔以上に悪魔になっちまったらしい」
悪魔は肩をすくめると、誰も来ない居眠りできる場所を求めて飛び去った。