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グローイン公爵の悪評

 

 

 

 

 

 グローイン公爵の悪評は、それはそれは酷いものだった。

 店に雪崩れ込んできたご令嬢達は、皆口を揃えて『あの男は女の敵だ』と騒ぎ立てていた。そして私に対してあの男がどれほど有害かを切々と説くだけ説いて帰って行った。

 その様は、どこからどう見ても嵐そのものだった。


「まだ朝だというのに既に一日分ほどの売り上げになったのではないかしらねぇ」


 鼻歌でも歌いだしそうな涼やかな声でそう言いながら、ジューダが店の奥から姿を現した。ご令嬢達が全員帰ったところを見計らったような絶妙なタイミングである。


「雑談するだけで帰るのは悪いと思ったんでしょうね。砂時計が殆どなくなってしまったわ。また作らなきゃ……」


 私は肩を竦めながら砂時計があったはずの棚を見る。

 わりと沢山並べていたはずの砂時計はあっというまに半数がお嫁に行ってしまった。


「ガラス細工ならすぐに準備出来るから、虹雨の製作が終わったら補充してくれるかしら?」


 ジューダも私と同じように肩を竦めて、軽く苦笑を漏らしながら言う。


「ねぇジューダ……、あのグローイン公爵は余程評判が悪いのね」


 店の奥に引っ込もうとしていたジューダを引きとめるように声をかける。

 するとジューダはくるりと振り返り、きょとんと首を傾げて不思議そうな顔で私を見た。


「すごく有名な話よ。クレセ、知らなかったの?」


 ジューダのその言葉を聞いた私は、ジューダと同じように首を傾げながらそっと話の続きを促す。


「あの公爵の悪い噂が立ち始めたのは10年近く前だったかしらね。女をとっかえひっかえして……まぁその辺はさっきのご令嬢方が言っていたものと全く同じよ」


 ちなみにご令嬢達が言っていたグローイン公爵の悪評は、お付き合いが長続きしないだとか、幼女でも年増でも女なら誰にでも手を出すだとか、一度夜を共にした女性とは二度と接触しないだとか、ありがちな浮気話からなんとも生々しい話まで様々だった。


「それで、その噂はそんなに有名なの?」


「そうね。少なくとも彼と結婚する可能性のあるご令嬢なら皆知っているでしょうね」


 彼と身分の釣り合いそうなご令嬢達は大体知っているということか。


「クレセだって彼と結婚しても……いえ、結婚させられてもおかしくない身分でしょうに」


 ジューダは呆れちゃうわと言わんばかりに肩を竦めて残念な子を見る目をしている。よくされる目なので今更怯む事はない。もう見慣れちゃったわ。


「全然知らなかったわ。そもそもグローイン公爵の顔を認識したのも昨夜が初めてよ」


 なんて、ぽつりと零せば、ジューダの目が残念な子を見る目から物凄く冷ややかな目に変わった。


「クレセ、あなたは本当に前世の彼以外の男を見ていないのね」


「そういうわけじゃ……」


「どこに居るかも解らない男のことばかり考えていないで、もっと良い男を捕まえようとは思わないの?」


「どこに居るかも何も居ないと思うのだけど……。まぁ、そうね。結婚適齢期過ぎると大変だものね……グローイン公爵は捕まえられるかしらね……」


 私の言葉を聞いたジューダは、それはもう盛大な溜め息を一つ吐いて、お店の隅に置いてあるソファに腰を下ろした。

 どうやら店の奥に引っ込む事は諦めたようだ。


「ほら、暫くお客様も来そうにないわ。あなたも座りなさいな。」


 はぁ、ともう一つ溜め息を零したジューダは、軽く頭を抱えながらぽんぽんとソファを叩いている。

 お説教をされそうな雰囲気なのであまり積極的に座りたいとは思えないのだが、拒否する理由もないので、私は大人しくジューダの隣に腰を下ろした。


「私はなにも手近なところで済ませろと言っているわけではないのよ? グローイン公爵を挑発したのは丁度近くに良い教材が居ると思っただけ」


 と、ジューダは呆れたように言うのだが、私はジューダの言っている言葉の意味がいまいち理解出来ずにいた。

 眉を寄せ、じっとジューダを見て視線だけでもう少し詳しい説明を要求すると、ジューダは今日一番大きいと思われる溜め息を惜しげもなく零す。

 溜め息を吐くと幸せが逃げるというし、私のせいでジューダの大量の幸せを逃がしてしまっている気がしないでもない。


「クレセはずっと言っていたわよね、信じるのが怖いから信じる余地のない男と結婚したいだとか、浮気者や愛人の居る男で良いだとか、そんな事を」


「ええ。言っているわ。……私は臆病者だから、もう二度とあんな辛い思いはしたくない」


 膝の上に置いた両手をきゅっと握り締めていると、ジューダの手がそれをそっと撫でてくれる。


「考え方は人それぞれだから、それを悪い事だとは言わないわ。否定も肯定もしない。けれど……私はクレセに傷付いてほしくないのよ」


「……私が傷付く事を前提に話を進めているのね?」


 そう言った私の表情は、とても情けないものだったことだろう。

 解っているのだ、浮気者や愛人の居る男と結婚すれば、いずれ傷付く事があるだろうという事くらい。

 しかし浮気や愛人を許す代わりに、私は男を愛さないと決めている。だからきっと、かつての傷より深くなることはない。……ないはずなのだ。少なくとも、私の算段では。


「貴族の結婚は、必ず子を成さなければならないのよね? 子が出来なければ責められるし、クレセの場合は魔力を持つ子でなければきっと落胆される。そんな生活を、愛のない相手とやっていけるのかしら?」


 ジューダには何が見えているのだろう。彼女はたまにこうやってとても痛いところを突いてくる。返す言葉を考えるために、私は静かに俯いた。


「……私は愛なんて要らないもの。やっていけるわ。やっていくしかないの。貴族として、魔力を持って生まれてしまった女として」


 思えば、私は何もかも諦めてしまっているのかもしれない。

 だって、前世の記憶を取り戻してから、彼にはもう会えないんだと認識してから、恋愛も結婚も本当に好きな人とは出来ないと気付いてしまった。


「そんなに寂しいこと言わないの」


 私の手の上に置かれていたジューダの手に、少しだけ力が篭る。


「寂しくなんてないわ。だって……ジューダはずっと私の味方で居てくれるのでしょう?」


 俯いていた顔を上げてジューダの瞳を覗き込めば、そこには薄っすらと悲しみの色が滲んでいた。


「信じるのは怖いと言いながら、私の事は信じるの?」


「……え?」


「信じれば裏切られる、貴女の口癖よね。それなのにクレセは、私を信じてる。もしも私が貴女にとんでもない嘘を吐いていたらどうするの?」


 ジューダの金色の瞳は、真剣そのものだった。ジューダにこんな事を言われたのは初めてだったので、私は戸惑いを隠せなかった。

 何も言わずに、ただただジューダの瞳を見詰めていると、彼女はふと苦笑を漏らしながらゆったりとした動きで私の頭を撫でる。


「ごめんなさいね、言い過ぎたわ。とにかく私が言いたかった事はね、貴女の結婚したい相手だという浮気者にぴったり一致する男が丁度近くに居たから実際にそんな男と接してみなさいということよ」


 ぴったり一致する男……あぁ、グローイン公爵の話に戻っていたのね。


「グローイン公爵は、また会ってくれるかしら?」


「ん? すぐに来ると思うわよ」


 ジューダはにっこりと笑ってそう言った。

 

 翌日、ジューダの言った通りグローイン公爵はすぐに私に会いに来た。

 本当に、ジューダには何が見えているのだろう?





 

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